なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

勝ったり負けたり、から

2008-02-29 18:54:07 | Weblog
 今年の冬は暖冬と思いきや、結構寒かったですね
  でも、子供の頃に比べたら、たいしたことは無いのでしょう・・・私は静岡でも暖かいところで育ったのですが、その頃は真冬なら霜柱を踏んで通学した記憶があります。
 道端の土が多少軟らかなところに霜柱がでているので、わざわざ踏んで行く
  そういえば、職人さんたちが仕事前に焚き火をしていたら・・・石ころを暖めてもらって、布に包んでだりしてカイロ代わりにしたものです
 最近では街中で焚き火はお目にかかれないし、、、
  
 寒い冬だったような気がしましたが、まあ平年並な感じで、しかも昔に比べれば寒さが違う
 しかも、地球規模では温暖化傾向・・・

 マア真冬でも自転車通勤ですから、余り寒いのは困る・・・温暖かも困るけれど、個人的な都合も・・・
 それでも、今年の冬は耳アテを2,3回しか使わなかった、、、丸いつばの帽子を被ると、なんとなく耳の辺りの風を防げるようで、耳アテ無しでも自転車に乗れました。
  数年前などは、耳アテが無いとまるで千切れそうな・・・寒さと言うより痛みがあったので使わずにはいられなかった。
  と言うことは、寒いようでも、我慢できる寒さと言うことですね
 それでも2月の末、自転車で『春は名のみの・・・』という気分でしたが、
  勿論声に出しては歌いませんよ
 昔の女学生趣味と言うか、ママさんコーラスみたいだから、人に聞かれた恥ずかしい。
 ここのところは、朝の空気も、寒いながらもややピリッとしまるような心地よさを感じていましたから、春は今一息でしょうね。
 今日などはだいぶあたたかです、そういえば明日はもう3月
  
 3月と言えば桃の節句・・・娘が嫁いでしまったので、しまいっぱなし
  娘に女の子でも出来ればまた飾れるのですが、さて何時になるやら
さて娘ですが、小さな頃に寝付くまでお話を聞かせるのが日課でした。
 大草原の小さな家シリーズは全て読んでしまいましたが、だんだん読み聞かせではなくて、落語を聞かせるようになりました・・・
  だから、娘・読み聞かせ・落語みたいな発想の繋がり方があったり
 相撲・落語・花筏みたいなものもあります
  そこへ持ってきてNHKの朝ドラが落語絡みですし。私そのものが落語の主人公見たいな生活感覚
  ですからどうも最近は頭の中に、落語ネタとか落語的オチとか落語的発想みたいなものが転がっている
 
 ですから最近のネット碁の成績を考えると・・・これは「勝ったり負けたり」ですから、落語の「花筏」の勝ったり負けたりをつい思い出してしまう・・・『相手が勝ったり、こちらが負けたり・・・』
 そうなると「落語的な話」が一人歩きをします(私の頭の中で)
昔お話したことがありますが、私としては面白いと感じているので、いつもこういうときに記憶の沈殿槽から浮かび上がってきます。
 繰り返してしまいますが・・・大体コンナ話
「この話は、確かプロの先生のお話です。戦後すぐの焼跡時代です。電車の中で囲碁の雑誌を読んでいると・・・特殊な職業のお兄さんに声を掛けられたんだそうです。『おメエ囲碁をやるのか、感心じゃないか、俺の兄貴もよ囲碁をやるんだ。インテリだな(当時特攻隊崩れとか、インテリヤクザの時代)。ところでコメを知っているか?、コメはいいぞって兄貴がいつも言っている。何コメを知らない?しょうがネエナ。しっかり勉強しろよ』
「オメエ、ゴキョウゲンって知ってるか?ゴキョウゲンは強いぞ。何知らない!?
オメエ本当に囲碁を打てるのか?もぐりみたいな奴だな」
さて相手が怖いから適当に相槌を打っていたプロの先生、ハタと気がついた。
 コメとは「小目」のことで、ゴキョウゲンとは「碁狂言」ではなくて「呉清源」の事だ・・・。

 私はこの話を何かにつけて思い出します。
  プロの先生から見れば、私など結構真面目そうな顔をして囲碁を打っていても、中味はこの程度かななんて思うと、なんだか面白くなってしまうのです。
 これも前に話したことがありますが、私にも落語ネタになりそうなエピソードがあります。
「土曜日には碁会所でFさんが仕事の帰りに駆けつけます。お昼を食べる時間が惜しいので、碁会所に来てから店屋物を頼む・・・これがいつも五目ラーメンで、碁を打ちながら食べるのです。私などが手空きだと、こういうFさんに必ず声を掛けられます・・・マア私相手なら、食べながらの碁という無作法を咎めることもありませんし・・・。ところで、どちらも碁キチですから白熱してくると思わぬアクシデントも発生するのです。トイメンに座ったFさんは当然自分の左側にラーメンどんぶりを置いて、碁石を打ったり、時折ラーメンをすすったり・・・熱戦になると丼を置いたまま、考え込んだり、一手打った後も盤面を眺めていたり・・・。相手をしている私も夢中になると・・・碁笥に手を伸ばして石を摘むはず・・・がそこは碁笥ではなくてFさんのラーメン丼だったり・・・思わず『アチッ!』。これを一度ならず繰り返してしまいます。ところがそういうことをFさんは意にかいさずラーメン丼を持ち上げてすすります・・・そしてテーブルに置いて・・・。また私が『アチッ!』。全くおかしいような、熱くて汚い話。横を見ると席亭の奥さんがいつも口を押さえてお腹を捩じらせていたものでした。

 さてさて私も落語の国の住人ですね。
 あの、奥さんは今も元気だろうか、もうだいぶ高齢のはずです。

月末は気が重い

2008-02-28 18:07:14 | Weblog
今日は(小さな声で言いますが)災難みたいな日
  勤めている課ではいくつかの仕事がありますが、個人的な分担みたいなものとチームで仕事をするものがあります。
  流れ作業的なものもあって、何人かの手を経て流れていく書類もある
  それで私のところでは、外から来た書類・申請書を課の中に流してチェックを受け、一回りしたところで、パソコンに入力して記録すると同時に、資料としてファイルする・・・
  私としてはチェックの責任は無いものの、入り口と出口を管理しているような形ですが・・・これが、いつもスムースに流れていると言うわけではない
  必ず流れを堰き止めて書類の山を作る人がいる
  おそらくそういう人は、毎日来る書類をチェックして次に渡すのを、効率が悪い仕事と思っている節がある
  つまり纏めてやることが効率の良い処理方法だと・・・
  確かにその人にとってはそうかもしれない
  毎日来る書類をチマチマかたづけるより、ある程度貯めておいて、似たような書類を一気に片付ける方がはかどっているような印象があるらしい。
  しかし、たいていの場合、この人のためておいた書類ダムが切って落とされるのは、月末寸前なのです。
 ですからその人にとっては月内の書類は月の中で処理したことになる・・・ところが渡される方は堪ったものでは無い。
  これを翌月まで持ち越すと・・・いかにも私の処理が遅いみたいな
  マア分かっている人は分かっているのですが、でもなんだか悔しいような、『やる時はやって、ひまな時はのんびりしても文句は言わせない』的な変な意地と開き直り・・・月末はいつもこんな調子になってしまうのです。

 マアしかし、立場が違っていたら、私にもそういうところがあるかも知れません
  少なくとも、「顕実派」とか「コツコツ派」ではなくて、どちらかと言えば一攫千金派ですね・・・未だに一攫千金が現実になったことは無いけれど。
  ともかく今日の朝一に書類の山がどっと押し寄せてきました。
  どうしても月内に処理をしなければいけない義務は無いのだけれど、、、何時パソコンに入力して、書類の発番をしたかで、書類を整理する場所が変わってきます・・・もし、それらを情報公開で開示を求められた時、事務の流れがいかにも遅い印象が残るはずです。
 途中経過はともかく、最終的なところを受け持っているので、、、
  そんなことで、今日は入力が一段落した時は大幅に昼休に食い込んでいて、食後、いつもの職場碁のお誘いがあったのだけれど、どうも気持ちがいま一つ乗らないのです。

 それで、昼休も返上して入力作業・・・まさにこれは知的労働というより作業ですね
  中味をチェックしながらですから、単なる指先の仕事では無いのだけれど、、、まあおかげさまで、、、閏年なので明日まで1日余裕があってよかった。
  ともかく目途は立ちました。
  しかし指とか肩はともかく目は疲れましたね。

 さて、今日は柄にもなく真面目に仕事に精を出したストレス?を、今夜はネット碁にぶつけるぞ!!、、、こういう時はまず勝てないとしたものなので、癒し荷はなりそうも無いですね、、、しかし、止むにやまれず?

