なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

今年らしい一局?

2008-12-31 18:20:22 | Weblog
 前にTVのニュースで見たのですが、毎年東大寺の管主だったか定かではありませんが、その年にふさわしい漢字の一文字を選んで大きな紙に書く行事があります。
 今年の文字に選ばれたのは確か「偽」だったようです。
 成程、牛肉とかウナギとか・・・マア私は高級ブランドとはバッグも食品も縁がないので直接的な被害には合いませんでしたし、ウナギはそれほど好きではないのでブランドものは勿論、目玉売り出し品とも縁がない。
  人をだまして利益を上げると言う行為は勿論許せませんが、高級志向と言うかブランドものをありがたがる意識は見直さないといけないと思っています。
 食べ物などで「国産物ですから当然おいしいですよ」みたいな言葉はよく耳にしますが、個人的にはその「当然」というところに自信が無い。
 私の味覚能力が劣っているのかも知れませんが・・・
  それと、おいしさに差があるとして値段で2倍3倍の差と言うのは味で計ると正比例しているのか・・・Y=XではなくてY=X・XとかX・X・Xくらい違うような気がしています。
 但し農薬とかの安全性も含まれている価格だとすると考え直さなくてはいけませんが。

 ともかく「偽」に驚かされ、ナントカプライムとかでとんでもない年末になってます。
 しかも「偽」の発端になった建築物の安全性の問題は改善の手立てに手をつけたばかりで、効果はともかく関係者の負担は大きくなっているようです。
 そういう事で今年一年を振り返って、良い年でしたとは言い難い。
  干支で子年、私は年男でしたが・・・
 60年前は戦後のベビーブームで、何事にも競争を強いられ・・・その割にはたしたご褒美も無く、定年を迎える頃には未曾有うの不景気に見舞われ・・・マア愚痴を言ったらキリがないですね。
 そういう年周りだったと受け止めるしかない(他にどうしようもないわけです)
  私たちの世代では国内で戦争が無かったのが救いだったでしょうか。

 まあ、話したほど深刻にもなってません・・・昨日まで無事に暮らした来たのだから明日からも何とかなるだろうみたいな感じですから、大晦日も一局。
 ネットで自分の過去の成績を見ようと思って「棋譜倉庫」を覗きますと、一番古いもので今年の4月辺りの物から閲覧できます。
 ここには200局程度収納されていて、直近の物から20局と言うことになりますので、8か月余りで200局と言うことになるから、推定で1年では300局足らずになりそうですね。
 すると1日1局よりはやや少ないけれど、まあそういう数字です。
  現在の点数も200局前の時とホボ同じ。
 まあこの年で頑張っているとも言えるけれど、たぶん女房殿みたいな囲碁の門外漢からみたら膨大な無駄をしているように見えるかも知れません。
 但し、膨大な労力・時間・お金を他のことに使ったとしたら、何か世のため人のためになるような立派なことができたかと言うと、それは「あり得ない」と容易に想像できます。
 例えば私はお酒など飲み歩くような遊びはしませんし、ある時から競馬場などに足を踏み入れることはなくなったのですが、だからと言ってお金が貯まったと言うことはない。
 以前は1日60本吸っていた煙草をやめて健康についてはともかく、毎日250円×3で月に2万円以上煙にしていたのが、その分積み立てていれば10年で2,300万円になるはずなんだけれど・・・
 
 ともかく、何かのために碁を打つのではなく、楽しいから打つわけです。
  そして今年の大晦日の一局。
 たまたま同じ県の人で同じくらいの点数の人と対局。
  今年の最後にらしいと言うか、いつも通りと言うか大乱戦。
 例によって私は隅で地を稼いで相手の地は辺のあたりで多少は認めるけれど、中央には大きな地はできませんと言う態度。
 「自分のものは自分のもの、人のものでも少しはいただきます」みたいな気持ち
 ですから、相手は「この強欲者め」と言う事で紛争必死。
  更に形勢は良いはずなんですが、最後の半コウの決着で・・・私はコウを譲っても勝敗に支障はないとは思ったのですが、コウ材も有利なのでコウを譲る気に慣れない。
 こういう時は、対局心理として「当然」とも思えるし、「10目勝も9目勝も同じだから意地をはらなくても良いのに・・・」とも思うのですが、その時によって態度が変わるようです。
 今日は「断固闘争」的心境?
  相手はあきれたのか「投了」
 局後投了後の局面から寄せを打ってみると、大差ではあったようです。
  ですから相手が半目争いの無駄を考えたか、仮にもし私がコウ立ての受け方を間違えて結果が変わってしまったら不本意なので終局としたか・・・
 ともあれ、大乱戦で終わった・・・
  いや終わったかどうか、除夜の鐘が鳴るまでにまだ6時間近くあるから、これはまだラス前かも知れません。

なるほどデロンギ

2008-12-30 17:31:12 | Weblog
 毎年年末が近づくと、あることが思い出される。
 それは三十何年か前の大みそかでしたが・・・NHK高齢の紅白歌合戦でも、ゆく年くる年でもありません。
 ドラマで言えば、女房殿の実家に(結婚する前に)「お嬢さんと結婚したい」と先方の両親に許可を貰いに行ったシーン。
 そうは言ってもドラマではないのですから、そんな形式ばったと言うか芝居がかったことはできません。
 形の上では許可を貰うのですが、気持ちとしては結婚は既定の事実ぐらいに思っていたので、「許可」の部分は省略、ストレートに「結婚式は父親の出が神社なので、その神社での神前結婚の形を取りますが、派手な披露宴はできません。それでいいでしょうか?」から始めた。
 今はない義父も驚いたでしょうね?。
  いきなり事務的な相談というか宣言みたいなものでしたから。
 
 お芝居の脚本なら、花嫁の父の「仕方がないな」とかなんとか言う台詞を奪ってしまっていきなり始めた感じです。
 今でもこの時期になると冷や汗が出ます。
 (尤も、日を改めて両親の代理の者が挨拶に行ったらしいというが・・・)
  冷や汗ついでに言うと・・・その家は家族全員甘党なので・・・大晦日から一夜明けて元旦の食事に、まずお汁粉から始まった。
 家にはそれぞれ習慣があるのだから、外から来た人間としては受け入れて従うしか無いのだが・・・私はまだ若かった。
 (後の)女房殿をそっと呼んで「なんだあれは、まともなものを食わしてくれ」みたいな・・・。
 話はたちまち先方の両親に伝わり、あわてて車で、比較的近くではあったが有名なお弁当の店に走ってくれた。
 
