なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

目詰まり現象か?

2010-01-31 05:33:54 | Weblog
 昨日今日とネットで碁を打っていて、どうも頭の働きがヨロシク無い。
  負けるにしても負け方が宜しく無いのです。
 作戦ミスとか、肝心な場面での読み負けとかそういうことならば、勝敗がつくゲームですから当然あり得ることですので、そのような敗因なら諦めがつきます。
 それは相手と同じ土俵の上で争っていて、今一歩力及ばずの形ですから、次に頑張れば良い・・・それしかないから、後は気分転換と言うか気持ちの切り替えで良い。
 本当は足りない部分を学んで補充し無くてはいけないですが、マア素人のジイサマですから、余り切羽詰まったような俄か勉強より、もう少し肩の力を抜いたほうが楽しいでしょう。

 敗因の力不足はさておいて、自覚としてはどうも灰色の脳細胞がさぼり気味のような、いや細胞にエネルギーを供給する連絡網が目詰まり現象を起こしているのではないかと思うくらい、思考の速度・深度・幅がいけない感じがしています。
 心臓の方の動脈は渋滞を起こしていて、能力の30%程度で体の市場を賄っている危うさなので、脳の方もそれに準じて供給不足を起こし、機能低下と言うことは十分考えられますが、もう少し働いてくれなくては困るのです。
 人生ダメ詰まり、血管は目詰まり・・・性格は”詰まらない”人間なのに、肝心なところは上手くいっていません。

 話が変わりますが、昨夜は韓ドラの世界にちょっぴり浸りました。
  昨晩は女房殿が用事のため、息子と私には「夕食は各自調達命令』が出ていまして、息子と「息子、どうする?」「オヤジはどうする?」状態でしたが、相談の結果車で15分程度のところにある韓国食堂に行くことにしました。
 韓国料理ですが、店が高級料理と言うことでは無く、ドラマによく出て来るようないかにも大衆食堂スタイルの店です。
 昔は日本でも大衆食堂と言うものは町にはあった筈です・・・学生時代は間借りでしたから、食事は蕎麦屋・中華そば・大衆食堂などで済ませたものです。
 それがファミレスが増えて行くと同時に大衆食堂は消えて行ったような気がします。
  日本蕎麦屋、中華料理、ラーメン店などは残っていますが大衆食堂が一番打撃を受けたらしい。
 日韓の違いはあっても「大衆食堂」と言う形が懐かしいし、韓ドラでよく見かける食堂での食事なのでどこか楽しい気分はします。
 その店は一度お昼に寄ったことがあるので、店の様子・概ねどういうものが食べられるのかはチェック済み。
  壁一面にハングルと漢字の壁紙と韓流スターの大きな写真に韓国のカレンダー。
 オバサン一人で注文を取って、料理を作って運ぶ(たまたまかもしれませんが)。
  壁のTVには韓ドラが流れている・・・多分記録再生だと思うが・・・出演俳優は半分は見たことがある・・・ふと気がつくと字幕なしの韓国語オンリーだったので台詞の意味は全く分からないのに不自然では無かったのが不思議。
 二人とも豆腐のチゲ定食で、トッポッキを一つ頼んで食べました。
  トッポッキてこういう味だったのですね・・・想像はしていましたが初めて食べました。
 まるでドラマの中の1シーンの中に居る気分。
  
 

肩に激痛

2010-01-30 00:31:11 | Weblog
 昨年、一昨年と肩に痛みを感じた時期がありました。
  自転車の乗っている時などに、右肩の後ろの方に不愉快な痛みを感じたのですが、いずれも1,2カ月で痛みが消えて行きました。
 世間では40肩とか50肩とか言いますから、オーバー還暦にもなれば当然こういう痛みはあるだろうと、半ば諦め。
 今まで胃と肩は痛みを知らなかったのですから仕方が無いのかも知れません(胃はまだです)。
 痛くない方が良いに決まっていますが、60年以上使って来たのですから多少は痛みが出ても仕方が無い。
  よく肩が上がらないとか、動かないとか言いますが、痛いけれどシビレは無いし動くことは動くのでその点はありがたいのかもしれません。
 そういうわけで、肩痛は差し迫った問題でもありませんでした・・・今までは。

 ところが、右肩の痛みは消えたのに、昨年の暮れあたりからは左肩が痛みだしまして、これがなかなかの困りものなのです。
 どういう時に痛いのかと言うと、自転車に乗る時に右肩が痛かった時と同じように今回は左肩が痛い・・・それと、尤も困るのは、歯科治療の時に激痛を伴う痛みがあるのが、拷問的に痛い。
 歯を削る機械が痛いとか、注射が痛いとかではありませんで、特定の姿勢で特に痛みを感じる・・・本来安楽椅子的な意味もあるのに歯科の治療台の椅子が問題なのです。

 私は子供の頃から虫歯とは縁が深くて、小学校低学年の頃から歯医者さんに通っていました。
 第一の原因は父のパチンコの景品・・・目が醒めると枕元にチョコレートとかキャラメルとかが山になってた・・・父は煙草をすいませんでしたので、景品は末っ子のお菓子になっていて、5人兄姉なのに私の一人占め。
 それで、私の虫歯の第一原因者は父と言うことになっています。
  それに虫歯とは別に歯列矯正もありまたので、歯科医院にはよく通いました。
 当時の椅子は、ゆったりとは座れるようにはなっていましたが大きく背中が傾くものではありませんでした。
 従って口を大きく開けて治療を受け、先生の方が体を傾けて治療するスタイルです。
 それに比べると、最近の歯科治療では、まるで床屋さんで髭を剃って貰うような姿勢で、水平に近いところまで傾きます。
 マア、この方が先生としては楽に治療できるのでしょう・・・つまりは医師にも、患者の為でもある。

 ところが現在の左肩痛としては、この形がとんでもない地獄となるのですから皮肉。
 先生にとっては楽に治療が出来るスタイルが、私にとって左肩激痛スタイル。
 治療を始めるために椅子を後ろに傾けて行くと、左の肩が悲鳴を上げ始める。
  歯科の先生としてはこのスタイルがゴク当然の形なのでしょう、何の疑いも無く治療台を寝かせて治療を開始する・・・これが地獄の拷問の始まり。
 ともかく医師には責任は無いし、何かの対策も考えつかないので、治療が終わるまでひたすら忍耐するしかない。
 出来るだけ何とも無い顔をする・・・
  時々やって来るうがいタイムに助けられながら30から40分の修業の時間。
 こういう痛みがある時、先生にお願いして昔みたいに先生が屈みこむ形にして欲しいとお願いするのは当然のお願いなのか、それとも私の我がままなのか痛みに耐えながら悩む姿は、もし気持ちまで透けて見えるなら、第三者から見たら滑稽かも知れない・当人には苦痛劇。
 痛みの限界を越えたら、我がままであろうがお願いするしかないのですが・・・次回は1カ月後に検査・治療予定。
 さてそれまでに肩の痛みが消えていれば良いのですが・・・。

建て前と本音?