また、早とちり

2008-02-27 16:54:38 | Weblog
 今日は久しぶりの平日の休業日(個人的にですが)で、何もやることが無い・・・と言うか、やることが多すぎるというか。
 女房殿は私が布団の中で惰眠を貪っているうちに仕事に出かけてしまっています
  リビングのテーブルの上に伝言の書置きが置いてあります・・・
 マア、細かいことをいろいろと!
  几帳面と言うか、うるさいバアサマというか、今日私がしなくてはいけないこと、私にやって欲しいこと、もしやる気があるのなら、こんな風に・・・流石に長年暮らしているので私の怠惰な性格は熟知されています。
 このくらいの伝言と言うか指示書があっても、やる気がなければやらないわけで・・・
 
 それでも一つだけは任務を遂行しました
  19年度の税金関係のことで、何処で何をすればいいか、何が必要なのかの下調べです。
  そこで長年思い込んでいたことに間違いがあることが分かりました。
 我が家がある場所の税務署の所管です
  市内には複数の税務署があるのですが、ここは西税務署の管轄だと何の疑いもなく思い込んでいました
 というのは郵便局も西郵便局だし、警察も西署なので税務署も西だとばっかり・・・それがインターネットで検索したら「東」だということが分かった。
  区の中で東よりのいくつかの町が東になっていた。
   調べる前に直接行かなくて良かったです・・・「西」は家から結構遠いから電車・バスなど乗り継いで行かなければいけないし、もし、チャリなら1時間ではいけない・しかも往きはかなりの上り坂がある。
  ついでだから、税務署に電話をして必要書類を確認・・・足りないものが一つあったのが分かったので、これも無駄足にならずに済みました。
 しかも手続きは区役所で出来ることがわかった・・・これならチャリで15分
  いずれにしても思い込みは恐ろしいものです

 思い込みといえば、昨日書いた棋譜に関すること
  欄外にコウ取りなどの位置指定が無いという文句です・・・あるいは想像を働かすために敢えて書いて無いのかと・・・もしくは出版社の手抜きなのかと邪推
  やはりそんなことはなかったようです。
 少し後ろの方の棋譜にはちゃんと印刷されているいる!
  全く私の早とちりは直りそうも無いですね。
 まあたいていの日本の出版物の棋譜に比べたら、アッサリした体裁ですが、記載方法は違っても無いというのは間違い
  ともかく、初めの3局にはコウが発生せず、4局目で最終手が半コウを継ぐという1箇所のみで、これを見落としていた。
 こうなると「無い」という先入観が出来ていて5局目は欄外に書いてあるのに見えていないから恐ろしいものです。
 しかも6局目は本当にコウが発生しないので、当然欄外にコウの記載無し
   全く恥ずかしい思い違いでした。

 恥ずかしさと情けなさを我慢して・・・言うと
  欄外のコウの記載を見ずに棋譜入力をしていたことになります。
 複数のコウが同時に発生したりしなかったので出来たのでしょうが、それでも想像力で補ったところはあるようです・・・開き直った態度ですが。
  4局目は1手のみですが、5局目は6手コウ取りがありました。
 このくらいならなければ無いで何とかなるのかも、ただし、後の方に30回以上のコウ取りが出てくる棋譜があるし、10から20回は珍しく無いから、そうなると相当てこずるかも・・・
  さてそんなことに想像力を働かせて棋譜を見るのは、果たして役に立つのかどうか?どうなんでしょう。
 私自身は割合にコウの仕掛けとか、コウがらみの戦いは好きというか嫌いではありません。
 アマも私程度のザルクラスだと、コウには逃げ腰の人もいますが、そういう意味では苦にしないほうですから、やれたのかもしれませんが、いずれにせよ程度問題でしょうね。

 ところで、ゆったりした気分でネット観戦をしていると、電話が鳴りました。
  電話はリビングにあるし・・・もたもたしているうちに5コールくらいで切れてしまいました。
 腹のたつパターンですね・電話口に向かう途中で切れる
  これは何かの電話セールスだろうか、それとも女房殿がメモの指令を実行したかどうかのチェックだろうか?
 どっちにしても電話に出なければでないで勝手に判断してくれ、ですね
  そして今度は玄関チャイム
 全くゆっくりしていられません・・・が、「はっと」感じた
   『注文した本が届いたかも知れない』
 果たしてペリカン便のオジサンでした・・・このスピードで、今回は本の代金の関係で送料無しで届きました。
 ということで、今手元にはチョウ・フニョンさんの本が2冊あります。
  今度の土曜日には1週間早いですが図書館に返しに行こうかなと思います
 そうすれば誰かが1週間早く読めますから

不便な方が良いこともあるのかも

2008-02-26 18:33:23 | Weblog
 少し前ですが、小学校で円周率が3.1にしたとか・・・また3.14の戻すようですが。
 これは円周率自体が近似値ですから小数点以下何桁まで使うかは出題して答えを要求する人の事由みたいなものですが、これを使って何か精密なものを作ろうとしたらかなりの桁が要求されるはずです。
 従って小学生の円周率=3.1というのは円周率と言うものに慣れるという意味ではあるけれど、、、答えを得るのに簡単にしただけであってレベルを落としたような印象がありました。
 円周率で1桁の違いが、現実の計算結果でどの程度の違いがでるかという以上に、簡単にした=面倒なことをやらないと言うことにつながりそうです。
 
 何時だったか、子供が小さな頃に学校に電卓を持って行っても良いということを聞いて驚いたことがあります。
 どういう使い方をするのかはっきりとは覚えていませんが、まさか算数の問題を電卓で解いたりはしないでしょうが・・・ 
 科学の問題で濃度とかの計算をするのとは違いますから・・・小学生だし・・・不思議
 
 良い悪いを抜きにして、、、私もこういう道具は使いますが・・・例えば今タイピングしているパソコンのキーボード、電卓のボード、携帯のボタン、、、苦手とは言いたくありませんが、得意とはいえません。
 何がどうしてかと言いますと、私の体にやや難有りなのです
  つまり標準サイズより指が太めに出来ているらしい・・・標準と言うものに抗議したい気持ち
 ですから、パソコンのキーボードは普通サイズのものならマアマアといったところですが、電卓・携帯は大きめボタンで無いと困るのです。
 子供の頃の思い出ですが、、、小学校の時に算数で「ソロバン」の授業がありました
 私は不器用なのと、指の問題で全くお話にならない・・・ので、小さな紙にメモを取りながら、読み上げ算を紙と鉛筆でソロバンに対抗
 先生には授業の意図と違うので叱られましたが、紙と鉛筆でかなり良い成績・・・と言うことは算数の計算でソロバンを使わないならば私の方が有利?

