なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

懐かしいK・Hのおじいちゃん

2009-08-31 04:17:37 | Weblog
 前にこの人の話を書いた時は単にイニシャルで”H”のおじいちゃんと書いたのだけれど、確かに頭文字はH何だけれど、どうもそれは誤解を招きそうなのでHKと改めました。
 この人は自分からは必要なこと以外はしゃべらない人なんだけれど、多分話が嫌いとかいうのではなくて、自分で口を開いてしゃべるのが面倒なだけではないかなと想像していました。
 人の話はよく聞いてくれるし、決して話が嫌いなわけではなさそう。
  それはそうです、ものを書くのを仕事にしていた時代がある・・・私などは学生時代に買って読んだ本の著者と囲碁を打つ偶然に恵まれた事を幸せに感じたのですから・・・その当時も地方新聞に連載を書いていた筈。
  
 ともかく、午前中は執筆、午後が囲碁で夕方は早めに切り上げると言うのが日課
  大変なヘビーいやチェーンスモーカーでピー缶が好きでいつも碁会所にキープしている。
 残りが少なくなると新品を置いて行く(これは近所のタバコ屋さんに自分用に注文してある)。
 さて向こう2子あるいは3子で打つのですが、大変な早打ち。
  おそらくキャリアが長い分、似たような形を経験しているのでしょう。
 それに勝負は中盤以降にあると思っているのかも知れません。
  私などは毎度同じような立ち上がりだとしても、どこかに違いが無いかとか、若しかしたら前に気がつかなかった儲け話など見落としていないかなど気になるのですが。
  じいちゃんはめったに手を止める事は無いのですが、それでも本当に困った時は流石に止まる・・・そう言う時はたいてい投了寸前。
 早打ち+投げっぷりの良さが特徴。
 
 そう言えばHKのじいちゃんが亡くなった時、実の弟さんが葬儀の翌日に碁会所に顔を出してくれました。
 私もその方と1局お相手をさせていただきましたが、どうやらじいちゃんが生前囲碁を打っていた人と対局して供養にしているようでした。
  
 さてじいちゃんが亡くなって10年以上経つのに何で急に思い出したのか?
  理由はごろ合わせの・・・
 今日、ネットで1局打って幸運を重ねることが出来ました。
  これで4連勝!
 こういう自慢話を碁会所言葉では「カッタカッタ(勝った勝った)と下駄の音」とからかいます。
  下駄と言えばゲゲゲのキタロウでは無くて、碁会所ではHKのじいちゃんのピー缶と並んでトレーでマークでした。
 ビルの二階にある階段を下駄の音高く通っていたのですから。
  階段から下駄の音が響けば「じいちゃんの出勤」の合図。
 と言う事で連勝すればじいちゃんを思い出すことになる・・・これも供養。

ブログのジャンル?

2009-08-30 03:04:13 | Weblog
 よく囲碁ファンが日本には推定○○○万人いるとかという記事を目にすることがあります。
 あの場合のファンという基準は何でしょうね?。
  例えば将棋ファンという事であれば、私も頭数として重複カウントされても了解出来ますが、実際にはここ1,2年は指す機会がありませんでした。
 将棋のルールを憶えたのは囲碁より早く5才の頃ですから個人的な歴史は古いのですが、棋力と言う面ではアマレベルでの有段の力は怪しいし、対局数も少ないのですからかなり心もとない。
  そういう風に考えると、
 ① ファンで日常的に楽しんでいる(日常的の内容も難しいが)。
 ② 好きではあるが、日常的には楽しんでいるとは言えない・・・但し本や新聞、TVなどでは見ている。
 ③ ルールは知っているが、対局を楽しみたいとは思っていない。
 ④ 何も知らないし、やりたいとも思わない。
  いろんな段階があると思うが、普通に考えるとコアファンみたいな①は問題ないとして、拡大しても②までがカウント範囲だと思うのですが、どうも○○ファンという数は③辺りまでインフレさせているような気がする。
 それと調査員が国勢調査みたいに調べたのではないでしょうから、何かの方法で推定値を出したのでしょうから、その予想される誤差が気になります。

 いずれにしても「知っている」という内容は問題ですね。
  ルールを知っていると言ったら、囲碁などは非常に簡単なルールだと思いますから「知っている」人は多い筈(実際には細かなところで微妙に難しい面はあるにしても)。
 でも、ルールを知っているというところで
 ① 黒白交互に打つ
 ② 囲んだら取れる
 ③ 陣地の多いほうが勝ち
  コウのルールを別にすればこれだけでも打てそうな気はする。
 確かにそうなんだけれど、それだけを知っている人が「自分は囲碁を知っている」と思ううかどうか・・・。
 初心者にはそこから入るものの、「知っている」の中身でもっと大事なこともある。
 それは「囲碁の楽しみ方を知っている」という「楽しさを知る」事が大事なわけで、教える立場ではそこを意識する筈です。
 ですから「囲碁ファン」と言うからには「楽しさを知っている」「楽しいと感じる人」の数が問題。
 そうなるとかなり数が絞られてしまいそうで心配。
 うーん、厳しく数字を追求するより、誇大広告でも大目みて言っておく方が良いのかも知れない・・・数字を聞くと片方の頬が歪むにしても。

 ところで数字に関連して
  職場の休み時間にネットでブログのところを覗くと、人気ブログはすごいですね毎日のアクセスが5万とか・・・それにブログの総数が120万を越えているとか。
 まさに凄いとしか言いようが無いけれど、こういう華々しいものと私は無縁の世界でもあり・・・一抹の寂しさもあり、煩悩の主です。
  毎日おおぜいの人が覗いてくれるので、それが嬉しくて1日1回更新を目指して1000日は過ぎたと思います(多分)。
 プロの棋士をはじめ、面白い囲碁関係のブログを読ませてもらうのも楽しみだし励みにもなります。
 それに、自分でもやっているという意味ではブログ仲間見たいな気分でもいられるではありませんか。

  それで(囲碁で)有名な人、あるいはアマでも面白いブログの場合、人気の「男性料理ブログ」とはアクセス数では相当違うにしても囲碁の中で人気のあるブログはどのくらいのアクセスがあるのか気になって調べようと思ったのですが・・・
 私の調べ方が悪かったのか、なかなか目的地に到着出来ません。
  まずジャンルから・・・私としては当然すぐに見つかると思っていたのに
 「今注目の話題」「日記」「報道・ニュース」・・・「グルメ」「暮らし」「ビジネス」・・・中国では体育協会だけど・・・
 ブログを書くときに一つの話題だけを書く筈も無いので多少こういう分け方には無理がありますが、何が軸かという事ですし、最初にはどこかに登録するとか、あるいはブログタイトルにはジャンル分けがあるとは思う・・・それにしてもジャンルで「囲碁」が見つかりません。
 「ゲーム」!、この中の「その他」に分類される?・・・いくつか紹介されているものの中に将棋を指しているらしい写真が載っていたので、そういう風に想像できる。
 だとすると、、、少なくともブログの世界ではジャンル囲碁はかなり辺境状態なんでしょうか?。
 どうもかなりマイナーな世界のように思えて来ました・・・子供時代に生まれ故郷の駅前銀座などをかなりの繁華街だと思っていたのに、実は大阪ミナミとか東京の本家銀座とは比較にもならないことを知ってしまったようなショックでした。
 そうは言ってもランキングの為に書いているのではないので、これからもこれまでと変わらないとは思いますが、しかしジャンルの中に出てこないのは大ショックでした。
 囲碁というものが認められていないような感じで、これが本当に何百万人もファンがいるものの扱いなのか?なんて思ったりしました。

