なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

千夜一夜物語

2007-01-31 00:51:56 | Weblog
 昨年の10月19日に「1周年」というタイトルでお話しました。
 ブログの中身は、たいした話ではないものの自分にとっては”記念品”ですからプリントしてとっておこうかなと思ったのですが、ちと量が多すぎる気がする。
 家のプリンターで印刷したら、紙・インク・時間の手間が相当ありそうなので、これは一時棚上げしてリムーバブルメモリーに入れておくことにしました。
 持ち運んで人に見せるものでもないし、押し売り的に読ませるほどのものでもない。
 マアしかし要するに記念品というか、自分用のアルバムみたいなものです。
とりあえず1ヶ月ごとに区切って(今月は半端ですが)、メモリーに落としました。
 勝手な例えを引くと”継続は力なり”・・・これは何かの役に立つことでしょうが、ブログも習慣的に概ね毎日更新していると溜まるものです。
  役に立たなくても、塵でも月日が経てば積もるのだ!と開き直っていますが、家族も読んだことが無いのですから、誰にも威張れない。
 内容も、ジイ様の繰言や思い出話ですから、同じような内容とか微妙に関連することが絡み合っている・・・これは頭の中の細胞の繋がりでもそうなっているのではないだろうか。
  自分では、全く同じ内容は書かないつもりなので・・・と思っていても自信がないので今までの記事をチェックしました。
 こういう作業は人海戦術というか、人力でやるしかない。
  それでタイトルを見れば概ねの話の内容を思い出せるので、手帳に年月日とタイトルを記入した・・・
 今後、ダブりの危険があったらここから検索してチェックしようということです。
 考えれば当然ですが、これがなかなかの手間でした。
  量より質という言葉がありますが、それは才能に恵まれた方のお話、当方は「量が勝負」みたいなもので、「下手な鉄砲」ですがまだ当たったことが無い!
  ともかく2005年10月にこのブログを初めて(ここに引っ越してきて以来)昨年末までで438回投稿しています。
 それに今月の今までのものを加えるとだいたい460回は越えたようです。
460回は自分としては凄い数字ですが・・・比較をするのも無茶ではありますが「千夜一夜」ならば1000回は違う話をしている。
  向うは命がけとはいえ。
 こちらは命は関係ないからこれまで通りボチボチ行きます。

 「千夜一夜」を考えたのですが、ノストラダムスとどうも頭の中でこんがらがっているので、「アルマゲドン」と二つを整理するために検索しましたところ、千夜一夜で一寸したトリビアを発見しましたのでお話します。
 尤も知っている人は知っているわけですから、そういう場合は笑って聞き流してください。
 アラビアのシャーリアル王・・・確か専制君主の称号が”シャー”のはずだから後につく”王”とダブっているのかな?
 それともシャーリアルという名前だろうか・・・それは本質的な問題では無いのでパス。
 物語の語り手”シャーラザット”、この名前が私の中で妙にこんがらがっている
 ”シャーラザットはかく語りき”だったか、それはノストラダムスの方だったのか?
 ともかく千夜一夜の方の今日知ったトリビア
「アラジンと魔法のランプ」に関してです。
  この話を絵本的に背景を描くとするならば、アラブ風に書くのが普通
 ところが舞台はそこではない、舞台はシナ(つまりチャイナ)なのだそうです。
  新疆ウィグル自治区から中央アジア辺りが舞台。
 登場人物はアラーを信仰し、主食はパンなのだそうだ・・・
  アラジンという名前は”アル・ディン”で遠方の男という意味。
   (出典は東京工科大学関係のページ)
 役に立つ話ではないのがいかにもトリビア的ですが、今まで知らなかったことを知ったので何だか得をした気がしました。
 ついでにアルマゲドン
  これは随分前に・・・確か21世紀に関することだったか、ノストラダムスの大予言が流行ったことがあって、”○○○はかく語りき”だったかさっきのシャーラザットだったか混乱していました・・・その点はまだ不明ですが。
 アルマゲドンは新約聖書に出てくるハルマゲドンの英語読みだそうです
  これはまあ同じものだろうとはかんじていましたが
 アルマゲドン自体がおどろおどろしいものの名前ではなくて、これはヘブル語(ヘブライ語だろうか?)でメギドの丘の地名なんだそうです。
  所謂最終戦争の戦場になる地名らしい・・・
 ともかく、役には立ちそうも無いけれどホンの少し利口になったかな。

話がまたまた飛びますが、2年前に転勤していった若い職員さん・・・この方と2年近く机を並べていまして。
 彼は大学時代に「クイズクラブ」のメンバーだったそうで、知る人は知る人。
  だからということでもないですが、とてつもない読書量で職場の昼休みで片道15分くらいの図書館を往復する。
  仕事の帰りに中央図書館を利用するなどなど
 それで彼は本やメディアから得た知識量は物凄い。
  歴代の首相の名前とか、作家の名前とかそれに纏わるエピソードなどなど
 それに若いだけあって最近のアーティストにも詳しい。
  それでも、私みたいなジイサンにも”生きてきて身につけた知識”みたいなものがあって、結構「こういう話知っていますか?」みたいに楽しんでいたものです。
 だから「千夜一夜」は彼には常識だったかな、それともトリビアだったろうか?
  
  

ネーミング

2007-01-30 01:34:52 | Weblog
 先日来“大会”のことが頭から離れません。
 勝手に入れ込んでいるみたいなものでお恥ずかしい次第ではあります
  一つ書き忘れていたことがあります・・・たいしたことではないようで、実は案外重要かも知れない。
 団体戦に関してですが、3人チームを作って名前を登録するのです。
  恐らく野球やサッカーみたいに何かの動物だったり、住んでいるところだったり、○○囲碁クラブでも阿波踊りみたいに碁キチ連でも好いでしょうね
 こういうお遊びが大事だと思うのです。
少し見方を変えて
 大会の意義から・・・大上段に構えて実は目くらましというのが私の得意戦法の一つでもありますが、ここのところは意外と真面目にお話しています。
 大会には切磋琢磨というか真剣勝負で競い合い棋力の向上を図る意味と、親睦やレクレーション的な楽しみとか、底辺を広げるといった意味とがあるでしょう。
 成績優秀者を表彰したり、賞品を出したりするでしょうから真剣勝負とお楽しみの兼ね合いが難しいでしょう。
 そういう意味で団体戦というのは個人での真剣な勝負とみんなで囲碁を楽しむというバランスが好いように思います。
  そういう意味でチーム名のネーミングだって楽しむ方法の一つでしょう。

さてここからが私の勝手な想像と、こうなったら好いなという夢物語
 ダブルスはまだ見たことが無いし、今回の大会を覗いてみたい
  団体戦についての話。
 先日も話したように将来最低5人チームで行うのが良いと思います。
  但し3人チーム戦をやるのなら、オール互い先の無差別対局でどうだろうか?
   どうも三人というのは支部対抗戦みたいな”真剣”の臭いがする
    それに高段者ばかりの3人VS級位ばかりの3人というのも、最高井目までのハンデ戦で、それはそれで面白いとは言っても、現実にはどうだろうか
 段級によるハンデ戦での対抗戦ならば5人くらいいないとつまらない・・・
  そしてチーム編成に条件をつける
   例えば「級位者はチームに2名以上いること」とか「必ず女性が一人はいること」とか
 そしてチーム名・個人名・段級位を書いた名札を首から下げること
  そこにチーム内序列を示す順位を書いておく
 こうしてチーム内の1位と対戦相手のチームの1位同士が対戦・・・・順次同順位同士が対戦。
こういうチームは日頃からチームワーク良く碁を打つようになると思いませんか?
 問題は、当日欠員が発生した場合
  これは補欠登録が出来る制度にするか、当日会場で募集できるとか・・・
   止むを得ない場合は不戦敗。
 それで1日チーム単位で4回戦のスイス方式として
  対戦成績は1試合で3勝以上すると勝ち点1で勝ち点を争うが、勝ち点が同じ場合は選手の勝ち数の合計が多いほうが勝ち。
 それでも同じ場合は両者優勝でも好いですね
   勝手に想像していますが、こういう方向に進むと楽しいでしょうね。
    バスケ並みに5人?、ハンドボールの7人、野球の9人、サッカーの11人・・・多ければ良いかどうかは分かりませんが、マア運営とチームを編成する上での丁度良い人数はありそうです。
  実はこのやり方は経験があるのです・・・5人までは規模は小さいけれど経験済みみたいなものです。
 楽しいことが分かっているのです!
  場合によってはお手伝いも出来るのですが・・・ジイサマの勝手な押し付けみたいでだったかな 

棋譜蒸発?