2010-01-29 03:25:56 | Weblog
 ネット碁会所を検索すると、有料碁会所・無料碁会所と言う風に分類されてリストが出て来ます。
 これからネットで囲碁を打ちたいと思っている人、あるいは今までと違うところで打ってみようと思っている人には参考になる筈ですが・・・。
 あるサイトで紹介されている有料碁会所は8つ・・・しかないと言うべきか。
  寂しいことに私が入会して打っているサンサンは出ていません。
 それにサンサン同様にもう一つの実名囲碁クラブも出て来ません。
  実名のところはネット碁では異端児なのか、弱小碁会所なのでほぼ数の内に入らないのでしょうか?。
 あるいはネット碁会所を運営する側が、こういうリストに掲載されるような働きかけをしていないのでしょうか?・・・そうだとしたら営業努力がチト不足。

 あるいは囲碁人口と言う市場パイが小さなところでは、営業努力の効果がすくないのか?
  リアルの碁会所案内の場合、いくつかある「全国碁会所案内」に乗せるには碁会所の方から登録する形になるようです。
 碁会所のオーナーがネットでホームページを開いているようなところは、こういう動きには敏感ですからほぼ、複数の紹介リストに掲載されています。
 ところがパーセントにしたらどういう割合かは分かりませんが実際に存在するのに、リストには直らない碁会所も多いのです。
 私の地元に限って言えば、4割から半分くらいは出て来ません。

 それは経営者の方針でひっそりやっているわけでもないでしょうが、ネットに鈍感と言うことになるのでしょうか。
 それは経営者の問題とも言えるでしょう・・・しかし、こういうリストを作って囲碁ファンに情報を提供していると言う活動と見ると・・・。
 囲碁ファンに便利な情報を提供するためのHPの筈ですが、ファンはともかく応じない碁会所はどうしようもないと言う限界なのかもしれません。

 そう言えば、この事とは直接は関係ありませんが、昔「囲碁の世界って小さなパイの奪い合い」、「奪い合いと言うより守り合い」「本音と建前の世界」だと感じたことがあります。
  ある時ある小さな碁会所がプロを招いての碁会を企画しました。
大竹九段、林海峰九段、本田女流などなど身の丈を越えるプロ・・・
  この事自体何かの催しとタイアップするようなものではありませんで、オーナーがプロを招きたいと言う熱意から出た事なので周辺にはヤヤ唐突な印象は否めなかったと言うことはあります。
 マアそれでも、囲碁のイベントで普及活動でもあり、アマの夢だし、囲碁と言うゲームのアピールではあるわけです。
  但し小さな碁会所が単独では実行するは厳しい。
  発起人は赤字覚悟とはいえ赤字が余りにも大きくては困る・・・ですから共同で実施する碁会所などが必要ですから、共催者を募る。
 ここで本音と建前。
 「地方でもプロを招いた催しはやりたい」「囲碁ファンを掘り起こすには良い機会」「自分の店の客に参加を呼び掛けた場合自分の碁会所の利益になるかどうか」表現は悪いですが「自分の店のお客は囲い込んで置きたい=他の団体との交流で不利益が生ずる可能性は困る」・・・
 結局は「結構な催し」ではあっても「協力には踏み切れない」のが実情でした。

 さてネット碁でも、囲碁ファンの嗜好により特徴が無ければいけないでしょうが、スケールメリットみたいなものもある筈です。
 経営としても、実際にそこで囲碁を打つ側にもスケールの問題はある筈。
 一方で日本全部で300万人と称していますが・・・ネットで打っているのはその中の限られた数・・・ですからやはり今でも小さなパイなんですね。
 ファンの数からして3,4のネットでも良さそうなのに、有料・無料合わせると20以上はあるようです。
 好みと個性で選べるとは言えますが、、、。
  小さなネットが集まって共同でイベント、あるいはネットでの相互乗り入れみたいな・・・イヤ建て前と本音がすれ違うでしょうね。
 利用者のメリットと経営のメリットは必ずしも一致しないでしょう。

 碁を憶え、横好きが嵩じると一度は『碁席の席亭になりたい』と言うのが夢のようです・・・現実には誰でも出来るわけではないし、成れたとしても”商売”として成立させるのは至難の業。
 夢と現実の壁が。
 

最後の半コウ

2010-01-28 00:14:46 | Weblog
 水曜日は朝寝坊して目が醒めたのが6時半。
 これでも仕事の日であっても7時半に家を出ればに出れば余裕ですが、今日は朝9時から総合病院で3か月ごとの定期検診なので病院に8時半に着くとしてもその15分前に家を出れば良い・・・目が醒めたばかりの頭でこういう計算は早いのです。
 いずれにせよ、午後は歯科大で歯の治療だけの予定だけですから、時間的にゆったりした日になりそう。
 と言う事で朝からネット碁に行くと、H さんがスタンバイ状態なので早速参戦。  
  私の先でコミ4目半出しで立ち上がりは両者2連星。
 この形ですと気持ちにどこかゆとりと言うか、安心感がある。
  特に得意戦法と言うようなことではないが、恐らく一番打ち慣れた形だと思う、、、しかも両者2連星が一番多い筈。
 これが、相手が小目の場合、どこか違和感を感じてしまうのです。
  碁を憶えたばかりの頃は小目専門だったのに不思議なことです・・・要するに形が悪いとかでは無くて、対小目の打ち方が良く分からない・・・
 例えば私が白の場合、相手が小目の連続ですと、白4は小目にかかりたくなり、そうなると秀策流のお手本見たいな形になってしまうのですが、さりとて小目にかからない打ち方は考えない・・・。

 私の得意の形では無くても、先行タイプですから、どんな形であれ白番の時は先手良しの形は困るのです。
 逃げるのは得意(本当は逃げしか出来ない・・・)ですが追い込みは苦手。
  競馬で言えば末脚が切れるのではなく、先行馬が落馬してくれなくては困るのです。
 こういう私の弱点がまともに出たのが、先日の「情けない負け」パターンなのです。
  逃げれば結構粘る・・・後続馬との差が確認できれば「オイデオイデ」も得意で、相手が無理をすればチャンスに変える事もやります。
 ところが立場が変わって追う方になると、無理しなくてはいけなくても、無理した時の怖さも・・・こういう状況は手数が進むほどチャンスが無くなるわけです。

