なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

雨宿り

2009-05-31 16:49:17 | Weblog
 まあ、実際にツバメが背中にぶつかって来るわけでは無いので、単なる例えの表現です。
 今日の午後は天気予報とは違って好い天気になりました。
 女房殿などは、彼女はニュースの時間には必ず天気予報を見る言ってみれば天気予報マニアみたいなものですが、『おかしいな、午後は雨のはずなんだけれど』などと首をひねっていました。
 そうは言っても現実には快晴に近いですから、「布団を干せば良かったかな?」などと言っていました。
 おかげで近所の中学校の運動会も無事に全部の予定を終了したようです。

 私は、何もやることが無い(いつもの通り)日曜日の午後なので、ふらっと出かけました。
 自転車で近所の本屋かCDレンタル屋さんか図書館か、あるいは大型スーパーで電気製品でも覗こうかと言うくらいです。
 昔なら、日曜日の午後は碁会所あるいはパチンコ屋さんだったのに変わったものです・・・これも年のせいか。
 
 帰り道に、先ほどまで快晴だと思っていた空からいきなり大粒な雨が落ちて来ました。
 かなりの勢いでの降りなので、これはすぐに全身びしょぬれになることは予想できます。
 性格としては、降られれば濡れるしか仕方がないと思う方ですが・・・ただ、濡れるのは良いとして、家に帰った途端に雨がやんだりすると二重に悔しいので、今日は通りがかったコンビニの庇の下で雨宿りをしました。
 隣にもう一人雨宿りのお兄さんがいたのでなんだか心強い?

 ところでコンビニの窓ガラスを見ると「瓦版」なるものが貼ってあります。
  「7-11のツバメ」と言うタイトル。
 そう、ここの店の壁にツバメの巣があったのです。
  気がつくと雛たちが大きくなって勢いよく鳴いています。
 全部で5,6羽もいるだろうか、大きく育って、それでもまだ飛べないので親に餌をねだっている。
 親はこのにわか雨の、大粒の雨の中を飛び回って餌を取って巣に帰り、すぐに飛び立っています。
 おかげで、言い雨宿りができました。
  雨の方は10分もしないうちに上がったのですから、雨宿りが正解でした。

 家に帰ってネット碁に接続
  最近何となく打ってませんが・・・自戦記録で棋譜の日付を確認すると、もう20日は打っていません。
 このくらい打たないと、碁会所では「碁を忘れてしまうよ!」と言われそうですし、ひと月も顔を出さなければ良くても病気か入院、悪くすればお坊さんの御世話になったらしいとの噂が流れるものです。
 冗談はともかく、実際にブランクが長いと復帰?初戦の勝率はかなり低いと思います・・・私の感じではそうなのです。
 でも、止めるのではない限りどこかで復帰初戦は打つわけですから、初戦を飛ばして二戦目からと言うことが出来ない限り、初戦の相手には「手土産代わり」「復帰の挨拶変わり」に白星を進呈する覚悟。
 ついさっき見たツバメも雨の中頑張っていたし・・・(関係ないけれど)頑張らなくっちゃ!と勇気を貰ったような心持でした。

 実際には丁度好い相手とすれ違いで、観戦を2,3局。
  まあそれはそれで楽しかったので良いのですが、復帰初戦は6月になりそうです。
 尤も、怪我をしていたのでも病気でも出張でも無かったので、実戦にブランクがあるだけなので、こういうのも「復帰」と言うのですかね?。

貧乏ゆすり

2009-05-30 17:54:18 | Weblog
 今日は贔屓チームのサッカーの試合があるのでTV観戦をしようと思っていたのに、リーグ戦では無くカップ戦のため放送は無し。
 正確に言うとスカパーで契約の幅を広げないと見ることが出来ない・・・契約者向け有料放送はやっている・・・なんだかさみしい午後でした。
 そう言うことで、ネットでスコアーだけは出て来るところに合わせておき、TVは小学生将棋大会を途中から観戦しました。
 小学生の5,6年生の選手たちの準決勝・決勝でしたが、流石に強いですね。
 羽生さんも感心するほどですから・・・
  私などは囲碁より将棋の方を早く覚えたのですが、最初に覚えた場所が父の勤める会社の休憩室での観戦ですから、まともに縁台将棋をインプットされたようなものでして、その後新聞で将棋欄を見るものの、初めにインプットされたものを脱却できなかったようです。
 従ってキャリアだけでは将棋は55,56年くらいにはなるものの今日TVで戦っていた小学生の足元にも及ばない。
 そう言うことを考えると、どういう覚え方をして、どういう成長の仕方をするか?・・・勿論本人の適性の問題は重要ですが、その辺りの問題・もしかしたら人生の出会いとか機会と言うものが大きなカギを握っていそうです。
 インタビューによれば4人ともプロ棋士を目指したいと言っていましたから、強くても当たり前かなとも・・・

 ところで、放送で気になったことが一つ
  ある少年の貧乏ゆすり
 これは、「脳のストレス解消のために、ゆすることによって脳を心地よくする効果」があるとかないとか・・・
 見た感じは良くないもののルール違反ではないし、本人の考えるリズムでもあるでしょうから、余程周りに迷惑でない限り自由ではある・・・自由ではあるのですが見ていて(勝手に)気になるものでもある。
 貧乏ゆすりの語源を調べると
① 貧乏人が寒くて震える様子
② 貧乏人からお金を取り立てるとき、足をゆすって催促した
③ 江戸時代には、足をゆすると貧乏神に取りつかれると言われていた
 何とイメージは全て貧乏に繋がることばかり・・・すると金持ちはゆすらないものらしい。
  まあ、見た感じは良くはない。
 しかもこれは本人は意識しないのだそうですから、これを意識してやめさせるのは至難の業かも知れません。
 それにプロの棋士にもこういう癖をもつ人はいそうですね。
  尤も想像ですが、細かなピッチでの揺れの人は少ないような気がします・・・やや大きなゆっくりとした揺れはありそう・・・その場合貧乏ゆすりとは言わないでしょうが。
  細かな揺れ・激しい揺れのものは、もしかしたら師匠の下で修行中に矯正されているのでしょうか・・・そう言うこともありそうな気もします。
  