 いろんな機械が出来て、家庭電化製品が出来て便利な世の中になりました
  このパソコンだってそうだし、ブログも読んでいただけるわけだし、、、
 さて、それを囲碁に限って考えると
  棋譜の記録、伝達、保存と言うことでは相当便利になったでしょう。
 またそれらが情報として瞬時に飛び交うのですから、情報の共有となる
  また情報を使って研究なども進化・深化しているはずです・・・マアそれはプロ棋士の世界ですが
 それでも、アマであっても情報を入手したり、自分なりの遊びを兼ねた勉強道具にはなっているとは思います。
 プロの修行期間では、何局も毎日並べるらしいのですが、そこはそれアマの遊びですから、私の場合は碁盤に並べるのではなくて、パソコンに並べて記録まで取って染むと言う1石2鳥の遊びです。
 尤も最近は・・・もしかしたらこれも思った以上に勉強になるのかも・・・と思い始めています。
  と、言うのも、これはもしかしたらチョウ・フニョンさんの陰謀なのか、あるいは出版社の単なる手抜きなのか・・・
 アノ本の巻末の棋譜です
  本文で話題に取り上げた対局の棋譜で、1-100までと101-終局までの2つに分けて掲載されています・・・が
 不便と言うか、何と言ったら良いか
  この棋譜にはコウ取りとか半コウ継ぐとか、2目取りに1目取り返しのような棋譜の欄外の注が無いのです。
 1ページに2分割の棋譜だけですから、初めは「さっぱりした棋譜」だなとおもっただけでしたが、入力して、気がついたのです
 コウ取るとか、取り返すとか自分で考えなくてはいけないのです。
  これは急いで棋譜を入力すると言う意味では、指示が無いのですから不便
 考える習慣をつけると言えばそう考えられなくも無い・・・
  韓国とか中国ではこれが普通なのでしょうか?
 それとも出版社の手抜きなのか、はたまたチョウさんの陰謀か?
   

とうとう注文してしまいました

2008-02-25 18:32:19 | Weblog
 昨日「GO!」さんからコメントを戴きました。
 それによると2007年の囲碁の本の中でチョウ・フニョンさんの本が一番良かったと言うことです
  良し悪しの基準は分かりませんが、私も感じとして分かるような気がします
 まあ比較の書評ができるほど幅広く読んでいるわけでもないのですが、単なるテクニックだけでなく、割合に分かりやすい説明で、、、会話の形ですから何やらチョウさんに直接話を聞いているような感じで・・・
 内容を全て理解できるほどのレベルではありませんが、何だかじかにプロ棋士チョウ・フニョンに触れたような錯覚を・・・
  昔、藤沢秀行さんの本・記述にはチョウさんの名前が良く出てきましたが、藤沢師のようにチョウさんの日本時代を知っている人はともかく、私などの普通のアマには藤沢師が言っているから知っていると言う程度であった。
 それが自身でタイトルを取り、弟子のイ・チャンホさんを育て・・・それでも名前が広く知られた割には私などは、どういう棋士なのか分からなかった。
 勿論あちらはプロの大棋士だし、私はタダのザルに過ぎないし、国も違うし
  これまでは韓国の棋士の書いた囲碁の本と言うとイ・チャンホの新型の研究のような本とか、若手の打ち出した手とか・・・韓国在住のゼイ・ノイさんの本とかでして、師匠のチョウさんの本は初めてです。

 さて、図書館から借りてきて家で読み始めて即感じたのは、『この本を読みっぱなしにしたらもったいない』と言うことです。
 会話で進んでいきますから、雑誌を読むような気楽さで読めます・・・でも書いてあることはアマにとって結構難しいと言うか、大切なことが多そうです
  それにところどころにチョウさんの芯から出てくるような言葉がちりばめられているように思います。
  ですから、言葉のエッセイ集をワードパッドに記録して、巻末の棋譜集を棋譜ソフトに入力することにしました。
 アマでも囲碁センスのある方なら、ここまでやらなくても良さそうですが、私程度ですと最低でもこのくらい本にお付き合いさせて頂かないと、入り口にも及ばないと言う感じですし、それにこういう作業が嫌いではないのです
  そういう性格だから結構生きていても退屈しないのですね
 高杉晋作の辞世の「・・・面白く無い世を面白く」みたいに、勝手に面白がってやっているところも無きにしもあらず、、、ですが。

 現実的な問題で、、、いろんな作業をしながらこの本に取り組んで、さて何日で一応完了できるだろうかと言う問題があります。
  図書館の期限は一応2週間で、1週間は延長できるかも知れませんが、それは他の人からリクエストが無いことが条件ですから、これはおそらく、、、
 それにいくらいい本に出会ったと言っても、私一人で何時までも抱え込むのは周りの人に迷惑を掛けることになるだろうし、
 また、二週間と言う時間を意識して、「間に合わせる」的な接し方は最も悪いはずです。
  そこで唯一の解決法を選択しました。
 今日帰ってきて一番でやったこと
  ネットでこの本を注文しました。
 うちの女房殿からは「本はなるべく図書館で借りてくださいね」と言われているけれど、本を読む意味を考えたら買わなければいけない本とか、手元に置いておきたい本とか、ゆっくり読まなくてはいけない本とかあるでしょう。
 その辺り、単に経済性だけで言われると困るけれど、「もう注文してしまったから!!」
 金額はともかく、借りられる本を・しかも現在借りている本を注文とは女房殿には理解できないかも知れませんから、まあ頬被りで行く予定です。
  
 1週間もしないうちに手元に届くはずですから、図書館には期日どおりには返せますね。
 でも、記録作業は続けます。それと本を買うこととは関係ないですから・・・
  これで効果がなかったら・・・それは余程私が非才ということの証明ですね。
 尤も「勝ちたい!、強くなりたい!」でジタバタしているのもトータルで囲碁の遊びです・・・それでなかったらアマはやっていられない!?

「語録」ならよかったのに

2008-02-24 16:28:07 | Weblog
 また「韓流 囲碁が驚くほど強くなる本」の話の続きです
  と言っても借りてきて、まだ2日目ですから始めの方を読んでいるところではありますが・・・
 巻頭のプロローグに書かれているのですが、この本は何年か前に韓国のBook・ie出版社から発売された「チョウ・フニョン(文字が出せないので音で表記しました)とのコミュニケーション」の翻訳です
 そして、中の形式は共著のイ・クァングさんとの会話というか、質問に応えるような形で進行します。
 チョウさんの考え方や見方を分かりやすく引き出してくれる形で、良い呼吸のリズムがありますね。
 内容も「全てが新発見」では無いにしても、チョウさん独特と思われるところ、プロと言う人はそうなんだと思うところなどがあって面白い。
 また、碁盤の上に現れているはずのことが言葉で示されていて、何だかすっきりとするような感じもあります。
 マア、そういう感じが、私としては「少しは強くなった」と勘違いできそうなところではある。
 ともあれ未だ読み始めたばかりですが、やがて返却日にこのまま返すのは惜しいような気もしますから、何か記録を作ろうかなと思っています
 巻末の棋譜の総譜集と38のタイトル名と、それにチョウさんの語ったことの中から一寸印象に残ったところなど、CDかリムーバブルに入れておこうかなと・・・全く忙しいことになりそう・・・今ふと思ったのですが、もしこの本を買ったとして、いつでも手元にある本でももしかしたら同じようなことを考えたかも知れません。

 例えば
「プロは碁が始まってから終わるまで、常に碁盤に置かれている石のひとつひとつに思いをはせます。一瞬の役割で使命を終える石もあれば、碁が終わるまでずっと役割を果たす石もあります。攻め合いに投入されたような石は、一瞬で使命を終えた石といえるでしょう。・・・」これはシノギの感覚と言う話の中での一節です
 ”読みとは何か”と言うテーマでは坂田九段の話が引用・紹介されていてチョウさんの話もあります、、、そこでの「手を見る」と「手を読む」の区別が書かれていますが、なるほどプロは大変なものだと感じました。
  勿論アマでも当然やらなくてはいけないし、レベルが月とスッポンではあるが真似事的にはやっている・・・ハズ・・・ではありますが。
 