 さて今朝の対局は、最初から差があまりない感じの展開。
  やや有利かとも思うのですが、数えるとコミを引いて3,4目ですから、素人としては油断できない差です。
 勿論計算ミスなどあったら話が土台から崩れるわけで、こういう時に相手が自然体で追って来る時は、『もしかしたら私の計算間違い?』などと疑心暗鬼になる。
 そうは言っても、物差しは精度が悪くても自前の計算機しかないから、ともかく自分を信じるしか方法はない。
 後手2目、後手1目、半コウ・・・こういう細かな碁でちょっとしたミスをしました。
  自分の石が繋がって置けば途中のカケ目の場所が2カ所目になるのに、切られてしまったので、相手の後手ですが2目計算が狂ったのです。
 相手の後手ですが、既に後手しか無い時の最後の後手2目を打たれてしまい、少々不安。
  そして最後は数カ所の半コウ・・・最後の手止まり半コウ争い。
 持ち時間45分の内相手は残り3分を切り、私も残り5分。
  半コウ争いは続きますが、どう考えてもコウ材は私が少ない。
 従ってこのコウは相手が継ぐことになる筈ですが、そこで「どうぞお継ぎ下さい」はやむを得ない事とは言え計算の裏付けが無いと譲りにくいものです。
 地合い不利ならば・・・
 ① コウ材が足りなくても、コウ材が続く限り争う→もしかして相手が損コウを打つかも知れない・・・
 ② 結局はコウでは勝ち目が無いので、無駄に半コウ争いはしない→相手のミスを期待した争いはしない。
 気分は①、しかしカッコつけて②.
 ”おそらく”残っているとは思っていても怖い。
  半コウを譲って終局し、計算が出るまでの数秒間が長いですね”判決を待つ”気分。
 結果黒1目半残り・・・

 さて総合病院は予定通り8時半について検診受付・・・担当医9時台検診の中で1番だったらしいので1番で検診。
 先生が9時前にスタートしたので、検診を受け、超音波検査の予約をし、次回3カ月後の検診を予約して窓口で医療費を払ったのがナント9時5分。
  嬉しいようなあっけないような、なんだかインスタントみたいな気分。

父兄会状態!?

2010-01-27 00:37:10 | Weblog
 今の小学校では父兄会と言う言葉は死語で保護者会と言うのでしょうが、私などの年代では父兄会の方が分かりやすい感じがします。
 時計で言えばデジタルよりアナログの方が馴染みがあると言う感じ・・・(少し違う?)。
  
  時計と言えば、私はここ20年は腕時計をしていません。
 中学1年の時に父に買って貰ったのですから、使い始めたのは早いのですが、嫌いになるのも早かったのです。
 理由は二つあります。
  一つは汗疹になりやすいのと、もう一つは時計の重さが気になるから腕時計はしなくなったのです。
 入試などの時にはポケットに入れて持って行って、試験中は机の上に置いておくような使い方でした。

 話が逸れましたが、今日の本題は「観戦時の野次馬心理」のようなものについて。
  今朝は未明から風の音がしていたので、やはり目ざとい年代ですから早く目が醒めました。
 しかし、早く起きてもやることが無いので、ネットで観戦。
  同じくらいの点数の人が打っていたので入室しましたところ、これが戦いの真っ最中。
 大石VS大石で、白の大石が黒に包囲されていて2眼のスペースがありません。
  このままでは白の大石は死んでしまい、実質の大きさは大変なものですが、但し、黒も味悪なところが目につくのです。
 そこで、包囲されて目が無い白の大石の唯一のシノギは、包囲網の一端の黒の大石を逆に攻めて取ってしまえば形勢逆転・・・こうなると、両者妥協点は無い戦い・・・そういう戦いの真っ最中。

 初めは白の大石を黒が包囲出来るかどうかが戦いの焦点でしたが、次は包囲している黒が白の反攻に耐えられるかどうかに問題が移っている。
 逆包囲された黒が白の包囲をかいくぐって外の黒と連絡できるか?、あるいは包囲の白の数子をちぎってシノグか?。
 多分対局者当人の黒さんの頭はこれで一杯だったでしょう。
  見ている野次馬はと言うと、表題のように父兄会の参観者状態。
 つまり戦いには第3の道があったのです。
  要する危険に晒されてはいても黒の大石が生きてしまえば即白の大石は死ぬ!。
 野次馬には単純な真理だと思うけれど、当事者には意外と見えないことがあるらしい。
  黒氏、後手とはいえ生きる手があったのにコウ含みで連絡する手を選択。
 当然壮絶なコウが勃発・・・しかも黒氏損コウを連発。

 保護者参観では先生の質問に我が子が手を挙げなければイライラして答えを教えに行きかねない保護者はいるものです。
 当事者が一番読んでいると言うこともあるけれど、野次馬の方が見えているのに当事者が気がつかないことも多い。
 碁会所などのリアルではこういう気配を対局者に悟られないようにするのも大変ですが、ネットではマアそういう心配は無いものの、見ている野次馬も大変です。
 実戦は「百人一首状態」→早く気がついた方が有利。
  この場合は黒が選択肢を持っていて、「生きました」では無く、あくまでパワーで取りに行ったのですね。
 現実は取りに行かなくても、生きれば取れてしまうのに・・・。
  他山の石・・・私もやっているに違いない。
 

情けない負け

2010-01-26 05:05:22 | Weblog
 久し振り(3日ぶりくらいですが)ネットで打ちましたが、これが何とも情けない負け方でした。
 何が情けないって・・・
  素人でザルですから、チョンボ・勇み足はヘボ碁にとっては情けない度合いでは罪が軽いでしょう。
 プロの故御大だって、「チョンボさえなければ俺が一番強い」と言ったとか言わないとか・・・それくらいですから、素人にチョンボはつきものだし、囲碁のチョンボは麻雀のチョンボとは違うのだから落ち込むのはおこがましい。
 「敗軍の将兵を語らず」と言うけれど、これはチームで戦う時に自分の意図通りの働きを兵がしなかったことにについてあれこれ言わないとい事で、個人戦の囲碁では敗軍に将も兵もいなくて、作戦を立て実施する全て自分の責任。
 
 それでも、何かをやろうとして失敗したのなら、反省はするけれど許せる。
  どこが間違っていたのかが分かれば、いつかはそれが生きて来るはずですから・・・。
  あるいは間違いは発見できないとしても、それは課題として記憶に留めれば良いと言うことです。
 いずれにしても失敗ならばそれはいつかは生きて来る可能性はある・・・0では無い。
 但し、「失敗はしていないが負ける」という結果、これが一番悪い要素を含んでいると思うのです。
 失敗はしていない=何もしないで負ける。
  マラソンなら、スタートからゴールまでただ相手の後を走っただけ。
 途中仕掛けて粉砕されたのならまだ救われるけれど、非勢を意識しながらも挽回の手を打たずに負けた!
 これは一番恰好悪い負け方です。