 ところで、冷や汗ではないけれど、この時初めて北関東の寒さを味わいました。
 東北、北陸や北海道に比べたら「寒さ」と言ったら笑われそうですが、暖かいところで生まれ育ったの身としては初めて経験する寒さでした。
 この地方の習慣なのかこの家だけなのか・・・寝る時に掛け布団をかぶって眠るみたいです。
 地方によっては部屋の中心に櫓炬燵があって四方から炬燵に足先が入るように布団を敷いて寝るところもあると聞いたことがあるので、こういうものも土地の習慣なのでしょう。
 でも、私は布団をかぶる習慣はないから、そんなことをすると息が苦しくて眠れない・・・さりとて顔を出していると深夜は経験したことが無い寒さを顔に感じることになった。
 
 尤も習慣としては今でも、、、寒がりな癖に眠る時は石油ストーブとかガスストーブ、あるいはエアコンで部屋を暖めておいて眠ると言うのは好きではない厄介な性格?です。
 布団の中は暖かく、それでいて部屋の空気はやや爽やかさを感じる涼しい程度が良いみたいな・・・
 実際の生活では、ネットで観戦しながらとか本を読みながら寝てしまいます。
 若い頃はそれでも良かったのですが、寄る年波で体内の熱量が違うようで、年齢相応のケア?が必要になって来ている。
 そこで女房殿が友人に勧められたらしいのですが、デロンギを注文して送って貰いました。
 マア、小型のオイルヒーターです。
  部屋を乾燥させずに温めるということでしょうか・・・でも用意はしてあったのですが一度も使わずに部屋の隅にカバーをかけたままにして置きましたが、この年末の寒さ!。
 とうとう我慢できずに使い始めました。
  小さなボタンみたいなスイッチがいっぱいついていて・・・5分単位でオン・オフが設定できるのですね。
 そして、スイッチが入って暫くして何となく部屋が暖かくなるが良いですね・・・そして1時間したら自動的にオフになってまたしばらくしたら自動でオンになる設定ができるところが気に入りました。
 今年の冬は・・・いや年をとったのでデロンギは癖になりそうです。

皆、打っている?

2008-12-29 16:14:34 | Weblog
 「今日も大掃除の残りがありますからね」・・・これは息子に大声で話している女房殿の声。
 実はこれは息子に宣言している風で、亭主に聞かせているのが半分。
  息子はと言うと、聞こえているはずなんだけれどまずは寝ている振りですから、親父そっくりの作戦をとっている。
 「家の男どもはもう、そろって起きてこないのだから」と言う声が聞こえる。
 しかし、こんな狭い住居でそんなに掃除する所があるのだろうか疑問ではあるが、それは今は聞くわけにはいきません。
 まるで返事によっては起きるみたいな感じです。
  
 そういえばここに引っ越してきた1年目の暮、娘が小学校1年生の時に、私は大掃除を逃げ出したのですが、娘はオヤジの行く所について行く。
 普段の土日なら大型スーパーのアイスクリームショップでお気に入りのアイスをねだれるし、中山競馬場について行けばいろんな出店で好きなものを買ってもらってパドックで馬を見ながらご機嫌ではしゃいでいることができたし・・・
 だから、オヤジについて行けばきっと良いことが起こるに違いないと思っていただろう。
 その時は近所のパチンコ屋のスロットマシーンに並んで座って・・・
  親父のコインを勝手に使って遊ぶのだからたまりません。
 これは、家に帰って大掃除をするしかないと反省したわけですが、もしかしたら女房殿が目付役に娘について来させたのかも・・・

 いずれにせよ息子の方はオヤジと似たような、と言うよりオヤジより悪い?
  居るのに、起きてこない。
   逃げ出す努力?もしない。
 これは亭主と息子の立場の相違かも知れませんね。
 まあ、残りは台所の換気扇周りと、窓ガラス拭き。
  それはそうです、そんなに掃除する場所が多いはずがない・・・
 そして、「窓ガラス掃除で、外した網戸が元に戻らない」と言う名目で、窓の網戸を元に戻す役目。
 ドライバーセットを持って、網戸1枚のリセットにて本年の大掃除は目出度く終了。

 さてネット囲碁に接続すると大勢の人が朝から打っている。
  年末休みだろうから当然ですが、皆お掃除などの仕事は済んでいるのでしょうね?・・・他人事ながら聞いてみたくなります。
 昔なら、年末休みの午前中は近所に逃げ出すとか、適当に仕事をしている風でお茶を濁して、午後からは碁会所に逃げ出したものです。
 それが、今ではリアルよりもパソコンで打つようになってしまっているので、家で打てる便利さの反面、逃げ出す避難場所が無くなってしまっている。
 オヤジの立場で自分の部屋に引きこもって「ネット碁オタク」と言うわけにもいかないし。
 
 話は変わりますが、今朝は田舎から一番上の姉が送ってくれたポンカンがつきました。
 今年も私の上の4人の兄・姉からと女房殿の実家から、いつもの宅急便が届き、いつもの年の暮になりそうです。
 世の中景気やら変化が激しそうですが、何とか年を越せそうです。
  囲碁の成績が悪いのは大問題ではありますが

シルバー!