 ところで、しつこいですが誇大広告の話で
 私がこの本を読み終わって、、、更にまとめてみて記録をとったり、、、それでも「驚くほど」でなくてもいいけれど強くならなかったら・・・
 そういうクレームを発売元にねじ込んだらどうなるでしょう
  きっと苦情担当の窓口の人は(そういう人がいたとして)
 にっこり微笑みながら「お客様みたいな苦情は珍しいですね」と言うでしょう。
「でも、謳い文句には『囲碁が驚くほど強くなる』と書いてありますよ」
 「確かにそのように書いてありますが『誰でも』とは申しておりません。それに失礼ですが、お客様はどのような努力をどの程度なさったでしょうか?私どもの手元にはこのような感謝の手紙や報告が寄せられています」・・・
 となる筈です。
  「癌の特効薬」と称して単なる健康食品を売っているわけでは無いから、やはり効果のある無しは私個人の責任でしかないでしょう。
 となると・・・私の墓碑銘を思いつきました
 「ためになることに努力をせずに、効果の上がらないことにばかり時間を空費した男ここに眠る」
 自分で自分のお墓を作ればこうなりそうです。

久々 図書館

2008-02-23 20:10:26 | Weblog
 今日は待ちに待った図書館デイ・・・それ程大げさなものでもありませんが、1週間待たされたのは結構長かった。
 ここのところ蔵書整理とか、マア図書館のメンテナンス期間で休館が続いていまして、運悪く私にとって空白の1週間でした。
 実は昨日は開館していたのですが、流石に仕事を休んでまでは行けません。
  夕方帰宅途中に少し回り道をしてコミュニティの前を通ったのですが、やはり図書館の部分は時間切れ、、、と言うことで私の場合は自分の定石どおりに土曜日と言うことです。
 今朝は少し肌寒いので早く着きすぎてはいけないので8時50分を回ってから家を出たのですが、それでも早過ぎて数分入り口で待つことになりました。
  そういう気の早い人は私だけではなかったので少し安心しましたが

 ところで、図書館の中で囲碁将棋などの棚の位置が変わったので一寸まごつきました
 いつもの場所の丁度裏側に行っていまして、今まで囲碁・将棋で一つのゾーンだったのが、囲碁将棋それぞれが一つの場所になっていた
 ですから場所は今までの2倍以上になった
  尤も、、、尤もここからが問題ですが、本の数そのものは減っている
  囲碁の本はざっと見た感じ是までの2割くらいは減っているように感じる
 是では棚のスペースだけ増えても意味が無い
  それとも、近日中に本が入ってくるのだろうか、期待と失望で複雑な感じ
 減ったのは古くて傷んでいるような本のような気もする、それならば借りて読むことは無いだろうから仕方ないか
  本の数は減っているのに、今までなかった本が数冊あったのでそのうちの1冊を借りました
 そういうことで今回は全部で5冊借りたうち囲碁の本は2冊、この2週間は忙しくなりそう。
「日本囲碁大系9 知得」 解説 島村俊廣  昭和50年10月
  前回借りたのが「大仙知」で全集第7巻だったとおもうので、少なくとも8巻があるはずなのですが、図書館の棚には8巻は見当たらない
  一寸がっかりですが私のほかにもこのシリーズを借りる人がいると言うことで少し嬉しいような・・・
 マア、順序良く借りなくてはいけないと言うことも無いから良いか
  棋譜の主人公が1世代ずつくらいずれていくとしたならば、江戸時代から現代に向かって少しずつ変わって行くのが・・・まあ私の方の理解度では少しぐらい順番が変わっても混乱はしないでしょう。
 それで今回は第9巻の知得を借りました。
  知得はこの間まで棋譜入力をしていた7世仙知を継いで8世仙知・・・だんだんややこしくなって来ます・・・だいぶ棋風が違うらしいので名前はどっちでも良いか?

 囲碁の2冊目は
「韓流 囲碁が驚くほど強くなる本」 チョウ・フニョン、イ・クァング 2007年7月
  チョウさんは高名なプロ棋士ですが、イさんは観戦記者を勤めたり囲碁関係の出版物が多くある人だそうです。
 題名は多少誇大広告気味ではあります、、、私がかなり真剣にこの本を読んだとして本当に「驚くほど強くなれる」かどうかは眉唾ですから・・・
  まあ、それでも現在では一番強い国の人が言っていることだし
  日本の出版物には無い観点からの記述があるかも知れないし
 (私としては「イワシの頭も信心から」ですね)
 サブタイトルが読み物としても何とも魅力的・・・いややっぱり本音で言うと胡散臭い!
 いや、読む前から文句を言っているのではありません、「そんなに言うなら読まなければいいのに」みたいな物です
 サブタイトル「誰も言わなかった38の法則」・・・
  38と言う数字は、中の38個の章を言っているようですが、それらが「法則」では無さそうであり、「誰も言わなかった」新法則とも思えない。
 38の章に分けて、囲碁を多方面から見たり掘り下げて行くと言うこてでしょう
  そういうことなら、やはりチョウさんの本だし、この本と出合ったのも何かの縁ですから読んでみたいと思いました。
  しつこいけれど、こういう誇大な広告みたいなタイトルが無いほうが好き
 目立つタイトルが無いと本が売れないと言う出版側の都合はあるとしても・・・
  読み終わって「また、少し経ったら読み返して見たい」と思うような本であって欲しい
  ここで巻末に棋譜集が掲載されていることに気がつきました
   これは38の話のタイトルに対応している棋譜のようです、例えば「弱くても強い石、強くても弱い石」というタイトルの章がありまして、本文の中ではその話の元となる対局の棋譜が出てきますが、巻末ではその対局の総譜が掲載されています(1-100、101-終局の2分割)。
 「法則」云々ではなくて、「プロ棋士の話と棋譜」で充分に面白そうだと感じてしまうのですから、、、
  (文句ばかり並べましたが、タイトルについてであって中味に着いてではありません。ですからその点についての責任は毎日コミュニケーションズだと思う)
 
 いずれにせよ出版して半年一寸の新しい本にこの図書館で出会った
  この本にも38の棋譜があるとなると忙しいことになりそうです

何という事だ!

2008-02-22 19:18:13 | Weblog
 この日はまさに厄日みたいなものでした
  まづ、昼休み・・・お弁当を食べてその後は職場碁となるのが定石です。
 お弁当にしても、たいしたものではないにせよ、ゆっくり食事を取れるならば、それはそれでありがたい、、、のですが、この日は違いました。
 なんと、12時になってからの来客です。
  それも、もう少しすまなそうなそぶりを見せても良さそうなのに・・・
 市役所などで住民票などを受け取りに来る感覚なんでしょうねきっと
  だからお昼だろうと、客の求めに応じて対応するのは当たり前のことだと思っているに違いない。
 この辺は微妙ですね・・・
  「食事休憩中」みたいな看板を出したい気分ですが、もしもお客の誰かが、気の強い人がいて「何でサービスをしないのだ!」と大きな声で叫べば、マスコミなども一緒になって騒ぐだろう、、、ことの是非はともかく騒がれるだけで当方の負けが確定してしまう
  そんなわけで、腹の中では『!!!』であっても、ごく普通に対応
  しかし、おかげで食事が20分遅れ、自動的に今日の碁はお流れ、且つ休み時間の就業については人員不足のため補償無し
 
 この碁午後も結構忙しくて、夕方近くになって止めを刺されてしまった
 関係機関に送った書類のことで問い合わせがあり、書類不備が指摘された
  最悪なのは、単なる不備に留まらず、、、ファイル不明が判明
 これは私が関与している可能性がかなり強い・・・全く「使えないオジサン」の烙印を押されかねない事態
 解決法は不明となっている書類を発見するしかないわけで、、、
   概ね所在は想像できるのですが、それを口にすると特定の人を批難することになりし、仮に後日私の責任と判明したならば「人に責任を擦り付ける性格」と言うことになってしまう。
 内心自分の責任では無いと思いつつも、不明書類を発見するしか身の潔白を証明することは出来ない、、、そんなことでいつもの就業時間をはるかに越えて探し物をしてしまった。
 おかげで、少なくとも私の責任では無いことはハッキリしたのですが、しかししんどいものですね。

 ところでこの頃囲碁でも馬鹿なことをやったり、健康面でアホなことをしたり、そして仕事でも厄日みたいだっり
 全体的に低調なバイオリズムになっているようです
  そういうものを、それ程信じているわけでは無いけれど、都合よく調子が悪いのはバイオリズムのせいにしておきます。
 私が悪いのではなくて、全てバイオリズムの責任みたいに
  道で石に躓いたら、本人の不注意ではなくてそこに石があるのがいけない・・・そういうことになると気は楽だけれどアホみたい!?