2007-01-29 04:23:08 | Weblog
 ここのところ連日「大会」のことばかり書いていますが、要するに”子供が遠足・運動会の前の日に眠れない”のと同じ現象でしょう。
 それは楽しみなんです
まず、久しぶりに師匠に会えるかも知れません。
 この大会の委員長のNさんが師匠の師匠みたいな人ですから都合がつけばきっと参加するのではないだろうか?
 もしかしたら運営のお手伝いで参加かも。
  前回は会場で委員長のNさんとお話する機会があって「他の大会に出ている」と訊きました。
 ダブったので会えなかったのですが、今回は大丈夫でしょう。
前回他にも懐かしい面々にお会いできました。
 そうそう師匠が先生をしていた「囲碁教室」メンバーにも二人会えました。
  対局の合間に会場を回って同窓会、懇親会みたいです。

予定では開催は来月4日(日)ですから次の日曜日です。
 この前の火曜日に案内状が来て、金曜日がエントリー締め切りでその次の次の日曜日に大会・・・かなり事務局は忙しいでしょうね。
 350人規模で個人・団体・ダブルスですから

 さていつものサンサンで不思議なことがありました。
 対局ですが、私にとってネットで一番対局が多いMさんと立て続けに打ちました。
 と言っても普通の連戦とは違うのですが
  深夜にネットに接続すると、彼が「対局待ち」になっているので久しぶりに対局しました。
 久しぶりと書きましたが、だいたいいつものインターバルで1ヶ月に1,2局です(私がここに入会以来2年あまりで対戦は40局くらいです)
 この時の手合いは向う先でコミが数目・・・いつもの立ち上がりで「2連星VS星+目はずし」だったけれど、完膚なきまでにダメな内容でした。
  お互い頑固もの同士なんでしょう、立ち上がりは変わらない・・・しかしだいぶ研究されていたような気がする。
 そしてその翌日やはり接続するとMさんがいた。
  今度は点数が大分違う!!
 ”男子三日会わざれば括目して見よ”という言葉があるが、なんと1日で9点上がっている=つまり9連勝か9勝勝ち越している。
 今回は私の先で対戦して・・・返り討ちに会ってしまった。
  (そのことが不思議だなんて不遜なことは言いません)
 さて連敗となると、ここが長期低落の入り口かもしれないという覚悟というか弱気というか、そういう気分が顔を出します。
  開き直って次にSさんと対局、Mさんは同じ県ですがこの方は東北地方の方
 当方の先で数目コミ貰い・・・細かそうな碁を懸命に打ちまして、何とか逃げ切った。
 局後Sさんから「完敗」というコメントを貰いまして、私は単純に嬉しくなりました。
  Mさんに連敗した後なのでこれは気持ちは立ち直りのきっかけになりそうです
 というのも、Sさんに初めて勝ったと思っていた。
  確かにここのところ3連敗していたので、全く歯が立たない人だと思い込んでいました・・・名前を見ただけで怯えるみたいに。
  記録(名簿のメモ)を見ると入会直後は2連勝していて、その後の連敗だった
 ということは、負け方があまりにもひどいので、相手が実際よりも巨大に感じていたようです。
 さて、ここからが不思議話
サンサンでの対局は自動的に棋譜が残されるはずなんですが、この記念とも言えるSさんとの棋譜が見つからない。
 Sさんに嬉しいことを言って戴いても反省点はきっと沢山有ると思うので振り返ろうと思ったのに消えている。
 それに先ほどのMさんとの2局目も無い!
  そういうこてってあるのだろうか?
 誰かが削除をすることが可能だろうか?・・・不思議だ。
他のものは有るのに 

団体戦

2007-01-28 02:41:52 | Weblog
 正式名称は「JFE・趙治勲杯囲碁大会、子供大会」のようでした。
 ”ようでした”というのも変ですが、大会案内状を見直してみると「第9回」となっている。
 一昨年初めて参加したとき2005年の11月ごろだったか、確か第7回のはず・・・すると、やはり2006年・つまり昨年秋に第8回があったのか?と思いましたが、それにしても秋に開催して年明けにまたというのもおかしいので、もしやと思ってネットで検索してみると、大会の公式ページがありました。
 こちらの方は第8回大会となっていて、期日は同じ日ですからまさか第8回と第9回が同時開催は無いでしょうから、何だか安心しました。
 重箱の隅を突いて揚げ足取りみたいで申し訳ないみたい。
  結局昨年の秋も今年の2月も同じ年度の開催ということです。
さて、そのページを見て、驚いたり嬉しくなったりです。
 この大会が全て個人戦だと思っていた。
  ただ、”個人戦”と断って有るのが”?”でしたが、”団体戦”もあった。
 私の個人的な感想では、「楽しく碁を打つ大会」としては、団体戦はうってつけだと思っています。
 公式ページでは
  1チーム3人で(主将・副将・三将)段級位差による置石での対局
  8チームによるスイス方式、となっている。
 マア8チームならトーナメントとほぼ変わらない・・・各チーム4回戦ということでしょう。
  この対局の持ち時間が一人30分!
   個人戦よりさらに短い!!
 (こういうことって囲碁に限らず、大会の事務運営の”技術”面でいかにも優れている日本人らしい発想かな?・・・悪口に聞こえますが。まず「碁を打つ」、「碁を楽しむ」というところから始めれば、30分はどうだろうか。それで良いのなら何故個人戦は変えないのか。尤も過半数の方がこれでも打てるという判断なんでしょうね・・・この辺に問題点がありそうです。「良く考えて好い碁を打て!」というのなら、開始時間を1時間早めるとか終了を少しずらすとか・・・マア開催・運営するJFEに会場、人的負担がかかり過ぎるということなのか)
 やはり団体戦なので、運営に時間がかかるのかな
  ”でも8チームによる”となっているから少なくとも今回は8チームのみらしい。
  「楽しむ大会にうってつけ」と考えているのには訳があります。
 個人戦では、もし優勝して何か賞とか賞品を貰いたいと考えているなら、1回戦で負けたなら残りの3局は全て消化試合に感じるかも知れない。
  少なくとも2つ負けたら入賞も無いでしょうから、最終の第4局を前に帰ってしまう人もいるでしょう。
  その点団体戦は、個人の成績がチームの成績に反映するので「チームのために頑張る」という気持ちが出てきます。
 駅伝で襷をリレーする気分というか、チームで戦っている気持ちです。
  そういうことで小さな碁会所では、過不足の無い出場者を確保するのが難しいのですが、私の経験では「団体戦」が一番盛り上がるのです。
 今回の要項では3人チームですね。
  棋院の支部対抗戦でも3人だしチームを作りやすい人数でもあります。
 それには違いないけれど、感じとしては5人1チームがもっと盛り上がると思います。
 チーム勝ち点と、選手勝数などが面白いです。
  そして、8チームではなくてもっと多いほうが面白い。
 こういう運営は、規模は小さいけれど4,5人団体戦の運営進行の経験が有るのですが・・・。

