なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ほんと?

2009-02-28 16:39:37 | Weblog
 数日前にネット観戦していて、信じられないようなものを見てしまいました。
  いや、リアルではこの種の戦いは何度も見ているのが・・・
 例えば碁会所とかコミュニティなどで、(見下していたり偏見ということではなくて・・・)初段とか級位者同士の対局ではそれほど珍しくはないのかも知れませんが、流石にネットでの高段者の対局では初めてです。
 それも、一手10秒くらいで打つような碁なら、時としてそうなることもあるかもしれないけれど、その碁は持ち時間45分あって、しかも時間を使い切っても30秒の秒読みがついているのだから、プロはともかくアマチュアでは早碁ではないにもかかわらず・・・。

 ともかく白さんはやりたい放題なのです。
  それも、牛若丸が弁慶相手に跳んだり跳ねたり縦横無尽と言うのなら同じ驚くのでも畏敬の念を持ってみるのですが、単に好戦的で結果を伴っていないのだからスゴイ!。
 力技の連発であり、横車だろうが何だろうがお構いなし。
 失敗を重ねているのに、決してあきらめることの無い好戦的姿勢と言うか超越したファイティングスピリットで攻撃している・・・いや結果を伴わない攻撃だから、相手は受けているだけで良いのだから本当の攻撃かどうかは疑わしいところではある。
 いくら野次馬でも一体この白氏に何が起きているのか考えてしまいます。
 ①、ともかく、打ちたいところに打ってみたかった?・・・しかし相手にも言い分があるのに・・・
 ②、何か、気持ちの上で我慢できないことがあって攻撃的になっているのか?・・・何かの憂さ晴らしとか。
 ③、いや、もしかしてかなり酔っているのかも知れない・・・私は飲まないから酔った経験が無いのでよく分からないけれど、もしかしたら酔っ払っている?
  ともかく、酷い内容だと思うのだけれど、それは「傍目八目」だから言えるものを越えているように思えます。
  終盤、数えてみると30目は差があると思われるのにまだ対局は続くらしい。
 流石に中座しました。
  しかし私がこの白氏に打って頂くとしたら先か二子置くことになるのだから全く信じられない・・・囲碁にドクターストップは無いけれど、イエローカード必至。
 尤も、負けるのも本人の責任なので内容についてあれこれ言うのはおかしいという意見もあるかも知れませんし、現実にハズミで一手ばったりの逆転だって期待できるのかも知れない。
  そういうことを期待するなら、投了したら何も起こらないわけで、投了は論外かも知れません。
 確かにその通りなのですが、やはり何事にも程度問題と言うこともあるから、私としては勝たせてくれるのならこういう相手でも歓迎するという気分にはなれません。
 やはり、同じ勝のなら多少は苦労して勝ちたい・・・それも贅沢でしょうか。
  まあ、こういう人に限って私と打つ時はしっかり酔いが醒めていて「話が違う」状態なんでしょうね、きっと。

週末参戦?

2009-02-27 18:33:43 | Weblog
 昨日に引き続き今日も寒かったですね。
  これが夏ですと「言うまいと思えど今日の暑さかな」だったでしょうか、私の場合は「今日の寒さかな」がぴったりです。
 尤も暑くても空に向かって文句は言いますが・・・気象庁には言いません。
  と言うのは昔天気予報官(昔は確かそういう名前でした)の話で、「気圧配置などから雨の予報が続いたりすると、晴れを期待する人から『気象庁は毎日雨の予報で、何をしているのだ!』とクレームの電話が来たりした」という・・・
  もう少し捻りがあるとお笑いネタなんですが、惜しい!

 さて、ブログの模様替えをしました・・・と言っても既製品の服を着替えただけみたいなものですから、家の壁を塗り替えたようなもので、中身は変わりようがありません。
 それに模様替えと言っても深い意味があるわけではありません。
  単にもうすぐ春だから気分を変えてみようと思っただけです。
 まあ、ここのところ連日の寒さに多少逆らってみましたと言うところです。
   ブログに限らず、模様替えと言うのは好きです。
 部屋掃除は嫌いですが、配置を変えたり壁に掛けてある絵を変えたりするのが好きなんです。
  その時に一緒に掃除もやるわけです・・・つまり放っておいたら模様替えの回数しか掃除はしない。
 
 そう言えば学生時代は地方出身ですから下宿・アパート暮らしでしたが、概ね1年に1回引っ越しをしていました。
 別に近所や大家さんから追い出されたわけではなくて、「新しい場所に住んでみたい」という欲求みたいなものがあるみたいです。
 そういう意味では、住む所を買うというときは迷いましたね。
  買ったらおいそれとは引っ越せない。
 これは両親から引き継いだ性格かも知れません。
  両親も最終的には自分の家を持つのですが、若い頃はよく引っ越しをしたのだそうで、1日で2軒と言うのもあったそうです。
  引っ越し先が気にらなくてその日のうちに引っ越したとか。

 ともあれ気分を新たにネット碁で頑張るつもりですが、本当は週末は鬼門かも・・・と言うのは、普段は仕事で忙しい30代。40代の若手のバリバリが週末参戦してくるかんじがあるからです。
 彼らは今でもソコソコ強いのに、伸びシロがあります。
  それに比べるとこちらはせいぜい停滞ジイサンですから・・・見知らぬ人に教わる時は・特に週末は注意が必要です。
 腕試しではあるけれど、相手は刀の切れ味の試し斬りかも。

今日は寒い

2009-02-26 18:09:47 | Weblog
 今日は寒い、今日もかも知れませんが、ともかく寒い。
  南関東でこの程度の寒さに震えていたら北国の人に笑われそうですが、しかし寒いものは寒い。
 寒いと体の芯から震え出すような性格?、いや体質?かも知れません。
  しかし、「寒い」は女房殿の前では禁句なのです。
 あちらさんは、朝5時には起きて炊事をしながら洗濯をして、出かける前には表に干していくので・・・私が寒いなどと言おうものなら、このときとばかり「私は動き回っていますから寒くないですよ」などと冷たいしっぺ返しが来るのです。