 調べ方を変えてグーグルでストレートに「囲碁ブログランキング」で検索すると出て来ました。
 日本棋院公式ブログ一覧などがあってプロ棋士のブログが紹介されています。
 ともあれ、高尾さんなどの公式ブログなどが紹介されていたのは分かりました。
 但し、私の知っている囲碁ブログのタイトルが出てこない・・・どうも調べ方が悪いのか、集計の仕方がおかしいのか・・・。

 昔、私は新聞の囲碁欄を毎日読んでいるうちに知らない間に打てるようになったのですが、そう言う可能性を目的とするのは難しいとしても、でも囲碁を知らない人が立ち寄ってくれるようなブログがあったら良いのに・・・。
 それも棋院が囲碁を知らない人を対象としたもの
 棋院と言うと元々囲碁ファンしか立ち寄らないものでは寂しい、、、棋院もいろいろ考えてやっているとは思うけれど、でも自分のことを考えると、結果的に好きになる・のめりこむような人は放っておいても入り込んでくるみたいに、効果的な手立ても無く自然に任せて放っておいたらますます囲碁がマイナーになってしまうような気がします。
 自分の中ではメジャーなのに世間ではマイナーな扱いになっているし、自分の職場で50人中で囲碁を打つ人は今は私一人しかいないようです・・・。
 
  棋院が働きかけてプロの先生が大勢出てくるブログを立ち上げ、それが囲碁を知らない人たち、あるいは囲碁とは距離を感じている人たちにもアピール出来るなら状況が変わって来るかもしれません。                    ブログが人気になってアクセスカウントが上がると、今まで縁が無かった人が「囲碁と言うゲームが何だか面白そうだな」と興味を持ってくれる機会が増える・・・かなり楽天的ですが。
  姑息な手段のような気もしないでもないけれど、棋院は「ブログは棋士が勝手にやっている」のではなくて新しいファンの発掘にも棋院公式ブロブとか公式HPを誰でも参加できるように考える、そういう方法もあるという方向で考えて見て頂きたいと思う。
 「コミュニティ活動」「生涯学習」のような従来のやり方の普及活動で現状があるし。
 

S氏の謎

2009-08-29 03:31:37 | Weblog
最近・・・ここ1,2年だと思うのだけれどネットでSさんと言う方の名前を目にするようになりました。
 私の記憶にあるSさんと同姓同名で、もし本人だとすると嬉しい。
 私の知っているSさんは、昔通っていた碁会所に時々遊びに来てくれた。
  彼の訪問頻度と囲碁に対する思いみたいなものは多分正比例してはいなかった筈です・・・と言うのも彼は医学部で医師になる勉強の途中。
 おそらく大学の医局に居て、暇を作るのに苦労していたでしょう。
  そう考えると、忙しい仕事と勉強の合間、貴重な余暇を囲碁に向けてくれていたとも言えます。
 
 物静かな人で、手直しなどでも露骨な非難めいたことは決して言わない人。
  「この手が局面を難しくしたみたいですね」
  「この手より、こう打ってみたい場面でした」
  そんな感じですが、それも意見を求められば話す感じ。
 対局も自分と同じくらいの人がいなければ、人の対局を見たり囲碁雑誌を読んだりして、ゆっくりと碁会所ですごすのを楽しんでいる様子。
  マアそれではあまりにもったいないと、席亭などが「Sさん、良かったらこの人と打っていくれませんか?」などと声がかかれば、それはそれで、にっこりと「では、打ちましょう」と教えてくれるのです。
 顔と名前が一致して、時折教えて頂いてと言う意味では期間は長い付き合いですが、多分私は10局程度は教わったかどうか・・・イヤそれより少ない気はする。
 でも他の人と打っているところはその何倍も見せていただいているので、自分の対局の記憶と合わせそれらのトータルで記憶に残っている感じです。

 卒業後は県内の公立病院に赴任しましたが、月に1回あるいは2カ月に1回程度は遊びに来てくれました。
 年令は私より少し上だと思いますから、多分停年で退職している年頃。
  そういう意味ではネットで名前をよく見かけるようになったことと符合が合う・・・同じ人ならば。
  ネットの会員の名前が出ている欄を見ると、彼の住んでいる県が分かります・・・今はそこに住んでいる?、イヤ元々そこの出身だったような・・・勝手な想像ですが東北方面の県ですが、なんとなく彼のイメージに合うみたい。
 昔、碁会所で2,3子で教わりましたが、いまネットの点数で打つと今も同じ手合い割りになる。
 と言う事は私が進歩して居ないのか、あるいは多少は進歩したけれど彼もまた進歩したのか・・・。
 あれこれ想像するのも楽しい。

 この想像ゲームにはオマケがありました。
  最近対局した人の名前がSさんで先ほどのS氏と同じ姓。
 しかも同じ県に住んでいる・・・マアそれだけで関係者とか親戚・親子などは分かる筈が無いのですが、なんとなく無関係ではないような気がしてしまう。
 「そうであったら楽しい」みたいな心理はあります。
 このSさんとは私の先で、対局中いろんな事を想像して楽しませていただきました。

 私が星+目ハズシに対してSさんは方向を変えて両高目。
  印象としては勢力の戦いに自信があるタイプに見える。
 ここで勢力の張り合いみたいな碁にするかどうかが、まずは第一の分かれ道。
  私は相手に勢力をはられても、現ナマを頂くものは頂く方が嬉しい性格ですから、5手目は目ハズシから小目に戻って閉まる。
  順序を変えると小目からなら大ケイマに打ちそうなところを小ケイマだから1路損みたいな気もするけれど、マアそれはそれで隅への手がかりが変わって来るので細かな事は気にしないことにする。
 白は辺を割打ち、黒も7手目は白の大模様になりそうなところで無理なく割って根を下ろす作戦。
 局面が進んで、戦いの模様はやはり黒の実利対白の模様、この模様が超大模様に変わったりするとマズイけれど、黒が先に現金を握っているので、銀行預金対証券の戦いとも言える。
  序盤の終わりごろ、さすがに白も黒の地が気になるのか深く打ちこんできまして、戦いの烽火が上がった。
 こういう瞬間が好きですね。
  単純に言えば「取りに行く」か「根拠を奪って追い上げる」この選択を考えるのが楽しい。
  打ちこんできた石をそっくり頂けるものか、あるいは取りそこなった場合の自陣のマイナスの大きさ、また仮に取れたとして、もしそれを捨て石にされて効率よくまわりをしめつけられる可能性は?・・・。
 相手を追い上げた場合、一緒になだれ込んで相手の模様をどの程度消せるか?
  更には追い上げ体勢に入った時、果たして相手は本気で逃げるのかどうか?
 取り敢えず、取りに行く姿勢を見せて、相手が「その場で凌いで生きる」もしくは「安全圏へ逃げる気」を探るのが良いか?・・・
  イヤ考え出したらきりがない。
   でも楽しい時間で、これが1手30秒の早碁なのが惜しい。
  30秒を越したらトータル10分の考慮時間があるけれど、但し1手は5分以内に打つルールだし・・・すると最大限の時間を使う事は1局で2度限り。
  ともかくこういう時間が至福の時間。