 もう一つサプライズは「ダブルス」
規定で親子・兄弟・友人などでチームを作る・・・二人のうち片方は幼児・小・中・高であること。
 これは1リーグ8チームで行うとあったから、もしかしたら沢山のチームが参加するのかな。
ダブルスと有るからきっと「ペア碁」ではなさそうです。
  ペア碁も楽しいけれど、運営を考えたら難しいのでしょうね。
 ダブルスということは、二人が揃って勝って勝ち点1獲得で、1勝1敗ならば0でそれは2敗も同じ、但し同じ勝ち点の場合は勝ち数で比べる・・・というようなものだろうか?
 母子チームとか父娘チーム小学生兄弟とか想像しても面白そうですが、選手にあまり強い人が入っていない方が面白いのでは無いかな。
  いくら段級によるハンデ戦でも2,3段以下くらいと級位者のコンビチームの戦いの方が面白いような気がしているけれど、さて本番ではどうなるのでしょうか
?。
 
前回の大会では個人戦のみだったと思うけれど、それでも会場のアチコチを回ってご無沙汰していた馴染みに挨拶周りをしました。
 宴会などでビールを持ってテーブル周りなど生まれて一度もやったことが無いのですが、こういう碁席では俄然マメになるのです。
 そして、加藤朋子五段、松本武久六段の指導碁コーナー観戦などで結構忙しかったのです。
  今回はそれに団体戦、ダブルス戦があるからますます忙しい・・・碁を打っている暇があるかしら?

ところで今回の3人団体戦、やる前から言うのもなんだけど、3人も好いけれど5人の方がもっと面白いと思います。
 少しエントリーに余裕を持たせれば出来るはずですし、会場にノートパソコンがあれば受付整理とか対戦・成績管理も出来る筈です。
 この大会が、棋力向上もさることながら、囲碁を楽しむことに重心を置いているはずですから、回を重ねてより楽しく囲碁三昧の一日を過ごす、改良の方向は団体・ダブルス・ペアなどの方向でしょう。
 そういう意味でも今大会の成功と,その発展を祈って見守っています。 

35分切れ負け

2007-01-27 02:16:04 | Weblog
 趙治勲杯囲碁大会のことを話しましたが、勝にこだわってか、あるいは趙治勲杯に拘ってか段位を低く申告する人の話をしました。
 但しもし本人が「自分の申告が真っ当で、他の人がインフレではないのだろうか」と反論されると、再反論しにくい気分は残る。
 それでも、「この大会は日本棋院も関係しているようだから、段級の基準はそれに準拠して・・・」とか「相場みたいなものが有るでしょう」とは言えそうな気はしますが、どこと無くアンフェアな感じと”さもしい”様な気はしますが、そのことに拘ってブツブツ言っているのもなにやら恥ずかしいみたいな・・・自己嫌悪のスパイラルに陥ります。
 そういうことで、同じ大会についてですが話題を変えます。
  実はこの問題とは別に、少なくとも私にとって大きな問題がありました。
 このほうが厳しいかも知れないのです。
この大会は1日で4局打ちます。
 スケジュールは、受付・開会式・午前の部で2局・昼食・午後の部2局・表彰・閉会式となる。
 小さな碁会所レベルの規模なら、これは半日で出来そうですが、予定では350人の大会ですから、時間の余裕はたっぷりとは無い。
 そこで対局はアナログ式の手合い時計を使用して、一人35分切れ負けです。
これで、概ね1時間で1局は消化する。
 8人のグループで、勝VS勝・負けVS負けみたいに、ほぼ自動的に次の対局相手が決まりますから、その辺は運営側の指示がなくてもスムースに行きます。
 結局順調に大会が進行するために、時間の制約が35分なのです。
苦手タイプの人と当たったとしても4局中1局か2局の話ですが、時間は全ての対局に関係しますからね。
 マア初めから分かっていることだし、切れ負け制ならそのように打てば良いのだけれど、計画的に時間を使うというのは難しいでしょうね。
 切れ負けというルールが嫌いなんです。
  なんでアマは切れ負けなのか?
    最大の理由は1日で多数局こなさなければいけないからでしょうか?
  使用しているアナログ時計では秒読み機能が無いし・・・
 (デジタル時計では秒読み機能は有るけれど普及していないかも)
現実問題として、局面にもよるでしょうが、どこかで考えることを切り上げる思い切りのよさも必要でしょう。
 そのためには、簡明を心がけるということだろう・・・しかし勝負事です
  ”もしかしたら勝負所”という場面で”サラサラ”は出来ないでしょう
 チャンスと見たら時間も注ぎ込むと思う
  もし時間をかけても妙案は無かったり、達しなかったとしたら・・・それも勝負の綾かも。
 要するに戦いの呼吸も大事ということでしょうか?
となると、時間を含めた戦い上手は、難解定石とか見慣れない布石に導いていくかも知れないですね、そうなると相手にとって見慣れた庭で、当方にとっては見知らぬ土地での戦いとなる・・・
 それでも、そういう状況を避けてばかりいるのも気合が悪いし、難しいものです。
 要するに日頃の練習で慣れて置くことですか?
だけど、35分碁がスタンダードでは無さそうですから、それに慣れておくといのも変かな?
 本番で時間切れになったらなったで仕方無いと腹をくくっておく方が良いかも知れません・・・意識しなくても35分で収まる碁だって結構あるはずだし。
 そのように心に決めれば少しは気が楽というものです
それに勝負事ですから、私が苦手の”時間”というものを相手はもっと不得手かもしれませんから
  碁会所とかコミュニティでは時計を使うことが稀ですから、もしかしたら時計使用という件に限って言えば私の方が有利かも知れない・・・
 前回の経験で言うと、私は概ね時間切れにならない程度には時間を一杯一杯に使ったのですが、相手は時間・時計を過度に意識してか早打ちが多かったような気がする・・・ということは、私は「35分切れ負け」で文字通り切れ負けを恐れているのだけれど、もしかしたら相手には「切れ負けを恐れるために、早打ちによるミス」が出るかも知れない・・・
 結局は時間も自分との戦いなんでしょうね 

趙治勲杯

2007-01-26 02:09:42 | Weblog
 火曜日に趙治勲杯の案内状が届きました・・・と言っても何かの代表を決めたり、最強位決定戦みたいなものではありません。
 囲碁ファンが集まって一日楽しみましょうという趣旨です。
  実は今回は参加を諦めていた。
 というのは私の記憶では前回は確か秋に行われたはずです。
  一昨年の秋に初めて参加したのですが、去年の秋に案内が来なかったから・・・そうかスケジュールが変わったのか。
 この大会は趙治勲杯囲碁大会というのが正式名称らしい、そして実行委員長はかつて県の代表になった人で、囲碁の文化活動で千葉市などの委嘱を受けている人。
 私のお師匠さんのそのまたお師匠さんみたいな人でもあります。
案内状の文面には、千葉市の協力・・・とあったけれど封筒は千葉日報社のもので事務局はJFE内。
 いろんな人、団体、会社が協力してくれている。
参加費無料で、お弁当と飲み物、記念品がつくのだから、お膳立てしてくれる方も大変ですね、しかも案内や運営の人員の提供も有るのですから。
 当日は加藤朋子五段が審判長で、松本武久六段(予定)とともに来られるとか・・・すると前回同様に希望者には指導碁があるかも知れない。