 冬だから寒くても当たり前みたいなものですが、「暖冬傾向」という割には「暖」だとは感じない・・・
 尤も昔の冬はもっと寒かったような気がしますから、感じ方の問題もありそうです。
 子供時代は真冬には大きな霜柱を踏みながら登校したものですから、そのころの寒さとは確かに違います。
 「子供は風の子」という歌の文句みたいなものがありますが、私は昔の子供のくせに寒さにはからっきし弱くて、冬の朝に友達が「○○チャン遊ぼう」と呼びに来ても布団にもぐったまま「あーとーで」状態。
 だからウィンタースポーツ、スキースケートとは縁がありません。
  滑降も、大回転も、距離スキーも、フィギアスケートもスピードスケートもTVでなら見ますが、実際にその場で見るとなったら逃げ出すに違いない・・・いや、そういうところには近づかないに違いない。

 先日TVを見ていたら人間の「体内カレンダー」と言うものがあるのだそうです・・・サイエンスの雑誌にも取り上げられたそうです。
 それによると、冬になると体の働きが鈍ったり変わったりするらしい。
  敏感というか過剰に反応する人には、冬季鬱もあるらしい・・・
 私もそういう傾向の体質なのか、単に寒さを口実とした怠け癖なのか
  
 冬は囲碁の勝率が悪い?・・・そこまでは無いようではあるが、少なくとも目が覚めてからか体にエンジンがかかるまでには人より時間がかかるかも知れませんから、例え座ってやる囲碁であっても十分に心身のアイドリングが必要かも知れません。
 運動の場合はアップが必要ですし、私の場合の自転車通勤でも走り始めの15分程度は意識して早くは走らないようにしています。
  体の活動だけでなく、精神的活動にも季節の寒さは影響しているらしい。
 私が寒さに弱いのは寒さへの反応が強いのかな?

好きなものはしょうがない

2009-02-25 15:44:27 | Weblog
 惚れた弱みと言いますか、悪女魅入られたようなものですから、頭で考えることと行動は一致しません。
 昨日のブログで、「今日は駄目!」と言ったのに・・・
  誰かが遊びに誘いに来ても、「あとで~」と言って居留守を使うはずだったのに、いざネットに接続して観戦を始めるともういけません。
 いや本来なら、こういう危ない日には危険物に近づいてはいけないのですから、観に行くのも危ないのに・・・観に行けばかならず引き込まれるものです。
 いや、お酒の好きな人が「今日はやめておこう」と思っているのに、夕方辺りが暗くなり、いい匂いに・赤い提灯に誘われれば「一杯だけなら良いだろう」と自分にいいわけをしながらはまっていくようなものでしょう。
 お酒の話は、聞いた話と、落語的知識ですが。

 さてネットに接続すると、早速「対局待ちリストに」Oさんの名前が目に入りました。
 この方には先日悔しい負け方をしています。
  中盤・終盤と競り合い、細かいながらも優勢かと思っていたのに、Oさんの勝負のコウ争いに引き込まれました。
 表現が悪いですが、相手にとっては当然のことでしょう。
  それで、両者必死のコウ争いが始まりましたが、これはOさんとしては「負けられないコウ」であるのに、私の方は勝てそうもないコウではあるものの、コウ立てて損をしなければ何とかなりそうという感じ。
 問題は「早碁」ですから時間。
  それでも一手30秒ですし、考慮時間も5分は残っているので、それをほとんどつぎ込んで形勢判断・・・(逆に持ち時間はともかく、5分ルール=5分以内には一手は打たなくてはいけないルールに注意)
  余裕があったはずなのに、決定的なミスをしたのです。
 打つ手はコウ取りしかない場面で、形勢などを考えていて・・・実際に取った手は問題のコウの隣の石!。
 瞬間にOさんに全部持って行かれてしまいまして、この損自体は石を1子余計に取られただけではあるが、相手に取られるために打ったのだから話になりません。
 要するに一手相手にボランティア!
  結果は1目半負け・・・死んだ子を数えるみたいに棋譜を並べ直すと、黙ってそのコウに負ければ、逆に私に2目半残っている・・・

 そういう碁を打ったばかりの相手に遭遇した?ですから、親の敵遭ったような?
  「ここで遭ったが優曇華の・・・イヤ自分のせいで負けたんですが・・・」
 ともかく、「今日はやめ」なんて言うものはどこかへ飛んで行った。
  考える間もなく対局申込ボタンを押している!
 内容は、予想したとおり。
  お恥ずかしいくらいの捻じりあいで、今回もコウになり超大石の振り替わり。
 スケールが大きい!と言うより、勢いというか。
  それでも良い加減らしく「大碁の小碁」状態で、結局今回は私が運が良かったらしい。
 内容は「今日もダメ」だったけれど「運は良かった」、そういうことらしい。
  やはり、結果オーライでした。

今日は(も)ダメ!