 それともう一つ幸せな時間は・・・
  例えば自分が固定財産があって、相手は将来性にかけて模様を張っているような場合・・・ここで、国境線交渉の案を出すのが好き。
 相手にも決して少なからず地を与える提案・・・しかしよく見るとそこが相手の地になるという事は反対側に自分の地が出来る・・・こういう国境線を考えるのが楽しい。
 「お得な買い物ですよ」「決してご損はかけません」と甘い言葉で相手を納得させて、実はしっかり自分の方が儲かっている・・・そう言う事を考える場面が好き!
 悪徳セールス・詐欺師まがいの行動がゲームでは許されるのが嬉しい・・・どうも性格に問題があるのかも知れませんが、これが楽しい。
  さていずれにしてもS氏、Sさんの名前に触れて楽しい時間を過ごしました。

オッ!3連勝

2009-08-28 05:50:45 | Weblog
 女房殿が涙腺の手術のために入院する朝の会話
 「手術の日のお昼ごろはもしかしたら病院から電話があるかも知れないからね」
 私:「何それ?」
 「万が一の場合に、勤め先の電話か携帯の電話かのどちらかに病院から連絡があるかもしれないから気をつけて」
 私:「だから万が一って何?」
 「要するに、手術なのに家族が誰も来ないから」
 そう言えば、一応入院して手術するのに、仕事を休んで病院に行くことは考えていませんでした。
  マア、命にかかわる病気とか手術ではないし、「やってもいいし、やらなくてもよい」「今やってもいいし、急ぎでもない」みたいな感じに聞いていたので、病院に詰めるみたいな感覚は全くありませんでした・・・冷たいと言えば冷たい亭主ではあるが、病院としては規則上緊急連絡先を確認したのでしょう。

 それに初めから2泊3日と言うスケジュールも決まっているし、完全看護制度だし、見舞みたいな事も考えていなかった。
 ところが手術が予定されている日に私が勤めから帰宅すると、夏休みで家にいるはずの息子が家に居ない・・・
 その息子から電話があって「今、病院。母さん手術後気持ちが悪いんだって・・・もう少しついていて、夜8時半頃に家に帰るから夕飯頼むね」
 手術そのものは難しくは無いけれど、一応全身麻酔だそうですから、目覚めるに少し時間がかかって、気持ちも悪くなるには違いない。
 しかし今朝までは何も言わなかったのに、黙って病院に行っているなんて、偉い孝行息子と言うか、抜け駆けみたいな点数稼ぎと言うか・・・。
 しかも、夕食の準備はしっかりオヤジに押し付けている。
 結果的には「手術なのに家族が誰も来ないと言う事はなくなっていた」から「まあ良いか」

 そう言う事で夕食の準備は大幅に時間がずれることになりました。
  1時間半は余裕が出来たのですから、これはもうネットに直進です。
 たまたま運よく同じくらいの人が対局待ちリストに載っていたので、早速対局申し込み。
 こういう場合の注意点があります。  
  それは技術的なことや棋力・作戦的な事ではありません。
 「さあやるぞッ!」的な気持ちが強すぎると、頭からガラスのドアに突っ込んでしまう事故みたいな碁を打ちかねない。
  気持ちだけ先走ってしまう暴走注意。
 条件が整って、時間も気力も十分な条件の時ほど手綱をしめないと、「条件が良い筈のにアホな負け」「勇み足」「滑って転ぶ・躓いてよろける」・・・少なくとも私に関してはそれが要注意点。
 だから「スロー、スロー」と言う入り方が出来ないと後で悔むことが多い。
  何事もほどほどが良いのは分かっているけれど、「スロー」で失敗する方が「急展開」で失敗するより多いと感じている。
  「急」の方が大事故につながる方が多いから、印象として強く残っているだけで、本当の敗因としてはどちらも同じくらいの比重があるのかもしれないが・・・そこのところが本当は一局づつ息が違う筈で難しくもある。
  ただ「急」な方は相手に最初にチャンスを与えて、ワンチャンスで潰れる可能性が大きくて、私としては勝負が長引くほどチャンスがあるタイプかも知れない。

  ともあれ私の先番で2目半コミ出し・・・運が良かった。
 これで珍しく3連勝で8月6勝3敗。
  この勢いで勝てる時に勝ち星を稼がなくてはいけないような気になって来るから不思議。

TOSIZOの謎

2009-08-27 04:29:30 | Weblog
火曜日に田舎の姉から手紙が届きました。
 先日のダービーマッチ戦が載っている地元新聞の切り抜きを同封してありました。
  身内のことを褒めるのは変ですが・・・子供の頃にこの姉(次女・6才上)と三女(3才上の姉)と3人が同じ先生から習字を習いましたが、私は中学生になると毛筆の稽古は止めてしまい、学校でのノートへの文字もひどい字を書くようになってしまいました。
 姉たち二人は習字を続け、所謂高段者になりました・・・そんなことで今でも二人は年賀状などは毛筆、私はワープロ・パソコン命。
  ですから今では祝儀袋とか不祝儀などに毛筆で署名する時恥ずかしさと不安で緊張しまくります・・・周りに悟られないように澄ましてはいますが、本当はボールペンかサインペンで書きたいところ。
 姉たちは何かと筆まめですが、私は何十年も手紙もハガキも書いていない、出来るだけ電話で済ませる・・・避けられない場合は女房殿が代筆。

 サッカーの試合の後、夜道を迎えに来てくれたり、今度は手紙をくれたり、姉の気配りに感激。
 勝手な言い分ですが姉も嬉しかったとか・・・
  私の姉たち3人はどういうわけか皆ご長男と結婚・・・しかも先方の両親と同居。
 マア、今では代替わりしていますが、それでも皆それぞれ本家筋の嫁さん・奥さんたち
  そう言う事で、泊っていくお客と言えば旦那の兄弟だったのが、今回初めて自分の弟が泊りに来た嬉しかったとか(結婚後40年?)・・・
 そういうものが嬉しいものかどうかは分かりませんが、世話を掛けた身としては少しは気楽になりましたし、次はいつどの試合に行こうかなどと調子に乗っています。
 息子などは彼から見て伯母に今度は友達と観戦に来て、泊めてもらるように頼んだりしている。

 ところで今、少し引っかかっている事があります。
  先日の夜に姉の家に向かって歩いている道筋で、龍華(リュウゲ)寺、とか鉄舟(テッシュウ)寺という地元では有名なお寺の前を通ります。
  どちらもそれなりに由緒があるお寺で、私は中学生時代、高校生時代にこれらのお寺の墓地や庭を歩くのが好きでした・・・そこから富士山がよく見えたはずなので、多分龍華寺の方だとは思う。
 見下ろした庭に大きな蘇鉄があったはずだし。
  ともかくその墓地に大理石なのかあるいは黄色っぽい砕石を白セメントで固めて磨き上げたような石のお墓があったと思う、いや記念碑だったか?・・・表面には鑿で彫ったというよりエッチングみたいに文字が刻まれていたはず。
 「TOSIZO HIZIKATA」とローマ字で書かれていたと記憶しているのですが、相当曖昧。
  でも当時に「何故函館で亡くなったはずなのに?」と疑問に思った記憶は今でも残っている。
 これが例の土方歳三のことなのか、それとも別の人なのか?、なんでここにそういうものがあるのか?疑問に思ったものの今でも謎のまま。
  石の色からしてお墓らしく無いし、ローマ字以外は無し、何のためのものか理由のようなものが書かれていないし、何か書いてあっても良さそうなのにと当時・少年時代も思った。
 それなのに今もその疑問を放置したままで未だに疑問を抱いたままなのを思い出しました。
 しかもどっちのお寺か記憶が曖昧だし、今でもそれがそこにあるのかもわかりません。