2008-12-28 17:30:33 | Weblog
 電車でもバスでもシルバーシートって言うのはありますが、あれは年齢に達した人が使用する権利があって、自分には縁がないものだと思っていました。
 「シルバー」と言う制度は良いとして、語感は自分に関しては子供時代に見たTVの子供向け?西部劇の主人公の愛馬の名前「シルバー」みたいな・・・
 ある年齢に達すると、市の動物園とか市の運営する公共施設の入場料がタダになるとか聞いていますし、公共機関が運営するバスなども無料とか半額もあるとか聞いていましたが、正直言ってそれも他人事でした。
 貰えるものは貰わなければ損みたいな気はします。
  ですから他人事としては「ただになるなんてイイナァ」というところ。

 年末の休みになって、面白いTVが少ないし・・・年末は総集編が多くて、1年を無理やり振り返らされる・・・若いころみたいに集中した読書はやや疲れる。
 ですから、レンタルビデオ屋さんにDVDを借りに行くことにしました。
 これならTVでなくてもパソコンでも見られるし、パソコン用のヘッドホンもあるし。
 そこで近所のレンタルビデオ屋さんに行って会員証を作ってもらいました。
  昔、息子がアルバイトしていたことがある店なので、要領を聞いておきましたが運転免許証があれば簡単にできますね。
 息子から新作・旧作の違い、チェーン店でも店による価格の違い、それにサービス券とか時期によっては割引セールとかいろいろ聞きました。
 まあDVD1枚を1週間程度借りたら三百数十円のレンタル料と言うことですね。
 カードができた時に店員さんから説明があって・・・いろんな説明があったのですが・・・これは最近の商売上の義務でしょう、事前の重要事項の説明と利用者の承諾・契約と言うことですね。
 説明の最後に「お客様はシルバー会員様で登録させていただきました」という一言がありました。
 一瞬何のことかわかりませんでした。
  バスでも電車でもシルバーシートに座ったことが無いし。
 カードを作る時に免許証を見て60を過ぎていたので自動的に「シルバー会員」となったようです。
 そして恩典はDVDなどのレンタル料が常に半額!
  年寄りはよくTVを見るから利用しやすくなっているのか?・・・確かに半額は有難いし、予想をしていなかった得をした気分です。
 反面自分がシルバーである事実を確認させられた感じもする。
  確かに分類すれば私は年寄りの方の入るが・・・
 自分でそう思っていても、若いアルバイトのお姉さんに「シルバー」と呼ばれるとなんだか複雑な気持ちがしました。

自戦検討Ⅱ

2008-12-27 16:32:47 | Weblog
 「ちょっと不思議な終わり方」の一局は、結局はアマの碁ですから運が一方に傾いた結果で。
 ただ8目半はチト差が大きすぎるので気になるところです。
 相手の人も似たような事を感じたかも知れない。
  だからすぐには結果を受け入れにくかったのでしょう。
 それは立場が逆なら私もそうです。
  結果が出て、両者がパソコン上でサインアップするのが手順で、結果を認めて初めて終局となるわけで、両者の承認がなければ終局にはなりません。
 (事務局の裁定による結果待ちと言うのもありますが)
 一度結果を受け入れたのならこれは確定ですから結果が覆ることはない。
  ですから少しでも疑問があれば、サインはできませんもの・・・

 さて、その一局は確かに途中までは黒の方が打ちやすかった・・・それは間違いがない・・・白の私が自分で打った手を悔みながらもがいていたのですから。
 ところがどこかで流れが変わったはず
  流れが変わったから結果が入れ変わった。
 ではどこで、と言う事で自戦棋譜倉庫から棋譜を出して再び検討しました。
 マア、自分の碁を自分でなぞり、問題がありそうなところは、いろんな変化を実際に打ってみる。
 行ったり戻ったりでの検討です。
  演繹的と言うのでしょうか、試行錯誤的でないと理解できないのですからザルの検討は手間暇はかかりますがこれしか無いでしょう。

 全298手完、問題の場面は・・・たぶんそれで一局の流れが変わったシーン、あるいは一つの流れが確定したシーンだと思うのですが・・・私が発見したのは黒153手目。
 その手は一見悪手ではなさそうに見えるのですが
  そこでは黒からは白の星にカカル手と辺の星下辺りに打つ手があるように見える・・・つまり2者択一みたいな場面で黒氏はカカリを選んだ。
 実戦では白は黒からのカカリに手抜きして辺の方を打った。
  これは一見それぞれが要点を打ったように見えますが、実は盲点?みたいなところがあったように思う。
 見合いのように見えるところですから、どちらかは打てる場所だからその時に打たなくても良かったのかもしれない。
  見合いに見える手を打ってしまったために、大の手を消してしまった・・・あるいはその手の価値を失ってしまったのかも。
 私が気がついたのは、仮にその手で黒が3三に打っていれば、白が地で黒に追い付けなかったように思うのです。
 対局していて黒氏は時間を使っていたので、残り僅かな時間では考えられなかったのか、あるいはいきなり3三という発想が無かったのか?
 やはり運が作用する世界です。
  但し、局後に運がどの程度作用したか確認しておかないといけないですね。

「緊急避難」の話

2008-12-27 09:23:50 | Weblog
 今年の年末年始はカレンダー通りに休みがとれるので9連休となりますから嬉しいのですが、反面年内の休み・5日は”戦い”の日々となるかも知れません。
 それは連休初日の朝に、恐れていた通り・やはりやって来ました。
  夕べから嫌な予感がしていたのです・・・勤めから帰ってくると・・・女房殿は私よりも1日早く休みに入っていて、家にいたので。
 「今日は部屋の床にワックスをかけておきましたからピカピカですよ」と自慢らしく言う。
 内心『頼んだ覚えはないから威張るなよ』と気分だし『床掃除はともかく他の物を勝手に片付けていないでしょうね』と問いたくなるのですが、これは決して口にしてはいけないのです。
 それで戦端が開かれても私には勝ち目はないのですし、勝ち目のない戦は避けなくてはいけない。
 そして今朝、部屋のドアが開いて
 「起きていますか?」
 本当は寝ているふりをしたかったけれど、ネットで囲碁観戦中だったのでとぼけられないので、ネットの碁盤に集注しているふり。
 敵さんはそういうグウタラ亭主の態度には慣れっこで
 「年末ですから本棚の整理をしてくださいね」
 『自分の部屋の本棚の整理など家族のだれの迷惑になるわけではない』からこれは内政干渉。
 しかし外交テクニックとしては「やる」とも「やらない」とも言ってはいけないのです。
 やるようなやらないような・・・年末の時間切れ待ち。
  ともかく今日は大掃除らしい・・・それは1年のうち1番災難が降りかかる日です。
 土曜日だから図書館に脱出するとして、その後、午後はどうするか?
  ひさしぶりにコミュニティの囲碁クラブに顔を出そうか、それともK畑師範のいる囲碁クラブに行こうか、いずれにせよ動機が不純だから行った先で歓迎されても、内心恥ずかしい気持にはなるでしょうね。

 部屋の外では威勢良く掃除機の音がしている。
  まるでこれ見よがしと言うか、『これでもまだ死んだ振りを続けるつもり?』と言わんばかり。
 毎年のことなのに女房殿もこりない人です・・・もう何十年も繰り返されているのに。
 さて、逃げ出すタイミングとしてはまだ少し早い・・・
 
 
 
 
 

ちょっと不思議な終わり方?