この大会はかなりのマンモス大会で、参加者は350人の予定です
 クラス分けは4段以上、3段から初段、級位者と別れていて、別に子供大会となっている
 8人ずつが一つのグループになって、トーナメント的リーグ戦で一人4局ずつですから、一人だけ全勝となります。
 350人の大会ですから、全勝者は40人以上はいる・・・
さて、趣旨は「楽しく碁を打つ」ですが、そこは勝負事ですから真剣に打つわけです・・・但し、この辺のことで少し嫌な思い出があります。
  それは申請段位に関することです。
 一般に碁会所<日本棋院<ネット碁<国際的に辛いネットみたいな順にかなり段級の基準が違うわけです。
 そしてここは段級は自己申告ですから、どういう基準で申告しても間違いではないわけです。
 さて前回参加したときに、同じグループに顔見知りがいました。
  その人はかなりの強い人だと思います・・・かつてある碁会所で2回打ったことがあります。
 印象としては私は先では荷が重い!
  前回大会で午前中の2局は何とか連勝できたのですが、午後に悪い予感どおりにその彼との対局となりました。
 なんと彼は私と同じ段で申告していますから、握って私の白番
  予感通り白2目半負け・・・かなりの善戦ともいえそうですが。
 結局私はその日3勝1敗、彼は4連勝!
  聞くところによると、彼は過去4回の大会で、同じ段位で出て全て4連勝だとか・・・
  私が弱くて相手が強いのだからどうしようもないのですが、でも申請段位というのはそれで良いのだろうか?。
 確かに何かの大会で4連勝したらランクアップ・・・これはもしかしたら全体のインフレ化にもなるかも知れない。
 しかし、4大会連続全勝というのは偶然という問題で片付けるのは・・・
  マアお楽しみ大会で文句を言うのは控えましょうか?
   しかしその人と同じ組に入ったら、もう楽しみが半減するような気がします。
 今度の大会では是非是非違う組になるように祈るのみです。
   解決方法としては・・・こういう成績優秀者を集めた「無差別クラス」はどうだろうか?
 そこで打つこと自体がステータスで、ご褒美も何か用意するとか・・・

参加申し込み葉書を水曜日には投函しました。
 金曜日必着と有るけれど大丈夫でしょう。
職場のS氏に聞いたら彼のところにも案内状が来たらしいけれど、残念ながら参加できないらしい。
  先ほど話しましたが委員長が県代表の経歴のあるN氏なので、もしかしたら私のお師匠さんのK畑さんも参加するかな。
 (前回は赤旗大会の予選とダブってしまって師匠はそちらへ行ったと、当日の会場でN氏から聞きました。)
 久しぶりにお師匠さんと対局できるかな?
  その場合は勝ち負けに拘らず、思い切り打てそうです。
 運悪く今年もあの彼と同じグループになってしまったら・・・
   これは巡り合わせの不運と諦めるしかない!!
    現状のルールではどうしようもないし、委員長の顔を知っていても直訴みたいな手は使いたくはない(こういう人がいることに気がつかないはずが無いのだから)・・・私自身が段位を下げて申告するか?・・・それでは人のことをとやかく言えない・・・
 当日会場では懐かしい顔とも逢えるだろうし、それで大いに善しか。
  そして加藤五段の「指導碁」にシフトチェンジという手もある  

コスミ

2007-01-25 01:58:02 | Weblog
 火曜日に図書館で借りた烏鷺うろブックス「コスミの戦法」の話です。
 この本が1989年に発行された時に、シリーズの既刊本は
ボウシの威力  石田芳夫
ツケツケ百科  安倍吉輝
一間トビの効用  石倉昇
三々の周辺   趙治勳
スベリ専科   石井邦生
消しと利かし  山城宏
目ハズシ定石  坂田栄男
 となっている(表紙の裏に印刷されています)
  このように割合細かなタイトルになっているのは、そこに説明されています。
「数ある棋書の中には、詰め込み主義・・・総花的になっている。・・・戦術的・実戦的なテクニック面に焦点を当てた・・・」
 なるほどデス。
  しかし石田芳夫先生がヨセではなくて、”ボウシ”と言うのも面白いですね。
1989年は今から18年ぐらい前で、その当時この本のタイトルとか「烏鷺うろ・・・」シリーズは知っていたはずですが、前にあげた既刊本も読んでいません。
  何か初級者向けみたいな偏見を持っていたのかな?その辺は定かではありませんが、棋力とは関係なく日頃あまりにも当たり前な手法を無自覚に使っていることへの反省を込めて振り返るにも好い本だと思いました。
  忘れていたこと、実は知らなかったことなどと逢えるかも知れません。

 さてコスミというと、まづ第一に思い浮かぶのが「ヘボコスミ」と言う言葉
  ”気が利かない””重い””遅い”などの印象と結びついているような気がします。
 だから実戦でコスミを打つには、ある意味で勇気が要りますね。
  遅くは無いか?、重くは無いか?、こんなヘボイ手を打っていると相手に笑われないか?などなど自信が無いのに見栄は張ります。
 もう20年近い前のことですが、当時行きつけの碁会所での対局で、辺の石を中央に出たいけれど、相手の勢力が強いところなので、一間トビだと覗かれて重くされるし割り込みも狙われそう、ケイマでは即ターゲットか?と言う場面で、かなり考えてコスミしかないという結論だった。
 だけど、コスミはどうもかっこ悪い・・・しかし他には思いつかないと言うことで「ヘボコスミ」と自嘲気味に言いながら打ちました。
  (この話は以前にもしたことがありますね)
 まあ、言い訳をしながら何かをするみたいに・・・(言っても言わなくても結果は同じなのに、”自分でも知っている”と言い訳をしています)
ところが私の後ろで牛力力(ニュウ・リーリー中国囲碁協会五段)先生が見ていて
 「コスミは悪い手ではありません。第一絶対に切られません」と言われた。
   なるほど、「コスミ」の持つ良い面を強調するか、マイナス面を強調するか、お国柄も有るのかなと妙に感心した記憶があります。
 そのせいか?コスミには”無い手”に近い場合と「この一手」みたいな場合の、効用・フィットなど極端に分かれそうです。
  本の内容に戻って・・・”秀策のコスミ”「この後、何百年たとうとも、このコスミが悪手となることはない」と言うアレです。
 何故そこまで自信を持って言われたのかの説明から始まります。
   私としてはこの本は良い本だと思います。
  影山先生の隠れファンでもありますしね。 


 

「御無沙汰」

2007-01-24 01:28:22 | Weblog
 火曜日は本年最初の定期健康診断・・・と言うと聞こえが好いが
 実態は6,7週おきの個人的定期健診
しかも「健康を診断」と言うのは全くの言葉のあやで、実態は不健康度診断です
 ドクターストップで、仕事とか日常生活に支障が無い程度の”不健康を保っているか”の確認です。
 そしてここのところ毎度、ドクターは「好転していない」と渋い顔で、本人はノホホンと「悪化していないんですね」とすまし顔が続いている。
  瀬戸際と言うか微妙なバランスで普段の生活をしているらしい
 ドクターからは「前回血管造影をしてからだいぶ経ったので、再度検査をしましょう」と、有り難いというか有りがたくない”お言葉”。
  マア、この病院は立地が海の側で、病室からは遠く東京湾越しに羽田空港の飛行機の離着陸が見えたり、夜になると海の中に遠く”ウミホタル”の灯が見えます
  足元はウィンドサーフィンの浜で時にはシーカヤックも見えたりします。
 入院すれば病室からの眺めは好いし、散歩の許可があれば浜を歩くことも出来ますから、一寸したリゾート気分・・・
 食事は仕方無いとして、これでお風呂が自由に入れて、夜中に消灯時間と言うものが無くて、ノートパソ持参でインターネットに繋げるなら天国に近いとも思いますが・・・こういう不心得の患者は「ホナラ出て行け!」でしょうね。
 ともかく今日のところは現状維持だったようです
 患者としての本人は「まあ好いか」ですが、主治医としては「良くなっていない」=「患者本人の努力が足りないのでは?」(その通り)となるらしいから、お医者さんの前では神妙にしていなくてはいけない。
 本音はこれで次回の検診6週後までは執行猶予的に暮らせると言う感じです。