さてさてこの日は夜になっても調子が出ない
  出ないだけなら私の個人的事情ですが、どうも他人様に迷惑を掛けっぱなしみたいです。
 それと言うのもネット碁で、自分の疲れているのを自覚して・・・観戦専門に回ったのは良いとして、終局を待たずにいつの間にか意識がなくなっている。
  こんなことでは観戦とは言いにくいし、対局者にも失礼ですね
   特に、もし一方の方が不本意な一局であったとしたなら、対局室で居眠りしているジイサマがいれば何時までもネット対局室が閉じないわけで・・・おそらく癪に障ることでしょう
  そういうことを2度3度繰り返してしまった。
 うちの女房殿もサッカーが好きで、TVで試合中継があれば必ず見ます・・・が、呆れたことにサッカーの試合を見ながら居眠りをする特技の持ち主でもある。
 哂っていられないですね、囲碁が好きで、自分で打たなくても観戦が好き・・・なのに見ながら眠る悪い癖 
 似たもの夫婦であったか!
  但し女房殿を公然と哂ってはいけないのです
 「私は仕事と家事で疲れているんです!」と言う反撃が必至
  私については「はいはい、私はジイサマですよ」と開き直るしか無さそう

アホは死んでも、、、直りそうも無い

2008-02-21 18:42:31 | Weblog
 連日馬鹿な話で落ち込んでしまいそう
 全く以って、今日は表題のような昔から言われている陳腐な真理を身をもって証明してしまうところでした。
 危うくと言うか、まだ私にもいくらか運が残っていると言うか、最悪の事態には至らなかった・・・マアこうしてパソコンのキィを叩いているわけです。

 習慣病の定期検査が11時からあるのですが、これが予約としては半端な時間です。
 朝起きて食事をして、身づくろいをして、お茶など一杯飲んで丁度いい・・・と言うのならいつもの朝と同じなのですが、それではどうも2,3時間余裕がある。
 余裕があるのは良いことではあるけれど、あり過ぎるのは良くないみたいです
  それで始めのうちはネットで観戦していたのですが、観戦が観戦だけではすまなくなって、一局打って完敗
  そこでおとなしく気持ちを切り替えて『お出かけバージョン」にすればいいのに、出かけるタイムリミットまでに1時間あるので、もう一局となりました。
 
 これが大熱戦で・・・いや相手の方に真剣に打って頂いて感謝しております、、、最後の方は時間をチラチラにらみながらとなった。
 まあ10時半に家をでて11時ジャストに着くのが予定通りだけれど、5分10分の遅れなら何とか許してもらえるでしょうから、それ程は焦ることも無いのですが、出だしが「余裕有り過ぎ」から始まっているので何とも複雑です
 碁の内容はおかげさまで、ソコソコには打てまして、相手の方はこちらの都合が分かっているみたいに10時25分に投了!
 この時点で、時間の余裕は吹っ飛んでいて、何だか駅の階段を駆け上がるのに似た気分です
 「それ行け!」と言う感じで10時30分に出発
  身も心も、いや身は重いけれど心は軽く自転車でかなりのハイペース
 途中、5階建てのビルくらいの落差のある坂を越えていくのですから、いつものようにのんびり行かなければいけなかった・・・今にしてはそう思う
 坂を自転車を押して登り切った時「いつもより楽だったから、体調がいいのかも」と感じた・ここまでは問題は無し・・・多少は息切れを感じたので予防的に「ミオコールスプレー」一吹き・・・これが大失敗、全ての引き金になってしまったかも知れない。
  調子よく走って予定より5分早く病院のあるビルに着いたので、すぐ横にある本屋に立ち寄ったところ、ここで異変発生!
 胸が痛いのでもなく、頭が痛いのでもなく・・・体が動かしにくい
  体の筋肉とか神経では無さそうなので脳梗塞では無さそう
 立っているのが辛くなり、本屋さんの低い陳列棚につかまってうずくまって・・・まるでしゃがみこんで立ち読みしているみたい。
 これは急激にやってきた貧血状態だったようです
  顔は青ざめ、この寒い冬に冷や汗をかいて
 しゃがんだままで、お目当ての「NHK囲碁講座3月号」を見つけたまでは良かったのですが、立ち上がってレジまで行く元気が無い
 それでもやっとのことで支払いを済ませたのですが、二人いたレジのお姉さんたち、さぞかし不気味なジイサマだったでしょうね。
 真っ青な顔をして、超スローモーに移動して、、、後で分かったのですがこれは急激な血圧低下、、、血管は広げたのに流れる血液が無い!
 
 病院では看護婦さんが私の顔色に驚いて、採血1本の予定が急遽3本に
  「貧血人間から採血を増やす?」・マア10ccていどですけれど
 ともかく予定外の心電図とか、べっどで安静=転寝などさせて頂いて時間は倍以上かかり、結局検査費用は当人持ち・・・
 マアそれでも「NHK囲碁講座3月号」が危うく形見の品になるところでした。
   それにしても私にとって「生きている」より「生かされている」状態なんでしょうね・・・薬や医療や神様・仏様かいろんな巡り合わせ
  しかし、無用心と言うか懲りない性格は直らないかも知れません。
 
 私はこのスプレーで事故寸前は二度目、心臓肥大がらみで苦しくなったのが2度、血糖値の急激な上昇で倒れたのが1度、脳梗塞が1度、、、そういえば中学1年の時に脳膜炎と診断されたこともあった、、、
 こうしてみると、崖っぷちでなんとなく落ちないで粘っているみたい
  努力が足りないとか、辛抱が無いみたいに皆に思われているけれど、意外としぶといのかも知れません、、、が、それでも自分の責任でアホなことを繰り返すのだから、この性格は死んでも直りそうも無いです。

大馬鹿だった

2008-02-20 18:32:26 | Weblog
 自分を「大馬鹿」と言うのも、今更の感はあります。
  まあリアル碁での話
 向こう3子で自分としてはかなり良く打てたのでしょう・・・いや置かせ碁ですからおそらく黒氏の頑張りがやや足りなかったのだと思う。
 この辺りの呼吸と言うかタイミングと言うか・・・黒さんも少し難しいところがあるかも知れません。
 と言うのは黒氏の言うことによると、彼のライバルとのデスマッチ的な対局によると、常にくんずほぐれつの戦いになるらしくて、今は先にミスを咎められることが多いらしい。
 と言うことは、相手と同じ程度のレベルなのに先に咎められて一気に敗勢になっていると言うことらしい。
 それは彼の不注意かもしれないし、もしかしたら運が悪いのかも知れません。
  しかしやや皮肉な見方をすれば、「先にミスをする」と言うことの実態が「相手のミスに気が付かないのに、自分のミスは咎められている」と言うことは無いだろうか・・・
  もう一つ言えば、相手の無理手を咎めないとそれが好手・強手に化けているかもしれないでは無いだろうか
  実際には二人の対局を見ていないので本当のところは分からないけれど、多少私の想像が当たっているような気がしています。