2008-12-26 17:51:58 | Weblog
 天皇誕生日には女子大の選抜駅伝を見ながらネットで対局。
  見ながらと言うのは言葉のあやで、2区以降はほとんどラジオと同じで音声重点の観戦ですから、映像の記憶は怪しい。
 それでも打ちながら見ている気分になっているから不思議です。
  それなのにレース後考ると断片的にしか思い出せない!
 つまり、見ていたつもりなのに何も見ていないのと同じ。
 顔は時々TVの方を見ていたり、音声は耳に届いていたはずなのに、心はそこに無かったのですね。

 さてその対局の相手は初顔合わせの人です。
  彼は5,600局打っているのに初顔合わせですから、いつもの活動の時間帯が違ったのかも知れません。
 勝率はほぼ50%ですから、顔があっていても不思議ではないのだけれど、こういうこともある。
 そして向こう先コミ1目半出し。
 出だし、私の打ち方は酷かった・・・マアいつものペースですが。
 黒3連星にたいして白2連星。
 私(白)隅の地を稼ぎに稼いでいくのだけれど、外の勢力が厚いし、もしかしたらすべて地になったらとてもかなわない。
 従って「稼ぐだけ稼ぐ」しかし「相手には勢力は与える」のだけれど「地にはしにくい」・・・というストーリーになりにくい感じがするから、おそらくこれは失敗のようです。
 多分相手もそう感じていたに違いない
  ネットだから表情は分からないのだけれど、なんとなく自信を感じる。
 相手に「自信」を感じるのだから、当方としたらその裏返しだから大変です。
 ともかく、地を稼いだことは事実だから、これは固定資産。
  ですから相手の資産を膨らませないようにするのは基本的戦術ですが、それだけでは足りそうもないから、黒さんの資産を目減りさせるとか、相手の資産を横領することが必要。
 このあたりヤヤ微妙な感覚があるかも知れません。
 例えば一方が10目くらい優位だと見ているとしたら、仮に相手が10目を予定していた場所で相手の地を5目に削減できたら差は5目縮まる。
 更にもし白に地が2,3目ついたなら、はじめにあった10目の差は2目程度になってしまうことになります・・・
 この対局ではそういうことが起きたと思えます。
  黒氏はかなり優位な形勢と思っていたはず。
 そして、多少予定地が減った程度だと思っていたのが、僅かでああるが白に地がついていた・・・
 終番黒氏は時間を使い果たし、一手毎に秒読み状態・・・それも私に有利に働いたに違いない。
 数えて白8目半勝ち。
  逆転と言うには大きな差がついてしまいました。
 黒氏まさかの敗戦に納得がいかないらしくて、終局せずに対局再開。
  そうは言ってももう打つところが無いわけで、ダメを打つしかない。
 結局は黒氏も納得。
  不思議であっても事実は変えられないことに愕然としたかも知れません。
 もしかしたら私がマジックを使った?
  まさか。
 

闇の色

2008-12-25 18:16:53 | Weblog
 自分で自分を見る・・・第三者的に冷静に自分を見ると言えば聞こえが良いのですが、かなり皮肉っぽく見るのですから”客観的”とは違うようです。
 私には少しそういう傾向があるようですから、嬉しい時にに喜び、悲しい時には悲しむその後ろ姿を見てしまうので、素直さに欠けると自分では思っています。
 つまり、素直でない自分を見ているのです。
  試験に合格したり何かに成功したりしても、一見当然のことが起きたと言う顔をするわけですが、実は心の中では誰かに褒めてもらいたいと思っているし、周りの人に話題にしたいと思っているわけで、そういう自分を意識します。
 そういういやらしい魂胆を悟られないように一見澄まし顔・・・実はミエミエなのに・・・
 逆は、失敗した時なども悔しさをコーティングして、一見「そういうこともあるさ」みたいな顔。
 自分の失敗の反動で相手を褒め称えたりもしませんが・・・
  ともかくこのあたりは「武士は食わねど高楊枝」みたいなもの。

 トータル?すると、淡々と生きているように見えて・・・
  実は心の中は騒がしいものがある。
 囲碁に関しても概ね似たようなこととなりますが、マアこちらの方は相手への闘志を燃やすと言うより、自分の中に意識が潜っていくようなところが主です。
 そうですね、長くザルをやっていると流石にダメな点は本人の責任でしかないと言うことが身に沁みてはいますが・・・。
 例えば連敗が続く時とか、短期的にせよ負け数が勝った数の3倍もあるような時は独特の気分もあります。
 ネット碁ですから家で打っているのですが、もちろん家族に話したり八つ当たりなどはありえないし、遊びの世界と実生活とは別の世界での出来事みたいな顔をしていますが、実は・・・TVを見ている時も他のことをしている時にも、ふとした場面で負け碁を思い出したりするものです。
 ただし、負け碁を糧に成長するようなものであれば、それはそれでたいしたものですが、単に執念深いだけかもしれない。
 まさか仕返しを考えるような執念深さではありませんが、それでも負けた碁は決して忘れないみたいなところがあり、且つ人前では・・・マア「猫」みたいに。
 