2009-02-24 19:08:23 | Weblog
 今日は大変な一日でした・・・私にとって限定ですけれど。
  まず朝出かける時に異変に気が付きました・・・イエ体がどうこうというのではなく、自転車の空気圧が何やら異常な感じがする。
 要するに空気を入れれば解決なのか、あるいは虫ゴム辺りの故障ですこしづつ圧力が下がっているのか、最悪はパンク状態。
 この時に、私は判断ミスをしてしまいました。
  応急措置としてポンプでエアを入れて、とりあえず出発。
   これはもしも途中で走れなくなっても、勤め先の事務所の近くに大きな自転車問屋があるので大丈夫であろうという、何とも気楽な・自分勝手な判断でした。
 結果は目的地の半分あたりで走行不可能に陥ったし、しかも途中に唯一修理を期待できる店を1キロも通り過ぎてから、自転車を引っ張って歩く羽目になったのですから、二十にアホなことをやったのです。

 はじめに、出発前にもう少し冷静に判断すれば、家には女房殿の自転車もあるし、、息子のもあるのだから今日だけ借りれば済むのに・・・
 動けなくなってから、他の方法があった事に気がつくのですから全く我ながら情けない。
 しかも、今日は仕事の関係で休むことは考えられない日。
  それに1時間遅刻の電話を入れたのに実際は2時間遅刻。
 自転車の修理屋さんの回転が10時だから、ここでせかせたくても相手がいないのだから喧嘩にならない。
 更に、後輪のタイヤもチュウブもそう取り換え・・・金額にしたら数千円ですがなんだか悔しい。

 そんな事で、自転車を引っ張って歩いて・・・修理のオジサンを寒い中ひたすら待って、尚且つお礼を言ってお金を払う・・・何ともついていない日でした。
 いや発端は私の判断ミス!
  こういう日はきっと何をやってもダメな気がしますから、きっと碁は打たない方が良いかも知れませんね。
 反対に厄落としになっているのなら却って打つべきか?
  変なところでゲンを担いだり、勝手に都合の良い方に解釈したりしています。

 そういう日でしたが、一つだけ感心することもありました。
  自転車修理のオジサンの技がすごい!
 自分でやったことがあるのですが、後輪の修理は面倒くさいところがあります。
  私のような素人では、ノロノロしか出来ないし、手間がかかるのは丁寧とは違うので、ブレーキの調子が狂ったりします。
 ですから「後輪を交換しますか?」と訊かれて、「お願いします」と行った時には、『これでまた、かなりの時間がかかる』と覚悟したのです。
 ところが、オジサンは流石はプロ、鮮やかな仕事ぶりで10分程度で仕上げてしまいました。
 今日の教訓は「自分の経験で判断してはいけない・・・プロの技に注目」でした。
 ともあれ今日は心身ともにぐったりですから、ネットで「あそぼ」と誘われても「あとで」としか言えません。

盾と矛は両方必要

2009-02-23 17:44:48 | Weblog
 土曜日には近所のクリニックで定期検診。
  公立の総合病院から紹介されて、毎月の診察はここで四半期ごとの検診と機械を使った検査などは総合病院という形になってもうすぐ1年になります。
 こういうシステムは地域の中核病院と開業医の効率の良い連携プレイのような気はしますが、実際には微妙な隙間も感じるのです。
 私の場合こことは別に別のクリニックでも定期検診を受けて肝臓とか肥満とかむくみなどを、こちらでは循環器を主に検診・・・と言う事で流行りのセカンドオピニオンどころか3人のお医者さんの手を煩わせている。
  それでいて『これ以上悪くならなければ好し!』という態度ですから、模範的な患者ではないです。
  
 さて、診察は朝9時から始まるのですが、ここは予約制度が無いので「来た順」
  診察30分前には一番乗りの患者がいて、診察が始まる頃には10人くらいの患者がいる。
  診察が始まってからも次々に患者が来るのですから、もしのんびりと検診に出かけると午前中は待ち時間と言うことになりかねません。
 まあ、暖かな待合室で1冊本を読む気で出かければ良いけれど・・・土曜日は午後が無いから困る。
 そういう事で、私もいつも早めに出かけるのです。
  何と言っても自宅から自転車で5分程度ですから・・・それで本日はめでたく?3番目の受付。

 目論見通り9時半には診察が終わり、調剤薬局で薬を受け取ります。
  更に9時には開店している大型総合スーパーの3階の本屋に行き、地下1階で買い物をし、その足で10時開店の店でレンタルDVDを返して新しいものを借りる。
 ここまでで10時15分・・・これで本日の業務完了。
  便利な所に住んでいるおかげでしょうが、自転車で用事が足りるし、今日という日の時間はまだ14時間近くも残っている!・・・その割には効率よくためになることをしているのでもないですが。

 ところで今日は本屋でいつもの「NHK囲碁講座]3月号を買いました。
  これは講座テキスト売り場にありまして、平積みになっていますから一番上の本を取ればお終いですが、それではせっかく本屋さんに来たのに愛想が無い。
 それで、囲碁将棋ゲームコーナーに回りました。
  たいていはいつも並んでいる本が・・・
 ということは、並んでいるだけで売れているのだろうか?
  商品在庫という面で見れば回転が問題なのにいつもある本は、いつ行ってもあるみたいな気がします。
  「本屋としての品揃え」みたいな並べ方なんでしょうか?
 まあそれでも、ゆっくりとしたペースで変わっていくのかも知れませんが、誰が品揃えを考えるのでしょうね?、囲碁将棋と縁のなさそうな店員さんのように見えたけれど偏見だろうか。
 店員と言うより本の卸会社が考えているのかも知れませんね・・・ということは、どんな本にせよ店員さんは「売る」「店の管理」係なんでしょうね。
 大きい店ほどそういう面が強いとは思います。

 さて囲碁のコーナーでの本に正確なタイトルは忘れましたが林海峰さんの「簡明定石だけで・・・」という本がありまして、少し離れた所に「世界の新型研究・・・」のようなタイトルの本がありました。
  これってなんだか面白いですね。
 一方でシンプル=基本的な定石で打つという、一方で新研究=おそらく人の意表を突く、もしくは裏街道的な作戦の研究。
 簡明という考え方に同調できるのですが、一方で新研究に基づいた手段を知らないと新しい武器を手に入れた人の実験台にされてしまう恐れが十分にある。
  実際”新”と言うものが好きな人がいるし、覚えたら使ってみたくて仕方がないもののようです。
 ともかく、新の方はかなり複雑で落とし穴も多そうな感じがします。
  ということは両者は両極端に位置するもののようです。
 要するに簡明な定石で素人クラスでは十分に碁になるはずなんですが、一方では難解な形に持ち込んで裏をかこうとする輩もいるので、最低でも知識が無いと危険な目に遭う可能性が大きい。
  簡明=王道だと思うのですが、王道を歩くには王道以外の道も知らなくてはいけないということでしょう。
  それではこの「新研究」は買うべきか?
 定価1600円ではあるけれど今回は見送り。
  但しこれが図書館に並ぶことはなさそうですから、きっと買うことになるという想像はしました。