 さてそういう経験の積み重ねと言うか、、、彼は「戦いで好い結果を得られない」みたいな負の教訓を刷り込まれているかも知れません。
 確かに私との3子局でも置き石という有利な局面でも必ずしも戦いが有利な結果を導いていないように見えるから、「戦い方が悪い」から「戦いそのものが良くない」みたいに意識が変わって来ているような心配はある。
 気のせいか、3子局で割合に「白の方が打たせてもらっている」様な・・・
  そんなことで、今日は中盤ではかなり白が楽な感じがしていたから、時間の兼ね合いで、、、TVを見るとそろそろ「ちりとてちん」も終盤だし、、、「そろそろこんなところで・・・」とお終いにしようと思っていた。
 <この時点での”楽”と言う認識は黒氏の見方とは多少ズレを感じている。黒氏はその時点での優勢劣勢であって、その時点以降は五分五分の進行となることが前提です。私の方はその時点での形勢に加えて、その調子なら将来もそうであろうという推定も含んでいる。従って『白がやや楽』と言う気分の時点で『黒は悪くない』と言う認識をそれぞれが持つことが多いかも・・・>
 「先生!見損じでしょう」と、、、私の石が切り取られていた
 いえなに私が先生な分けでは無いのですが、先生=白さんと言うくらいの意味で
  私の方は全く見ていなかった!
  確かに継がなければ切られるところを覗かれていた!
 ただ、「覗かれたら継ぐだけなのに」、、、流石に「知らなかったから待った」はありえない。
 もう他に1目半の寄せがあるくらいで後は半目手ばかり・・・
 「即切れるところを、待ってあげたんだけれどね」と言われる始末
 チラと取られた石を見ると多分5目くらいでダメ空き一つだから実質11目か
   時間が無いからここで数え直すのも出来ないけれど、先程数えたところでは17,8目良かったように見えたから、手どまりの寄せを打たれても5目くらい残りそうだとは思った。
 但し取られたのが実際は5目ではなくて7目だったので・・・数えると2目残り
  そういうことで冷や汗と言うか薄氷と言うか・・・
   これは勝ち負けがどうのと言うより本当に馬鹿なことをやっている恥ずかしい碁ですね
 俗に「覗きに継がぬ馬鹿は無し」と言うところを継がなかったのですから「馬鹿」な話
  しかも戦術とか戦略ではなくて単に見ていないだけと言うお粗末さ
   
 もしかして昼休の終わりごろという時間が引き金になってるかもしれないけれど、これから年を重ねる毎にこういうことが増えて行きそうな嫌な予感もします
  半分以上年のせいにしておきましょう。

勝敗は時の運・・・ではあるけれど

2008-02-19 17:44:27 | Weblog
 一時不本意な負けが続きまして、短期間にトータルで10程負け越しました。
(本意の負けは殆ど無いから、心づもりとしては負けは不本意ではありますが)
  負けが込むと「地獄の底まで落ちていく気分」と「負けるだけ負ければそのうち勝てるさ」みたいな開き直りがミックスされてきます。
 まるでノビ太君のような悲観的な部分とドラえもん命みたいな他力本願、根拠薄弱の楽天的なものが混在しています。
 それでも、ヘボなりの囲碁の内容というよりは「勝った」「負けた」に拘るようになるみたいです。
 そういう拘りが、勝ち星に繋がったり内容の向上のバネになるのならいいですが、大体悪い時は悪いスパイラルにつながりますね。

 今回のスランプの原因は(最大の原因は私が弱いのですが、それ以外ということで)、はっきりはしないのですが、丁度古い棋譜をパソコンに入力し始めた頃と重なる気がします。
 本当にそれが原因なのかどうかは・・・
  現代のプロの解説では『今ならこうは打たない』みたいな言葉をよく目にしますが、それは研究が進み、「コミ」碁で鍛えられた現代のトッププロレベルの話でしょう。
 私らのレベルでは少し事情が違います
  確かに形の上ではいかにも現代風?な布石かも知れませんが、必ずしも全ての意味が分かっているわけでもない・・・
 つまり、今風なプロの真似的なところも多いと思うのです
  いやそれは私だけであったりして、断定は出来ないでしょうが
 マア、ともかくそんな状態のところへ、古い棋譜の情報が溢れたのですから、本人の知らないうちに脳がパニックを起こしていたかも知れません。
 都合よく解釈すれば・・・私が弱いという以上に頭が勝手にパニック状態になっていた?
  ところが、面白いことに最近になって負けこみをほぼ解消した・・・10敗の負け越しをほぼチャラに
 それが単に悪いスパイラルの底を打ったのか、株価動向みたいに反発なのか分かりませんが
  今度はその理由を考えると、もしかして棋譜入力でお馴染みになった形を積極的に打ってみたからも知れないということに思い当たった。
  何時までもパニック頭ではいられないので、ここは一番「仙知モドキ」で行ってみようという具合で、「小目」「目ハズシ」「高目」のオンパレードです
 こうなると不思議なことに相手の中国流が怖くなくなってくる・・・
   今の所相手が戸惑っているだけかも知れませんが、本当に自分のスキルとなるかどうかはここからが正念場でしょう。

 さて話は変わりますが、このところ少し気になることがあります。
  ある方の敗戦の弁なのですが、「アソコで、ああやったので負けにしてしまった」的な発言が多いのです。
 いや発言内容そのものは間違っていないし、寧ろ正しいとは思うのです
  「勝負に行くべきところでは無いのに・・・準備不足で・・・」
  「自分にも弱いところがあることが分かっていなくて・・・」
 私から見るとそういう事を「繰り返すところが一番問題のところ」という感想ですが、これはかなり意地悪な感じがするので口には出せません。
 それと彼は「捻り合いになると、上手に力を出されてしまうので下手はやられてしまう」と言います・・・が、私はこの発言はかなりの部分で正しく無いと思って聞いています。
 私は、上手と下手で一番違うのは(ランクの差はありますが)序盤の構想力みたいな部分で、接近戦の読みそのものはそれ程違わないと思うのです。
 死活などでは人によってはそう差は無いでしょう
  あるとすれば、いろんなことを総合的に結びつけて考えるとか、部分邸な損得より全体を見れるかどうか・・・のような部分かも

  私程度では余り偉そうに言えないですが、マア相対的にと言うことです
 それと「無理な戦いをしたのが敗因」ではあっても「無理であろうと行かざるをいないように感じさせられてく・・・」という事もあるはずなんだけれど
 ともあれ勝敗は時の運みたいなつもりらしい・・・けれど、孫子が言うような「百戦危うからず」の道を探るのも大切だと思うのです。
 勿論「パチンコ必勝法」みたいな都合の良いものでは無いが・・・ともあれ同じ失敗を繰り返すのはもったいない
  他山の石的な例でお話すると
 私の知っている・・・何万何十万局もキャリアを積んでいる友人ですが
  これだけの対局数ということは、それだけでも人との付き合いとか囲碁の楽しみとかは大変なものです・・・この点については脱帽
  しかしこれは必ずしも棋力の向上には繋がってい無いのがミステリー・・・これだけ打っても段があるかどうか?
 いや2段クラス互い先で勝って見せたりする代わりに2,3級の人にコロリト負けたりします・・・その原因は
  敗因と、同時に勝因とも向き合っていないのだと思うのです。
 「勝敗は時の運」だからそんなに深刻に考える必要は無いのだと考えているのでしょうね・・・、マアそれもその人なりの楽しみ方かも知れませんが
  「運」を楽しむ遊びだと割り切れるかどうか
  

小目慣れ?