ところで、お話したようにマア大げさに言えば致命的な欠陥を抱えているので、走ったりとか、重労働、急に力を出すなどは避けていますが、通勤はこの5年近く自転車ですから、その程度には体を動かしています。
  そして仕事をしている以上は、できるだけ周囲に気遣いをさせるような素振りは見せたくないので・・・
 ニトロのスプレーは必ず持参しているけれど、人前には出さないし人前では使用しません。
 脳梗塞の後遺症と言うか、自分の右手とか右膝に不満を感じるけれど、これは顔には出さずに(内心必死の努力で)他人に気づかれないように仕事をしている。
  仕事上、パソコン以外に手で字を書く機会も多いので、結構そ知らぬ振りながら懸命にやっています。
  そんなことで、私はかなり見栄っ張り的に仕事をしているようです。
 そしてその分、家で我侭が許されるか・・・と言うとトンデモナイ!!
  脳梗塞の後遺症的なやや不具合など全然認めてくれない怖い奥さん・・・おかげで何とかやっていられるのかも知れないけれど。

 今日の午後は久しぶりにコミュニティに顔を出しました。
「御無沙汰していました」の挨拶でいつもの仲間に戻れました。
  ここで一番強い人は将棋の観戦をしていて
   「久しぶりだね」「どうも」
 この人は将棋・碁の両刀使いで、ここの座敷を衝立で二つに分けた向うの将棋と、こっちの碁のどちらでも強豪です。
 碁のほうは私が二つ置く手合いで連勝はしているけれど、振り返って「先で互角に打てる自信がいま一つ無い」ので今のところ三戦目は控えている。
  過去の2局は、私が2子で崩れずに逃げ切ったと言う感じの碁で、2局とも白さんは”追い込めず”と見てか投了となった。
 (追い込めなかったのか、追い込もうとしなかったのか)
 これは自分で言うのも変だけれど、黒が良く打てたかも知れない・・・が、それ以上に白が無理をせずにこちらの”お手並み拝見”的に様子を見ていた気がしてならないのです。
 白が仕掛けなかったと言うか、仕掛けさせる隙を見せなかったと言えるか。
隅の方では私に先くらいのKさんが打っています。
 相手は2,3年前から顔を見せるようになった人ですが、この碁はKさんが黒を持っている・・・ということは相手の人と互い先くらいか・・・2つくらい強くなったのか。
  暫くこないと多少の変化は有るものですね
 この人は他の人との対局を観戦したことがありますが、確かに強くなれそうな碁だと思っていました。
  それほど若くは無いはず(平日の午後に碁を打っているのだから・私も同じだけれど)伸びているようです。

その他の7,8局はいつものメンバーのいつもの対局という感じがした。
 表現すれば、悪口っぽくなるかなー?
  観戦はすぐ横の常連のオジサンとオバサンの対局
 道端に貴重品が落ちているのに気がつかないで歩いていく感じかな?
  「ここは考えどころ」という街角も素通り!
 将来必ず襲ってくるであろう震災に備えて、気が利かないようでもしっかりとした土台が好ましいところなのに、いつもの慣れた形で打っていく・・・
  特にこの碁に関してはオジサンの方がひどかった。
 何だか「鈍感」「無自覚」に空いている隙間を埋めて終局に近づいていくみたい・・・
 思いっきり言ってしまいましたが、恐らく上の人が私の碁を見たら全く同じことを言われそうです。
「目くそ鼻くそを嗤う」「五十歩百歩」の類です。
  それに、ここはほぼ年中無休に近くて(図書館は休みでもコミュはやっていることが多い)、常連はほぼ毎日顔を出して碁を打っています。
 皆の楽しみの場でも有る・・・だから何を感じようと口出し無用!
   それがかなりの修行かもしれない?
  自分では「久しぶり」と誘われたYさんと1局打ちました。
 向う3子で、Yさんの大失着でケリ
  このYさん人は好いけれど、口が多いのとハッタリが欠点(これも好い点かな)・・・まあ「久しぶりだから飴を戴きました」ということですね。

 この同じ建物に図書館が有るので、ローテーション的に4冊借りました。
  期限は2週間だから、他の本との関係も有るしこのくらいが無難で、そのうちの1冊が囲碁の本。
 烏鷺うろブックス
「コスミの戦法」 影山利郎 1989年
  コスミについては思い出が有る、続きはまた明日。 

深夜企画

2007-01-23 00:42:14 | Weblog
 土曜日の午後に1局打ってその後は観戦でした。
 そして9時過ぎくらいに、時間の余裕が出来てネットに接続しなおしました
  対局というと時間の余裕は勿論ですが、体力・気力の充実が大事のようです・・・勝敗に関しては相手も充実しているはずですから、それは時の運と言うことですが、少なくとも戦う体勢は出来る。
  ところが、そういうときに限って相手がいない!
 5子くらいの置き碁なら対局待ちの人はいますが・・・
  誤解されるといけないので断っておきますが、私は決してたくさんの置き碁が嫌と言うわけではありません。
  まあ、勝敗だけで言うなら5割以上は勝てないと思いますが・・・
 その理由は二番目以降です。
  たくさんの置き碁で第1着を打つとき、どこに打ったらいいのか石を持ったまま困惑してしまうのです。
 どこに打っても攻めまくられて、防戦に追われたまま、碁を打ったと言うより逃げ回って1局終わり!の気がしてならない。
  そういう自分が白石を持って打っても、黒さんの勉強のお手伝いになるかはなはだ心もとないのです。
 そんなことで先ほど挙げたように、勝敗を争ったとして5割に欠けるとしたら、何だか救われない気がしませんか?
  この辺がやや複雑な心理が動きます。
 昔私が級位だった頃に5子などで教わった筈ですから、今度は私がお返しをする番です・・・だからと言うわけではないけれど・・・打つのはいいのですが、点数ではなくて、練習で打つのなら何番でも好い(条件が許せばですが)。
 話が土曜日の夜に戻ります。
 そんなことで打つとしたら5子くらいの方は空いていたけれど、後の方は入場はしているけれど、対局姿勢は示していません。
 午前1時頃、点数としては丁度好い方が入場・”対局待ちです”。
だがしかし、名前を見て気持ちにブレーキがかかった。
 点数差はあちらが6点上ですから教わるには丁度好い・・・先コミ半目出し
  だけどついこの間までは2子置くような人だったと記憶している
   私が上がったのではなくて、確かに彼の点数が下がっている。
 点数と言うのは、棋力と言うものがあったとしてもその時々の調子も反映されるはずだからそんなに気にすることも無いようにも思えるのですが、それでも2子の人に先でもいいのかな?と心配になるものです。
 最も「力試し」で行ってみようかともおもったのですが・・・
  この人の苗字が行けない(失礼な言い方ですが)
 この方は昔の知り合いの苗字と同じ(友人の父君)。
  確か大学の先生だった・・・住所は都内ではなく近県に移っているけれど、引っ越したのかもしれないし・・・
  友人のお父さんなら80を越えたかも知れない・・・それなら点数も多少は下がるか
  などなど優柔不断
 そこへその方と同じ点数の方が対局を申し込んだので、観戦に回りました。
  観戦としては勉強になったし、面白い対局でした。
 深夜で他に対局が少なかったのでここは4人ほどが観戦しました。

ところでこの日は土曜日の深夜・日曜日の未明ですからある程度入場者もいたのですが、平日ならそうは行きません。
  ”深夜は寝る時間です!”では有るけれど、時として深夜も碁で楽しみたいと思う。
 それで、普段この時間(午前2時頃から朝7時くらいまでが中心)に入場している人を想像すると
 自分がそうですが、慢性的ネット依存症?=まあ習慣として接続している
  とか、リタイアしているので翌日のスケジュールに束縛されない人などでしょう。
 しかし、時間の余裕はあっても、気力とか体力、打ちたいと言う意志が無くては対局希望は出さないでしょう。
  私なども、観戦か自分の棋譜検索が中心で、寝ていることも有る・・・
 観戦したくても誰も対局していないときは困る!
  と言うことで、この時間帯の企画をお願いしたいですね
よく考えればいろいろなアイデアが出てくるのではないかとは思いますが、今のところ私の思い付きでは・・・
  「道策などの古棋譜」「リーグ戦・トーナメントの棋譜」あるいはこのネット・サンサンの高段者対局の棋譜」などを流して欲しいのです。
  この棋譜進行は手動とオートの2種類から選べるといいです
 解説とかコメント付きならもっと好いです。
  ともかく24時間接続可能と言う謳い文句とは違って、現実この時間帯は空白に近い時間だと思う。
 「うとうとしながらでも楽しめる!」ものが有ると好いな
   爺さんの寝言かもしれないが 

 

杞憂だったか?