ピラカンサス

2009-02-22 15:12:59 | Weblog
 ピラカンサス、あるいはピラカンサ、どちらでも良いらしい。
  通勤路の途中の公園の生垣がピラカンサスで、ぐるっと囲まれているので冬の初めごろにはあの赤と言うかオレンジ色の実がたくさんついて、それなりに彩りになっています。
 ナンキンハゼなどの紅葉した葉が木枯らしで飛ばされてしまう季節では、町の中の自然の数少ない彩です。
 前にも書いたことがありませすが、この実は人間も食べませんが、動物や鳥にとっても食用に適している様には見えません。 
 と言うのは、実りの秋とか自然の恵みが残されている初冬では鳥たちも決して口にしない・・・要するに美味しくない?のだろう。
 ところが、最近気がついたのですが、公園の生垣のピラカンサスの実が8,9割無くなっています。
 それも全体的に少なくなったとのではなく、8,9割の木の実が失われている形です。
 自転車で横を通るにで気をつけてみるのですが、どうも地上に落ちている実は見当たらない・・・やはり鳥が食べているようです。
 実際に生垣に留まっている鳥を見かけるようになりました。
  と言うことは、他に食べるものが無くなって、仕方なく食べているのだろう。
 今は1年で一番自然の恵みが乏しい時期ですから、ありそうなことです。

 そう言えば最近見た韓ドラの時代劇でも、飢饉のときの非常食で松の甘皮の食べ方の話が出て来ました。
 日本で言うと一番最近では戦中戦後すぐの話ですが、幸いと言うか私には実際の経験と言うものではありません。
 その時代を経験した人と、経験の無い人では同じものを見ても感じ方が違います。
 例えば最近よくイベントなどで話題になる”すいとん”なども、母など生前は”暗い時代を思い出す食べ物”であり、味以前のものがあったようです。
 ですから同じ様に非常食、代用食として使われていたような野菜などもいい顔はしませんでした。 
 里芋の茎などを見ると顔をそむけたものです・・・私は嫌いではないのですが、母は見るのも嫌だったようです。
 蓮の実などもそういう種類でしょうか、あるいはあまり手に入らなかっただけでしょうか、あれも嫌いではないのにめったに食べられなかったのです。

 母にとっての里芋の茎は、私たちにとっては給食のコッペパンだったりあの粉ミルクでしょうね。
 あれしかない時代ですから好き嫌いは言えないのですが、少なくとも「好きで食べた」とは言えないようです。
 そういう意味ではピラカンサスの実に繋がって来ます。
  まあ、孝行息子でもないのに母親を思い出すと言うことは私も年を感じますし、そういう季節なのかも知れません。
 
 さて囲碁の方はドン底的な時期を脱することができたのかも知れません。
  10以上負け越した後に5連勝があり、6連勝はできませんでしたが、その後に連勝。
 勝ちにこだわるのはどうかとは思いますが、それでも連敗をしないと言うのは大切ですね。
 何と言っても、10以上負け越した直後ですから・・・
  ザルクラスでは、内容は大事だとは思いますが、結果としての「勝つ」あるいは「負けない」と言うことも大事ですね。
 負けがこんでいる時は、結果に「弱くなったから勝てない」と言う不安との戦いでもあります。
 逆に勝てるからと言って「強くなったわけでもない」とは思うのですが、やはり気持は明るくなるのですからいい加減なものです。
 負けが続く時のピラカンサスが無いといけませんね。

真剣な顔・頭

2009-02-21 16:21:12 | Weblog
 「この頃本をよく読んでいるらしく、少し利口そうな顔になって来たな」・・・
  突然、何の脈絡もなく人からそう言われたら悪い気はしないものの、『こいつ何を言っているんだ』と言う気持ちになるに違いない。
 それは高校2年生くらいだっただろうか、さほど親しくはないクラスメートに突然顔を合わせた時に言われた。
 まあ、けなしているわけではないけれど、仮に一瞬でも頬を緩めるようなそぶりを見せれば、次の瞬間に”突き落される”ような場面も考えられなくもないし、『何が言いたいのか?』という気持ちで”ちらっと”見ただけで素通りした経験があります。
 それでも、「本を読む習慣」=「利口そうに見える」・・・そういうものだろうか?とか、”彼は結局何を言おうとしたのだろうか?”という気分は今でも心の隅に沈殿しているように残っています。
  当時私が本をたくさん読んでいる・・・あるいは、誰々はよく読んでいると言うのは「図書カード」である程度は分かったのです。
 高校の図書館はかなりの蔵書がありまして、使用した図書カードは全て糊付けされていきます。
 個人情報保護などと言う考え方はありませんし、カード置き場を見れば厚みでだいたいの読書量・図書館の本に限定ではあるけれど、推察できる。
 (卒業時にこのカードは記念品として各自に渡されます)
 マア、そんな事で借り出して家で読んでいる書名とか量は推察できたのでしょうね。
 深夜を過ぎて明け方まで本を読むパターンになっていた頃なので、借りる本の量は多かったとはおもいますが、それで利口そうに見えるのと本当に利口になったのかは別ですから、そこが問題ですね。