 次にまた姉の家に泊まって観戦に行く機会があったら、今度こそ謎解きに行ってみたい。
 姉の家からスタジアムまでブラブラ歩いて行く途中にお寺があるのだから、意外にチャンスはやって来るような気がしています。
 尤も謎を解いてしまうとなんだか寂しい気がするかも知れないのが不安、逆に新たな謎とか事実が明らかになったりする期待もあるけれど。
 
 さて姉の家の先代は囲碁を打っていました。
  長年地元の教育界で仕事をしていたので、そういう関係者とも自宅でよく打ったらしいが、私とは打たずしまい。
 尤も実際に顔を合わせた事が少ないし、いつも何かの用事で訪問した時だけなので対局は出来なかった(目下の方からは言い出しにくいし)。
 理由はもしかしたら、私の実の兄が私との囲碁対局も将棋も避けるように、親戚とは打ちたく無かったというのは勘ぐりでしょうか?
 これも謎のまま・・・そう言えば足付き碁盤などがあったはずですが、今誰も打つ人が居ないから用無しなのに、あれはどうしたのでしょう。
  まあ、私が心配する必要はありませんが気になる。

今日から”臨時”主夫

2009-08-26 06:46:21 | Weblog
 刑事コロンボ調に「家のカミサンが・・・」、以前に相談されてはいた。
  「目の涙腺が詰まっているので、涙の出方が不規則」なんだそうで、解決策としては煙突掃除と同じでパイプの掃除しかない。
 「どうしてもやらなくてはいけないわけではないけれど、まだ先が長いのでうっとおしさを解決しておいた方が良さそうなんだけれど、どうしたら良いと思う?」
 こういう問いに自分の事でなければ「放っておけ!」と言える人はまずいないはずです。
 手術というより処置みたいなものでしょうが、問題はいつやるか。
  という事で今日から2泊3日・・・女房殿にしたら病院=リゾートに骨休みに出かけたようなものです。
 この間は3食付きです・・・尤も目の問題ですから余り目を使う事は出来ないかも知れませんが。
 ともかくその間は私は自分の事はなんとかしなくてはいけない・・・それは良いとして一人出来の悪い息子がいるのが問題。
  メシはどうする?
  必要な物はなるべく自分で調達せよ
  洗濯物は控えめに・・・汚すな
  掃除はしなくてもよいようにきれいに生活
  風呂は自分で沸かして入れ・・・私がその次に入る。
 マア、こういう事で3日間を乗り切る方針。
   ともかく「洗濯」「掃除」は大の苦手。
  放置したいところだが、季節がら汚れものを放置出来ないし・・・「冬休みにしてもらえば良かったか!」「残念!!」

やはり「困ったことは先送り」感覚
  「メシ作り以外は、留守番しか自信が無い」・・・とぼやきながら1局。
 落語的発想で言うと「自分の”不幸”に弔問客が『このたびはドウモ』などと言っていると、横から『そんなことより1局どうです?』」などと想像している。
 困ってはいても真剣には悩まない・・・長生き出来るかも。
  そのためにも取り敢えずこの3日生き延びる。
 碁の方は、運が良かったようでこれで5勝3敗。
 

ばててる時ほど打ちたい

2009-08-25 04:33:40 | Weblog
 たった1泊2日のバスツアーなのにばてています。
  3年前には息子と二人で新宿発の往復ライナーでデイゲームの観戦・応援に行きましたが、その時より疲れが残っているような感じです・・・これはやはり3才分年を取った証拠でしょうね。
 前回は不甲斐ない負けを目の当たりにして、さっさと帰ってきたのでストレスはあったけれど体は疲れていない、今回は試合で気分が高まって、3倍花火やら選手とサポーターでのロコロコ、それに王者の旗まで楽しんでしまい、おまけは姉の家まで小一時間ウォーキングつきですから気分は爽快ですが体はフルに動いている。
 気分が高揚しているとその時は出来てしまう・・・それが後になって疲労感として残っているようです。

 ですから家に帰って日曜日の夜9時ごろにはネットで観戦していた筈なんですがいつの間にかうたた寝。
 いや気がつけば朝5時近かったのですからこれは転寝の枠を軽くオーバーしていました。
 部屋のカーテンの隙間から既に朝の気配が漏れてきます、曇っているらしいけれど薄日が漏れているようでした。
 さてさて、中途半端に目が覚めると、二度寝は寝坊が心配だし、さりとて睡眠十分とも言い難い。
  要するに1晩では疲れが取れていないということです。

 高速バスの張り紙で「乗せてはいけないもの」のリストで「死体」と書いてあったのを嗤っていましたが、自分のことを考えると、生きてはいるけれど半分怪しいみたいな感じで乗っていたに違いないと笑ってしまいます。
 ところで、こんな風に体は疲れていても気持ちだけは元気ですから、そういう時ほどネットで打ちたい。
  目を開けていられないほど疲れているなら、それは無理ですがソコソコの疲れの時はかえって打ちたいものです。

 今日は大阪の人と打ちました。
  まず一局目は向こう先で持ち時間各45分+一手30秒の秒読みつき
 これは疲労を引きずっている事を十二分に発揮してしまいました(それは言い訳で、要するに不注意+読み不足)ので、中盤の入口で試合放棄。
 同じ人と二局目
  次は早碁で持ち時間1手30秒+考慮時間合計10分。
 一局目よりは多少まし(本当は相手の人が一局目の勝ちで、今回はユルメてくれたに違いない・・・または弱い相手だと油断したか?)な進行。
 だいぶ良かったはずなのに、とんでもない見落としで白石10個をダメ空きで無条件で取られてしまうという大失態。
 マア、情けないやら恥ずかしいやら。
  それでも8目残っていたという運のみの勝利・・・こういう碁を勝つと何故か罪悪感が残りますし、穴があったら入りたい心境。
 これで今月4勝3敗。
  次はもう少しコンディションを整えなくては相手にも失礼でしょうね

新型インフルエンザに注意!?

2009-08-24 17:46:32 | Weblog
 お盆の時期に民族の大移動と言うか、長距離移動があったはずですから、もし仮にインフルエンザの素を潜在的に持っている人が移動に参加していたら、菌が全国的に万遍なく行きわたったに違いない。
 私はお盆はどこにも行かなかったのですが、今回はサッカーを見に故郷に行ってきたのですから、目的は違っても結果は同じ。
 しかも2万人規模の入れ物の中でかき回された空気を吸ってきたのですから、感染する確率はかなり高くなっているはず・・・後は運頼み。

 ところで私の住んでいる県のホームページを見ると、県知事の写真の近くにまずは「新型インフルエンザに関する情報」(福祉政策課)という記事が出ています。
 こういうタイトルは、いかにも県がインフルエンザに真剣に向き合っているかのような錯覚を感じます・・・いや表現が悪くていけない・・・真剣にはやっているはずですが解決策が無いだけでしょう。
 しかし、タイトルでかなり重要な為になる情報のような気はしますが読んでみてがっかり
 「発熱など新型インフルエンザの感染を疑う症状がある場合は、季節性インフルエンザと同様に一般医療機関において・・・」要するに何かの症状があったならかかりつけ医に診てもらいなさいと言う事。
 強いて言うなら「自分で何とかしなさい」と言っています。
  もとより自分の身は自分で守るしかないし、何かあった後で文句を言っても始まらない事は確かですが、要するに自分の責任で対処しなさいと宣言されたように読めます。
 これからは公的機関を余りあてにしないように・・・これが重要な情報?
  