2007-01-22 00:37:31 | Weblog
 昨年末心配していたことがありました。
 それはいつものサンサンで入場者数がいつもより少ないと感じたことです
  1日2日ならいいけれど暫く続いた
 12月半ばから月末にかけていつもより2,3割少ない気がします。
もしかしたら会員が減っているのだろうか?
  もしそうなら大問題!
 私は運営者では無いから経営的な会員数のボーダーは分からないし、経営責任は無いのですが、対局相手を考えたら一定以上は多くないと困ります・・・でないと、いつも同じ人と顔合わせをすることになるから、ネットが小さな碁会所とかコミュみたいになってしまいます。
 そこが一番の関心事です。
  年が明けて、故郷からUターンが終わった頃からだろうか、入場者数が戻ってきました、寧ろ以前より多いくらいになっていて、今度は連日大勢入場していて安心しました。
  但しこれは私の感想であって、私が接続している時間帯に限っているので、確かなところは分かりません。
 私がここに入会した頃なら少なくとも会員数なら分かりました。
   チョッと信じられないことだろうか?
  当時はサンサンのHPに当然誰でも接続できる・・・そしてそこにはランキングページがありました。
 会員の点数順に200人ずつ1位から最終順にまで検索できます
  1位タイは当然プロ棋士の会員で401点から最終順位は概ね240点くらい・・・多分5、6級。
 全て実名で順位と点数が載ります。
  これは月末の0時現在で集計して、1,2日後に更新されるのです。
 会員でなくても閲覧できてしまうのですから、さすがにこれはHPからは消えました。
  それと昔は名簿も発行されていました
 厳密には名簿として発行されたのではないけれど・・・
会の規則とか、アクセスの説明とか手合い割りなどの説明と名簿が載っている小さな冊子です。
 実名、在住県、ある時点での点数、電話番号が載っています。
  これも新しいものが発行されていませんから、入会時に貰ったものは改訂されていない。
 ですから私など途中入会者はある時点からは載っていない・・・古参会員は載っているということです。
  この名簿は、対戦相手との成績などをメモするのに役立ったし、自分と同じ県とか同じ区、近所に会員がいないかな?と探すのも楽しいものでした。
  それとか、自分が対局するときにお互いに先の範囲ではどんな人がいるだろうかとか
 チョッと意地悪っぽいけれど、対局相手は点が上がっているのか下がっているのか?など調べるのです。
 例えば大きく下がっている人は:本来随分上の実力の持ち主が、たまたまスランプなのか?
 大きく上がっている人は:今が伸び盛りだから今の点数が当面の天井とは限らない!
 となるからこういう人とは対戦しないで、観戦を通して勉強させてもらうのが好い・・・そのために名簿が役に立ちました。
 さて話が脱線しましたが、要するに会員数は分かりません
  増えているのか減っているのか、はたまた横ばいなのか。
 こういうことは企業秘密なんでしょうね。
数あるネット碁の中でタイゼム・関西棋院、幽玄の間、パンダなどに比べたら我がサンサンは相当マイナーなんでしょうが、他には無い特徴が有るからそこを強調すればもっと会員が増えてもいいと思うのですが。
 
 実名と言うネットの常識を無視したと言うか反対の方向性なんですが、昔は入会金とか、年会費が安いとはいえなくて不思議なネットでしたね。
 タイゼムなど無料会員制も有るから、有料無料の差は大きいのですが、それでも会費が値下げになったから以前と比べたら随分リーズナブル?
  入会金5000円が1000円になった・・・
   月会費が値下げになったから年会費が合計で1万円近く安くなった!
  とにかく月2000円は安いとは言わないけれど高くはないと思う。
 碁会所の席料と比較して、碁会所の安いところは500円というのもあるけれど、だいたい1日1000円ですね
1日と言っても昼近くから夜は9時か10時・・・それと比べたら問題にならないくらい安いでしょう。
 生の付き合いと言うものは出来ないけれど、リアルのどんな大きな碁会所より入場者は多いから対局相手には困らないはずです。
  ともかく、会員数が減っているのかも知れないと言うのは杞憂だったようですが安心は出来ません(経営とは関係なく)
 会員が全員毎日入場しているとは思えない・・・
  コア会員的なメンバー・所謂常連がいて、たまに来る人、めったに来ない人いろいろいて、その合計が会員数となるけれど、もしかしたら繁盛しているように見えてもそれが常連だけの賑わいだとしたら随分内容は寒いでしょうね。
 常連的な会員を増やすこと、トータルの会員数を増やすこと・・・運営者には引き続き努力をして欲しいですね 

キャッチフレーズ

2007-01-21 01:44:43 | Weblog
 昨日の話にだいぶダブりますが、私はこれまでに碁を打ったことが無い人にも碁を伝えたい。
 そう考えた時に、その人がどうしたらその気になるかが大きなテーマです。
  そこで初めての人を誘うキャッチフレーズは
「数千年の歴史が有る、史上最も面白いゲーム」
「脳の活性化、ボケ防止」
「さまざまな人と付き合える」
 など考えたけれど、もう一つインパクトが無い気がします。
  それでも自分にとってはこれで充分ですが・・・初めての人には向かないか
 ともかく説明をしながら誘うことになるでしょう
  4月の大学キャンパスのクラブ勧誘みたいかも知れませんが・・・

「数千年の歴史」はこれは事実だから問題ないし、一つのものが多少形を変えたとしてもこれだけ愛好されてきたのにはそれなりの理由があるはずです。
 「史上最も面白いゲーム」と私は心底思っているのだけれど、それは推測・推定であって証明するものというか、”面白度”みたいな秤が無い。
 それに”面白い”ということ事態主観的な問題だと思われるでしょう
  だからこういうフレーズを息子にぶつけても、「そうかも知れないけれど、オヤジの主観かもしれない」と悔しいけれどクールな反応です。
 「ソニーの何とかいうゲームより碁の方が何倍も面白いし、ゲームの完成度が違う」といったところで、シュウティングかウィイレ専門の息子には通じない。
  せめて敵さんがロープレファンだったら違っていたかな?
 目から入ってくる情報に一瞬で反応して指先を動かす
  それと「じっくり考えて、先のこと全体的なことを考える・・・」そこが大きな差ですね。

