

今週はやや”軽め”の本にしたのでいつもより1冊増やして5冊借りてきました
軽めと言っても本は本なのでボリュームはあるのですが、マア週間誌的と言うか、「読み飛ばし可」みたいなことも出来そうと言う意味です。
それでいつもの「囲碁テクニカル」は今週は無しです。
その代わりと言っては変ですが将棋の先崎学さんの本を借りてきました。
<借りた本>
世界は右に回る 先崎学 平成9年 (社)日本将棋連盟
山河太平記 陳瞬臣 1979年
春砂 赤木駿介 1990年
小ばなし歳時記 加太こうじ 1987年
昔も今も 笑いのタネ本 宇野信夫 1982年
並べて書いて見ると私の嗜好がはっきり出ていますね。
陳さんの中国物・歴史物が好きで、ほぼ全部読んでしまったと思い込んでいた(推理物とか小説的なものは読まないのですが)と思っていた所、図書館の作家別ではない分類でこの本を発見したので、早速借りました。
春砂と言う言葉はアラブ系の馬を指す言葉として作られたらしい。
要するにペルシャの意味のようです。
作者の赤木さんの名前が余りに懐かしくてついつい・・・
この人は競馬の解説などしていたので昔は競馬放送・競馬新聞・競馬週刊誌・スポーツ新聞などではお馴染みさんだったのですが、「本業は作家でしたよね」と言う感じです。
笑いのタネ関係は落語ファンとしてはベーシックな知識の確認みたいなものでしょうか。
落語といえば古典
落語的なおかしさ・・・そういうものが好きなんですが、古典的な世界ともなると背景になるものを知らないと本当のおかしさが理解できないものも多いので、やはりそこの所は勉強?が大切。
『気持ちよく笑うには知っておきたいことがあります』
さて先崎学さんの本です
月刊誌の「NHK囲碁講座」で「桂馬の両アタリ」というエッセイのページを持っているので、将棋の棋士ですが囲碁とも因縁浅からず。
奥さんは囲碁棋士ですからね。
ご本人も囲碁ファンだそうでそんな縁で繭さんを掻っ攫ったらしいのですが、その辺のことに触れているかと期待したのですが・・・残念。
でも将棋棋士の生活のようなものを少しだけ垣間見ることが出来たような気はします。
将棋にしろ囲碁にしろ「棋士」と名がつく先生たちの生活はこういう感じでしょうか・・・棋士も独身時代はと言う限定で
それとも先崎さん(羽生さんと同じ世代)の同世代限定?
今では棋士の方々のブログが有って、棋士の生活とかどんなことを感じているのかを垣間見ることが昔より多くなってきたようですが・・・先崎さんの本に描かれているようなことが平均的なんでしょうか?不思議に感じました。
マア博打打ちではないけれど、「勝負事」で生活が左右される世界でしょうから、普通の人間では理解を越える部分が多いでしょう・・・神経をすり減らすのですからメンテナンスも必要でしょう、それは想像できる
但し私みたいな下戸からするとどうにも理解できないこともあります。
藤沢秀行さんの本やTV番組でも感じたのですが、「何であんなにお酒を飲むのだろう?」・・・お酒を飲む機会が多すぎる・・・いや、飲んだ時のことが記事にしやすいだけなのか?
あるいは、棋士の世界に全くの下戸はいないのだろうか?
もしいたとして、その先生は酒ではないメンテナンスをどうしているのか?
また愛飲家の棋士ととそういう先生の同席のエピソードは?
ともかくコレは善悪とかの問題では無くて純粋に理解できないのです。
先崎さんの話の中でもそういう場面がたくさん出てきます。
私は「もう少し控えれば、更に凄い棋士になれる」とは言いません。
本当にそうなのかどうか分からないですからね。
寧ろ芸事は小さな枠に収まってはいけないのかも知れないし
清廉潔癖の人が大名人になれるとは決まっていません・・・そこまでは分かる。
でも何でだろう
最近の民放TVのコマーシャルでは相変わらずビールの宣伝が多いですね
いや季節柄増えているような気がする
それに日本酒・焼酎などをいれるとかなりの露出度
ごく当たり前にゴクゴク飲んでいます
若い娘さんの凄い飲みっぷりを見せられると、CFと分かっていても飲めない「オジサン」にとは恐怖です。
お酒はジュースとは違うから同じ様な飲み方に抵抗を感じてしまいます。
ココ数十年でトータルコップ1杯程度の消費量の人間としては理解を越える
誤解されるといけないのですが、飲酒に反対しているのではありません
ただただ理解できないだけで、飲む人から見たら逆に私みたいな人間が理解できないのかも知れません。
「飲まないのではなくて、飲めないのでしょう」と言うのも当たっています
昔は宴会などで乾杯には形だけ付き合っても、献杯など断るのに相当苦労した。
相手に納得されやすいようにアルコールアレルギーと言うことで通してきたがこれは理由の半面で、半分は少年試合の酒飲みの姿のトラウマが焼きついている。
今のお酒の飲み方はその頃とは比べられないほどスマートになったような気はします。
ただ、酒に限らず昔と今との違いは「ハレ」と「ケ」の違いが無くなりつつあるということでしょうか。
着る物、食生活などにハレとケがあって酒もそういう範疇に入る場合も有ったものが、嗜好品みたいになっているから、マア飲料水と変わらない位置づけみたいなものでしょうか。
実は我が家でも酒といえば料理酒しかなかったはず・・・頂き物の外国のお酒も料理に入れるか、お客が有った時にお出しして、ついでに残ったらボトルごと持って行ってもらいます。
だから普段のストックはゼロです
ところが最近は我が家の冷蔵庫にも新しい風が吹き始めて、成人した愚息が缶ビールをストックしてある。
まさに隔世遺伝の恐れアリ!
彼から見て祖父・曽祖父はかなりの酒豪だったから・・・
(私の育った家では来客用と言うこともあり、酒は1升ビンで10本単位、ビール瓶は大瓶20本単位で配達してもらっていた)
そういえば、血を受け継いでいないのか飲まないのは私だけ
私が彼らを理解できない以上に彼らもまた・・・
ともかく私に関しては「酒の上の言い過ぎ」はありえないし、「人生の中の一瞬でも酒を飲んでいて記憶にない時間があるということは自分に許せない」的な感覚がありました。
ところが実際には素面でも酔っ払いみたいな事を言っているし、肝心な場面では寝ているし・・・囲碁を打っている時は囲碁に酔っている状態かもしれないし・・・飲まなくても困った爺様にはなれるのですから、そういう意味では私も訳わかんない人の仲間かもしれない