 夏休みが終われば児童生徒が学校に戻って来る・・・これは再シャッフルみたいな効果があるかもしれません。
  「普通冬にインフルエンザが流行するので、その前にインフルエンザのような症状があったら医療期間に連絡して指示に従いなさい」(この時期インフルエンザのような症状があった場合、新型の確率が高いのだそうです)・・・常識的だけれど重要と言えば重要なのかな。
 発熱などがあったら早目の受診・・・それはそうでしょう。

 最後のところは私に関してはかなり重要な話でした。
 ・基礎的疾患を有する人は出来るだけ早く受診!!
  基礎的疾患:私は心臓欠陥はあるし、血圧も薬でコントロールしているし、、、体中疾患だらけ!!
 どうも特効薬の開発と私の生存確率は重要な関連がありそうな気配。
  文面通り受け取って、私の最善の対処方法としては、10月までの休暇の権利を全て行使して家に引き籠り、日夜ネット碁に明け暮れる・・・それが出来たら・・・。
 但し訳カ月の休暇が終わって出勤したら・・・まだ流行が治まっていなかったりしたらなんとなく悲劇的ブラックユーモアの世界ですね。
  マア、これまで通り何が起ころうと「世の中そんなもの」「マ、いいか」「成るようにしかならないね」で行くしかない。
 それが一番性格にあっている。
  マア、これまでも「運のみ」で生きてきたから今さ急に慌てるのも変ですね。

積み込んではいけないもの

2009-08-23 14:19:58 | Weblog
 今年初めて出身地のスタジアムで観戦・応援して盛り上がってきました。
  行く時は今年一番の暑さなので大変でした・・・蒸し暑さが。
 しかし、スタジアムは日影に座れたし、風が吹いていたので思ったよりはしのぎ安くて助かりました。
 結果も幸運に恵まれ、試合終了後の「いつもの3倍花火」や「監督・選手・サポーターのロコロコ」で盛り上がって帰るのがお遅くなりました。
 姉の家に電話をして途中まで迎えに来てもらったので助かりましたが、慣れない暗い夜道をゆっくり小一時間歩いたので、かなりの運動量になったようです。
 姉のところは一人息子が独立しているので、来客を歓迎してくれます。
  それに甘えて我が息子などは「秋になったら、ここで試合を見たいという友達と一緒に来ても泊めてもらえます?」などとスッカリ甘えモード。
  これは6才年上の姉に世話を焼かれていた私(父親)のDNAかも・・・

 さて、1泊2日の小さな旅行でしたが、さすがに旅をすれば学ぶことがある。
  今回はバスの「積み込んではいけない物」のリストがヘエのトリビアと言うかブラックユーモアと言うか・・・
 昔からバスとか公共交通機関に積み込んではいけないものの常識的なリストとしては、例えば可燃物とかガスとか爆発するものがあります。
 花火も一定量を越えてはいけません。
 フィルムも一定量を越えれば不可で、マッチなども量が多いと当然ダメ。
  今回チョット変わったことに気がついたのは、例えば動物。
 以前ですと動物は駄目だったはずですが、今日見たリストでは(盲導犬・介護犬などを除く)と但し書きがついています。
 それと、従来は所謂酔っ払い状態で周囲に迷惑をかける場合は乗車お断りだったはずですが、その他に「悪臭・汚れがひどい場合・・・」というような場合も乗車お断りとなっていました。
 確かに何日もお風呂に入っていないような人が乗り込んできたらチョット・・・
  社会問題として難しいところもあるかもしれませんが、おそらく運転士さんの判断でお断りするのにその根拠をあらかじめ書いてあるのでしょう。

 さて一番の「ヘエ」は、「積み込みをお断りするもののリスト」に「死体」と書かれていた事です。
 こういうものを高速道路の長距離バスに乗せる人がいる?、あるいはいる可能性がある?。
 例えば、東京で一人暮らしの人が亡くなって、遺族が遺体を故郷に運ぶ時にバスに乗せる?
 確か遺体の運搬については警察の許可が必要でしょう・・・そうでなければ事件との区別がつかなくなるし。
 でもそう言う法的な手続はもちろん守らなくてはいけないが、バスに乗せて帰ろうとする可能性があるという事が怖いような気がします。
 落語の世界では「ラクダの馬さん」という話がありますが・・・もしももしも現実に一緒のバスに乗り合わせたら・・・マアそういう事が起こらないための規則ですね。
 尤も、事前にこういう事を断っておかなければいけないというところが怖い。
  「御断りの根拠」を示すためにあらかじめリストアップしている・・・という事はここに書いてなければ「一緒に乗せてください」と言う人がいる可能性があるのでしょうか。

 さてさて、最近のクレーマーの話や、行きすぎた権利主張の話など、一体日本人はどうなってしまうのか心配(こういう心配は私らしくない?)。
 ともあれ往きも帰りも(渋滞・事故)で30分遅れでしたが無事に帰ってきました。
 予定より30分遅れが許容範囲と言う事なんでしょうね。

ダービーマッチ

2009-08-21 18:06:57 | Weblog
 囲碁の話ではありません・・・今日はサッカーのダービーマッチの日です。
  家族3人で前もってスタジアムのチケットと東名バスの予約を用意してあったので出かけます。
 マア往きは問題は無いはずですが、帰りは大いに気になる。
  家族全員の共通の趣味で、共通の贔屓チーム・・・ここまでは問題ないのですが、仮に不甲斐ない結果だったりすると、途端に状況が一変。
 大人ですから荒れ模様にはなら無いものの、半お通夜状態にはなる。
  そういう時は土日の試合の後水曜日辺りまでは必要最小限の会話のみ・・・ですから会話とは言いにくい。
 時間が心を癒してくれる、週も半ばを過ぎると次の週末の試合の話が出始めるので、やっと立ち直れる。
  いつもですとシーズン中はそう言う事の繰り返し、シーズンオフになって平穏な日々が続くのですが、それはそれで退屈な日々となるので、人間と言うのは我がままで贅沢に出来ている。
 
 そう言う単純な家族ですが、今回は試合終了後スタジアムの近くにある姉の家に泊めてもらうので、そこのところが問題です。
 結果が悪くても、まさか世話になる立場で不機嫌そうな顔で行くわけにいきませんから、自然に笑顔に成れる結果であることを祈るばかりです。
  尤もあそこ(姉の家)も全員同じチームのファンですから、祝勝会もしくは残念会になる可能性は高い。
 さてさて、楽しみにしていた遠足の当日みたいなもので、囲碁対局も手につきまでんので、打てません。
 このまま出発します。
  多分帰りは日曜日の午後になるでしょうが、嬉しい話を書けるとよいのですが・・・とりあえず帰ってきたら一番にパソコンのスイッチを入れることにします。

 前回息子とあのスタジアムに行った時は、新宿からの往復ライナー便での応援・観戦ツアーで、同じ市内の兄弟の家に寄らない予定でしたが、現地駐車場で甥っ子の一人とばったり出会いました。
  甥っ子がその場で姉に携帯をかけてくれて話だけはしましたが、義理を欠いたのがバレてしまいました。
 そういう偶然もあるのですね・・・尤も彼の勤め先がチームの協力会社で、サポート担当の仕事をしているので出会う確率は高かったようですが。
 さて、今回も誰かと出会う事もあるかもしれません・・・東京の国立競技場に観戦で行く時より確率は高いでしょう。
 何といっても兄姉が3人健在ですし、両親とも多産系だったらしく元々親戚縁者がたくさん住んでいるし・・・。
  そういう偶然な再開もあり得ますが、その場合は「オッ奇偶ですね」と澄まして言う事にしています。
 土曜日は試合終了後多分姉の家に寄るのですが、もし勝てばいつもの「3倍花火」だし「王者の旗」をうたうだろうし・・・10時くらいに姉の家に着いて翌朝8時くらいには帰途に着く予定なので、まさに姉のところをビジネスホテル代わりに使うので、ゆっくり出来ないどころか、あわただしく面倒をかけるので叱られそうな気は行く前からしています。
 姉は呆れるでしょうし、義兄は内心怒るかも(その義兄が始発ターミナルまで送ってくれる)・・・マア「末っ子はいつまでたっても我がままで勝手な所は直らない」と言う評判を甘んじて受けることで、いつまでも甘えられるという事です。
 毎度・・・勘弁して貰う予定ですが果たして?。
 