 こういう時の気分は、自分の心の中を覗いて闇の色を見ている気分ですね。
  連敗が始まった頃は、夕方から宵の口の色です。
 これは同じ黒い色でも薄墨と言うかどこかに明るさが残っていますが、これが進むともう少しダークになってきます。
 例えれば、そうですね子供の頃の田圃道です。
  今はその辺りは町並みができていますが、昔は町はずれで裸電球にブリキの丸い笠がついた街灯が電信柱についている程度の明るさ。
 まあそれでも明かりがあるだけ良い・・・遠くに人家の窓の明かりも見えるわけですし。
 真の闇と言うのもありますね。
  昔、山に登った時に経験しました。
 雲の厚い日に一人で(周りには誰もいない所)テントを張っている時。
  見上げても、周りを見回してもまさに闇しかない。
 もしも、明るところが上で暗い闇が底みたいに感じるとすれば、どっちを見ても真の闇の中ですから底の底気分。
 ですから、不成績が続くとこの闇を見詰める気分に浸ることになります・・・が、趣味の世界と実生活。
 一方で闇の色を見ながら、普通に生活をすることになる・・・これも二重性格的なことでしょうか?。

 只今真の闇一歩手前。

カウントダウン

2008-12-24 16:37:36 | Weblog
 日曜日にTVでクラブワールドカップの2試合を見ていて・・・
  いやこの日は、いつもの通り暇人だったのだが、見方を変えると忙しかったのです。
 女房殿が近所の大掃除に行っている間に古いパソコンの調子を見ながら住所データをかくにんしつつ同時に新しい方で年賀状のデザインを考えながらプリンターのセット。
 且つ、午前中は高校駅伝の女子の部、午後は男子の部、、、この間にネットで碁を打って、、、さらにクラブワールドカップのTV観戦。
 終わったのが午後9時を過ぎているから、結局12時間近く電子画面を見ていたことになる。
 見終わってから「さぞ目も疲れただろうな」とは思ったけれど、それはさんざん飲んだり食ったりしてからダイエットを気にするようなものですね。
 本当に心配なら先に心配しろです。
 でも目の方はドライアイには注意しないといけない。
  瞼と眼球の表面が張りつくような痛みが来てからでは遅い!・・・ともかく何となくクッツク感じがしたら事前に目薬。

 ところで、ネットでは最近の成績は3連敗ののち1勝するものの再び3連敗。
  そして1勝。
  ここらあたりで浮上のきっかけを掴まないと、連敗地獄に落ちそうですり鉢みたいなアリ地獄の淵でもがいています。
 しかし、ふと気がついたのですが負ける時ほど次をすぐ打ちたくなります・・・と言うことは、対局疲れなどより対局したいという気力の方が上回わっていると言うことだろう。
 あるいは1局勝つための体力気力というものは負ける時に比べると何倍も消耗しているのかも知れません。
  例えばタイゼムでは局後「もう一局」と申し入れるボタンがありましたが、勝った方よりも負けた方からの申し入れが多かったような気がします。
 気持ちとしては「もう一局打って勝つチャンスを下さい」的な気分が強いだろうし、対局疲れなど言っていられないのでしょう。
 マア、ザルですから一局打って性も根も尽きるなどと言うのは縁がないのですが、、、それでも勝った時と負けたときを比べると、私は勝った時の方が疲れるような気がします。
 確かに接戦で、半目足りない時など神経をかなり使っただけに疲労感はありますが、多分「負けてガッカリ」みたいな気分的なもののような気がします。
 それより勝ち碁の方が気を使うことが多いような気がします。
  形勢が良いだけに変なミスで躓きたくないし
   さりとて、震えて情けない碁も打ちたくない。
  相撲で言えば押して行って、土俵際で捨て身のうっちゃりを食わない様に腰を落として寄り切るのが理想ですが、それは案外盤上の目配り気配りが必要なようで、力が必要な気がします。
 
 日曜日の、連敗街道脱出の機会にしたい貴重な1局は向こう先でコミは黒6目半貰い。
 こういう手合い条件は気を使います。
  私は対局中にコミのことを忘れてしまうことがあるので、常に逆コミを意識しなくていけません。
 形勢の方は幸運に恵まれたので黒さんの方が消費時間が45分を使い切って最後は1手毎の秒読み。
 相手が考えてくれたおかげで、私の方はその時間に考えたので20分残り。
  消費時間だけを見ると相手の方が多いのでよく考えて疲れるように見えますが、ドッコイ私の方も結構疲れるものです。
 形勢が良いと意識する時ほど大変なんです。

 ところで日曜日は22日だから大みそかまで10日近くあるように感じていたのですが、ふとカレンダーを見るともう1週間。
 27日が土曜日なので金曜日が御用納め。
  だからいつもなら28日が御用納めになるところが今年は26日が御用納めになる。
  すると年内の仕事はあと僅かです。
 これは年内の仕事にけりをつけるのにカウントダウンが始まっていると言うことです。
  まあ年度末の3月末に比べれが気が楽ではありますが。

突然ナツメロ?

2008-12-23 14:01:37 | Weblog
 月曜日の風はひどかったですね。
  日曜日の午後くらいから強くなってきて、月曜日の未明には吹きまくっている感じでした。
 なぜ未明のことを知っているかと言えば、やはり老人特有の目ざとさです・・・
  マアあれくらい吹きまくれば目が覚める人も多いでしょうね。
  とはいえ、少々の地震でも目が覚めない人は別ですが
 私の場合は、少し早めに眠ってしまえば必ず未明には一度は目が覚めるのですから、まあ仕方がないです。
 それでも女房殿も目が覚めて、それ以後寝付けなかったと言うことですから、それくらい大変な風だったわけです。

 さて、私は夜中に目が覚めて何をしたか?
  ネットにつないで囲碁を覗いたのは当然ですが、あいにく打っているのは1局のみ。
 対局待ちリストには二人いたのですが、目が覚めて「さあ打ちましょう」となどと打てるような相手はいません。
 半ボケ頭では勝負はおぼつきませんし、碁にさせてもらえないでしょう。
  ですからこういう時は、最低でも1局は観戦してからで、観戦がウォーミングアップ代わりと言う事です。
 さて、待ちリストを良く見ると二人の点数差は13点以内だし、両者とも「上の人でも下の人でも打つ」条件・・・なのに対局になっていない。
  そうすると考えられることは、どちらかが相手を対局拒否リストに載せているか、あるいはお互いに拒否しているか・・・やや悲しいけれど考えられます。
 こういう時はなんとなく対局オファーは出しにくいですね。