 「このままでは負ける」と思いながら負けました。
  負けたことより「負け方が最低」でした。
 と言う事で今夜は少々凹んでいます。

知ってるつもり

2010-01-25 02:05:11 | Weblog
 NHK囲碁講座では真っ先に「桂馬の両あたり」を読みますが、二番目は「ゾーンプレス超入門」です。
 「自分ぽいところを拡大し」「相手ぽいところを減少させる」という表現が好きです。
 きちんとした判断に基づいてと言う事で無いところが良いですね・・・ドンブリとかアバウトっぽいところがいかにも素人向けみたいで親しみが持てます。
 2月号の中では「知っているつもりが落とし穴」と言うサブタイトルがある。
  「知っているつもり」これは素人碁なら付き物みたいなものです。
 ”勘違い””生兵法”はこの類でしょう。
 
 実戦では競り合いの時など、冷静に見れば大して強く無い相手の石が、殆どシノギの筋が見えている味方の石に攻めかかって来ることはよくあります。
 こういう時相手の勢いに驚いて腰が引けるような対応をすれば、相手の思う壺。
  これはあたかも源平の富士川の合戦みたいで、平家の軍勢が水鳥の音に驚いて逃げ出したような形です。
 「相手の石がたいして強い石では無い」「シノギが見えている」などが正しい判断かどうかは問題で、それは「読み比べ」の部類でしょうが、仮に部分的なところで読み切れ無くても、”っぽい”ところに気がつけばチャンス。

 観戦していてよくあるシーンとしては「生きている石を攻めている形」・・・つまり、これは攻めと言えるかどうかわかりませんが。
 それとか、攻めに気を取られ自分の石が薄くなっている事に気がつかないケース。
  これは孫子的に「攻め切れない・攻撃陣の伸び過ぎ」でピンチなんですが、「攻めている意識」が強いと気がつかないこともありそう。
 それと気持ちは攻めなのに「攻めの効果が不明確」の場合・・・「攻めて取りきった場合の実益」「攻め切れなかった時の損害」、あるいは二義的な効果を期待しているのか。
 自分の碁では案外冷静に見れないので、他人の碁の観戦で勉強させてもらうのです。

 話が変わりますが、打っていてこういう形を避けたいと言うものがあります。
  簡単な例では、「タケフの両覗き」・・・陣笠と同じように悪形の例ですね。
 陣笠ではそれが悪形なら継がなければ良いわけで、両覗きの場合は分かっていて切れないタケフを覗く人はいない・・・要するにそういう場所に石が来る、働きの無い手を打つようでは石の効率が悪いと言うことでしょう。

 さてさて対局していて「知っているつもり」「分かっているつもり」なのに上手くいかないことが多いですね。
 良い手を打つ方が勝つのではなく、この部分が多い方が負けるゲームなのかも知れません。

エスニック

2010-01-24 00:40:20 | Weblog
 最近食事がエスニック趣味・・・オーバーですが。
  勘違いされることは無いと思いますが、念のために言っておくと「エスニックではあるがグルメでは無い」、少なくとも高級グルメ志向とは縁が無い。
 イヤ高級にしたくても財布に肝心なんものが無いのですが。
  世の中グルメがもてはやされていたり、その裏番組的にB級グルメにスポットライトが当たったりしていますが、普通に外で昼の食事をするだけです。
  最近週に1,2回は所管地区に出かけるのでその日は勤務先の外での食事となります。
 外食と言えばファミレスでも良いしラーメン屋さん蕎麦屋さんも手軽で良いのですが、せっかく外に出たのですからもっと楽しく食べたいとは思う。
  私の場合は鳥肉とサバ以外ならたいていの物はOK。
 店に入って注文する時に、他の人がメニューを見て何か注文するのを待って「私も同じもの」と注文する癖がある・・・ものぐさんぼ一種と言うか、真似シンボと言うか、自主性に欠けると言うか。
 ここで誰かの注文が鶏関係だったら「それと同じ」とは言えませんから、ここで初めてメニューを真剣に見始める。
 「食べる事自体も遊びの一種にしたい」と言っても、店選びでほぼ終わっているかも、初めての店では注文する前に店の人に「お勧めランチは何ですか?」と聞いて、ほぼ推薦通りに注文しています。
 楽しく食事と言っても予算には限度がある・・・予算無制限なら楽しくて美味しいのは当たり前でしょうから、制限内で探すのが面白い。
 何を探すのか?・・・いろんな国の料理をお昼に食べるのが最近のマイトレンド。
  初めはタイ料理レストランのランチで始まりまして、フランス風料理のランチ、和風海鮮ランチ、韓国風大衆食堂、韓国料理レストランのランチ、、、未だ5軒ですがいずれも今年に入ってからのランチです。
 今日はインド料理店の前を通ったのに同僚が素通りしたので、ここは次の機会にしました。
 (予算的にはどうなるのかは未確認)
  
 何が楽しいって?
  そうですね、民族風の料理をその国の人がつくって食べさせてくれるわけです。
 普段は家で食べないようなものを食べられるし、食べ方とか食器などでも新しい経験が出来る。
 例えばタイ料理店ではトムヤンクンの入った煙突付きの鍋のような器が面白かったし、味では独特の辛味、酸味、いろんな香辛料が楽しめました。
 韓国料理店でも辛味が楽しめましたし、韓ドラで良く出て来る金属の箸を体験することが出来ました。(仕事で来ていなければ、自家製キムチとか韓国食材などを買って帰るところでした)
 日本では金属製の器とか箸のイメージでは仏壇と結びつきそうですから、実際にこういう店で無いと体験出来ませんね。
 それに蓋つきの金属製の入れ物にご飯を一杯に詰め込んで出て来ます・・・これをテーブルに置いたまま食べる体験をしました。
 
 東京都内ではいろいろありそうですが、首都圏とは言いながら40キロほど離れていますから当地ではエスニックのランチを探すのも大変ですが、注意して歩けば他にも見つかりそうです。
 (車で行く機会があれば”バングラディッシュ”の店はあることは分かってます・・・その他気をつけていれば見つかりそうな気がします)
 今年は仕事での外出と遊びの昼食をペアにして出かけます。
  

楽しい棋譜並べ

2010-01-23 00:18:17 | Weblog
 先日いつもの大型スーパーの3階にある本屋さんでは無くて、その近くの本屋さんでNHK囲碁講座2月号を買いました。
 どこで買おうと同じ本だし、私が客として買うわけですから何の差しさわりも無いのですが、どこか後ろめたさと言うか、誰かに迷惑をかけているような気がしてしまうのです。
 大型スーパーの中の本屋さんは大型店舗なので、NHK囲碁講座に限らず各種のテキストなど種類も多いし量もあるので平積みしてありますが、こちらの本屋さんにはいつも1冊しか置いてないのです。
 私は通常は大型スーパーで買い物をしたついでに3階までエスカレーターで上がって、初めに囲碁・将棋・ゲームの本のコーナーをチェックしてから、テキスト売り場で囲碁講座を買うのが手順なんですが、店に入って上まで上がるのが面倒な時はこちらの小さな本屋で購入する。
 但し、先ほども言ったように、いつも1冊しかないことが多いし、1冊も無いことも確率50%くらいです。
 つまり確率50%で小さな本屋で無駄足をするか、確実に買えるけれど大きな店の3階まで上がって行くか・・・ものぐさ太郎としてはここは考えどころ。
 