 囲碁に関して言うと、対局中に喋らずに真剣に碁盤に向かっていれば、相当力が入っていると思われるでしょう。
  そこが、微妙な問題があるように思えます。
 真剣に打つ・全力で打つ=真剣な顔・・・これは正しいでしょうか?
  少なくとも私にとってはそうだろうとは思えます。
 と言うのも、不器用な性質ですから真剣に打つ時は真剣な顔しか出来ない。
  要するに”顔に出る”と思われる。
 ところが、私の周囲で真剣に打っているはずなのに、本当にそうなのか判断しにくい人もいるのです。
 いや、ふざけ半分と言う事ではなくて・・・

 仮に”この一局”と言う気分で対局するとしたら、たとえとして「褌を締め直す」という表現でしょうか。
 それに”力を込める”とか”気を張り詰める”のように真剣=緊張・張る・詰める・締めると言う表現であり、実際そういう形になります。
 しかし一方で、外国の人の中には”この一番”と言う時に”リラックス””緊張を緩める”と言うのもあるのだとか・・・
 単に緊張対策のリラックスでは無くて、緩める・解放することで力を出そうとするのだそうです。
 
 と言うことは、普段と変わらない顔や表情なのに、普段以上に集中を高めている相手もいる可能性は大いにある。
 私みたいに真剣な顔をしている人間だけが真剣な態度と言うわけではない・・・
  これは、私みたいな単純な構造の持ち主は不利ですね。
 ポーカーには向かないし、麻雀のテンパイもミエミエだったり。
  こういうことに対策めいたことはないのですが・・・昔中国の人から聞いた話を参考にはしています。

 それは勝負事とは関係なく生活する上での注意ですが、「天庭が曇らないように」と言うことです。
  天庭=眉間・眉毛と眉毛の間のことだそうです。
 険しい表情はここ眉間に皺が寄ります・・・これが天庭が曇った状態。
  危険なとき・困ったとき・善からぬことを考えた時に天庭が曇る。
 ここがのびやかな状態が天庭が晴れている状態なんだそうです。
  これが穏やかで平常な状態を表しているのだそうです。
 従って天庭が晴れたまま暮らすのが理想・・・晴れたまま碁に没頭できるのが理想かも知れません。

 のんびりした顔・やや間が抜けて見えるかも知れないけれど、実は外見と中身は関係ない・・・案外これは武器になるかも・・・ただしリアル限定でしょうか。
 尤も、平常心と言う事ではリアルもネットも大事なことですね。

集中・・・”力”

2009-02-20 17:31:59 | Weblog
 集中力という話がありましたが、私も言葉としては”集中力”と言う風に使いますが、自分に関してはどうも”力”というものが当てはまるかどうかわかりません。
 ”力”と言うとなんだか意志の力とか能力みたいで良さそうなんですが、考えてみると単に”性質”とか”性格”に過ぎないと思うところがあります。

 囲碁を考えてみると”集中力”と言うものは重要な意味があるとは思います。
  物事を整理して、考えて理解する、解決策を考えることを短時間に、狭い範囲に集中して行うあるいは、一定時間そのことに集中できる力とでも言ったらよいでしょう。
 但し、囲碁ではそういう一面だけでなく、碁盤を広く見ることができ、どこに問題が隠れているか感じることができる能力とか、一つのことを別の角度から見ることができることも大切だと思われます。
 二つみたいだけれど、整理すると三つかも知れません。
  「見る・感じる感覚」と「考えて理解、解決する力」それにそういうことに「集中・持続する力」と言うことでしょか。
  
 自分の事で言うと、私の場合は「力」と言うより、そのような性格と言う方に近いようですから、「集中力がある」とは胸を張れません。
  「性格」的な面では子供のころに思い当たることがあります。
 小学校5,6年頃だったと思います。
  算数の授業で教わったことが面白かったり、自分なりに感じるところがあると、授業の後も休み時間に表で遊ぶことはなくて、教室に残って復習したり応用問題に取り組んでいたりしたものです。
  クラスメイトからは、多少変わり者とは見られていたでしょうし、「ガリ勉」という風に言われたりしたらしい。
  実際は変わり者的な性格はあるものの「ガリ勉」ではないのです。
 外で遊ぶのと同じように、その時の勉強したことが面白かったので授業が終わってもやめたくはなかっただけのはなしで、自慢ではないけれど家では勉強などしないのですからガリ勉では無いでしょう。
 そう言えば中学校時代でも家では勉強をしなかった代わりに・・・家で復習をしない代わりに本番の授業での集中度は意識して高めたとは思います。
  まあそれは「力」では無く、そういうパターンが好きな性格ですね。

 なぜ「力」にこだわるかと言うと・・・
  いわゆる集中力が高いと言われている性質でも、(私の場合だけかも知れませんが)失敗する時のギャップが大きいのです。
  要するに私の場合は、集中して上手くいくことが多くても、落とし穴的ギャップで大失敗もあると言うことです。
 他の人では考えられないような、何でも無いところでミスをしたり・・・
  要するに集中力と言う単一な秤では無くて、いろんな場面での平均的なデータで考えるとあまり個人差と言うものはないのかも知れないと思っているのです。
 一つのことに異常なほどに集中できる人は、生活の他の場面では全く集中にかける面があるらしい・・・だから平均したら皆大した差はない。
 問題はどの方面に適用されるか・・・ですね。
  少なくとも私の集中力は仕事関係では適用を欠くかも・・・遊び方面での集中力はかなりのものらしい。
 但し、肝心の囲碁での能力が問題。

部屋掃除

2009-02-19 16:02:49 | Weblog
 ひさしぶりに部屋掃除・・・いや厳密に言うと「部屋片付け」です。
  ゴミとか埃とかではなくて、いろんな物があちらこちらに点在しているのを、より効率よく利用できるように並べ直し、あるいはポジションの修正をしたにすぎないのです。
 必要なものはベッドを出ること無く手が届く範囲に並べて置くのが私の大原則。
  そうは言っても手が届く範囲のスペースは限られているので、まあ妥協案としては1,2歩で届く範囲。
 これなら寒い日でも必要なものを取って、すぐに元のポジションに戻れる。
  あるいは、女房殿が顔を出した時に、分かりやすい場所にあれば取って貰いやすい・・・とまあ、ものぐさ太郎の弟分の「次郎」か「三郎」です。