2008-02-18 17:38:15 | Weblog
 最近江戸時代の棋譜をパソコンに入力していると言っても、未だ50局足らずだから余り威張れませんが。
 「日本囲碁大系」の1,2,3はパスして4から初めて5を終わったところ。
  それでもこの時代の棋譜にだいぶ慣れてきたようです。
 何と言っても置き碁でなければ星打ちがでてきません。
 ですから小目と目ハズシ、高目ばかり、しかも「かかりっぱなし」「かかられっぱなし」「しまりを許さない」みたいな布石です・・・勿論小目にしまりもある。
 ともかく私がこの10年打ってきた星オンリーとは全く違うわけです。
  ですから始めは少し戸惑いましたが・・・

 江戸時代の棋譜の解説を読むと『現代ならこう打ちそうなものだ』のようなコメントが多い
 例えば「小目に小ケイマかかり2間挟み」がセットみたいな定型
 本因坊家ではこれが3間挟みが多い・・・
そういう部分的な折衝を含めて序盤の形が現代とは違う(解説文の受け売りかも知れない)
 これはどうもコミの存在とも関係がある
  但し、それはプロの世界かアマでもトップクラスの話のような気もします。

 仮にこの時代の棋譜の対局者と、私レベルのザルが対局したら・・・
  私は多少ではあるけれど先人の棋譜に触れています、しかも現代棋士による解説も読んでいます。
 それでも出だしはともかく、石が接触した途端に弾き飛ばされるでしょうね。
  出だしでの形はともかく読みの力は現代棋士と変わらないように思えます。
 したがって当時の棋士と現代の棋士が対局すればどうなるかという想像ならともかく専業棋士とザルでは全く比較なりそうも無いでしょう
 では専業棋士同士ではどうか
  ルールが現代のコミ碁ならば、昔の一流棋士ならば1,2局打てば、あるいは数局の検討に加われば現代碁に慣れてしまいそれなりに打てるような気もします。

 では逆方向から見て、同じザル仲間のレベルでの話ですが・・・
  私が白番の場合相手が中国流あるいは中国流含みの形で打ってくる人が多い
 黒番の時私が江戸時代風というか小目・目ハズシ・高目で打ち始めたら・・・
  私らのレベルでは最初からコミを意識することなく、ともかく「損の無いよう」に打つということで行くと・・・結局は読みの勝負になりそう。
 その前提として「かかる」「しまらせない」「かかりに手抜きで展開」などの呼吸見たいな物に慣れたならば・・・
 それはそれでかなりな武器にはなりそうな気もします。
  トップアマには遠く及ばなくても、自分のクラスでは充分に戦えそうなスキルになりそうな・・・

 そんなことでここ数局は(自分では)「江戸調」で打ってみました。
  小目と目ハズシを駆使(?)して・・・「かかりには掛けますよ」とか「かからなければ大きく構えますよ」みたいなところをチラチラ見せながら・・・「3間に開いて間に打ち込ませて塗っていくとか」
 相手の人は驚いたでしょうね
 「2連星居士」みたいな奴が、狂ったみたいに・・・
  結果は幸い続きでしたが、これは単に作戦が良かったのか、あるいは「猫じゃらし」みたいに相手が戸惑っただけなのか、よく分かりませんが
 ともかく棋譜入力では小目に慣れたのかも知れないが・気のせいかな?

「辻川」アゲイン

2008-02-17 20:13:00 | Weblog
 棋譜をパソコンに入力していると、いろいろ面白いことに出会います。
  いや、面白くもなんとも無いことなんでしょうが、勝手な想像を膨らませて勝手に楽しんでいるのです。
 例えば「御城碁」でありえないことが起きたら・・・
  御城碁といえば江戸城の中の黒書院での年に一度の公式戦ですが、実際は少し違うようですね。
 頭を丸めて僧の形をしますが、これには意味が二つあるらしい・・・
 一つは囲碁の「本家」みたいな本因坊は信長・秀吉・家康と仕えた寂光時のお坊様だから囲碁4家は僧の家業?みたいということと、もう一つは僧体ならば身分を問われないので何処にでも出入りできる方便みたいなものらしい 
 ですから当時の高段者は御城碁に参加するためにも頭を丸めるのが必須条件だったのですが、太田雄三だけは頑として髷を切らなかった・・・したがって彼は公式戦みたいな御城碁には不参加
 (囲碁の4家にはそれぞれ外家という番頭さんの家があったといいます。4家は本因坊・井上・安井・林で阪口・服部などが外家にあたります。外家もお城碁に参加しているから、きっと外家も坊主頭だったのでしょうね)
  この話もなかなか面白いですね、雄三の気持ちがよく分かります
 私なども、小学校から中学に上がる時「校則」とやらで、坊主頭を強制された
  坊主が嫌で嫌で、春休みの間一日伸ばしにしていたのですが、、、入学式の前日に泣く泣く床屋に行った思い出があります
  今にして思うと何で”理不尽”な要求に対して徹底抗戦しなかったのか、不思議と言うより悔しい感じですね

 まあ、このくらいの思い出話を自分で楽しんでいるうちはまともですが
  想像は飛躍していきます・・・
 御城碁のことです
  これは江戸城の黒書院で並べますが、文字通り並べるわけです
 将軍の気まぐれで覗きに来るかも知れない行事です
  実際には事前に組み合わせ・手合いが決まっていて寺社奉行の役宅で打ってありますから、当日はその通りに並べるだけです。
 でもしかし、もしも下打ちの内容・結果が納得行かなくて、当日にその通りに並べるは嫌でもやらなくてはいけない辛い作業だったでしょうね
 一局で二度負けるみたいな
  寺社奉行邸にはお供と言うか介添え人を連れて行ったと思いますが、2人くらいだろうか・・・道知のエピソードで「形勢の悪い碁を粘って逆転」がありますが、、、、途中までの碁を本因坊家に伝えて云々とありますから連絡係がいたみたいですね、、、それに「本因坊家では棋譜を見て、もう無理な粘りは・・・」というくだりがありますから途中までの棋譜も伝わっている
 ということは、今の番碁のタイトル戦みたいに控えの間みたいなところに着手が伝えられるシステムがあったのでしょうね

 ところで先日「於 辻川」と言う記述について話しましたが、また「辻川」に出会いました。
  この棋譜は寛政5年4月8日とあるが、その日には終わらずに水野体翁打ち掛けとあり、5月8日同所打ち掛け、更に6月5日辻野八次郎宅打ち継ぐとある
  結果持碁ですから両者相当な長考の応酬だったのでしょう
 手数は259手ですから長手数で時間がかかったのでは無いらしい
  サテこれが酒井石見守七回忌追善供養というのだから・・・
 サラサラと打って、故人を偲ぶという形にはならなかったようですね
  これが碁打ちの本性というか、「追善供養」とは言いながら両者盤上に没入していたのでしょう・・・まさにこっちの方が本当の供養ですね
  それにしても施主としては、場所を貸して飲食などの接待も必要でしたでしょう・・・マア、おそらくスポンサーは大名でしょうからイイカ
  ところで3日目の「辻川八次郎」ですが、多分前に他の対局で「於 辻川」とあった同じ辻川さんでしょう。
 記述からして・・・大名の屋敷ですとおそらく「殿」がついて、旗本とか奉行の役宅などですと「邸」がつくと思われるから、名前の前に何も付いていないところに注目
 この記述は「宅」ですし、前の記述にはそれも無かった・・・と言うことは
  囲碁界の関係者からある程度無理が利く人・例えば裕福な門人みたいな感じでしょうか?
 でも大事な贔屓筋だったら何かしら敬称は付きそうだから門人筋だろうか
  再度ネットで検索しましたがやはり「辻川」は不明
 地名ででてくるところは関西ですから対局場ではないし
 「辻川八次郎」氏は不明
 検索でヒットする十数人の現代の辻川さんは当然関係ないだろうし、企業でもなし・・・
  さてさて盤上の変化は現代プロ棋士の解説を読んでもなかなか理解し切れませんが、その分空想の世界で遊んでいます
  