 それに二人のうちの一人は実は私も対局をお断りするリストに載せている。
  尤も、相手が相当な悪事を働いたとかということではありません。
 むしろその方は、下の人と誰とでも打ってくれる人ではあるから、面倒見の良い人である可能性は大きい。
  でも、私の色眼鏡では、彼は置き碁の下手としか打っていないように見えます。
 どうでもよい事かも知れませんが、でも「下手専門家」のように見えて、なんだか気が進みません。
 それと私が1局だけ打って頂いた時の印象が悪い(私には悪い)。
  私の2子局で、中盤から終盤にかけて、ずっと黒の方が形勢が良いはずなのに打ち続け、最後は彼が残っていた持ち時間25分を使い果たし、さらに30秒の秒読みでも打たずに「時間切れ負け」としたことがある。
 あるいは、25分間ずっと考え続けていたのかもしれない・・・しかし。
  でも私は嫌がらせ的結末だったように感じている。
 このことを事務局に訴えてから、しばらくして5分間ルールと言うものができた・・・持ち時間内でも5分以内には1手打たなくてはいけない・・・本来の持ち時間の意味からは少しおかしいかも知れませんが。
 ともあれ表を吹き荒れる風の音が気になって・・・

 発想のキーワードは「風」
  この時はシューベルト(フォークの)ではなくて西島三重子・・・若い人は知らないかも知れませんが。
 なぜか「池上線」「千登勢橋」を思い出しました。
  どちらも風が出てきます。
 「古い電車のドアのそば・・・隙間風に震えて・・・」
 「白いハンカチがひらひら風に乗って飛んで行ったのは・・・」
   コンサートにも行ったことが無いし、映像でも見たことはありませんでしたが、若い頃に女房殿が買って来たカセットテープを繰り返し聞いたものです。
  風とは関係ないけれど、西島三重子と来れば、(私には)次は山崎ハコ。
 イメージとして、あの暗くて怨念みたいなものが混じっているようなムードが・・・好きです。
  私みたいなノホホン人間には中和させるには丁度好い刺激剤かも知れません。
 グーグルで検索したらどちらも映像つきで歌が聴けるのですね。
  知らなかった!!
   私にとってパソコンは今まで、ネット碁とブログとスポーツのためでしかなかったのです。
 

グウタラ

2008-12-23 06:01:11 | Weblog
 昨日の夕方「グウタラ」の下書きを現在時間にセットし直し「完成ボタン」を押したつもりになっていました・・・ところが、今朝見ると何と言うことか「下書き」のままでした。
 まさに、ジイサマはボケていました!
 出来ることならこれが本年最後の失敗であることを願いつつ、いつもとは12時間ずれていますがブログに載せます。
 だから今日はまた12時間後にもうひとつの予定で、昨日0で今日2で辻褄合わせです・・・全く「グウタラなボケジイサマ」です。

 さて、ここから本文。
 日曜日の話、先週の日曜日が雨だったために近所の大掃除が順延されて、やり直しの大掃除デー。
 とはいっても私は参加しません。
  「掃除」と言うものは私の苦手種目ですから、過去この大掃除で(夏・暮で年に2回)出席率は二十分の三。
 そのうち2回は運悪くその年の町内役員だったので逃げられず、1回は女房殿欠席のために代理出席を厳命されてしかたなく・・・。
 今回はめでたく家でグウタラ。
  但し、「せっかくの天気」ということで布団類を干すためにベッドから追い出されました。
 更に、居間の炬燵でパソコンで来年の年賀状作りを命じられ・・・。
  住所録は古いほうのパソコンに入っているので、久しぶりに立ち上げてみてデータを確認。
 デザインは新しい方のパソコンで作成。
  テーブルにパソコンを2台並べてそれぞれにプリンターを繋いで・・・これだけ見れば忙しそうなムードですが、本当は大掃除逃れのポーズ。
 TVを見ながら炬燵に入るのが目的で年賀状作りはついでのお仕事。

 ところでTVニュースでどこかの温泉で2009個の柑橘がお湯に投入されていた。
 さぞ香り良かったでしょうね。
  ところが2009個の夏ミカンか八朔かオレンジかわからないけれど、中にバンペイユが入っている!。
 私はあの品のいいと言うか、あっさりした味が好きなので「おいおい、もったいない」と叫んでしまいました。
 冬至の行事ならせいぜい食用にしないダイダイくらいにして置いて、カボチャを食べるくらいにしておけば良いのに・・・

 そう、冬至を過ぎましたね。
  最近日の暮れるのが遅くなっていましたから。
 日が昇るのも日が暮れるのも後ろにずれて行って、日中時間が短くなるのですね。
 ともかく帰る時に少しでも明るさが残っていると元気よく帰れます。
  元気よく帰って、やることと言えばネットで碁を打つか観戦するかだけなんだけれど。
 

説明について

2008-12-21 15:23:57 | Weblog
 先日ネットで自分よりちょっと点数が下の人の対局を観戦していて、ふと思い出したことがあります。
 こういう観戦の時いろんな事を感じて、考えながら見ているのは当然ですが・・・
 例えば自分ならこの場面でどう打つのか、いやそれ以前にどういう考え方で手を考えるのかなどですね。
 そしてもし対局者に訊かれたとして、自分の意見を話して同意してくれるだろうか?、あるいは「そんな手は考えられない」と反対されるか?、または「ありえない」と無視されないか?などなど自分でストーリーとかシナリオを描きながら観戦します・・・(退屈しなはずでしょう?)。
 ネットですから直接話をするわけでないし、文章でメイルの交換をしませんから現実的ではありませんが、その分空想をたくましくするのです。

 それではリアルで観戦する時にはそういうことが現実になるかと言うと、半分は現実になりますが、半分はなりません。
 それがどういうことかと言うと、まれに対局者から意見を求められた時に、恥ずかしながら局面の説明とか、その場面での着手の評価などをはっきりとは言わないのです・・・いや、言えないのです。
 つまり最大で、自分ならどうするかという意見なら言えますが、それは「解説」ではありません。
  なぜそうかと言うと、かなり強烈な思い出があるのです。