 そういう事で、今私の部屋で手が届く範囲にあるものはと言うと、まずはこのパソコンです。
 これは「コの字」型のキャスター付きのテーブルですから、車輪はベッドの下でテーブルはベッドの上ですから、入院用の器具みたいなもので、とても便利。
 その他のものもたいていはキャスター付きのワゴンとかキューブ型ボックスを利用しています。
 薬類、ウーロン茶のペットボトル、鉛筆・ボールペン・ハサミなど入れた筆立て、そうそうここにはプラスチックのスプーンまで入れてあります。
 DVD入れや、フラッシュメモリー、ヘッドホーン、携帯の充電器、ティッシュ、予備の眼鏡、囲碁の本が5,6冊に、図書館から借りた本、サッカー雑誌、トラベルウォッチ・・・

 女房殿が言うには「まるで入院患者」スタイルなんだそうだけど、実際に入院した時はこれほどは物はおかなかった筈です。
  これで部屋の明かりが、リモコンスイッチになっていれば便利ですが、そこは残念ながら未だに旧式のスイッチ+紐式・・・尤も眠る時に部屋の灯りを消す習慣はないので、余り不便でもない・・・

 部屋で一歩も動かずにネット碁を楽しみ、本を読み、DVDでドラマを見たりしているのだから、足腰が弱るでしょうね?
 部屋の外に出るのは食事と入浴、手洗いだけ!!
  ですから、自転車で片道40分の通勤は大切な運動時間ですね。
 部屋の片付けも貴重な運動だったりして、、、。
  
 
 
 
 

アララ?

2009-02-18 19:23:29 | Weblog
 18日にブログを更新しようとして「!」でした。
  記事が2月16日になっているではありませんか・・・確か今日は17日。
 つまり、1日更新を忘れていた。
  すっかり”抜けていた”のです・・・これは”ヤバイ!”
 17日は夕方、勤め帰りにDVDレンタルを返却し、新しいものを数枚借りて、そのうちの1枚を見ました。
 私の年になると、お店のシルバー会員なんだそうですから、レンタル料が半額になるので借りやすいのは良いのですが、結局たくさん見てしまうので同じことですね。
 ちょっと困ることもあります。
  今はサッカーがオフシーズンなのでその分を振り分けたようなものですが、DVDの分TVを見るのがへりますからトータルは同じとして・・・リビングで家族が他の番組を見ている場合は、パソコンで再生することになります。
  つまり、ネット碁の観戦がやや減ることになります。
 まあ、リビングのTVで再生しながら、ネット碁を打つようなことはできませんから、同じようなものではありますが・・・
 それでも、DVDの方を1日1枚の半分とか、連続ものでしたら1話だけにしておくとか決めておかないと、面白い本を読み始めた時のように、朝までストップがかからないことだってあるかも知れません。

 ともあれ、17日は頭からブログの更新が飛んでしまい、全く気にせずにDVDを見て、夕食を取り、風呂に入り、ネットで観戦していた。
  これは手に眼鏡をもったまま眼鏡を捜しているような・・・休みの日に仕事に出かけようとするような・・・夕食を食べたのかこれからなのか一瞬忘れるような・・・今食べた食事のおかずを思い出せないような。
  なにやら危ない気配がします。
 何と言っても母親がそうだったから、遺伝的な作用があるとしたなら十分に資格者ですから。

 そう言えば、仕事先で私は水曜日が仕事が無い日ですが、たまには都合で休みが別に日に振替になることがあります。
 まさに18日がその日で、こういう日は朝仕事場で「おや?休みなのに出勤ですか?」と声がかかりますから、「あれ今日は木曜日ではないのですか?」と答える準備をして事務所のドアを開けるのです。
 案の定朝は、「アレッ?ボケちゃったのですか?」の声がかかりました。
  まあここまでは、解っていてボケているのでよかったのですが、夕方帰る時間を間違えた!
 「それではお先に!」と鞄を肩に立ちあがったの良いのですが、「ちょっと、ちょっと」と声がかかり、壁の時計を見ると「アララ」、これが何と定刻時間前。
 「何か用事があるならどうぞ」とは言ってくれたものの・・・
 まさに、危ないジイサマ症状が始まったかも。

 もし、そうだとして、それでもネット碁で今の点数でうてるとしたら・・・
  そういうことがあるかどうかは想像も出来ないのですが。
 日常生活で、多少ネジが緩んだ生活になっても、囲碁は変わらず打てるものでしょうか?
 それとも、そういう要素が作用する比率で碁も打てなくなるものでしょうか?
  本人は昔通り打っているつもりで、実は相当レベルダウンしていて、本人だけが気がついていないなんて言うことがあるだろうか?
 昔の囲碁仲間が、脳溢血で倒れる前が五段格で、病後は二段くらいで楽しんでいる人を知っていますが、それとは別なんでしょうね。
 囲碁は「ボケ防止」のはずなんですが、少し心配。
 

見上げれば、SL!