 まあ私が気になっただけで、良い悪いと言うことでは無い。
  癖と言うことでは囲碁を打つ時にいろんな癖はあります。
 貧乏ゆすりもその一つではありますが、激しい揺れの場合は少々迷惑ではありますが・・・それに似て次に迷惑なのは・・・これは町の碁会所での話です。
 畳では無くて、椅子と机の碁会所の場合
  例えば45センチ幅で長さが180センチくらいの長い机で2寸盤くらいの碁盤を2つ並べるようなスタイルの場合。
 私の知り合いのN村さんの場合は、碁に熱中してくると椅子に座った足の膝が机に密着してくる。
 いや考えに盤上に食い込むみたいに、体のベクトルが盤の方向に傾くのです。
  要するに膝で長椅子を押す形になる。
 N村先生は相当な競合で、深く考えに沈み、時間をかけて一心に読みふけるのですが・・・この先生の癖が膝での碁盤押し。
 さしもの長い机もだんだん斜めになってくのです。
  まあ盤をゆすって石が踊るわけで無いのですが、気がついた人は横で笑ってしまうのですが、困った先生ではある。

 まあ、貧乏ゆすりの方も笑って済ませられる程度なら許容範囲ではある。
  本人が気がついて直そうと思うかどうかの問題です。
 一つの癖を直すと別の癖になって出てきたりするのでことは単純では無いかも知れないですが・・・

 私も癖の多い人間なので人のことを言うのもおかしいですが・・・
  私の最大の癖?は箸の持ち方
 これは子供時代に頑固に矯正に抵抗したと言うか、両親が甘いと言うかアホな末っ子に甘いと言うか・・・と言うわけで未だに直っていないし、もうこの年では一生の付き合いになると思います。
 癖と言うものは大きいものも小さな癖も直そうと思うと大変。
  どうでも良いような癖でも、私みたいに気にする人は気になるから困ります。

研修終わって・・・

2009-05-29 19:22:48 | Weblog
 今日は研修に東京まで行って来ました。
  電車で快速を使うと片道1時間もかからないのですが、そうすると乗り換えで東京駅の端から端まで歩くみたいな感じで、朝の混雑時に一人で流れを悪くするジイサマになりそうだし、他人の邪魔をしながら長い距離を歩きたくないので、既存線の各駅停車を選択。
 これだと乗り換えなしで行けます・・・但し所要時間は20分近くプラス・・・その代り朝でも途中から座れる可能性が大きい!。
 当然私の性格と体力では各駅を選択、その分20分早く家を出れば良いだけですから。
 
 ともかく、無事?に研修を修了し修了証を頂いてきました。
  この修了証が大事です。
  これは職場に行かないで研修を受けたという大事な証拠の品です。
 仮に、研修内容が半分も理解出来なかったとしても、パソコンの操作を講師のアシスタントの女性の手伝いなしではできなかったとしても、この修了証は黄門さまの印籠より大事。

 マア日頃やっている仕事の復習と言うか、裏ワザと言うか、基本的な考え方と応用編ですからその部分は大丈夫。
 尤も、統計作成に応用するためのエクセルについての理解と実習には少してこずりました。
 数式については昔苦労して演算式などを打ちこんで表を作っていたのが役立って式の理解には良かったのですが、最近では全てパソコンが覚えてくれているようで、これが便利になったはずが、操作と言う点でジイサマはてこずりました。
 IFを使った論理式などは式は分かっているのにエクセルで”便利”な入力方法にてこずるのですから笑ってしまいますね。
 昔は”便利”な方法は無くて、全て式を入力していたのですから、そちらの方は分かっているのに入力方法でてこずるのですから何だか本末転倒です。

 ところで研修の最中、頭の片隅では囲碁について考えているのですから、これは余裕では無くて、単に囲碁シンドロームと言うか集中力のなさと言うか・・・
 何を考えていたか?
  いや、大したことではありません。
 今は囲碁教室みたいなカルチャー教室形式での普及活動が多いと思いますが、これは「自由参加」「その人にレベルで楽しむ」「本来囲碁は自由に楽しむ」みたいなことで言えば当然そうなるでしょう。
 それはそれで良いのですが、、、
  仮にそうでは無い部分・・・多少は”叩き込む”みたいな部分もあっても良いのではないかと思うのです。
 ある程度の棋力になれば当然自由な発想と言うものも大事なことだし、囲碁を楽しむうえでも大事な要素ですが、但し基礎的な部分と言うか、基本的な部分については初めから自由に考えなさいと言うのは道かなと言う部分もあるはずです。

 ですから楽しく教わる「教室的」「サークル的」なものと、”そういうものだ”的な要素が強いとしても「研修的」な教え方の両方があっても良いではないかと思うのです。
 年齢が高くなってからの教室では後者の要素が強いと”お客”が集まらないだろうし、かといって前者中心ではなかなか進行が遅いだろうし・・・
 楽しければそれで良いではないかと言われればそれまで、「たしかにその通り」と言うしかありません。
 でも、楽しいのは良いのですが、なかなか進まないのを見るのも・・・
  私は角を立てずに厳しい事を言って受け入れてもらうようなキャラとしてはどうも合格では無いらしいから、結局は気おくれしてしまうのです・・・

 あれッ?自分の研修は?
  ともあれ帰りの電車ではほぼ全線座れました!。

RE 筋肉痛

2009-05-28 04:19:19 | Weblog
 先日職場でパソコンの画面を見ながら仕事をしていたら、同僚から「画面を見る時間が長いと疲労とか、視力の低下は大丈夫ですか?」と訊かれました。
 成程、ここのところパソコンでの作業が増えていたようで、来客があってカウンター越しに対応する時と電話で話す時以外はパソコンとにらめっこをし、キーボードを叩いたり、データ整理したものをテストプリントするようなことばかりしている。
 私の返事は至ってそっけないもので「家でも寝ている時間・食事入浴を除くと、TVとかパソコンでネット碁とかCD再生とかで”画面を見ていることが多いし、仕事と合わせると1日の半分は”光る画面”を見ています。マアおかげさまで、先日運転免許の更新で視力検査をしましたが裸眼で合格したので、今のところは大丈夫みたいです。」
 パソコンの作業の多い人の目からくる疲労とかの対策のサプリメントなどがあるし「飲む目薬」みたいなものもあるくらいなので、ジイサマの視力を心配してくれたのでしょう。
 
 実際のところ視力はあまり問題ないような気がしています。
  本を読む時・パソコンで細かな文字を見るとき用の眼鏡は最近やや合わなくなってきているような感じはしていますが・・・これは視力低下なのか一時的な疲労によるものかはわかりませんがあまり心配はしていません。
 問題はパソコンの前にいると、頭以外は目と指先しか使っていないことです。
  たまには電話が鳴った時に耳と手の反射神経を試されますが・・・
 ともかく毎日の自転車通勤以外は手洗いに行くか、別の階にある書庫に書類を見み行く以外は椅子に根が生えた状態。
 しかも近いところにあるものだと椅子から立ち上がらず、椅子のキャスターを利用するモノグサ生活。
 これでは筋肉の老化に運動不足が拍車をかけている。

