昨日本因坊道知のことを書いていて、思いついたのはワークシェアリングです。
棋譜を見る限りにおいて・・・棋譜の何処がどうということは勿論坂田栄男九段の解説が無ければ分かりませんが、ある時期からお城碁の成績が不自然になりす。
囲碁4家の当主は皆互い先で対局しますから、年に一度の御城碁では年毎に先と後手で打つことになります。
これは確か寺社奉行の役宅で下打ちをしておいたものを、御城碁当日は黒書院で並べて見せると言うことらしい・・・そして将軍が実際に見に来るかどうかは決まってなかったらしいが、マア建て前としては上覧と言うことでしょう。
囲碁4家としては「碁を持って仕える」と言うことですから、この日が義務であると同時に年に一度の花舞台であったでしょう。
さて、道知は当時の力量で一人だけ抜きん出ていたらしい。
もし仮に現代みたいに実力タイトル制なら問題ないけれど、家元制度の4家が仕えているわけで、道知が抜きん出ているのは良いとして、余りに差がありすぎるのは問題だったのでしょうね・・・ですから、余り差が無いけれど道知は強いみたいなところを狙ったのでしょう。
それにしても黒番ならば5目、6目勝ちで白番なら2,3目負けと言うのは、見る人が見れば”おかしい”と感じたはずなのに。
私は素人なりにそう思うのですが、道知本人が敢えてそういうことをしたように思えてならない。
先番にコミの無い時代ですから、互い先の黒番は勝つことが義務みたいなものだったと思われます。
ですから、本当に典型的な互角ならばお互い先番を入れあう見たいな形で良いはずです・・・つまり結果の目差は関係ないはず。
(いや、もしかしたら結果の目差にも多少は意味付けがあったのだろうか・・・例えば2目勝ちより5目差のほうが実力差があるみたいに感じるような)
ともかく「勝つことが義務付けられている黒番では5,6目キッチリ残します・・・そして白番では2,3目しか勝たせません!」そう言っているのではないだろうか?
なんだか道知の憂さ晴らし的遊びみたいな気がする。
当時の世の中の形として、道知の実力を誇示するより、4家が巧く生き残る方便として御城碁の結果を演出したと思われる。
相撲で言えばお抱え力士のように大名家に保護されている力士が居たように、囲碁だって「指南」みたいに出入りして、所謂飯の種だったでしょうから、唯一の公式戦で惨めな結果になるのは家元として致命的だったでしょうし、4家制度を維持していくには形の上では競り合っていなくてはいけない。
皆が奮励努力して頑張るのが建て前ですから、結果もそうならなければいけなかったのでしょう。
小説・お芝居の世界では剣道などの御前試合で負けたほうが,主君に恥をかかせたみたいに「切腹」など・・・マアお芝居の見すぎ?
でも余りに差がありすぎると・・・
世の中には囲碁に限らずスポーツの世界などで、「頑張れば一流になれる」みたいな物が「一流を目指して頑張る」にすり変わっているところもあります。
現実には、かなりの努力にもかかわらず結果として及ばない事だってあります
そのことを「及ばないのは努力が足りないからだ」と言う評価もあります。
だから、道知としては4家の平和共存のために「裏談合」に同意したのでは無いかと思われます。
そのこと自体の是非は時代も違うしなんとも分かりませんが、ともかく年に1度の公式戦ですから、それを観戦した大名とか、所管の奉行などには分からなかったのでしょうか?
年に一度の行事だし、担当者も数年で変わっていくとしたら気がつかなかった可能性はありますが、、、案外公然の秘密みたいに分かっていたのかも知れないと想像しています。
旗本にしても大名の家来にしても,平時は無用の武官を文官として使うと言うか、不必要な人数を抱えていたでしょうから、安い給料でワークシェアリングしているようなものでだったろうと想像しています。
ですからそういう体制では、一人が抜きん出て目立つのは向こう受けするものの、体制維持にはならないわけで、、、
結果を想定して打つ碁を「作り碁」と言ったと思いますが、私昔プロの指導碁でおそらく「作り碁狙い」らしい指導碁を見たことがあります。
こう書くとおそらく「プロがアマチュアに手加減」と思うでしょうが、そうではありません。
生意気にも?アマが手加減では無いのですが「作り碁狙い」です(多分)
私もそのプロに何局も教わっていますし、その時の指導を受けているアマはマア私の兄弟子みたいな人で、、、強いのですが悪戯好きな人。
指導碁を観戦していて中盤以降でどうも黒の打ち方に不自然さを感じたのです。
途中で先生が席を外した時に「もしかしたら、悪いことを考えているのですか?」と聞いてみると「2目勝ち狙いなんだけれど、難しいものだな」という返事
置き碁で指導を受ける身としてあるまじき行為ではありますが、事の是非はともかくとして、不自然さは感じてしまうものです。
ですから同様なことを先生も感じて、どのようにお灸をすえるか考えていたかも知れません。
ともあれ道知の御城碁、もしかしたら結果をそろえることで宣言をしていたのかも知れません。