 
  
  

ラストスパート虚しく

2008-02-16 17:18:26 | Weblog
 TVでマラソンとか駅伝を見ていて思うこと・・・
  マラソンではゴール地点、駅伝ならタスキ渡しの中継点で猛然とラストスパートをする選手がいます。
 勿論批難などではありません・・・しかし優勝争いでも無いのに何処からそんな力と気持ちが湧いてくるのか不思議です
 いえ一つでも上の順位、少しでも良いタイムと言う競技者心理は分かりますが、それではそこまでの力の出し方について疑問が・・・
 つまりラストまでに余力を残してレースを終わることは拙いわけで、最後までに持っているエネルギーの全てを出し切ろうとする意味でのラストスパートは気持ちとして分かりますが、キッチリゴールで全力を出し切るというのは難しいでしょうね。
  私の場合は競技と関係ないのですが、実生活で苦い思い出が結構あります
 昔私の利用している駅・「国電」と称していた頃、駅舎を通って砂利の広場を抜けて跨線橋を越えて向こう側のホームに電車が来ます。
 たまたまギリギリのタイミングで電車が入ってくると何故か走って行きたくなります・・・距離にして50から70メートルダッシュです。
 今なら、絶対に走りません(走れませんけれど)
  電車など昼間のダイヤがすいている時だって10分以上待つことはないのですから、余程のことが無い限り走る必要は無いはずです・・・やはり若いからでしょうか。
 それでも間に合えばまだいい、、、走った甲斐があるわけで
  でもギリギリアウトの場合は、くたびれ儲けみたいだし、出て行く電車の乗客がみんな見ているみたいでかっこ悪い!
 ホームで一部始終を見ている人もいたりして・・・
(走ったことを後悔したことがあります)
  ダッシュして間に合って電車に飛び乗ったのは良かったのですが・・・夕方からのアルバイトに遅れそうなので一本でも早い電車に乗りたかったから懸命にホームと跨線橋を走って・・・電車に飛び乗った途端に胸が苦しくなった。
 準備運動無しでいきなりダッシュして、電車に乗ったとたんにストップです
  自分で顔が青くなっているだろうと自覚するくらい・・・
   全く碁でよく言う「アッ!っと言ったがこの世の別れ」の半歩手前だったかも知れません。
 まだ20台前半だったから心臓も血管も耐えられたのかも知れません。
  今日はそのようなことを思い出すようなことがありました。

 いえ、この年で走ったりしませんが、何のためにラストスパートしたのか分からないようなアホな話です。
 昨夜・金曜日の夜、借りている「日本囲碁大系」の棋譜が残り4局です
  そして土曜日が借りてから2週間目となるわけで、土曜日の朝までには棋譜入力を終わらせたいと考えた。
 マア私としては、しごくまともな考えで・・・まともに考えると結果が良くないのが私の悲劇的性格です
  ともあれ、自分でもネットで打ちたいのをやや我慢して棋譜を入力
 1日2局のノルマをどこかでサボったので最後にしわ寄せが来たのですが、マア何とか作業は終わりまして、土曜の朝には「日本囲碁大系7」を借りようと、遺産名で図書館に向かった。
 かなり寒い朝でした。
  午後からは陽が出たりして、ガラス越しにはかなり暖かな感じもあるけれど、
 朝は曇っていて、風が強くて・・・図書館の近くは高層マンションが並んでいて冷たい風に自転車が押し返されそう。
 やっとの思いで(所要時間は10分足らずですが)図書館のあるコミュニティについてみると何だか様子がおかしい。
 図書室の入り口の廊下に特設の壁があって、それが返却ポストになっている
小さな郵便物差出口みたいなものがあって『返却の本はここから入れて下さい』みたいなことが書いてある
 図書館もレンタルビデオ屋さんみたいなことをやるのですね
そう言えば、前回借りた時に整理のための臨時休館の予定表をもらったけれど、土日は開館していると思い込んでいた・・・
  夕べは棋譜入力ラストスパートして、今朝はこの寒さの中を・・・
 次の開館日はこの次の金曜日
  嗚呼、それまで読みたい本は無いし、、、慌てて入力して本を返下のは大失敗でした。
 そんなことで、今週は手持ちの古い本を読み返す週間になりそうです。

久しぶりの指導碁

2008-02-15 18:09:12 | Weblog
 最後に指導碁を受けてから、多分10年以上は経っていると思う
  最近ではプロ棋士の指導碁を覗いたり、解説を聞くことはあっても自分では受けていません。
 こういうものは、受けるとなると土砂降り的に受けるようなところがあって、その頃は最低でも着きに局は打って頂いていたから、年間にすると50局は越ええいたでしょう・・・その割りには・・・といわれてしまうと、なんだか先生の教え方の問題みたいですが、やはり本人の問題ですね。
 さて今朝の指導碁・・・今朝6時ごろの話です
  『ネットでの指導碁ですか?』と訊かれそうですがそうではありません。
 先にネタをバラしてしまいますと「夢」の話です。
  夢ではありますが相当リアルでして、私としては普段のネット碁よりも、数倍も真剣に対局していました。
 石の運びから言うと多分私は3つは置いていたはずです
  序盤の隅とか辺の折衝で私は素晴らしい展開・・・(夢の話です)・・・具体的な手は分からないのですが、イメージとして大優勢です
  尤も、相手の方は指導ですから「勝負」ではなくて、私に思う存分打たせるように打っている感じが伝わってくる
  こういうことを全てイメージとして感じたと、夢の記憶にある
 序盤の折衝が一段落して中盤に入っていく時に、大長考をした
  「地合いでははっきりいいので、全体のバランスに注意して打つ」か、あるいは目の前の白の弱い石を標的として一気に攻めに入る」、、、
 相当真剣に考えました・・・
  碁盤を囲んだギャラリーの声は、「攻め中心」みたいだったけれど、私は「バランス」を選んだようです
 いずれにせよ碁盤全体を見回して考えての結論
  ところで、この夢の中での長考は実時間で数秒のことでしょうか?
   人は一瞬の間に一生分の夢を見ることが出来るとか言いますし、中国の故事・邯鄲の夢と言うこともある・・・
 さてさて、この夢は「いつも、もっと真剣に考えて打ちなさい」という警告かもしれないし「考えて打つことへの願望の表れ」かもしれない

 ところで、教えてくれた人はプロではない
  夢の中でその人はキチンとスーツを着ていて、そう去年のJFE囲碁大会で初めて顔を見た人に違いない。
 実際に始めてみた時、私のインスピレーションでは「この人は強いに違いない」でした。
  ですからそういう思いでも頭のどこかに残っていて夢にでてくるらしい
 マア3つ以上置かなければいけないかどうかは分からないにしても、、、

 夢での話ではなくて、現実の指導碁で必ずしも良い思いでばかりでは無い・・・ということも併せて思い出しました。
  いつも同じように指導を受けている人に大学の先生が二人いました。
 そこそこの棋力はあるらしいのですが、棋士の指導碁以外は受けないのです
  プロの先生も「たまにはどうですか」と仕向けるのですが、「アマとは打つ気は無いらしい」
 そういう人もたまにいますね
   プロ棋士を尊敬するのはいいとして、同じアマをかなり見下すタイプ
  あるいは自分より強い人に打ってもらうけれど、自分と同じか下の人とは打たないひと・・・
 
 夢の中で指導を受けたり、昔の指導碁の思い出が蘇ったり・・・
  朝から、疲れそうな一日の始まりでした。