 先週所管地域での立ち入り調査が始まって、週に1回は公共交通機関+ウォーキングの日が始まり、第一回目は想像通り・想像を越えた筋肉痛にみまわれました。
 おかげ様で、4・5日でなんとか後遺症?状態を脱しましたが今週は第二回・・・これが約1年近く続く予定(涙)。
 仕事をしながら運動不足解消をさせていただいていると考えれば、大変ありがたいのですが、見方を変えれば単に筋肉痛を残すだけの拷問みたいなものかも知れません・・・この辺が微妙。
 事務所から出発して最寄りのJRの駅まで、一番近いところで12,3分、遠いところでは25分くらいはまずはお試しウォーキング。
 途中大きな歩道橋が一つ、駅によってはそこに行くまでに橋を渡ります・・・橋は3,4メートルの登り下り付き。
 若い職員と歩くのに、ジイサマとしては同じような歩調で歩くような見栄があるので、顔は変えないで体と心は必死状態です。

 そう言うことで第二週のウォーキングをなんとか終わりました。
  二回目は同行者はさして若くはないものの、彼はテニスを趣味としているスポーツマンタイプ・・・ついて行くのが必死。
 相手がこちらに合わせてゆっくり歩いている感じが伝わって来るだけに必死。
  ともかく第二回目を終了。
 今回も筋肉痛を経験していますが、先週に比べてやや楽な感じがしています。
 2回目で既に鍛えられたとは思えませんが、体が疲労度の経験をした分驚かなくなっているのだと思います。
 但し筋肉痛が0では無いので、そこのところが情けないですね。
  歩く=自分の体重を移動することの大変さを今週も実感させられました。
 この作業が続く限りは循環器の能力範囲で足の筋肉を鍛える事と、体重を減らすことが大事なことになります。

 それと歩きまわった日と次の日くらいは、ネット観戦が精一杯・・・なんと情けない状態ですが、これを逆に考えると今までは自分のエネルギーのほとんどを囲碁に注いで来ていたと言うことになるのだろうか?
 

あずま男に京女!?

2009-05-26 03:43:14 | Weblog
 今月は何となくNHK囲碁講座翌月号を買い損ねていました。
  まさに”なんとなく”で特に理由はないのです・・・外出して本屋さんの前を通ったりしたし、3Fの大型書店が入っているスーパーにも、地下の食品売り場には何度も行っているし、「おいしい水」のコーナーにも行っています。
 ともかく忘れていたことに気がついて、今日は仕事の帰りに本屋さんによりました・・・これがいつもの本屋さんとは別の店で、比較的小さな店。
 且、NHKの講座本に余り力を入れていないように見受ける店なので、どこに目的の本があるのか探してしまいました。
 そして、何と言うことかNHK囲碁講座はラスト1冊でした。
  運が良かったと言うか、本屋さんは無駄な仕事をしないと言うか・・・
 但し、誰かが立ち読みをしたような形跡があるのが少し気になりました。
  それと・・・いつもここで買わない私がこの最後の1冊を買ったので、もしかしていつもここで買っている人が、ここでは買えなくなるのかな?などとどうでも良さそうなことを心配したり。
 実はこの小さな本屋から直線で100メートルも離れていない所に大型スーパーがあり、そこの3Fに本屋があるのだから、ちょっとズルをしたのは私の方でしょうね。
 でも、夕方は曜日に寄っては息子がアルバイトをしているかも知れないので、お互い顔を合わせたくない?と思って別の店に行ったのです。

 ところで、真っ先に読むのはやはり先崎さんの「桂馬の両アタリ」、何と言ってもこれが一番面白い。
 今月は「花見の一局」!
 プロにして、やはりそうなんですね。
  何が”そうか”気になる人は囲碁講座を読んでください。
 碁会所でもこれに近いことはよくあるんです。
  かなり強い人同士が世間話をしたり、ちびりちびりとやっていて、少々棋力の低い人に「どんどん打ちなさい」などと勧めながら、自分たちはそれを肴に一杯やるのです。
 一杯機嫌なので、流石にストレートな口出しはしないものの、「なるほど、そう打つところなのか」「両者厳しいものですな」などと一手毎に合いの手が入ったりします。
 マナーとしては良くないとはいえ、日頃御世話になっている師匠ですから文句も言えません。
  「今日は運が悪い!うるさいジイサマたちに捕まってしまった」と呟くくらいが精いっぱい。
  それでも先生がたに見られているのも全く嫌と言うことでもない・・・

 こういうことはやはりアマの世界の出来事限定と思いきや、プロの先生たちにもあったのですね。
 流石にサクラの木の下の、花見の1局ともなれば、やはり無礼講なんでしょうね。

 ところで将棋の中川大輔さんの奥さんは宮崎志摩子さんだったのですね。
 先ほどの先崎さんところみたいに将棋のプロの夫に囲碁のプロの妻。
  張栩さんところみたいに囲碁のプロ同士のご夫婦も多いけれど・・・囲碁のプロ棋士の夫に将棋のプロ棋士の奥さんと言うカップルはいないらしい。
 いや、かなり昔に聞いた話なので、最近変化があったかも知れないが。
  これはゲームに対する適正みたいなものと関係あるのか、あるいは単なる偶然なのか?
 

不思議な気分

2009-05-25 06:09:44 | Weblog
 今朝目が覚めると、ベッド脇のキャスター付きサイドテーブルの上でパソコンの画面はネット碁対局の終局の状態のままでした。
 これは私がネットで観戦しながら眠ってしまったものですから、両対局者には申し訳ないけれど、不思議では無い。
 しかし、今朝は目が覚める直前まで見ていた夢の印象が鮮烈です。
  いや強烈なインパクトのある夢と言うわけではないけれど、音楽と香りのある不思議な夢なので、この夢に何か意味があるのだろうかと思いたくなるような夢なのです。
 
 ロシア風と言うか石造りの家の二階で個人的な音楽会のようなものがありました。
 楽器はたぶんチェロのような弦楽器の局が流れるのですが、不思議なのは演奏している人はどこにいるのかわからない形なのです。
 それと香の香りが流れてくる。
  これが夢なのにはっきりと記憶に残っているような香りなのです。
 ローズヒップのような、酸味があるような香の煙が流れる中、低い弦楽器のメロディが流れる。
 曲は分りません・・・さてさてこういう夢に何か意味が隠されているのでしょうか?