韓国将棋って

2009-08-21 17:57:41 | Weblog
 昔お話したことがありますが、学生時代に「留学生部」と言う学部がありまして・・・日本人が外国に留学するための学部ではなく、外国から来た留学生が日本の文化・言語に慣れながら全国の大学に振り分けられる準備期間に在籍する学部です。
 私が部活などでお世話になっていたK先生は当時その学部の助教授でした。
  その先生がある時留学生の一人と私の住んでいるアパートに遊びに来ました。
 先生は気が向くとジーンズに下駄ばきで遊びに来る・・・かなりの飲兵衛なんですが、下戸の私のどこが面白いのかわかりませんが、嬉しい事です。
 (当時先生は独身でしたし、助教授と言っても年は一回り・12才しか違わないので、私にとっては実の兄とほぼ同じくらいの年齢差です)
 その学生はイスラム革命以前のイランからの留学生・・・片言の英語とゆっくりの日本語での会話でしたが、彼が部屋の隅に置いてあったチェスのセットに気がついて嬉しそうな顔・・・チェスをやることになりました。
 私は日本の将棋は弱いし、チェスも駒の動き方を知っている程度のど素人ですから彼にコロコロ負かされました。
 考えてみれば日本の将棋に当たるのが彼にとってはチェスだったのでしょう。
  インドあたりを発祥の地とする遊びが西に行ってチェス、東は中国将棋、韓国将棋、日本将棋、、、多分ベトナムとかタイの方も何かあったはず。
  ともあれ、わたしが3連敗したのに彼は「もっとやろう」という構えです・・・私の方はこうなると逃げの一手。
 囲碁と違ってハンデが無い遊びですからサンドバック状態。
  そんな思い出がありますが、イラン方面のニュースが流れるたびに彼の顔が目に浮かびます。

 さて、将棋と言うと・・・韓ドラ見ていて将棋を楽しむ場面がたくさんあるドラマに出会いました。
 話の本筋ではありませんが、お爺さんと息子、あるいは隠居の老人同士の将棋・・・そう言う風俗習慣があるのだという事がわかりました。
 ところが一か所気になる場面に出会いました。
  お爺さんが「将棋を打とう」とか「早く打て」と相手に催促する場面。
 日本的感覚では囲碁は「打つ」で将棋「指す」ですから字幕は「指す」が正しいと思われるから翻訳ミスと思った・・・ところが実際にお爺さんの手つきは、かなりの勢いで駒を盤にたたきつけるようなしぐさ。
 音も「パチッ」とするし、そういうパフォーマンスはまさに「打つ」がふさわしい。
 さて、どういうものでしょう、「打つ」と言う字幕の訳者はそこまで考えたのでしょうか?

 パソコンで検索すると日本の将棋の駒は五角形、中国将棋は○型、韓国将棋は八角形。
 日本将棋と違って「成る」とか「取った駒を使う」などはありませんから、中国将棋に近いように思えますが、中国将棋の「河」は無いようですからやはり独自の発展をしたのでしょう。
 駒を見ると両方の最も重要な駒が「楚」「漢」のようです・・・秦の後の天下分け目の争いという事なんでしょう。
 駒には「士」とか「象」とかも・・・面白そうですが、囲碁もままならず日本将棋も弱いのでこのうえ手を広げられません。

 将棋で、手を広げると言うと・・・これは中国将棋ですが。
 20年近く前の話ですが、当時の中国プロチャンピオンが休暇で日本に滞在した時。
  彼は日本に来た初日に、日本人(もちろんアマ)から日本将棋を教わりました。
 私と会ったのはその翌日。
  彼とまず囲碁を打ったのですが・・・印象は「よく考える」「凡ミスはしない」・・・つまり遊びの囲碁も仕事の将棋と同じ姿勢。
 ですから「強い」し勝負に「負けない」人。
 次に日本将棋を指したのですが・・・これが生まれて2局目の人とは思えない。
  当然定跡とか作戦などの勉強はしていないはずですから、ルールも昨日お覚えたばかりのはずなんですが、これまたじっくり考えて指す。
 「プロとはこういうものか」と思いました。
  考える習慣、考える姿勢が違うし、指す手・着手に「覚悟」があるような感じ
  その彼から相手をしたお礼に中国将棋を教えてくれるという申し出があったのですが、私は「個人能力の許容量オーバー」と言う事で遠慮しました。
 教わるのはありがたいけれど、なんだか「みじめ感」が増大するような予感がしたのです。
 でも考えてみれば惜しいチャンスを逃したものです。
  あの時教わっていれば中国チャンピオンの日本での一番弟子(順番にすぎませんが)になれたかも知れません。

 話は韓国将棋に戻ります。
  ドラマの上だけなのか、お爺さんの手つきは将棋を「打って」います。
   
 
 

待てない性格

2009-08-20 05:28:39 | Weblog
 息子が目を怪我をして眼科のお世話になりました。
  実はけがをしたのが土曜日なのですが、運悪くお盆と重なっていてどこも休診日で、救急センターの眼科は日曜日のみオープン。
 土曜日に友人たちとサッカーをしていて、ゴールキーパー役の時に顔面、しかも左目の上で強烈なシュートを受けたらしい。
 「素人の遊びでそこまでやるなよ」って言う感じだけれど、一生懸命やらなければ遊びだって面白くないだろうし、真剣に遊ぶのは私の遺伝かも知れない。
 ともあれ、土曜日は診察を受けられず、日曜日に救急センターで受診。
  これも、ともかく診察を受けただけで、治療などは盆明けとなりました。

 タイミングが悪い時はこういうものですね・・・月曜日には近所の眼科はすべて休み・・・。
 水曜日に一駅隣の町の眼科を受診しました。
  20才過ぎの息子ですから、私がついて行くこのは過保護っぽいのですが、ヒマだし帰りにランチでも食べようかという事で一緒に行きましたが、これが誤りの始まり。
  こんな蒸し暑い日は、家を出ないのが正解でした。
 眼科に着いてまず初回の問診票とかの手続きは当然本人がやります・・・その後10分程度で名前を呼ばれて何やら診察を受けた・・・と思っていました。
 ですから『意外と早く終りそう』と思いました・・・ところがその後30分は待たされているのに放置状態。
  エアコンの効いた待ち合い室で大型液晶画面のTVを見ている時間が続く。
   マアそういう形ですから待てないことは無いにしても、いつまで待たされるのかわからないし、『若しかしたら忘れられてている?』みたいな不安感。
  こういう時そのまま待てない性格。
 受付に確認すると「先ほどのは基本的な検査で、診察はこれからお呼びします」
  成程そういうものかとは思ったけれど、実際には次に呼ばれるまで全部で1時間10分待たされた。
 再度名前を呼ばれて診察を受けて10分くらいで出てきたのですが、これは瞳孔を開く薬を注しただけで、効果が表れるのを待って後20分くらいでまた呼ばれる予定なんだそうで・・・。
 この辺りがもう私の限界。
  理由のはっきりしていること、先の見通しがつくものは待てるけれど、はっきりしないものには弱いのと、いつまでも待たされるのは『理不尽』だと感じてしまうところがある。
 実際には私たちだけが待たされているのではないから、『理不尽』ではないのは承知しているけれど、頭ではわかっていても心の反応は別。
 目をつむって瞑想ではないにしても、頭の中で遊んでいれば時間をつぶせますが、既に『訳分からない』みたいな拒否反応が出始めているのでもうダメ。
 従って私だけ本屋に緊急避難して外で息子とは待ち合わせることにしました。