 小さな本屋さんの方には、実は別の問題があります。
  本屋さんの問題では無くて私自身の問題・・・大げさに言うと心の問題。
 この本屋さんだってNHK囲碁講座の本は3冊以上は入荷する筈(今まで最高で3冊並んでいました)ですが、1冊しか棚に無いことが多い・・・こういう時買うのをついためらってしまう。
 気が弱いので・・・嘘です。
  マア、本を手に取る時ふと考える。
 もしかして、後で買いに来た人が本棚に1冊も無くてがっかりするのではないか?・・・たまたま買えない事で購入を諦めるのでないか?
 「最後の1冊ゲット、ラッキー」とは思わないのです・・・それなら大型店の方で買えば何の問題も無いのでそちらに行けばよいのに、簡単に買える方に入るのですから矛盾した事をやっているし、ためらいながらも結局買うのですから我ながら変な性格です。

 ところで一番初めに読むところ、それはやはり「桂馬の両アタリ」。
  たった1ページのエッセイですが、これが楽しみで本を買っているようなところもあります。
 さて今月号では「楽しい棋譜並べのために」と言う話。
  筆者の先崎さんは将棋のプロですが囲碁のプロでは無いので棋譜並べには苦労することもあるらしいので、ほっとする感じです。
 当然の話ですが、囲碁プロは棋譜並べでもすごいですね、、、いや逆かもしれない、、、こんな事で苦労していたらプロには慣れないでしょうから。
 ともあれ、アマにとっては大切な・重要な勉強方法ではありますが、簡単に乗り越えられないから素人だと開き直るしか無さそうです。

 先崎さんの「序盤だけでなく、手数が進んでも”右上”とか”左辺”とか方向を示して置いてくれれば探すのが楽になる」と言うお考え・・・半分賛成で半分保留です。
 「棋譜並べではなくて、探している」と言う話はよーく解ります。
 私が超初心者以前の時代、ルールも何も知らないのに毎日新聞の囲碁欄を見ていた時代はまさに”数字探しゲーム”だった筈です。
 ルールを憶えて、こんなにたくさん対局して、棋譜だってしょっちゅう見ているのに、今でも探すことはある、、、いやかなりある。
 ですから探せないような時はイライラして、せめて方向を書いてあれば楽なのにと思う。
  でも一方でそれで良いのか?とも思うのです。
 「棋譜並べは勉強ではあるが、イライラしながら並べるのではなくて『勉強という目的では無く、並べる事を楽しむゆとりが無いのか』」とも思うのです。
 慣れれば早く並べられるでしょう、、、どれだけ早く並べるかが気力のバロメーターになっているところもあります。
 ゆったりとした気分で並べる、、、探すのも楽しむのも気持ちのゆとりでは?とも考える。
  それに、方向が指示されている棋譜に慣れてしまうと”勘”のようなものが鈍くならないだろうかとも心配する・・・棋譜を並べていて、棋譜の数字を追いながら、理由はともかく「次の手はこっち方向」と感じることも大事かも知れないと思うのです。
 方向が指示されていれば数字を探すのには便利だけれど、感じる力をつけるのにはヤヤ問題は無いだろうか?
 アマの碁の棋譜では着手の関連と言う意味で探すのは大変なことはあるだろうけれど、プロの場合はそういうことは無い筈、イヤ、たまにあったとしても、そういう場面であった事を感じられるかも知れません。

今年はよく打っています

2010-01-22 00:19:40 | Weblog
 ここ2,3日は打たなかったのですが、今夜は久し振りに1局打ちました。
  向う先白4目半コミ出しの手合いで、勝つことが出来まして良かった良かったです・・・これで今年は36局打ちました。
 普段ですと1日平均1局足らずの対局数ですが、今年は今のところ1.7局に近いですから、私としては相当なハイペースです。
 尤も碁会所などでは土日などですと、少なくても3局くらい、4,5局打つのも珍しくない。
 これを1週間で考えると、碁会所だけで打っていた頃は土日中心ですから、週にしたら10局程度だったでしょうか・・・ネットで1日1.5局打つとすると1週間で10局くらい。
 結局1週間で考えると、どういう形でも10局程度と言うことになりそう。
  仮にネットで1日1局だとすると1週間で7局ですが、こういう時はコミュニティなどで2,3局打っている事もあるので結局はネット+リアル合計で10局。
 これが私の対局ペースかもしれません・・・あるいは囲碁体力の許容ペース。

 ところで今のところですが、月中で36局とオーバー気味のペースですが、こういう時は余程調子が良い(そういうことは稀ですが)、か不調な時で、普通と言うことはまず無いでしょう。
 たいていは調子が悪いことが多い。
  現在15勝21敗で6つ負け越し。
 年末に勝ち越していた分を年が明けてから配って歩いているようなものです。
  長い目で見れば結局は勝ったり負けたりですが、これを最初から「晴れた日があれば曇りもある」と言う悟りには未だに遠い。
 「明日は明日の風が吹く」などと呟くのは、自分に慰めているか、半分自棄気味です。

 禅語で言う「日々是好日」はどんな日でも好き日ですから、「全てを受け入れる」という心境であり心構えだと想像する・・・イヤ心構えみたいに構えたりするのはまだ未熟で、ごくごく自然で無くてはいけないでしょう。
 想像はしますが、内容が大事とは言いながらも勝って喜び負けて悔しい煩悩に揉まれて・・・イヤー還暦過ぎても体は枯れて行くかもしれませんが煩悩は花盛りです。
  
 

久し振りに年休消化

2010-01-21 00:58:34 | Weblog
若い頃だと仮に一睡もしていなくても何とか翌日くらいは仕事が出来たものです。
 例えば夕方仕事を終えて、その足で碁会所に行き2,3局打って、打っている間にメンツが出来て閉店後にはその近くの麻雀相で卓を囲む。
 そしてそのまま朝6時ごろまで徹マン・・・1時間くらい仮眠してそのまま出勤。
 褒められた話ではないが、体力的には可能だった・・・遠い昔の体力です。
  今はもうそんな事をしたら1週間くらいは体調がおかしくなりますね・・・午后になると睡魔との闘いになるとか、階段の上がり降りも億劫になるとか。
 