2009-02-18 18:46:40 | Weblog
 先日来事務所のすぐ横の高架線をSLが走っている。
  いや、正しくは上り線を走る時はジーゼル機関車みたいなものが先頭で、間に客車が挟まって最後がSLが後ろ向きに引っ張られていく。
 そして、次の駅からはその並びのまま、今度はSLが先頭で下り線を走ってくるのです。
 何かのイベント的な運転の試運転らしく、事前に毎日繰り返されて先日の週末辺りには本番が始まったらしい。
  もうひとつ、正確に言うと、仕事をしている私の席からは高架線のSLの上半身は上り線では見えるのだが、SLが客車を引っ張る下り線の姿は・・・見えなくて、汽笛の音と蒸気・煙のみが見える。
 あの姿は不思議ですね。
  乗っている人たちが沿線の私たちに手を振るのです。
 普段周囲の大人たちに無関心みたいな高校生が窓から手を振っている!
  そして、SLは何だかサービスらしく汽笛を鳴らしながら走って行くのです。
 テストも数日続くと慣れてしまうので、試運転が通っても「また来たか」と思うのですが、多くの同僚はその都度反応して窓の側に立って行くのですから不思議ですね。

 もの珍しいという意味では珍しいのですが、しかしその都度反応するのは・・・
  考えてみると、私にはSLに懐かしいと言う気持ちが無いのでしょう。
 他の人と同じように、SLを見たとたんに頬が緩むような感覚は無い。
  むしろ汽笛が聞こえて、煙が見えたら・・・黒い煙なら要注意!
 私は子供のころ東海道本線の沿線で育ちましたが、当時はすでに本線は電化していましたから客車は皆電気機関車でした。
 しかし、近くの貨物用の引き込み線での作業はSLがやっていました。
  ですから「SLの雄姿」という記憶はなく、SLの煙の害の記憶しかない。
 当然風向きによっては煙に混じって石炭殻が降ってくるし、場合によっては目に入ったら大変なことになります。
 これは普通の砂埃とは違って”痛さが違う”し目を擦ろうものなら目の表面が傷だらけで充血してしまうのです。
 運が良ければ目薬で洗い流せますが、石炭がらは突起が多いようなのでなかなか流れなくて、隣の町内にある眼科医のお世話になるのです。
 私は3回はお世話になっています・・・
  そういう事で、SLの気配で注意信号がなるので、「懐かしい」[カッコイイ]とはおよそ反対の気持ちです。

 それは客としてSLに乗った時も同じ。
  小3の時母と関西方面に旅行した時、愛知・奈良方面でSLが引っ張る客車に乗りました。
 いつもは貨物の入れ替え作業で、沿線の住民として迷惑していたので、その意識が強かったらしく客車の乗客となっても警戒心がありました。
 そして、トンネルでの窓の開け閉めや線路のカーブでの煙に苦労しました。
  夏休みのことなので、窓を閉めれば暑いし、煙は困るし・・・

 そんな事で、SLファンの気持は理解しにくい・・・
  まあ、それでも今は石炭の質が良くなったのか、あるいは貨物の入れ替え作業用のSLは良質の石炭が支給されていなかっただけなのか・・・真黒な煙ではない。
 それはそうでしょう。
  この沿線は住宅やオフィス、マンションが並んでいるのですから、いくらなんでも黒い煙は迷惑。
 すると、あの、写真みたいな広野を走る、黒い煙を吐きながら走るSLの雄姿と言うものは期待できないのですから(私にとっては黒い煙は・・・)価値が半減みたいなものですから、それならジーゼルでも良いのでは?と思うのだけれど。
 尤も、汽笛の音はSLの貫録と電車の汽笛では雲泥の差でした。
  低くて力強い音VS高くて機械的な音・・・
 音だけなら。
  しかし、重そうなSLが窓の外を、斜めに見上げる高架を走って来ます。
 重そうな機関車・・・線路って丈夫なんですね・・・変なのところで心配。

やっぱり

2009-02-16 17:45:23 | Weblog
 タイトルを考えていて、「やっぱり」と言うのはもしかしたら方言なのか?正しくは「やはり」で。
 「やはり」の方が発音がやわらくて、聞いた感じが日本語らしい感じがする。
  それとも「やっぱり」の方は、たとえば「奴言葉」みたいにいつの時代にか出てきた表現だろうか・・・などと考えていました。
 こういう中途半端な知識でものを考える・・・いや、考えると言うより、取り留めもなく想像する程度ですが、そういうことは好きですね。
 駅で電車を待ちながら、本も何も持っていなくても、ホームの看板を見ただけでも何かしらイメージがわきますから、一見ジッとしていても案外退屈はしていないのです。
 それに前の日に打った囲碁の悔しいことが起きた場面とか、ちょっと気になる定石とか、まあそういう記憶の引き出しを開けてみたりします。
 
 その、「やっぱり」と言うのは、前日までのネット碁の成績が5連勝という話はしました。
 そこに至る前までに何敗しようが、今5連勝と言うことなのですが・・・
  仮にサイコロ的確率なら、5回勝ちの目がでる確率は32分の1ですから約3%。
 それにもう1回勝ちだと64分の1で約1.5%。
  と言う事で、6回連続の幸運はありませんでした。
 当面の目標としているレベルから10回以上負け越したのですから、最短でのカンバックなら10連勝しても、マア無い事ではないかも知れませんが、そんなに世の中甘くはありませんでした。
 しかも、対戦した人が・・・いけない。
  実は対局希望者リストで名前を見たとたん嫌な予感はありました。
 その方とは、概ね同じような点ですが、どうも「勝った」記憶が無い。
 かなり地に辛いタイプで、こちらの揺さぶりにも揺るがない感じで、気がつくと当方の地が足りなくなっていて晩回不可能・・・要するに相撲を取らして貰えないと言うか、(私の)碁を打たして貰えない。
 要するに強い。
  そういう人が何で同じランク辺りにいるのか不思議なんですが、それが天敵と言うものでしょうか・・・私がいつもカモになっている・・・と、言うことはその人もも誰かのカモになっているかも。

 ともあれ、特定の人に弱いと言う欠点がある。
  つまり・・・きっとかなり”クセ”のある打ち方なんでしょうね。
 だから、特定の人に・調理法がときな人のカモなんでしょう。
  これが感じていてもどうにもならない。
 唯一の対策としたら、天敵に道であったら敵に背を向けて逃げ出すしかないのですが、この日は5連勝の後なので、勢いで打ってしまいました。
 この”勢い”と言うのはアマ・ザルにとっては大きな味方だとは思うのですが、やはりそんなに甘くはありませんで、いつものパターンでした。
 と言う事で6連勝ならず、残念。
 まあしかし、2時間ほど間をあけてもう一局打ちまして、こちらはめでたくリベンジ(相手が違う人なのですが)。
 さて再びチャレンジが始めます・・・メゲナイ性格なので、性格だけで言えばもしかして長生きできるかも。