 結局は・・・息子にとって目は大事ですから、診察を受けるのに2時間以上はかかってしまいました。
 (もし私自身の受診だったら、『今日はヤメ』と言い出しかねない)
  息子とは駅のベーカリーで焼きたてパンとアイスティーでランチを取りましが・・・こういう機会はあまりないでしょうから、これもよい機会かもしれませんが。
 息子から「オヤジは待つのが苦手だなァ」と率直な感想と言うか呆れた感想。
  確かに私は先の見えない物を待つのは駄目。
   しかし彼は私が碁を打つのを見たことが無いので別の面を知らないのです。
 囲碁みたいに時計のルールがあるものならいくらでも待てるし、イライラなどしないのです。
  訳が分からない事、先が見えないことには弱い。
 ラッシュ時のバスを待てないし・・・若い頃に営業先で幾ら相手が得意先でも「平然と相手を待たせる」ところには弱かったし・・・。
  待ち合わせ時間に遅れるのに連絡が無い・・・これも待てない。
 「別の機会に変更しましょうと言いたくなる」し「先に帰ってしまうと自分が待っていた証明が出来ないので、アリバイの為に待っている」ようなもの。
   せっかちではないのだけれど、予定の事が予定通りに進まないのに理由がはっきりしない・・・お手上げで、セルフコントロール不能に陥ります。
 ともかくこの年になっても「泰然自若」と待つように人間が出来ていない。

試してみたい気持ち

2009-08-19 05:31:44 | Weblog
 私、大学を出て初めに就職したのは極ゴク小さな商事会社。
  マア大企業とか将来有望な職種などとは縁が無いだろうし、団塊の世代・競争世代の続きを社会に出ても競争の続きをやりたくなかったし・・・希望しても受け入れてくれるところは無いはずなのはわかっていたし。
 いい加減な学生時代のツケで親からは半勘当でまさに絵に描いたような貧乏学生。
 丁度当時流行っていたかぐや姫の「同棲時代」、イヤ月刊ビックコミックの方の「同棲時代」的雰囲気・・・
  その頃アルバイトで通っていた会社の社長と支店長に誘われたのがきっかけで、アルバイトから正社員に身分変更。
 「どうせ大会社には入社出来ないだろうし」「生活できそうだった」全くの成り行き的流れ・・・これも私らしいと言えば私らしい。
 その会社は小さな会社・・・大きな会社の福利厚生部門の手伝いで、社内の直営売店とか給食施設、ボーリング場のレストランとかを受け持っている。
 私は一応幹部候補で営業担当ですが、会社が小さいのですから何でもやる。
  例えばイベントに人数が必要なら手伝いもするし、レストランの厨房の人数が足りなかったりすればコックさんの手伝いもするし皿洗いもする。
 この頃、生まれて初めてよく切れる重い牛刀を持たされてコールスローを作りましたしネルドリップでコーヒーを落としたりしました。
 マア初めはキャベツと一緒に左手の第一関節あたりの薄皮を切りましたが・・・

 その頃コックさんがよく話してくれた・・・正しいかどうかは知りませんが彼なりの仕事観で今でも記憶に残っている話
 「料理はね家庭の奥さんが心をこめて作ればかなりおいしいと思うよ。点数にしたら120点くらいあげたくなるものもあるでしょう。でもね120点が標準になったら、もし90点以下のものを出したらどうなる?、100点でも文句を言われるかも知れない。どんな時でも一定以上の水準を保てるのがプロなんだよ。だから100でなくても95点を保持するのも大切なことなんだと思う。」
 成程私だって多少予算を無視すれば、かなりおいしいものは出来る。
  しかし一年中続けるとなると・・・

 職人仕事という意味では「一定以上の仕事をコンスタントに出来る事」が大事だとコックさんは言いたかったらしいと思うのだけれど。
 しかし同じ職人仕事でも芸術性みたいなものが絡んでくるとチョット様子が違うとは思う。
 水準をクリアーしているだけなら一山幾らと言うものかも知れない。
  作った人の拘りとか遊び心を感じるものでないと嫌な物もある・・・消費する食事と違って絵やリトグラフなどはこっちですね。

 囲碁で言うと・・・芸術作品みたいに記録されるプロの世界は知りませんが、私がわかるのは消費的な碁の方のザルの世界です。
  「一定のレベルで打ち進めるのが大事」:これは例のコックさんの話と符合するかもしれません。
 それで「どう打っても一局と言う分かれ道」
  例えば「Aと打てば普通」というところでいつもAを選択できる人は勝率が良いだろうし、ランクアップも早かったと思う。
 「Bと打つのも一局」という場面でBを選択することが多い人は黄色信号かも
 さらに「Cも無い手ではないが後が難しい」のCが好きな人は赤ランプではないにしても勝率は低いような気がする。
 もっとも、相手がびっくりして間違えることもありますが、ともかく勝率で言えばA>B>Cになると思われます。

 ではいつもAでなくてはいけないのか?
  勝率を考えたらAが良さそうでも、Bと打ってみたいCも捨てられないと思う時もある、いや大いにある。
  勝率で手を選択する、言ってみれば確率的に・・・すると一応「確率的」という手段選択のコンセプトはあるとしても、その場合一局のストーリーの整合性って?・・・。
 問題はどう打つのが楽しいかで決めてもよいでしょうか?
  打って楽しい?、あるいは結果として勝てると楽しい?これが必ずしも一致しないような気がする時が多い。
 イヤ「俺は素人だから打ちたいように打つ」と開き治るのですが、「いつまでそんな素人っぽい手を打つ?」「相変わらず無茶苦茶やりおる」などと非難されそうで人の目が気になったり。
 最も自分では至極普通のAのつもりが実は評価はB,Cだっていう事もあるはずですから困ったものですね。

 私は自分では遊びが多すぎると思っている・・・だからK畑師匠と「常にAだけを打っていて揺るがない勝ち方が出来れば強いと言えますね」などと話したものです。
 しかし私は人の評判ではAタイプ・・・但し「揺るがないA」では無くて「マンネリのA」あるいは「工夫が無いA」:つまり「馬鹿の一つ覚え的A」
 当たっているとは言いたくないけれど、外れでもないのが悔しい。
  但し人生としては堅実なAではなく、行き当たりばったりのDに違いない。

夕方検診に

2009-08-18 06:05:38 | Weblog
 本来なら先週の土曜日には循環器の検診を受けなくてはいけなかったのですが、ここのクリニックは予約制ではないので薬の減り具合を見て決めています。
 たまたまお盆と重なったので『多分休診だろう』と勝手にさぼりました。
 さぼったのはマア私の勝手ですから良いとして、4週間ごとに薬が出ているので、何種類かの中には足りないものが出てきます。
 不足するのは2種類の薬。
  10種類以上を朝昼夕寝る前とに分けて服用しているので2つくらい、しかも朝のみの薬なので1週間くらいは飲まなくてもどうという事もなさそうな感じもするのですが・・・若しかしたら服用している薬の微妙なバランスの上で生かして貰っているのかも知れない。
  試しに実験するのも面白いかも知れないのだけれど、いざとなると自分の体で人体実験をする度胸に欠けます。
 それに、次の土曜日は病院にいく時間はなさそう・・・この日は故郷のスタジアムに家族揃ってダービーマッチを見に行く日なのです。
  ネットで調べると、病院の紹介ページにはお盆休みの日程表はありません・・・若しかしたら月曜日には平常通りかも?
  電話をしてみると医師の先生本人が出てくれて、「5時50分までに受付をしてください」と言う事で、初めて仕事の帰りに診察を受けに寄りました。

 緊急な、急に具合が悪くなったではないので夕方に診察を受けるのは多少変な気分ですね。
  待ち合い室には、女性の方が多いようです。
 土曜日の朝などは圧倒的に私同様のジイサマとか停年近い年代の男性が多い・・・これは平日には休めない人たち。
 対して平日の夕方は働いている女性が仕事を早く終えて診察を受けに訪れるのだろうか?・・・
 マア大したことではないのだけれど、世の中の観察・『きっと、そうに違いない』と一人で納得していました。
 (ヒマな待ち合い室でも時間を無駄にしない性格!?)