 (10年以上前の話)ある大会・日本棋院支部対抗戦県予選、これは3人でチームを作って戦う団体戦で、有力チームには全国的に名前の通った若手などの強豪がそろっています。
  そういうところで指定席2つを争うのはかなり厳しくて、現実的に争っているのは4,5チームくらいでしょうか。
 私はオリンピック精神のその他チーム。
  当時私が通っていた碁会所からは2チームが参加していました。
  年に一度か二度こういう大会に参加することで碁会所の風通しが良くなると言う目的、碁会所の常連だけの閉鎖的なムードを破るためですし、他の碁会所の常連さんたちとも交流ができたりして、日頃でもちょっと寄ってくれるようなこともあるのです。
 それに碁会所の他の会員にしても、自分たちのところの高段者の大会での成績も気になります・・・相対的に自分たちのレベルも推し量れるようなところもあります。
 まあ、そうは言っても団体戦で2勝1敗以上なら勝ち点1ですが、変則リーグ4回戦で代表になるからには最低でも勝ち点3以上が必要ですから、これは私らのチームには無理な話。
 まあ2勝上げられれば上出来ですし、個人的に4戦で何勝できるかのチャレンジでもあります。

 さてそういう大会で我が碁会所のAチーム(私はBチームの三将)の主将のNさんの相手は学生碁界で有名だった人が率いるチーム、もちろん相手はその強豪本人。
 彼はインストラクター的な仕事をしていたらしく、そのチームも常に1勝2敗ペース(彼は勝つけれど、もう1勝が上げられない)。
 Nさんは善戦及ばず敗れたのですが・・・局後の検討で、その強豪の彼は序盤の一区切りがついたところで、「この場面で勝敗はついている」と発言した。
 彼としては率直な意見だったのだろうか、それともインストラクターとしての解説だったのか・・・
 Nさんの重ねての質問に彼の答は「自明」みたいな応え・・・
  Nさんの感想では「プロでもないのにあんなに断定的な発言・・・しかも”自明”みたいに説明をしないし・・・」
  しかし、彼は”プロもアマも無い”感覚での発言、、、いや多分に気分はプロだったのではなかろうか。
 プロ的な感覚とすれば「説明の必要もない」ことだったのでしょうが、それではコミュニケーションとしては成立しない・・・
  確かに囲碁的な真理の前にはプロもアマも無いのだけれど、それでも受ける側にすれば、どんなに強い人でもアマはアマと言う考えはあるはず。

 そういう光景を見ているので、「こちらから何かを発信するのなら、受けての立場で伝えなければ・・・」という思いがあります。
 ところが、絶対的な真実と言うには自信がありませんから、断定的な言い方は出来ないのは当然として、自分の意見としても相手にうまく伝えられるかどうか不安があるわけで、「自分ならこう打ちたい」と言うのが精一杯。
 考えてみると自分の仕事上でも私生活でも私は案外このあたりは(自分で言うのも変ですが)律儀な感じがある。
 人に何かを伝える時に、数学の定理とか心理みたいな揺るがないものを伝える時は”だ”になりますが、それ以外は”と言うのを見たことがある””書いてあった”などの経験とか引用の形を取るか、”のように考える””と思っている”をかなり使い分ける癖があるようです。
 マア、当たり前のことだろうが、拘りみたいなところもあります。

 番外の話。
  例の予選大会で、ある時の私の個人成績が2勝1敗1手あきだったことがあります。
 団体戦でもあり個人の成績は関係ないのですが、私としては勝ち越したのですから嬉しかったのです。
 ところが、大方の見方としては「三将同士の対局だから・・・」・・・つまり団体戦での出場のための員数合わせ的メンバーと言うわけです。
 団体戦に出たい人が二人いた場合、三人目はそれほど重要ではない・・・
  予選突破を狙うなら重要ですが、参加が目的ならその通り。
 でも対外試合で勝ち越したからまあいいか、、と思うしかない。

豪華ギャラリー

2008-12-20 15:50:21 | Weblog
 今日は朝一番で内科の検診に行って来ました。
  前回診察を受けてからそれほど経っていませんが、年末年始の混雑とか休診日を避けるためにイレギュラーな診察。
 診察を受けないと薬を貰えないので仕方がありません。
  でもそれってなんだか変ですね・・・薬を貰うためにツイデ・あるいは方便に診察を受けるみたいで。
 まあ、どういう理由にせよ健康なわけではないので、診察を受けておくことにこしたことはない・・・ただし、先生(医師)は私が総合病院から回されてきた患者でもあるし、生活習慣病クリニックと合わせて定期的に診察を受けていることもあり(なのか)、簡単な問診と血圧検査くらいで済ませてしまう傾向が・・・
 いや、それが悪いと言うことではないのです。
  私の方も完治を目指しているわけでもないので、のんびりと病気と先生たちと付き合って九しかないのですから、余り熱心すぎない方が丁度好いでしょう。

 診察が終わって調剤薬局で薬を待っていると、入口あたりに自転車が止まって、どこかで見たことがある年配の婦人がやって来ました。
 自転車から降りるのに右側から降りるので「変わった人(こちら側から乗り降りする人は少ない)だな」と思った・・・うちの女房殿だった。
 一瞬遅れて気がつく私も迂闊だが、女房殿は受付に自分の処方箋を出してから、すました顔でベンチに座って何やら手帳にメモ・・・私がいることに気がつくのに5分ほどかかった。
 彼女は朝一番で眼科の診察を受けて来たらしいのだが・・・一見お互いに気がつかない似た者夫婦だが、あちらは前しか・目的のものしか見ない視野が狭い的なうっかりで、私のは見えているのに気がつかないうっかり者(娘とすれ違っても気がつかない)です。

 薬局の次が本屋さん
  NHK囲碁講座1月号を買って来ました。
 今月号は女流棋士エッセイに穂坂繭三段、そして「桂馬の両あアタリ」先崎学将棋棋士と夫妻が書いています。
 「桂馬の両アタリ」の方の話ですが・・・凄い豪華な顔ぶれが揃ったのだそうです。
 ある児童館で行われた子供の囲碁大会にです。
  30数人の子供たちが参加するので、親もそのくらいの人数が見にくるのですがまず先崎・穂坂夫妻、子供さんが通う小学校で囲碁・将棋部の世話をしておられるとかですから、これは主催者みたいなものですが、大会に参加した子供の親の顔ぶれ豪華。
 原幸子四段(依田九段夫人)、小林光一九段夫人、小林泉美六段。
  子供の碁の応援はともかく、豪華ギャラリーを見に行ってどんな話をしているのか聞いてみたいミーハー気分になります。
 プロ棋士は子供の棋戦をあまり覗きに行かないのだそうです(その時集まった棋士だけかどうかはわかりませんが)。
 プロ棋士は見ても勝負のことは仕方がないと思っているとか・・・有段者・高段者のお父さんは熱心らしい(文字通り熱くなるのでしょう)。
 成程、そういうものかも知れません。