 パソコンの画面は百数手で止まっていました。
  白番の打ち方が少し強引だなと思いながら見ていましたが、やはり乱戦傾向だったようで、戦うには無理があったようです。
 成程自分のことは分りませんが、観戦碁の方は冷静に見ているようです。
  
 しかし昔はすげての夢には意味があると考えられていたようで、夢判断と言うものがあったらしい。
 夢によっては縁起が良ければ売ったり買ったりもしたらしい。
  逆に悪い方なら厄除けをしたはずです。
 マア、私はそう言うものを信じる方では無いのですが、目が覚めてからしばらく経つのにあの香の香りが記憶に残っているのが気にかかります。
 もしかしたら、あれは香の香りでは無くて燻製のチップの匂いだろうか?
  まだ完全には目がさめきらない頭であれこれ考えています。
  

も・し・も の続き

2009-05-22 18:27:09 | Weblog
 昨日の「も・し・も」に嘉瀬様からコメントを頂きまして、読みながら考えていたら、コメントの返事を書くとしたらボリュームが多くなるような気がしましたので、ブログの本文で返事も兼ねてしまおうと、私得意の超合理主義?を決め込みました。
 
 嘉瀬さんは中学生の時に囲碁を覚えて初対局が学生時代だとか・・・私の場合と少し似ていますね。
 ただ、私の場合はいつ覚えたのかははっきりとは言えません。
  小学校1年から新聞のスポーツ欄は必ず目を通すようになって、その下段にある将棋欄はお気に入り。
 文章では読めない字もあったはずですが、将棋の棋譜は漢数字とアラビア数字で位置を示しているので、前日の位置からどう動いたのかは一応は分かるわけで、前日の指了図から、記事の数字を追ってイメージするのが日課でした。
 勿論手の良し悪しなどは分りませんから、動きを追いかけるだけです。
  それで、隣にある囲碁欄をついでに見る年月の積み重ねが6年から7年となり・・・初めて囲碁を打ったのが中学1年の時。
 厳密に言えば「お前、囲碁を打てる?」と友達に聞かれて、ごく自然に「ああ、打ってみようか」と受けたのだから、今考えると恐ろしい。
 当然それは囲碁では無くて「囲碁らしきもの」だったでしょうね。

 これは外国語を例にとると・・・昔日本人がアメリカに行って懸命に英語をしゃべっていると、それを聞いたアメリカ人が「日本語って英語に似ているみたいだ」と言ったと言う笑い話がありました。
 なんだか似ているところがあります。
  でも、恥ずかしがって、折角外国語を習っても外国人の前では使わないのでは上手くなるものも上手くはならない。
 日本でも昔「変な外国人」というギャグがあったくらいですから、自分が相手にとって変な外国人になることも過程としては必ず通る関門みたいなものでしょう。
  と言うことは、子供時代に「自分は囲碁を打てる」という間違った思い込みも、その後囲碁にすんなりのめり込んで行くには役立ったと思われます。
 よく見かけるのですが、年をとってからあるいは大人になってから始めた人は、初心者であることをはずかしがる傾向があるようです。
 「よい大人が、教室で説明を聞いているのにキチンと打てないなんて恥ずかしい」と思っているのかも知れません。
  日本人はそういう風に感じる国民性かもしれませんから、一概にこれが良いとか悪いとか言えませんが、少なくとも子供時代に憶える場合はその分をスルー出来る分囲碁に入り込むのがスムーズでしょうね。

 初めて囲碁を打った時って何級ぐらいだったでしょうか・・・マア、終局まで打って数えたのですから、まあまあだったでしょう。
 本当に覚えたと言うのは学生時代で、この時代に大学の教授の囲碁好きな先生にも打って貰いまして・・・自称二段の先生に2子から先くらいだった。
 尤もこの自称○段と言うのは相当に幅がある怪しさです。
  「自称」ですからどこにも文句を持って行く話ではありませんが、後にある囲碁クラブの自称7段に2子置かせたり、10段格に白で勝ったり・・・要するに「自分は初段だ」と言う人が物差しの基準となっているに過ぎないので、実際にはその人が3級程度の棋力だったとすると、相対的に10段も出てしまったり・・・
 ですから人から段位を聞かれると非常に困ります。
 「30年ほど前に棋院の4段免状を頂きました」・・・マア棋院の商品としての免状を買ったに過ぎない。
 棋力としてはその時から30年以上は経ちますからいくらかは上がっているとは思いますが、結局表現としては「パンダでは」「タイゼムでは」「今のネット碁では」「いつもの碁会所では」という「」付きの話になってしまいます。

 ところで囲碁を覚えてよかったかどうか・・・もちろん答は明白です。
 囲碁のない生活は考えられません。
  囲碁は楽しいし、囲碁を通じていろんな人と交流が出来たし。
 もっとも、これが家族にとっても良かったかどうかは甚だ怪しい。
  平日でも家で夕食を家族と食べるのは週に2日もあったかどうか。
 たいていは子供たちが寝てしまった頃に帰って来る・・・勤め先から碁会所に寄って。
 それでも帰れば翌朝朝食は一緒になるのですが、囲碁が閉店後に麻雀が始まるとこれがたいていは徹夜、良くても午前3,4時まで・・・
 私本人としては仕事も遊びも充実していたのですが、家族にとっては何ともヤクザなオヤジだったでしょう。
 お酒を飲まないのが唯一の救いだったかもそいれませんが、その代りと言うか煙草は普段で60本吸っていて多ければ5箱くらいは消費していました。
 従って今抱えている持病の数々の原因はこの時代に発生したり悪くなったものが多いと思われます。
 但し、やらなかったら病気にならなかったということも言えませんから、まさに「もしも」は無い感じ。
 それでもろもろのことを条件に入れて囲碁を覚えてよかったかどうか?
  やはり「良かった」とこたえます。
 仮に私がお酒の味を分かったとしても、毎日家と職場を往復している生活は想像できません。
 今はネット碁中心でいろんなところに行きませんが、それでも囲碁が無かったら退屈な生活でしょう。