 因果応報では無いけれど、こういう事をしたらこういう風な結果が待っていると言うことは予測できるのですが、年をとっても精神的な成長が追い付いていないと言うか・・・気分だけは若い頃の名残を引きずっているものです。
 一言で言えば「年寄りの冷や水」とでも言いましょうか。
  この年で短距離ダッシュとかそういうものは無理にしても、例えば夜中に目を醒ました時に直ぐに眠れば何とも無いのに、ついネットとか読書とかを始めてしまう・・・。
 夜遅く丁度良いところで読書を止めれば良いのに、面白ければ終わるまで止まらない・・・
  そういうセルフコントロールが出来ない性格で、そこの辺りが成長しないまま年だけとってしまっている。
 従ってチョット夜更かしが過ぎたりすれば、翌日の午後などは地獄の戦いになる・・・予想をしていて、そういう予想通りの結果になる。

 さて、そういうことが今週起きてしまいまして、朝起きた時に体が重いと言うか、気持ちが重い。
  要するに、気力が出勤体勢になろうとしない。
 大まかに言えば体調不良なんですが、病気と言うことでは無さそう。
  思い切って年休を使って休むことにした。
 年休の権利的日数はひと月近く残っているのでそこのところは問題は無い、後は他の課員が出張とか休みの予定になっているかどうかです。
 ともかく久し振りに休みを取りました。(尤も水・土・日・祝は休みですけれど)
  こういう休みは、不調だから休んだと言う事以上に、気持ちの方が何かをやることを拒否するみたいで、何もやる気になりませんね。
 TVも見ない・ネット碁もやらない・本も読まない・買い物など外出はしないで、夕方まで何もしないで横になっいる感じ。
 空白の1日と言いましょうか(昔ですと眠らないで過密な1日なのに)。
  

バナナの皮の話

2010-01-20 00:03:38 | Weblog
 子供時代に家に大きな本棚があって、日本文学全集とか世界文学全集が並んでいました。
  これは毎月発行されるものが届く仕組みの物で、少しずつ本が増えて行って、一定期間に一応有名な作家の代表作が本棚に並ぶ仕組みで、今日でもは週刊とか隔週発行でいろんな全集が出ています。
 例えば鉱石とか怪獣とか美術、博物館・・・。
 私は5人兄弟の末っ子なので、上の兄姉用で殆ど配本が終わっていて、私には「本棚にあるのだから読みなさい」みたいな感じでした。
 私の興味も小説には向いていなくて、ノンフィクション、伝記、歴史、ドキュメント。
  
 文学全集のシリーズは配本が終わって、百科事典のシリーズが届くようになりまして・・・これは読みました。
 普通は兄にしても姉たちにしても何か調べる時に使うのが普通ですが・・・勿論私もそういう使い方はしますが、普通に読み物として頭から読んでいくのが好きでした。
 調べるのという目的で読むのではなく、読んで行って面白ければ記憶に残すみたいな読み方。
  こういう読み方は今でもやっている。
 例えば職場に置いてある百科事典などを、時間があれば適当に本を開いてみて、そこに書いてある物を読んでいく。
 たまには即役立ちそうなこともあるけれど、たいていはそれを知ったからと言って何かの役に立つかどうか怪しいものが多いのですが、しかしそういうところを読んでいくのが好き。
 何年も後に、極々稀に本当に役に立ったりすると嬉しくなる。
  砂浜で針を探す確率と言うか、膨大な無駄と言うか・・・目的に沿った効率的な情報収集に反する、こういういい加減な本の読み方が好きなんですね。

 現在では日常生活とか、仕事上の事でチョット疑問に思ったりするとそういうキーワードで検索する習慣があります。
 料理とか食べ物の事でも、「美味しそう」「もし自分で作るとしたら?」と感じたらネットでレシピなどを調べたり、プリントアウトして置く。
 だから、もし脳の記憶を取りだすことが出来たら、雑多な知識と言うか、記憶の断片が散らかり放題に転がっているのだと思います。

 さて囲碁の話になります。
  昨夜観戦していて感じたのですが・・・中盤で両者激しく戦っているのですがどこかおかしい。
 イヤ、本人どうしは真剣なんですが、両者で共通の見落としがあったりして・・・。
  例えば一手戻して自分の石を生きてしまえば相手の大石は自動的に死ぬのに、相手も大石を取りに行くことしか考えていない・・・とか
 例えば、隅の曲がり四目の形なんですが、外ダメに余裕があるので一旦コウみたいな形にしておいて生き形にすることが出来るのに・・・押しつぶしにしないので相手に継がれて本物の三目ナカテになったしまったり。
 こういうことは、まさに傍目八目なんでしょうが、今朝こういう碁のシーンを見ながら何故かチャップリンを連想してしまいました。
 題名は忘れましたが、デパートの吹き抜けみたいな高い階のフロアーでチャップリンがローラースケートをやる場面。
 観客がハラハラドキドキ、本人は危険など気がつかずに・・・
  それとか、道に落ちているバナナの皮を踏んで派手に転ぶシーン(これはチャップリンの映画で御約束みたいに出て来ます)。
 観客から見たら、劇中人物があるいて来て、「足元にバナナの皮が落ちているぞ」「踏んだら危ない」「ホラ、踏むゾ」・・・などと見ていて、やっぱリ踏んで滑って転ぶ。
 
 と言う事で「バナナの皮」をキーワードで検索すると滑って転ばせる以外に役に立つことがあるのだそうです。
 ① バナナの皮を原料に植物成長促進に役立つものが出来るとか
 ② バナナの皮の可食部分は脂分が多いので靴磨きに役立つ
 ③ かゆみどめ効果があるらしい
 ④ 火傷やひっかき傷の痛みどめ
 ⑤ いぼ除去
 ⑥ 観葉植物の葉っぱ磨き
 ⑦ とげぬき
 以上は皆受け売り知識ですから検証していませんがトリビア的に記憶。
 
 そう言えばバナナについては高校時代に読んだ本の記憶が残っている。
 現在普通に日本でフルーツとして食べているバナナの他に料理用バナナがあって遺伝子が前者が偶数で後者は3倍体などの奇数だとか。
 そうそう、数年前にはスーパーで料理用バナナが打っていたので、思わず買って自分で調理してみたけれど家族には不評だった。
 バナナの皮には幻覚作用がある・・・それは繊維の蒸し焼き・・・実はそれは何とか言う新聞が冗談で書いた事が流布したとか・・・試したことは無いけれど、これを読むまで信じていた。
 乾燥バナナで無くて、バナナチップとか揚げバナナとか・・・フィリピンではケチャップみたいな形で売られているとか・・・