早起き勉強

2008-12-19 18:19:09 | Weblog
 朝早く起きるのが日課になっています。
  と言っても今朝は遅い方ですが・・・4時半ごろに目が覚めてウトウトしていたのですが、再び隣室の女房殿の目覚まし時計で起こされてしまいました。
 その前の夜は、、、疲れていたのかサッカーの国際戦を見ながら寝てしまって、終了後に起こされて入浴。
 そして今度は本格的に寝ましたから睡眠時間はたっぷり。
  ただし、目が覚めたからと言っても、すぐに対局する気分にはなれません。
 それでもネットの碁会所に繋ぐのですから、我乍ら好きと言うか、他にやることが無いと言うか・・・。
 
 さて時間が時間だったので、入場者はソコソコいるものの対局進行中は一局もありませんでした。
 それではパンダを覗きに行こうかと思ったところで、1局始まりました。
  対局者を見ると、直接対局なら向こう4子くらいですが、折角だから対局拝見。
  いつもは対局も観戦も比較的自分と点数が近い人ばかり、観戦の場合は時にはプロ同士のものもありますが・・・でも、たまにはこういう観戦もいいですね、言葉は悪いのですが意外と勉強になります。
 もともと局面だけを切り取って見るならば、その時点でプロならこう打つがアマならこうしなさい、あるいは初級者は別の方法が良い・・・などと言う手段は原則的にはないはず。
 (プロとかアマ高段者の対局なら、あるはずの石とかあってはいけない所に石があるなどと言うことはないでしょうが・・・)
 常にその場面での最善・最強を求めると言うことでは同じでしょう。
  そして、いろんな選択肢から手段を選べる局面と、断固打つべき手が決まっている場面、、、あるいは平身低頭の場面、、、。
 そういう所を、自分ならどう打つかを考えながら見るのは意外と勉強になる。
   
 「結構考えているなァ」とか、「あー、ここで妥協したくないのに」とか。
 時には私の予想を越えた手段が飛び出したり。
   ともかく今朝は「三文の得」をしました。
  尤も打っている人にも誰が観戦しているかが分かるので「変なジイサマガ覗いているゾ」と言う感じで、気がちったでしょうか・・・この辺の心理は分りません。
 私の場合は、自分の対局での観戦者はあまり気になりませんし、打っているうちに観戦者のことを忘れてしまいます。
  リアル対局でも、盤外から身振り手振りとか、言葉での妨害が無い限り気にしませんし。
 これは自信とは無縁で、気は小さいのにひとの事を気にしない図太さを併せ持っているらしい。
 普通と言うか、皆さんはどうなんでしょうか?
  そういえば服装とか、生活面でも人のことが気にならない良い面と困る面があるらしい・・・それはB型のせいだと言い訳していますが。

ゲップが出ない症候群?

2008-12-18 18:25:01 | Weblog
 あかちゃんにミルクを飲ませて、ゲップが出ないうちに横にしたりすると、胃の方から逆流するらしい。
 液体と空気を一緒に吸い込んでいて、胃の中で分離して機体の方を{ゲップ」として出しているんでしょう・・・きっと(想像ですが)。
 大人でも炭酸飲料を飲んだ後は同じようなことが起きて、ゲップが出るとスッキリします。
 私もこういうような事が起きていまして、時には多少苦しくなる。
  私の場合は老人性の症状なのか、どこかに欠陥があるのか、あるいはその両方なのかははっきりしません・・・もしかしたら季節と関係があるのかも知れませんが・・・
 
 想像なんですが・・・
  朝目が覚めて、体の中に溜まった老廃物とか二酸化炭素を綺麗に体外に出さないといけない・・・ですから血液の循環が大事ですよね。
 ところが私の場合は血の巡りが良くない!
  体を酷使した割には頭を楽にさせすぎたり・・・
 遊びたければ寝ないで本能の命ずるままだったりして、ケアなど抜きで、まさに酷いと言う意味の酷使してきましたから不都合が出ないはずがない。
 想像では、体が温まって血液の流れが良くなると調子が出てくるようですが、時にゲップが出ない時があって、これが意外と苦しいものです。
 
 朝家を出て自転車を走らせて・・・何だか調子が出ない・どことなく具合が悪いと感じるとき・・・たいていの場合はゲップガ出ると解消するので「ゲップ」を出すことが大事。
 まずスポーツのアップみたいに体を温めるのには15分程度は必要ですね。
  この間、激しすぎず温める必要がある・・・休まず・ゆっくり自転車で走ります・・・初めから激しい運動は厳禁。
 概15分・全行程の三分の一走れば何とかなるようです。
  しかしこれも毎日必ず起こるわけでもないから不思議です・・・なぜ起こるのか?なぜ起きないのか・
 その点帰り道ははじめからスピードを出しても大丈夫です。
  既に起きている状態ですから、ある程度の運動には耐えられる。

 忘年会で、うちの職場のトップの話がありましたが・・・彼は「過呼吸」になる持病があるとかで、主治医の話では年をとると全治はしないので、上手に付き合っていくことが肝心とか・・・
 私とほぼ同じ世代の話なので身につまされる部分もある。
  確かに持病とは、全治できないから持病なわけで、残された方法としては上手く付き合う、病気をコントロールする・・・みたいなことしかない。
  それにしても持病が多すぎてもてあまし気味です。
 「一病息災」などと言う言葉がありますが、まさに一病しかないのなら幸せ者

 ともあれ大きな病気はともかく、ここ2.3日朝の出がけにゲップ出ない・・・出にくい。
 それ自体病気ではないでしょうが、でも出ないとスッキリしない。
  これは気分の問題か?、それとも何かの前兆?。