も・し・も

2009-05-21 18:32:11 | Weblog
 私は中学1年生の時から高校2年生まで数学のみ教える塾に通いましたが、そこの先生のお決まりの例えに「殴ったらさすって話の辻褄があう」・・・これが何のことかと言うと一般式から公式を導き出す時に便宜的にbを足したら後ろの方でーbxとして置く・・・まあその程度の話です。
 先生は何かと言うとこの例え方をしましたが、本人としては生徒に分かりやすく説明しているつもり何だろうなと思いながら聞いていたものです。
 子供ながらに「そのたとえ話は違うだろう」と感じながら・・・
  殴られてから、いくらさすったり手当をしたからと言って気分が元に戻るわけが無いだろう・・・などとマジに疑問に思ったりするところが中学生と言うか、真面目というか子供と言うか。
 別の例えを考えるなら「借金&返済」と言うところか、あるいは碁盤目ののような街路で右に行ってから左に曲がると、それは先に左に曲がってから次に右に曲がったのと同じと言うようなことだろうか。

 しかし、街歩きならそう言うこともあるけれど、仮に人生だと途中経過の手順違いは決して結果が同じにはならないでしょう。
 例えば囲碁を覚えると言うことで言うと、私が人に「囲碁ほど面白いものはないですよ、一度覚えたら囲碁のない人生なんて考えられなくなるはずです」などと進めた場合に、たいていの人の反応は「きっと、面白いでしょうね。今は忙しいから暇が出来てから覚えたいと思っています」とか「定年になったら始めるつもりです」という感じでしょう。
 こういうことに正しいも間違いも無く、その人の選択に過ぎないのですが、先の理由がやんわりと断ったのではなく、本当にそういう計画だったとしたら・・・

 学生の時はしっかり学問をし、より良い会社に就職し結婚して家族の生活をしっかり支え・・・しかる後、定年になったら好きなことを始める。
 成程立派!
  こういう人にけちをつけるのは、言いがかりを吹っ掛けるようなものですが、私にはこれほど難しいことも無い。
 「その時にやりたいことは、その時にやる・・・」まあ、計画性のない刹那主義と言うか、いい加減な人間の代表選手です。
 仮に囲碁に関して言うと、私が若い頃囲碁・競馬・麻雀をやらなければ、もう少し良い暮らしができただろうか?・・・答は難しいが、今よりは良いには違いないとは言えます。
 では、仮に50あるいは55才くらいから一旦封印した囲碁を始めたとして・・・今頃初段の壁辺りだろうか、あるいはそこにも行っていないかも。
  何より、良いか悪いかは別として何かのために何かを我慢できる正確なら、きっと今とは違う性格が全面に出ているでしょうね。

 人生にもしもは無いけれど、もしもがあったら証明できるでしょうか?
  それに、もしも「もしも」があって人生の分かれ道で右の道も左の道も両方経験することが出来たとしたら・・・そういう分かれ道がたくさんある!?。
 と言うことは「もしも」の連続の人生のようです。
  まだ終わったわけでは無いから、これからも分かれ道があるのかも。
 

準備の良い人!

2009-05-20 17:49:04 | Weblog
 今ニュースの時間になると新型インフルエンザに関するボリュームがかなり大きいですね。
 現実の感染の状況はともかく、ムードとしてはごく近い将来に全国に広がる危険性がかなり大きいと言う感じです。
 今のところ関西方面での感染が確認されていて、学校閉鎖と言う措置になっていますが、おおもととを考えたら感染した人が発病しないで空港のゲートをくぐったたお考えられますから、仮に今回が関西空港がポイントとしたら成田経由で首都圏に広がる可能性はかなり大きく、そうなればどこの空港経由などは関係なく全国規模に広がるであろうと想像できます。
 予防対策としては外出から帰った際の手洗いとか、マスクを使用する効果とかの話を聞きますが、勿論それらはやった方が良い事ではあるでしょうが、やらないより良いという段階をいくらか上回る程度のような気がしますから、現段階では菌が毒性が弱いのだそうで、今のうちに何とか終息してほしいものです。

 インフルエンザは持病を持っている人が発病すると重篤の事態の危険性があるとか・・・それはそうでしょうね、普通より弱い人は新たな菌にも抵抗力が弱いでしょうし。
 と言うことは私などは持病のデパートみたいな感じですから、もしかかったら普通の人より危険性は数倍高いでしょうから心配。
 外国の報道では発病患者と死亡者の数字は概ね1%未満で、0.8か0.9%くらいのようです。
 マア、こういうものは確率の問題ではないでしょうが、悪運の大当たりとなる確率はそのくらい。
 それが低いのか高いのかわかりませんが、実際には菌に感染していても発病していない人もいるでしょうから、もう少し低い率にはなるでしょうが、0出ない以上は安心とは言えませんね、特に私は。

 ところでインフルエンザと言えば、子供の頃・小学校の4年生くらいの時に罹った記憶があります。
 50くらい前の話ですが割合はっきり覚えています。
 と言うのも、当時小学校では綴り方大会と言うものがありまして、私も参加していたのです。
 それはまずクラスで各自が作文を書いてその中からクラス代表を選びます。
  次に各クラス代表が皆の前で作文を発表して学校代表を決めます。
 高学年のクラスが学校予選に参加しますが、仮にクラス代表に選ばれると、まず自分の作文を清書、これが概ね原稿用紙6,7枚で、次にこれを暗記して原稿を見なくても発表できるようにする。
 家で何度も予行演習をさせられますから、子供の大会なのに家族代表みたいになってしまいます。
 ともかく私のその時の作文の内容は「インフルエンザの体験記」でした。
  
 ですから、仮に免疫的な効果があるのならその時にかかっているのですが、50年前はチト古すぎますか?・・・
 その後はインフルエンザにかかった記憶もないし予防注射も打っていませんが・・・知らない間に感染して治癒しているかも。
 どちらにしても、今の病原菌にどれだけの意味があるのか?