そして感じる人は感じていたに違いない。
棋譜を見る限りにおいて・・・棋譜の何処がどうということは勿論坂田栄男九段の解説が無ければ分かりませんが、ある時期からお城碁の成績が不自然になりす。
囲碁4家の当主は皆互い先で対局しますから、年に一度の御城碁では年毎に先と後手で打つことになります。
これは確か寺社奉行の役宅で下打ちをしておいたものを、御城碁当日は黒書院で並べて見せると言うことらしい・・・そして将軍が実際に見に来るかどうかは決まってなかったらしいが、マア建て前としては上覧と言うことでしょう。
囲碁4家としては「碁を持って仕える」と言うことですから、この日が義務であると同時に年に一度の花舞台であったでしょう。
さて、道知は当時の力量で一人だけ抜きん出ていたらしい。
もし仮に現代みたいに実力タイトル制なら問題ないけれど、家元制度の4家が仕えているわけで、道知が抜きん出ているのは良いとして、余りに差がありすぎるのは問題だったのでしょうね・・・ですから、余り差が無いけれど道知は強いみたいなところを狙ったのでしょう。
それにしても黒番ならば5目、6目勝ちで白番なら2,3目負けと言うのは、見る人が見れば”おかしい”と感じたはずなのに。
私は素人なりにそう思うのですが、道知本人が敢えてそういうことをしたように思えてならない。
先番にコミの無い時代ですから、互い先の黒番は勝つことが義務みたいなものだったと思われます。
ですから、本当に典型的な互角ならばお互い先番を入れあう見たいな形で良いはずです・・・つまり結果の目差は関係ないはず。
(いや、もしかしたら結果の目差にも多少は意味付けがあったのだろうか・・・例えば2目勝ちより5目差のほうが実力差があるみたいに感じるような)
ともかく「勝つことが義務付けられている黒番では5,6目キッチリ残します・・・そして白番では2,3目しか勝たせません!」そう言っているのではないだろうか?
なんだか道知の憂さ晴らし的遊びみたいな気がする。
当時の世の中の形として、道知の実力を誇示するより、4家が巧く生き残る方便として御城碁の結果を演出したと思われる。
相撲で言えばお抱え力士のように大名家に保護されている力士が居たように、囲碁だって「指南」みたいに出入りして、所謂飯の種だったでしょうから、唯一の公式戦で惨めな結果になるのは家元として致命的だったでしょうし、4家制度を維持していくには形の上では競り合っていなくてはいけない。
皆が奮励努力して頑張るのが建て前ですから、結果もそうならなければいけなかったのでしょう。
小説・お芝居の世界では剣道などの御前試合で負けたほうが,主君に恥をかかせたみたいに「切腹」など・・・マアお芝居の見すぎ?
でも余りに差がありすぎると・・・
世の中には囲碁に限らずスポーツの世界などで、「頑張れば一流になれる」みたいな物が「一流を目指して頑張る」にすり変わっているところもあります。
現実には、かなりの努力にもかかわらず結果として及ばない事だってあります
そのことを「及ばないのは努力が足りないからだ」と言う評価もあります。
だから、道知としては4家の平和共存のために「裏談合」に同意したのでは無いかと思われます。
そのこと自体の是非は時代も違うしなんとも分かりませんが、ともかく年に1度の公式戦ですから、それを観戦した大名とか、所管の奉行などには分からなかったのでしょうか?
年に一度の行事だし、担当者も数年で変わっていくとしたら気がつかなかった可能性はありますが、、、案外公然の秘密みたいに分かっていたのかも知れないと想像しています。
旗本にしても大名の家来にしても,平時は無用の武官を文官として使うと言うか、不必要な人数を抱えていたでしょうから、安い給料でワークシェアリングしているようなものでだったろうと想像しています。
ですからそういう体制では、一人が抜きん出て目立つのは向こう受けするものの、体制維持にはならないわけで、、、
結果を想定して打つ碁を「作り碁」と言ったと思いますが、私昔プロの指導碁でおそらく「作り碁狙い」らしい指導碁を見たことがあります。
こう書くとおそらく「プロがアマチュアに手加減」と思うでしょうが、そうではありません。
生意気にも?アマが手加減では無いのですが「作り碁狙い」です(多分)
私もそのプロに何局も教わっていますし、その時の指導を受けているアマはマア私の兄弟子みたいな人で、、、強いのですが悪戯好きな人。
指導碁を観戦していて中盤以降でどうも黒の打ち方に不自然さを感じたのです。
途中で先生が席を外した時に「もしかしたら、悪いことを考えているのですか?」と聞いてみると「2目勝ち狙いなんだけれど、難しいものだな」という返事
置き碁で指導を受ける身としてあるまじき行為ではありますが、事の是非はともかくとして、不自然さは感じてしまうものです。
ですから同様なことを先生も感じて、どのようにお灸をすえるか考えていたかも知れません。
ともあれ道知の御城碁、もしかしたら結果をそろえることで宣言をしていたのかも知れません。
そして感じる人は感じていたに違いない。