二番目の「ボケ防止」には思いで話が有る
 お師匠さんの決まり文句の冗句は「碁はボケ防止に効果があるよ!」で使う場面が決まっています。
 どんな時かというと、早打ちの対局で場面がドンドン進行していくのを見て、両者を冷やかしていうのです。
 この場合「ボケ防止」と「中気の予防」があります。
”頭で考える効果”ではなくて”指の運動の効果”を強調してからかっています。
  とすると超早碁はシュウティングゲームみたいなものかな?
 反応が遅れたために倒されてゲームオーバーは無いけれど、左手に7,8個石を持って待ち構えているのですから・・・但しその石を打たずに、新たに碁笥から石をつまんで打つ人もいるから二重におかしいですね。
 両者早くてペッタンペッタンというリズムがあればそれは”餅つき碁”とからかわれますが、餅つきなどはまだ可愛いほうで、もっと早いのは「機関銃」です。
 こういう碁は間違っても棋譜を採ろうとしてはいけませんね・・・絶対不可能
  さらに何かの弾みで石がずれたり、乱れたりした時にほぼ復元不能でしょうね
 そういうところを何度も目撃しています。
  さて超早打ちの人は対局数も多い・・・これはリアルなどで見てきました
 仮に一局に150手打ったとして、その石の総重量が500gとして、そして年鑑2000局打つと・・・全て推定ではあるが
 これは1トンの石を運んだことになります
  4年で4トンのトラックに1杯分です
 多いと思うか、何だその程度かと思うか?
  しかし、年間30万個の石を運ぶのだから、病気の予防にはなっているかも知れない・・・これはあまり積極的に宣伝したくは無い気がする。
 「脳の活性化」は大いに宣伝したい
  「頭がいい人の遊びが碁」なのか「碁をやると頭がよくなる」のか鶏と卵?
 いや、プロ、アマの強豪はともかく自分を見ていれば相当怪しい話です
「脳の活性化」は声を大にして言いたいけれど、「頭が・・・云々」は碁を敬して遠ざける逃げの理由にもされることも有るから注意が必要です。
  アマの場合江戸川柳に「あの馬鹿に3つ置き」みたいに別の知恵みたいなことも有りそうですが、どうなんだろう。
 一時スパーで「サカナサカナサカナ,魚を食べると、アタマアタマアタマ、頭がよくなる・・・」が流れていました。
 「脳の活性化」で所謂教育ママは、自分は打たなくても子供を囲碁教室に連れてくるような気がする・・・自分の夫に「貴方!囲碁が打てないの!?」と言わないだろうか?
 本当は教育ママ自身にも囲碁を打って欲しい。
  ともあれ若い世代には「ボケ防止」は切実ではないでしょうから「活性化」で攻めましょう

「さまざまな人と付き合える」これは本当です。
 普通なら顔を合わせないだろうと言う人と碁盤を挟むこともあります。
今の職場でも上司連中に囲碁に関しては立場が逆転したり・・・少なくとも趣味に関しては対等な付き合いになるのです。
 最近は顔を合わせませんが、赤い絨毯の上をバッチをつけて歩いている人ともお互いに先生と呼び合っていました。
あちらは本物のセンセイでこちらはインチキのセンセイですが、向う先で3つ置かせていたから”センセイ”だったか。
  もっとも失敗もありますが・・・
 若い頃に勤めていた会社の社長が無類の囲碁好きで、ある時向う4子で対局しました。
 やっつけてしまったと言うか、黒の思うようにはさせなかったと言うか・・・
「4つも置けば白も素人だから何とかなる」と思っていたでしょうね。
  以後対局はありませんでした。
しかし、社長のロータリークラブの囲碁の集まりに私が車で送っていくことが多かったから・・・「君は仕事中だからここでお帰り」みたいなペナルティーだったか
  昔みたいに会社のトップとか重役で囲碁を打つ人が少なくなっているみたいだから、囲碁を姑息な手段に使おうと思っても効果は少ないでしょう・・・が付き合いは広がる筈です
 これは囲碁と言う趣味で自分の幅が広がると同時に、付き合い・行動と言う社会的な幅も広がるでしょう  
 

伝道シンドローム?

2007-01-20 00:25:13 | Weblog
 初心者に碁を伝えたいという思いは今のところ叶えられていないので、いつもどこか頭の中に引っかかっている。
 どういう知識とか、方法をどういう順番で伝えていけばいいのか・・・
  碁を打つ喜びを知ってしまって、後の人に伝えて行きたいと思ったのですから、最低ノルマ一人以上・・・それが出来れば今より囲碁人口は減らないはず。
 気持ちはそうなんですが、一番初めの問題がクリアーされていないのです。
  自分から積極的に碁を覚えたいと思っている人、そういう意志を持っている人は問題ないけれど、これを期待するのは”待ち”の体勢で、何も積極的な働きかけをしないのですから、自然発生的に希望者が増えるのは殆ど期待できません。
 「ヒカルの碁」で一時ブームのようになったのは偶然でしょう、少年少女の囲碁教室が盛んになったりしたのですが、ブームが去ると希望者は激減しているらしい
  とはいえ今なら「ヒカルの碁」の記憶があるのだし、積極的な姿勢が必要でしょうね。
  そういう時、個人として何が出来るのでしょうか
 このまま何もしないで時が過ぎるのは惜しい気がします。

 思い違いかも知れませんが、私たち団塊の世代の後ろ、ヒカルの碁世代までの間のファンの分布はかなり薄いように思えます。
  情報化社会の発達ということもあってか、アマとはいえかなり強い人もいるのは事実ですが、それでも層ということではかなり薄いように思えます。
 ヒカルの碁はあくまでも僥倖で、たまたまの爆発はあったけれどこのままでは線香花火で終わってしまうような気がします。
 すると何年も、十数年後かに第二の偶然のヒカルの碁がやってくるまで、またファン層が薄い時代になりそう・・・それならまだいいが、偶然のブームが起きない事だってある
 こういうことは何もお前が偉そうに言わなくても・・・と言われそうですが、その通りだと思います。
  私が気にしているのは、個人として何が出来るかです。

 良い教育システムを作っても伝える対称が無くてはどうにもなりません。
ですから、”希望者”を作り出すのが緊急な課題で、これは拙速であろうと時間との競争みたいな面があって、ここのところで個人として何か出来るかな?
 昔、ビジネス研修で「馬を水辺に連れて行くことは出来るけれど、水を飲ませることは出来ない」つまり水を飲むか飲まないかは馬次第ということですね。
 例えが適当かどうかは問題ですが、少し似ていますね。
  大事だと分かっていても本人にその気が無ければいけないし、ましてや趣味の世界ですから
  例えばゴルフの場合も趣味であり健康にも良いはずのスポーツです。
 多少お金がかかるのとコースに出ればほぼ1日掛かりという問題はありますが
しかし、人とのコミュニケーションとか、社内の交流とかの大きなプラスも有る
 ステータスシンボルも有るかな・・・今ではそれほど無いか
  
 会社のトップの方がゴルフ好きだと会社の中でゴルフ好きが多い傾向がありませんか?
 出世と言う現実的な御利益はともかく、上司との交流と言うことは有るでしょう
  囲碁でもこれに似ている話がありました(私が聞いた話で)
(昔です)大企業の数万人規模の工場の責任者が大の囲碁ファンで、大卒などで囲碁の強豪が入社すると、昼休みには自分の部屋に呼んでいました。
 ですからこの工場の管理部門の幹部には囲碁を趣味とする人が揃った。
  これは因果関係が逆かも知れません
 ”何か趣味を持つなら囲碁が良い”だったかも知れません
  この会社では囲碁の会とゴルフコンペがほぼ同じメンバーでしたね
 こういう傾向は有るでしょう、例えば将棋とか、場合によっては競馬なども有りかな?
  囲碁にはそれ自体の面白さが有るので、あまり功利的な面を強調するのは止めますが、会社のトップの影響と言うことは有るでしょうね。