 ところでニュースなどでスーパーやドラッグストアーでマスクがよく売れているそうで、品切れとか、入荷待ちのニュースなども見ました。
 これに対する反応も様々です。
  「流行の兆しが当地でも高くなれば、きっとマスクも職場に支給されますよ」と言う人、「私はすでに買い込みました。60個入りを3箱」などいろいろです。
 3人家族なら毎日使い捨てで2か月分のマスクを確保している・・・偉いと言うより驚きに近い。
 私?
 1月に総合病院で検診を受けた時に、そこの廊下にマスクの自動販売機がありまして、その時に何の気なしに買ったもの。
 風邪とかの予防では無く、季節がら寒さ対策と言うか喉の痛み予防程度。
  箱入りで2子はいって100円・・・これが使い残しがカバンの中に眠っています。
 持ち歩いてはいるものの、使い捨てタイプですから使えば一度で在庫切れになります。
 そう言うことで私の場合はハイリスクな体質なのに、全くの準備無しと言えます。
 自分の危険のことであっても、きちんと対策を取るのは苦手。
  「何となく生きている」人間なので、もしもの場合は運に任せるのが私らしい。

 これは的外れな感想ですが・・・
  マスクが売り切れるくらい買う人が多いし、買う量が多い。
 なんだか昔のオイルショックの時トイレットペーパーとか洗剤が売り切れた時の様なイメージもしないでもない。
 まああの時とは健康に関わることですから意味が違いますが。

 ともあれ、準備怠りない人はスゴイとは思うものの、真似できない性格です。
 キリギリスのように美しくは鳴けませんが、性格はアリでは無いことは確かです。
 

悪は許さない!

2009-05-19 18:12:49 | Weblog
 我が家へ帰って来ると・・・マンションと称する集合住宅で、しかもかなり古いものですから中層なので自力で階段を昇る形式・・・まずはじめに集合郵便ポストにぶつかります。
 朝刊なら家のドアに新聞入れに入りますが夕刊はここまで。
  従って夕方家に帰る場合は、このポストが関門みたいなものです。
 ダイヤル式ドアロックでポストの扉を開けて、その日一日の郵便物、夕刊、チラシなどを持ち帰るのが最初に帰った人の仕事。
 さて、そういうポストが入口の横に据えられているのですが、最近その箱の横腹にポスターが貼られています。
 
 図柄は歌舞伎役者風の顔の絵で、目のあたりを横に帯状に切り取ったような図柄ですから、一見すると帰宅した時にポスターに睨まれているような気分になります。
 印刷されている文字は「悪は許さない」
  要するに悪事を働けば必ず見ている人がいると言うことと、悪は許さないと言う意味でしょう。
 最近まで貼って無かったのですから、近頃このあたりも物騒になったのか、あるいは市内の町内会で共同でキャンペインを行っているのか。
 いずれにせよ、なぜか帰って来るたびに真っ先にこのポスターが目に入り、なんだか気持が波立つような気がします。

 まさか、私のために貼られているのではありませんが、なんだか「全てお見通しだぞ!」とか「そこのお前!」と言われているような気分になります。
 交通違反以外で警察の御厄介になるようなことはしたことはないし、それも最近はずっとプラチナペーパーなので、まずは私は取り締まられることはないのですが、しかし、どうもこういうポスターか言葉の調子に弱い。
 悪は許されないのは原則として当然のことですが、それでも「全て許さない」と言い切ってしまうのは怖い。
 そういう甘いことを言っていられるようなご時世では無いのでしょうね?

 ともあれ、入口を通る時にまるで江戸時代の木戸をくぐるように「ヘイ、通らせて戴きます」みたいな気分にさせられています。
 そういう意味ではあのポスターは成功だったのかも知れません。
  尤も、ここに住んでいる私がポスターを見て嫌な気分になっていても仕方がないですね、案外取り締まられるべき人にとっては何ともなかったりして・・・それだと悪い冗談話みたいです。

 ところで、私は町内レベルでの問題には鈍感なんですが、ネット碁での犯罪まがいについては大いに怒る。
 こちらは誰かが血を流すわけでもないし、金品を強奪されるのでもないけれどかなり腹が立ちます。
 どうやらネットでのチーターの方が私にとって切実・現実的問題。
  要するに自分が直接被害を受けないと目が覚めないでしょうね。

相性

2009-05-18 18:51:19 | Weblog
 勝負事に限らず人と人とが接触すれば、プラスかマイナスかはともかく摩擦イオンが生じやすいものです。
 好感情の場合もあれば苦手意識、あるいは極端に言えば天敵みたいな人もいるかも知れません。
 まあ、そういう一方的に負けるだけでなく、必ずやひと悶着起きるような関係だってあるでしょう。
  誰とでも仲良く楽しく仕事が出来て、一緒に楽しめる人ばかりなら言うことはありませんが、中には苦手な人はいる・・・私にも当然います。
 
 仕事上の付き合いとかでもそう言う人はいます。
  何故かそう言う人にちょっとしたミスを指摘される機会が多い!!
 なぜでしょうね、相手も私のあらさがしをしているわけでもないのに、そういう偏りができたりします。 
 ですからその人の存在が緊張感を高めたりするのです・・・マアそれほどピリピリしているわけでもありませんが、少々のミスにはめげない性格だし、態度にも出ないとは思いますが、心の中では結構いじけています。
 そう言うのも相性の内でしょうね。

 囲碁の方では愛称はもっと、はっきりと存在するような気がします。
  ある特定の人には少々のハンデの変更などものともしないで、勝率が偏るようなことがありませんか?
 私の場合は、対局前に相手の名前で、かなりそういう感じを抱いてしまいます。
  苦手意識と言っても、対戦成績が10-0みたいに一方的に叩かれまくって、一回も勝てないと言うことでは無くても、勝率で4分6ぐらいなら、やややりにくい相手と言う意識をするし、3分7分ならはっきり苦手の内でしょう。
 
 これは勝負の結果による感情の動きですから・・・本当はこれでは対策になりません。
 勝率が偏るにはそれなりの理由があるはず。
  私が気付かずに繰り返しているダメ手を相手が的確に咎めている?
  あるいは結果的に私のマイナス部分と相手のプラス部分がかみ合ってしまっている?
  それとも、相手の悪い手を悪い手と分からずに咎め損なっている?
 こういうことの一つ、あるいは複数が原因でしょうね。
  
 実際の勝負で、仮に一手バッタリの手を打って負けたとします。
  その場合もかなり自分に腹が立つし悔しいでしょうが、原因がはっきりしている分割合気が楽ですから落ち込むことはないでしょう。
 ところが、いつもの相手にいつものように負けた場合、しかも原因がはっきりしない場合・・・これは困りますね。
 一般的に言って、碁が強くなれば克服できるかも知れません。
  その場合一般的な勉強と言うことでしょうか・・・
 一方で仮に、ある特定の人に対する負けた原因を自分なりに追及することも、対特定の相手対策と同時に、一般的な勉強みたいな効果が期待できるでしょうか・・・
 