なんと5連勝!、でも道半ば

2009-02-15 15:39:49 | Weblog
  ネット碁でしばらくの間ほぼ絶不調状態で、以前の生息域的点数のところから10は負け越していたのですから、少々の連勝では焼け石に水みたいなもの。
  真冬に「焼け石に水は」季節はずれではあるが
 ともあれ、負けるときは3連敗など珍しくもないのだが、これが勝つとなると大変なモノです。
 陳腐なたとえだけれど、急な坂道で下がるのは優しいけれど、登って行くのはそれなりに難しいのです。
  相撲なら、たとえば前頭の上位の力士が負けが込んで幕尻まで下がったとします。
 そこで、地力さえあればなんとか踏ん張って、やがては元の位置まで復帰できる・・・そのような感じですが、相撲の場合はどんな地位でもハンデなどはないからそこが少し違うところです。
 囲碁での点数制はハンデが相対的に変化するので、大型船の揺れみたいに復元能力はあるはずなんですが、そこがソレ、そんなに単純にはいかないようです。

 今のところ、どん底状態から何とか5連勝。
  これはいくらどん底からとはいえ、相手が変わるし、中には上り坂の若手もいるかもしれないし、ともかく「準快挙」くらいの出来事です。
 ただまあ、内容が満足できるかと言うと・・・例えば最後の一局などは、力任せの殴り合いに勝ったようなところもあるので、所謂結果オーライみたいで手放しでは喜べないところはあります。
 それでも、少しは自分なりに考えては打てたようで、先番で序盤・中盤と細かいながらリード、あるいは互角に打てたようです。
 棋譜を振り返ってみると171手目の黒に対する白の受けが間違って、局面は急転し白の投了となりましたが、もし仮につぶれないように受けたとしたら、シュミレーションでは黒の3目半、あるいは半コウの具合で4目半残っていたようです。
 と、言うことは白さんも、その差をなんとかしようと勝負手を放ったのですね・・・白さんもかなり細かに局面を見ている。

 とにかく5連勝はしたけれど、まだ5勝しないと以前の場所には戻れません。
 そして自己MAXの点数にはさらに5つ勝ち星を乗せないといけない。
  いや、そういう風に感じたり考えること自体間違いかも知れません。
   勝ち負けはあくまでも結果。
  ともかく目前の一局に全力を尽くさなくてはいけない・・・
 これが、解っているつもりでも、欲目があるし難しいのです。

大変だ!

2009-02-14 15:47:36 | Weblog
 土曜日だと言うのに朝早くから「大変だ!」と息子に起こされました。
  口には出しませんが世の中に”大変”という事件はそうはないものですから、「男の子は軽々しく”大変”などと言うものではない」みたいな、今は亡き祖母だったか母親の言葉を思い出します。
 セクハラというか古い時代の感覚ですが、女の子の「箸が転んでもおかしい年ごろ」という表現がありますが、男でも成人を過ぎれば「大変」[大変」と来れば次に「親分大変だ」になって、ガラッ八のイメージです。
 まあ、それでも愛想のない息子がオヤジのところへ来たのを喜ぶべきか、休みの日に寝坊を楽しんでいるのを起こした親不孝を叱るべきか?
  夕べはいつもの金曜日らしく深夜までネット観戦をしていて、眠ったのが・・・朝5時ごろまでは覚えていますが・・・。
 一局も打たないで、3局ほど観戦していて4局目の途中からは記憶が曖昧。

 ともかく何が「大変」かと言うと、「インターネットが繋がらなくなっている」ということ。
 案の定いい年をして、息子の「大変」のレベルはこの程度。
  例えば、ゲーム機に不具合が生じたとか、アイポットだかアイチューンだかの具合が悪いとか・・・「世の中でそういうことが大変なのか?」と茶化したくなるくらいのレベルです。
 まあそうは言っても「インターネットエクスプローラに繋がらない」と言うのは困る。
  尤も、私のパソコンはネット碁にはインターネットエクスプローラではなくて直接繋がったままのはず・・・その状態で眠っていた。
  いったんパソコンを切って立ち上げなおしてみると息子の言葉通り「繋がらない」状態。
 聞いてみると、今朝女房殿が掃除をしていた時にブレーカーが落ちたらしい。
  電気の許容量を大きくしてあるはずなのに。
 でも、洗濯機、電気こたつ、電子レンジなどを使用中で、尚且つ冷蔵庫などのサーモで電源が入ったりしていたら掃除機のスイッチを入れた瞬間に負荷が大きくなる可能性はある。
 ブレーカーが2,3個ついている・・・と言うことは全体の許容量ではなくて、どこかの開戦の部分的な許容量をオーバーしたのだろうか?

 ともかく素人でも出来る対策は一つ。
  電話のところからネットの電波を発信している機械の電源を一旦切って、10秒くらいしてから再度電源を入れる。
 非常に原始的ではあるが・・・
  昔ならラジオとかTVの調子が悪い時は叩いて直したものですが・・・たたくところ、叩く強さで上手く治ったり。
  真空管ではなくてICチップの時代なので叩いたりしませんが、今は「オン・オフ」でしょう。
 「これでだめなら機械の”再設定”しかないね」などと言ったものの、”再設定”は煩わしい。
 おかげ様で、立ち上げ直しで元に戻りました。

 やはり息子の「大変」は機械のスイッチをオフにしてオンにするだけで解決する程度の大変だった。
  尤もそれで解決しなければ本当に大変だったでしょう。
 休みと言うのにネット碁は打てないし、メーカーのサービスセンターは休みだし。