 ところで、診察を終って薬局に行くと・・・薬剤師さんは一人。
  そこの責任者の人が一人で頑張っていました・・・イヤ、私以外はお客がいない状態なので、私が行かなかったらまるでヒマだったでしょう。
 若い薬剤師さんたちを休ませて・・・これもお盆の体制なのでしょう。
  私の職場では偉い人ほどお盆に休暇を取り、若い人は遠慮をする傾向がありますが、、、ここは反対です。
 最もお金とか保安上の事を考えたら責任者の人も自分が出た方が気が楽かもしれません。

 さて、家に帰ってネットで対局。
  いや、仕事の後に病院に寄ったりして、気持ちは『本日の業務はすべて終了しました』状態なので、多分集中力に欠けそう。
 こういう日は『見るだけ』が無難そう・・・でも好きな物は止められない。
  「今日は見るだけが良い日」ほど打ちたいものなのです。
 夕食後に一局
  向こう先で白半目コミ出し、一手30秒+考慮時間トータル10分。
 立ち上がりは相手3連星にこちらは2連星・・・黒の大模様に白実利作戦。
  私もいつもの形ですが、なんとなく相手も得意のパターンなかも知れないと
感じました。
  こういう時は自分と相手の陣形を見るというより、相手の好みの形を崩したくなる欲求とも戦います・・・自分の形云々より相手の形を崩したくなるイジワルな悪魔の囁きがきっとあります。
  相手を崩しに行くのは自分の隙も大いにあるので、反撃を食らうか、闇試合になる事が多いので、ビッグチャンスなのか大ピンチのきっかけなのか難しい。
  ともあれボクサータイプの気持ちでうちました(出来るだけ『ヒット&アウェイ』)。
 終局近くで数えると少し余裕が有りそうだったのに・・・ここで何を血迷ったのか私の得意技!。
 駄目詰めの手順に大ウッカリの大チョンボ見落として、3目取られて且つ私の地になるところが3目減って相手に2目出来る!!・・・何たるアホな事態。
 まさに打たない方が良い日に打った祟りみたいな出来ごとが起きてしまいました。
 それでも結果は悪運尽きず・・・私に半目残っていた。
  盤面で1目残った!!・・・冷や汗をかいて、変な結末を迎えて恥ずかしい1局でした。
 なんとかこれで今月は3-2。
  しかし運のみの勝利、今回は助かったけれど、先が思いやられる。
  

 

遊心

2009-08-17 04:40:04 | Weblog
 囲碁で対局する時に何か手に持っていないと寂しい気がしますから、ザルながらも対局する時は扇子を持つことにしています。
 囲碁を始めた当座は持っていませんから、いつの頃からかは忘れましたが・・・
  確か私がうんと若くて弱い時代に扇子を持って対局している人の姿を見て、囲碁のベテランみたいなカッコよさと同時にどこか囲碁的きざっぽい感じが半々だったと思う。
 真似したいという気持ちと、弱いのに真似るとなんだか嗤われそうな気おくれがあったはずです。
 それがいつの頃からか『対局する時は手に持つ習慣』なんて平然と言えるようになって・・・若い頃よりは棋力が上がったのは確かですが、人の目を気にせずに扇子を持って対局出来るのは、マア年令的な皮の皮の厚さみたいなものでしょう。
 
 手に持っている癖みたいな事で言うと、例えば事務的な仕事をしている場面、左手で受話器を持って話しながら右手がヒマな時に、同僚の若い職員は器用にボールペンをクルクル回しながら話をしている。
 これは面と向かって話をしている時は流石にやりませんから、電話の時の癖ではあるが、これは対局時の扇子の役割に似ているかも知れません。
 扇子の場合は見てくれだけでなくて実際に役に立つ道具ですから、恥ずかしがったり気障に感じたりするのはおかしいのですが、、、。
  
 私の場合は人の目にどう映ろうと、碁会所の対局、コミュニテイでの対局などリアルはもちろん家でのネット対局でも扇子を持つことにしている。
 イヤ、正しくは家では『何か持つ』事にしている。
  普段はネットに入場する時は手元に扇子を置いておくのですが、もし手元に無かったら・・・実は孫の手を持っている。
 30センチくらいの竹製で、手に持ちやすい形に削ってあり、手元側にゴルフボールくらいのゴムボールがつけてあり手に持った重さも丁度良い。
 手持無沙汰解消と同時に、孫の手の役割と肩たたき機能?付きで便利に使っています・・・但し孫の手はちょっと恥ずかしいのでリアルには持っていけないのが残念。

 さて何年か愛用していた石田芳夫先生の扇子、呉清源先生の揮ごう(プリントですが)の扇子は使いすぎてボロボロになってしまい、そのために孫の手が代役を務めることとなっていますが・・・これは風を送るという扇子本来の目的と、手に持って気持ちが落ち着くという習慣。
 今手元にあるのは趙治勲杯の参加賞の扇子・・・嬉しいお土産でしたが、持った時の手の感触で言うと少し不満(小さい・軽い)。
 棋院で取り扱っている物に比べると一回りもふたまわりも小さいし、重量感も違う。
 無料の大会でのお土産で文句は言えませんが。
  
 その扇面の文字は「花心」。
  持った感じはともかく、この文字はなんとなく好きな言葉。
 この扇子は平成19年10月28日・第10回大会となっています。
 
 ところで昨夜入浴する時に・・・浴室の入口に小さなロッカーがあってそこにタオルなどが入っている・・・タオルを2枚持って入るのが習慣。
 よく見ると2本の内1本はまだ未使用な手触りで『タオルの未使用は嫌い』などと思いながらよく見ると、何やら字が書いてあります。
 「遊心」と書いてある。
 広げてみると「遊心」・平成19年2月4日・第9回
   2年半ぶりの再会!?
  初めは湯上りの時に体を拭くために持ったのですが、なんだか使うのが惜しくなりました。
 幸い未使用状態ですから・・・家族の内、私が入浴の時にこのタオルがロッカーの一番上に置いてあったのも何かの縁に違いない。
 従ってこのタオルはリアルで対局する時に持ってく事に決定。
  対局の時にさりげなく扇子を手に持ち、季節がら汗を拭くときに「遊心」の文字がチラッと見えるタオルで顔を拭く・・・
 「ヘボなくせにカッコだけは一人前」と嗤われるかも知れないけれど、そこは持ち前の皮の顔の厚さで乗り切るしかない。
 ともかく、手には「花心」、膝の上には「遊心」。