 自分で自分を考える以上に私はしつこい性格なのか・・・何人かの苦手を一人ずつ克服することも、全体的には一種のレベルアップに何るのかなと考えています。
 実はそうあって欲しい・・・目標が具体的ですから。
  もっとも私の苦手とする相手にも苦手がいたりして・・・
 そうなると、苦手な人を克服できた瞬間に、そのまた苦手の人が新たな苦手になったりして・・・
 成程尽きない遊びです。

幻の一手Ⅱ

2009-05-17 14:26:59 | Weblog
 先日のネット碁の観戦で、実際には盤上には現れなかったのですが、勝負を左右する一手があった話をしましたが、今日はもっと細かな手に気が付きました。
 終盤の寄せ合いで、普通に黒から寄せれば1線のハネ継ぎで先手2目。
  そこを白から打つとすれば後手で2目のところなのですが、それはどちらにしてもハネ継ぐ形になる場合の計算で、ハサム形で寄せが成立すれば後手になるが5目の寄せになりそうなところ。
 
 もし挟んだ手に白が反発して下がりなどを打つと、白の地中に別の手が成立しそう・・・
 さて間違いなくそういう手があるかないか。
  あるいは先手2目と後手5目だとすると、ヨセのタイミングはどうしたら良いか・・・などなど観戦者=野次馬なんですが結構忙しい。
 盤上では両対局者が早碁で1手30秒の進行・・・両者とも後5,6分は考慮時間を残しているので本来ならこのあたりで、それなりに時間を使いそうなところなんですが、実際の進行はあっさり先手2目の形で打たれました。

 打った黒さんが最善の手としてそこを先手2目の形で打ったのか、あるいは”いつもの形”みたいに単に習慣みたいにそこを処理したのかは分かりません。
 そこはネット碁の観戦と言う限界だし、普通の対局みたいに両対局者に局後に質問することも出来ません。
 もどかしい感じはしますが、それでも対局の進行の中で観戦者も何か考えさせてもらえると言うことで観戦を楽しませてもらっていると言うことでしょう。

 これがもし実際のリアル対局の観戦でしたら、きっと局後に質問することでしょうが、こういうとき数え終わった段階で快く答えてくれるかどうかという問題もあります。
 人によっては「感想」とか「並べ直し」などを嫌がる人もいて、そういう素人にとっては「無駄なこと」などせずに次の対局を始めたがる人もいるので、そう言う人にとっては「質問者」は厄介なうるさい存在でしかない。
 ですから、質問するには人を選んで質問するしかないが、その前に質問に答えてくれそうな人の対局を観戦する方が無難と言うことになります。
 と言うことは何局も対局があっても、碁会所・囲碁クラブでの観戦は「自分で理解可能レベル」以外に、観戦を楽しませて頂くものはある程度は限られてきそうです。
 
 後は観戦の途中で疑問に感じたことを局後に質問できるように覚えておくことが肝心なことだと考えるのです。
 局後に初めから並べ直して見せてくれるのなら、その進行に合わせてある程度は記憶を呼び起こせるのですが、そうでなければ数え終わった形のところで石を崩す前に質問するようなことになります。
 その場合は、疑問に思ったことがいくつかあっても、全部では無理なのでいくつかに絞ることになるのですが、いずれにしても聞きたいことを覚えておかなければいけません。

 こういう”覚えておく”と言うことに関して・・・
  野次馬によっては、進行中の対局なのに質問する人がいます。
 それは局後まで覚えておくことが難しいのですぐに質問するのか、あるいは目の前で起きていることをすぐに訊かなければいられない人なのか・・・
 更に数手前に実現可能だった幻の手を披露するなどマナーどころか観戦のルール違反まで。
 こういう人は故意の確信犯では無くても常習犯のことが多い。
  疑問に思ったことはその場で聞くのが良い?
 囲碁では困ったことですね。
  自分が対局していて観戦者が何か言うとしたら・・・最近はネット碁ばかりなのでそういうことが起きませんからトラブルはありませんが、マナー違反では無くて「局後の指摘」を聞くことも無くなっています。
 これは少し寂しいし、貴重な機会を失っていることにもなりそう。

ダメージ!?

2009-05-16 06:23:56 | Weblog
 過度な運動をするとその時より翌日の方がきついと感じるものですし、打撲などの怪我の場合も翌日に腫れて来ます。
 私の場合も疲労感をやや通り越した感じの痛みを感じているのですから、我乍ら困ったものです。
 久し振りにまとめて歩いたことが、過度な運動程度に影響があるなんて酷い老化状態です。
 いや、疲労感を通り越してまるで足にダメージを受けたみたい。
  こういうことがこれから1年近く続く予定?
 週に1日は関係事務所数か所を立ち入り・聞き取り調査する予定で、基本は公共交通手段を利用し、車両を利用しての駐車での迷惑はご法度。
 従って、仮に足にダメージが残るほど?歩いたりしたとしたら、必ず翌週までには回復させることが重要なことになります。
 若い頃なら毎日歩いても翌日に疲労感を持ち越すことは無かったでしょうが・・・
 ァる程度年を取ると1日2日回復するのに時間が必要で、今では、2日後でもまだ回復していません。
 その状態で、勤め先では何事も無かったように振舞うのですから、私も相当な見栄っぱいなんでしょうね・・・痛くても痛いと言えません。
 周囲の人に「年寄り」だと憐れんで欲しくないし、「これだから年寄りは厄介だ」と思われるのはもっと嫌です。
 ですから椅子から立ち上がる時とか、人前で歩く時など全力で?頑張っているのですから、涙ぐましいやら情けないやら、まさに年には勝てない。

 尤も年以上に、いい加減な生活態度とか健康管理が問題なのですが、今すぐにドロナワも無いので当面「見栄っ張り作戦」でいくしかありませんから、家に帰って家族の前でも知らんふりです。
 少しでも口にしようものなら「だから、普段からあれほど言っているのに!」が始まるのは必定。

 ネット碁の方は、ベッドに座って背もたれに寄りかかっていても指さえ動かせれば問題はないはずなんだけれど、やはりそうはいきませんね。
 物理的?にパソコンのキーボードを叩ければよいと言うものではなさそうです。
  アマですから、内容を問われれば困りますがキャリアとか一応の棋力からある程度の碁は打てないと困る。
 いや他人様がどう言うかでは無くて、自分で満足できません。
  酷い碁は避けられませんが、ほんとに酷い内容の碁を繰り返すようでは、自分に自分で情けないと感じてしまう。
  内容もそうですが、打ちたいと言う意欲。気持の充実も大事ですが、気持にはある程度の体調の裏付けが必要なわけで。
 相撲ではありませんが・・・心・技・体がいつも整うわけでは無くても、必要なことには変わりありません。
 中でも・・・技の方はザルと言うことで絶望的で心の方もかなりのヒネクレものですから、残りは体の状態に左右される部分が大きいでしょうね。
 それも体の陰(-)陽(+)的な状態で言うと状態を示す針が+方向に振りきれていれば良いと言うことでもなさそうで、ほどほどに、穏やかに+状態が一番良いように思っています。
 ともあれ今はー状態ですから+方向に改善出来ないと仕事は勿論ネット碁も打てません。
 囲碁を打てない人生など想像もつかないことですから、これは相当な非常事態とも言えます。

歩きました!!