 よく卵は物価の優等生とか言う事を言いますが、バナナもそれに似ていますね。
  私の子ども時代に1本20円以上はしていました。
   普通の子供の小遣いが1日せいぜい10円の時代の20円。
 それが物によって一概には言えないが1本当たり20円出せば買える。
  昔は風邪をひいて熱でも出さなければ買って貰えなかったのに、今の子供はまるで「猫またぎ」ですね。
 (蛇足までに:漁師まちのネコはその辺に魚が干してあっても跨いで通ります。)
 * 「バナナ」というキーワードで1日遊んでいられる性格なんです。
  

○○料理

2010-01-19 04:03:13 | Weblog
 先日碁会所の席料などのことを書きましたが、今日は食堂について。
  敢えて食堂と書いたのは、昼の出先で食事をするという条件に限定するためです・・・つまり高くたって1000円以下で食べられるのが必須条件。
 マア、たまにはちょっぴり贅沢と言うこともあるにしても連日は出来ないでしょうから。
 そういう意味ではフランス料理などはアウト。
いや、そういうことは私の知識の乏しさかもしれない・・・
  例えばTV番組などで紹介されるフランスの地方料理を食べさせる店・・・季節によるお任せランチみたいな感じでしたが、ああいうもので何ユーロぐらいでしょう?。
 フランス人だからと言って毎回フランス料理のフルコースみたいなものを食べている筈は無いでしょうから、出先で簡単に済ませるような料理とか、そういう店はあると思うのです。
  でも日本にはフランス料理=高級とか、世界の三大料理とかというイメージが出来てしまっている。

  「ホテルの一流シェフ・・・」などと言ううたい文句は、こういう店を利用できる限定されたお客さんに言っているにすぎない・・・つまり私とはほぼ無縁。
 何かの特別な会食とか結婚披露宴でなければ縁が無いわけで、逆に言うと何でそういう時にフランス料理コースなどを出すのか不思議でしょうがない。
 ついでに言うとTVの旅番組などで食卓狭しと料理が並ぶ・・・鍋に焼き物にその横に生もの・・・どう考えても適切な配置では無いし無駄にも思うのだけれど、私が貧乏で且つ貧乏性なんでしょう。
 それと経済的制約の他に身体的条件もある。
  仮にテーブルに溢れるように御馳走が並んだとしても実際には絵に描いた餅にひとしい。
 つまり私は一日の接種するカロリーに上限があるので、少々のオーバーならともかく並んだ料理を片っ端から戴くと言うことは出来ない・・・体調を崩すことを覚悟なら出来ますが。
 それに血糖値を抑える薬とか、食物の消化を遅らせる薬とかを飲みながら豪勢な料理を平らげるなんて漫画的ですね。
 (TVCMで、二日酔い防止の薬を事前に飲んで宴会に行くような、悲壮な覚悟が必要!?)

 と言う事で経済的にはリーズナブル、カロリー的には適量の許容範囲と言うことになる。
 そういう意味では先日行ったタイ料理店は私には合格でしょう。
  (勿論食べ過ぎてはいけませんが)
 尤もこれはタイの料理を日本人の食事の習慣に合わせた感じのメニューになっていたのかもしれません・・・ネットで調べるとタイの王宮料理と言うのもあるらしいから、仮にそういうものを一度に出されたら・・・イケマセン。
 毎日一つづつ食べる感じなら良いですが。
  ともあれネットで仕入れたタイ料理の知識
 「中華料理とインド料理の影響を受け」・・・地理的にそういうことでしょう。
 「ハーブ、香辛料をたくさん使う」・・・これは私としては嬉しい。
 「宮廷料理人がポルトガル人の血をひく人になってポルトガル料理の影響を受けて発展した」・・・具体的には良く分かりませんが、ともかく宮廷料理としては垢ぬけした感じになったのでしょう。
 こういうことを書いていますが、実際にはまだメニューの中の一品しか食べていないから、折を見て一つづつ試すしかないからおそらく1年以上はかかりそうです。
 
 今月は息子の誕生日なので「どこかで飯を食おうか」と言うことになっていまして、今回は魚関係の店が有力でした。
 房総の方の港から直送される材料とかいうことで、これならカロリー的には合格(問題は塩分だけ)で女房殿も参戦しそう。
 ところが息子に「タイ料理の会席風はどうだ」と言ったところ、やや乗り気になって来ています。
 後は大蔵大臣の好み次第。

 尚、現地出身の人のインド料理店、バングラデッシュ料理店も近くにあるのでこれらも機会があったら行かなくてはいけない。
 料理店では無いけれど、中国料理食材店、エスニック料理材料店、韓国料理惣菜店・・・こういう店が街角にあるとつい入ってしまいます。
 そうそうイタリアとか中国料理で値段で合格の店は入りますが、「日本人向け○○風料理」かどうかは分かりませんが・・・。
 アメリカ料理と言うことも無いですがファーストフード店は、概ねカロリーの面で失格のような気がします。
 高カロリーの割には食べた感じに満足感が無い・・・さりとてオヤツでも無い。
  イギリス・・・お茶の時に食べるスコーンなどは好きです。
 検索した説明文によると「イギリスの貴族は牛を一頭料理する習慣があって、当然それは一度で食べきれないから1週間ぐらい続くので、結局冷たい料理を毎回食べる習慣になった」・・・とか。
 成程、ローストビーフイメージなのか。
  本などで紹介される・・・「街角・公園などで売られているフィッシュ+チップ」一度は食べてみたい、、、イエそのためにイギリスに行くと言うような大それたことは考えていませんが、日本では売っていないのだから仕方が無い。

 アッ!、気がついたことがあります。
  外国の物でも何でも受け入れてしまう胃袋と言うか習慣を私も持っているということに気がつきました。
 (ただの食いしんぼですね)

もしかして嫌われた?

2010-01-18 02:38:07 | Weblog
 後味が悪い、いやなことを体験してしまいました。
  囲碁は二人でやるゲームですから、何かが起こった時にどちらかに原因があるとか、あるいは責任がある、稀には両方と言うこともあるのですが、今回の場合100%相手の方に問題があるとは思うものの、金品の実害では無いので『一体何だったのだ!』感です。
 多少ネットの恥的なところもあるので黙っていた方が良いのかも知れませんが、敢えてこういう人もいると言う事をお話します。
 ご存知のように私が参加しているネットは実名で打ちますし、リストに在住県も出て来ます。
  大雑把ですが、それを見て顔を思い浮かべることが出来る人もいる可能性はある。
 ネット絡みで何か悪戯をされる可能性も無いわけではなく、また名前で何処の誰と分かると言うリスクもあると同時に、逆にマナーとか、ルールについては抑止力的に働いている部分もあると思っています。
 元々悪い人はいないでしょうが、自分の顔を晒して何かルール違反をする人はいないと言うような意味です。