2009-05-15 17:43:36 | Weblog
 威張って言うほどの距離ではないし、大のおとなが歩いたぐらいで威張るわけにはいきませんが私としては画期的。
  普段の移動は自転車が中心で、通勤は6キロ余りの道を往復しています。
 ですから1週間では50キロは走っている計算になりますから、「頑張りますね」とは言われるものの、さほどの苦痛ではありません。
 通勤手段として選択の余地が無いので自転車に乗っていることもありますから「頑張っている」という意識はない。
 それに現実に歩いたり走ったりとは筋肉が違うらしく、さほどの苦痛は無いのです。
 たぶんウォーキングが自分の体重を一歩一歩運ぶと言うことで、一番体力を消費するような気がします。
 ジョギングもウォーキングに似ていますが、空中にある時間は現実には体重がかかっていないので、ウォーキングよりはやや楽かなと考えます。
 自転車の場合は自分の体重はサドルに預けてありますから、自分の体重は初めに加速する時とか坂道を登る時以外はあまり感じませんので、その分楽をしているような気がします。
 ですから私の場合は自転車で筋肉的な鍛錬を期待するのいでは無くて、血液の循環に効果があれば良いなと期待する程度・・・そういう意味では「頑張っている」こととは少し意味が違うのです。
 まあ、どこに行くにも、近い距離でも車を使う習慣よりは「頑張っている」程度とは言えます。

 さて、普段は自転車には乗るもののウォーキングはやらない・・・のに、今日は歩きました。
 いや、普段歩いている人から見れば「その程度?」と嗤われそうですが、私としては必死のウォーキング。
 今日から管内の関係機関への立ち入り調査を本格的に始めた。
  分担としては週に1日ですから威張って「忙しい」「疲れる」「大変」は言えませんが、通常の業務を行いながらですからやはり負担はある。
 それに私にとっては,バス・電車・歩くのが基本ですから、体重だけでなく気も重い。
 今日は出発が朝10時で帰ったのが午後3時半。
  勿論聞き取り調査や、食事は座ってしますが移動はすべて電車と歩き。
 仕事をしながら良い運動をさせて頂いたと感謝すべきでしょうね、きっと!!。
 でも、同行の若い職員に、苦しくても平気な顔をして仕事をするフリをするのは我ながら涙ぐましい。
 歩くぐらいで音を上げていたら情けないから、それぐらいは意地でも頑張らなくてはいけないとは思うものの、「頑張ってもこの程度か」と「年はとりたくない」と内心嘆いた1日でした。
 
 今朝は胸に貼るテープを貼って・・・
 急に運動した結果、普段服用している血糖値を下げる薬が効きすぎたら低血糖状態になるから、対策として糖分補給の顆粒を携行。
 過度な運動で胸が多少でも苦しくなったら、血管を広げるミオコールスプレイを胸ポケットに。
 なんだか悲壮な感じですね・・・
 実際はこういう状況も「変なジイサマ勝手に頑張る」みたいな感じで、自分で面白がっています。

 ともあれ今日はぐっすり眠ってしまいそうですから、寝る前にネット碁で観戦を始めたら、きっと迷惑をかけそうですから観戦をしないことにします。
  
 
 

怖い話

2009-05-14 17:30:41 | Weblog
 水曜日は生活習慣病クリニックでの定期検診と歯科大での虫歯治療があるので仕事は休みでした。
 朝はのんびりとTVの朝番組を見ていたのですが、番組を見ると「のんびり」どころではなくて、とても重要で怖い話。
  その日のTVでの話題は血液検査とか尿検査で分かる・・・腎臓機能の話で機能低下によって引き起こされる重大な障害の話です。
 腎臓の中の100分の1ミリの血管の束が高血圧などの原因で壊れると機能低下が起こり、本来老廃物として出されるものが出なくなったり、逆に出てはいけないものが出て行ったりするようになるのだそうです。
 結果、心筋梗塞とか脳卒中の原因になるとか、カルシウムなどが失われると骨粗鬆症などを起こすことになるらしい。
 そして、このことは今まではお医者様でも専門以外の医師にはあまり知られていなかったり、それほどの注意を向けられていなかったらしいから怖い・・・

 私の場合、高血圧の薬は飲んでいるし、心臓付近の血管に難はあるし・・・
  腎臓のために塩分を控え目にするような食事指導を受け、薬も飲んでいますから、まさに話題の・渦中の人です。
 まあ、私が今更注意しても遅きに失していますが、現状維持の観点からは重大な注意項目ではある。
 血管を詰まらせると、場所によって心筋梗塞であったり、脳卒中だったり脳梗塞だったりするらしいし、腎機能と言うことでも人工透析の必要があったりする。
  私は心臓肥大とか心筋梗塞とか脳梗塞のキャリア組ですから、TV番組をかなり真剣に見てしまいました。
  番組の流れとしては、腎機能の低下により重大な病気が引き起こされるという観点で、毎年の健康診断の結果を見過ごしてはいけないと言う話でもある。

 血液検査と尿検査については、私は毎月行っている。
  まさに生活習慣病クリニックで毎月検査をしているのです。
 定期検診の後で医師に私のデータで腎機能について質問すると「塩分を調節するような薬は使っているが、機能を示すデータ的には正常値」と言うことでした。
 と言うことは私の場合は腎機能とは別コースだったと言うことらしい。
  しかし、高齢になると5人にひとりくらいの割合で問題が起こるか予備軍らしい・・・
 5人にひとりという高確率なら私が逃れるのは至難の業に違いない。
  問題は高齢と言うのは何才くらいからなんでしょうね?
 還暦を過ぎて、年金も半分貰える年は充分高齢とも言えるし、日本の人口構成から見ると70近くを指すのか・・・マア、体力的にも有力な予備軍であることは間違いない。