 ところが、ところが違反ではないけれど信じられないことをする人がいた。
  何年か前に上手に2子で教わった時に一度酷いマナー違反があり、事務局に抗議(事務局の責任ではないのは分かってますが、訴えるところが無いので仕方なく)したことがありました。
  形勢不利の上手が、持ち時間全てを使いきるまで考慮時間を使い、時間切れ数秒前でネット接続を切ったのです・・・それは相手の切断による反則勝ちには違いないが、これは囲碁を楽しむ態度では無い筈です・・・それ以来の出来ごとです。

 ネットで深夜(午前2時頃)対局待ちの人がボードに掲載されたので対局申し込み。
  これが相手が対局に応じるまでに時間がかかった・・・ネットですから瞬時に伝わっている筈ですが、こういう場合考えられるのは、対局待ち状態にしてトイレに立ったとか、あるいはお茶とかコーヒーを入れている、又は電話か来客・・・いずれにしても稀にはあることですから、ここで多少イラついても内心『小次郎は武蔵に負けた』と言い聞かせるしかない。
 遅れて対局開始になって十数手進んだところで相手から「打ち掛け提案」がありました。
  これも何らかの事情で、やむを得ないこともあるのでしょう。
 お城碁では無いけれど一旦対局に入ったら気分としては認めたくないが仕方が無い、それに同じ県の人だし・・・
  本心で言えば『どうしても対局が続行できないならば投了しなさい』という気分です。
 それが相手への気持ちと言うものだと思う・・・始まって十数手ですから形勢が傾いていないと言う前提で分からなくもないけれど、やはり甘えの部分もかなり入っているのではないか。
  マア、打ち掛けという習慣もあるし、相手の提案に同意したのだから仕方が無い。
 しかし、直後に対局待ちリストを見て驚きました・・・打ち掛けにしたその人がリストに載っているのです。
 つまり彼は誰かに対局を呼び掛けている。
  では私との打ち掛けは何だったのか?。
 試しに再度対局申し込みを入れてみたが、今度は反応が無い!・・・つまり私は彼の側から「対局拒否リスト」に入れられたと考えられる。
 先ほどは普通に対局が始まり十数手で打ち掛け・・・ネットですから私が相手に不愉快な印象のパフォーマンスを与えた筈は無い・・・観戦者もいない。
 この間の進行に問題があったのか?・・・相手にとってだけれど。
  もしかしたら・・・
 (向う先です)黒①は星、白②は向かいの星、黒③は天元、白④2連星、黒⑤2連星。
  ここまでで両者2連星で、黒は5手目を天元に打った形。
 白⑥星に小ケイマかかり、黒⑦かかった白のボウシの位置にケイマ、白⑧3三・・・
 何か誤算があったのだろうか、それとも白の打ち方に不満(それにしても十数手)?。
  
 打ち掛けで中断したのなら、なんで直後に対局希望を出す?
  余程相手の思惑通りに反応しない相手だったのだろうか?
 それとも何か着手を通じて嫌な奴の印象を与えたのだろうか?
  余りにも弱そうな白に見えたので対局の興味が無くなったのか?

  私は嫌な気分なので一旦睡眠・・・こういう時は眠るに限る。
 2時間後に目を醒ましてネット碁を見ると、その彼は対局中・・・持ち点を見ると1点下がっている(前の対局は負けたらしい)。
 そしてこの対局も・・・投了となった。
  気分としては『ザマア見ろ』なんだけれど、私も性格が宜しく無いですね。

 実際のところ何が理由なのか本人に訊いてみないと分かりませんが、もしかしたら「相手をおちょくる遊び」なんだろうか?
 私の方も彼の会員番号を対局拒否リストに登録・・・消極的ですがこういう対抗手段しかない。
  クラブの伝言板に起こったことを公表すると言うことも出来るけれど、それでは会員の減少になるといけないし、こういうものは泥仕合めいているので止めて置きます。
 
 

コウ大好き

2010-01-17 01:46:30 | Weblog
 「コウの明け暮れ」などと言えばかなりオーバーですが、「三度の飯よりコウが好き」・・・そんなわけはありませんが、ともかく好き。
普通のアマでコウが好きと言うと、「何でもかんでもコウ」とか「僧衣の下に鎧みたいに、コウを恐れる相手をコウをちらつかせて脅かす」みたいな暴力団的なイメージがある。
 『私は無実だ』と100%否定は出来ないけれど、これは囲碁の憶え方にも起因するかもしれない。
 それはさておき。
 
 コウを恐れて打つ場合、多少は損な取引になる場合は多い・・・つまり多少の損は覚悟で妥協的な着手だったり、コウが発生しないように1手余計に手をかけたりする人はいます。
 冷静に考えれば、好き嫌いとか恐怖心でそういう選択をするのは損なわけで、実戦でコウが発生した場合には不利益が生じなければ良いだけの話。
 むしろ自分の方がコウ立て等が有利ならば『いつでもいらっしゃい』なわけです。
  そういうことを考えながら打つ、そういう打ち方が好きなわけです。
 厳密に言うとコウが好きと言うより、コウの可能性も視野に入れてアジとか、打ち切らないで手を残すか残さないのか考えるとか・・・そういうことが好きということです。
  尤も、コウを想定してコウ材を増やすことなども考えるわけですから、やはり「あんたも好きネ」ではある。
 時には失敗もありますが、そこはそれザルと言うことです。

 昨日の碁はそういう意味では少し満足でした。(私の先、コミ半目貰い)
  序盤の組み立てからコウ絡みの様相で65手目辺りでコウ取りとかコウ立て、コウ取り返し・・・などと始まりました。
 要するに私の隅の石の生死は常にコウ立てに使える状態で進行。
  例によって私は多少の薄いところは覚悟で地で先行し、相手はその傷を見ながら打ち進める展開ですから、これは相手も相当コウが好きと言うか、コウを視野に入れている人。

 実戦ではコウによる仕掛けを両コウと言う形で凌いで危機を脱しました。
  マア、結果が出て見れば「そうなるところ」とも言えますが、その時は接戦でした。
 もし、凌げなかったら私の負けで、凌いだ場合は黒が盤面で20目は良いので白の投了でした。
  仮にコウ絡みで打たない進行だとすると・・・棋譜を出してシュミレーションすると、この場合は黒に5目程残りそうです。
 と言うことは白のコウによる仕掛けは、ラストチャンスと言う意味では正しい選択でしたか。
  もしそうなら、「コウによる勝負手が効を奏さず」であってこれは敗因では無い(裏返すと勝因では無い)。
  「コウによる勝負手が残っていたので仕掛けが遅れた」のか、「それしか手が無かったのか」・・・棋譜を初めから再現したり、途中まで行ったり遡ったりしたり。
 マア難しい、判断出来ない・・・でも楽しい、不思議な遊びですね。