相当昔の感覚でしょうか?
 落語的ですが「囲碁を打てない奴に娘はやれない!」が通用すれば、家にも娘が一人いるから囲碁を打つ人一人ゲットとなるのですが、さすがにそういう時代ではない。
 趣味の押し付けは出来ないし、それは今の勤め先もそうかな
  今の上司の年齢層は囲碁ファンの層の薄い年代のような気がするし
   (手軽に見よう見まねですぐに出来て楽しめる趣味とは反対のものと思われているだろうし)
 「飲ミニケーッション」とか「ゴルフ」ほどには組織内で交流手段としての有効性がなくなっている。

  少年少女にターゲットを絞るとして「野球」「サッカー」「バスケ」「走友会」みたいなクラブ活動が出来るだろうか?
  子供たちに碁の露出度が低いと言うか0に近いから難しいか?
 「碁は脳を活性化させる」と言うお題目をもっと有効活用しないといけないのでは無いでしょうか?
  特に「発達時の年代に効果がある」と宣伝すれば世の中の母親層が放っておかないでしょう!
 チョッと反則に近い技かも知れませんが、ヒカルの碁では少年少女が自分からその気になったけれどこれからは母親層にお手伝い願おうではありませんか。

シーズンイン

2007-01-19 00:22:41 | Weblog
 こんばんは囲碁ではなくて、食いしん坊の話です。
 月曜日の夜にNHKの「ふるさとに乾杯」だったか、そのようなタイトルの番組を見ました。
  「ふるさと・・・」まさに故郷の静岡市清水区だったので、背景に映っている景色を懐かしく番組を見ましたし、高齢の人にはまだ方言が残っている、というか生活の中に生きているようで何だか嬉しくなりました。
 高校を出てからは40年は経ちますから、比率で言えば18:40で圧倒的な差ですが、根っこは初めの18年の方に有るのでしょうね。
  そう言えば、これから我が家はあることの「シーズンイン」ですが、元はと言えば故郷で目にした光景とか、母のよくやっていたことから始まっています。
 それは冬なればこそ家庭でも安心して出来る・・・干物つくりです
   そこから発展?してスモーク・燻製も出来る
田舎の浜では(昔の風景ですが)猟師さんが取ってきたアジとかイワシとかを開いて浜ですのこに並べて干物を作っていました。
  これを漁師の家の祖母ちゃんたちが乳母車とか、小さなリヤカーなどで行商したものです。
 魚屋さんの店に並んでいたものも、こういう干物だったと思います。
  だから、食生活・田舎の風景・習慣・味覚の思いでなどが詰まっています
 この場合は冬とは限らず、漁があればやっていたとは思う
  ともかく、太陽の光と浜を吹いていく風で出来上がる(昔は蝿も多かったけど)
   これは売り物の形のそろったアジなど
 家の近くの突堤では小アジがよく釣れました。
一度など兄と二人で2本ずつの竿を使って、バケツで1杯も釣って帰って、母を喜ばせるより、寧ろ困惑させたことがあります。
  小アジですから12,3cmでおいしいのですが、調理には手間がかかります
このサイズはたいていは唐揚げですが、何といっても量が多いので7人家族とはいえ一度では食べきれない
  だから近所に配っても残ってしまい、100匹は越える小アジは母の手で干物になった。(ミニサイズの干物)
 さてそういう経験があり、最近の干物は天日で作るのは稀で、殆どは工場の乾燥冷蔵庫の中で出来るという知識があったので、いつの頃からか自分で干物を作ろうと思っていた。
 ベランダで洗濯物みたいに干しても良いし、専用の干物ネットなら尚安心(蝿だけでなく、猫時にはカラスにやられる)。
  自分の好みの味で、原材料も信頼できるのです。
 最初は妻も半信半疑でしたが、論より証拠、ベランダでも出来ることが証明できました。
  好みで・あるいは季節で塩分を変えたり、唐辛子を使ったり、みりん味にしたり自分で出来るのが楽しい、いい魚が手に入れば後は問題はお天気です。
 そこから出発して、スモークに発展しました。
  本屋さんの料理とか手芸などのコーナーで本を探したりして・・・オジサンがこのコーナーに留まるには勇気とエネルギーが必要です。
 これは肉類なども使いますから、液に漬け込んだり日数がかかるので、出来上がりを逆算したり、計画的にやらなくてはいけない。
 基本的には安い材料をいかにおいしく食べるかがテーマです。
   自分の手間賃は考えていないから出来るのですね
  スモークチキンとか、冬ならサーモンあるいは鮭、鱒など材料が多いです
   そのほか蒟蒻でもチーズ、貝類も・・・生ハムは難しいけれど
 そして家でたいした道具も無くて出来るのがこの季節
温度が低いから傷まないし、乾燥していてよく乾く
  ビーフジャーキーとか、スモークサーモン作りなどはこの時期
 たいした量は作りませんが、上手に出来ると楽しくなります。
それでスモークサーモンなどは、温度を上げないで煙に当てるために、我が家では超大型冷蔵庫は無いのですから、夜中にかなり冷え込んだベランダで作ることになります。
 またジャーキーの場合も煙を使うので部屋の中では出来ないし、ベランダでもあまり派手には出来ない
 ということでどちらも真冬の深夜にやることになる。
   煙を出しても御近所も気がつきませんからね
    長々と前置きが続きましたが、ここでやっと碁の登場です。
 炎は出しませんが、火を使うし煙が出るので放置しておいても問題は無さそうですが、それでも万一の危険とクレームがあってはいけないので側にいることになります。
  火の気はありますがかなり寒い
   真冬の深夜北向きの小さなベランダで・・・熱源は七輪の炭などで・・・防寒着を着てうずくまっていたり。
 本を読んでいることになりますが、概ね定石とか詰め碁の本を見ながら火の番です。
  干物も燻製も手間とか苦労を考えたら、出来上がったものを買ったほうが安くて楽かもしれないけれど、眠気も寒さもものともせず・・・趣味とはそういうものなんでしょうね。 

温故知新

2007-01-18 01:09:38 | Weblog
 私の部屋には本棚が2つあります、大きいほうは自分用ではなくて、家族の写真とか年賀状の資料とか辞書・参考書の類が並んでいます。
 それと、いろんな記憶とか、ファイルです。
  中には奥さんが高校生時代(大昔です)の映画のパンフレットまでも
小さい方が自分用で、ベッドから手が届くところにおいてあって、半分は物置代わりにもなっている。
  他の本は押入れのダンボールの中で、自然科学とか歴史関係はそちら
 (こういう保管方法は、本を持っているには違いないけれど、どういう意味があるか自分でも大いに疑問で、誰かが読んでくれる可能性を考えれば古本屋さんに持っていった方が好いかなとも思うのです。)
 つまり手の届く範囲に有る小さな本棚の殆どは囲碁関係の本です。
それで、我ながら不思議なことをやっていたことに気がつきました。
 私が囲碁関係の本を買って読むようになったのは大学生の時代からです。
 当時は月刊誌の「囲碁クラブ」は毎月買って読んでいた。
  何かの手違いで買いぞびれたと気は、「囲碁」だったかな、確かそのような月刊誌を買った記憶が有る。
 その後日本棋院の会員になって「棋道」が毎月郵送されてきていた。
 単行本では梶原先生の「序盤構想」とか「布石の本」が最初だったかな
  加田先生の詰め碁の本にもお世話になりました。
そんなことで当時から30年以上も経っているので、買い求めた本を全て持っていたらかなりの量になるはずなんですが・・・
  昔、私は引っ越し魔的なところがあって、ほぼ毎年引っ越していたので持ち物は必要最小限みたいな感じで、TV、冷蔵庫、洗濯機などは無いし、身の回りのものはみかん箱数個に収まってしまい、衣類は故郷から持ってきた柳ごおりに収まってしまいます。
後は布団だけですから、引越しはリヤカーで済みます。
 そんなことで、本類はともかく雑誌類は保存しない習慣です
結婚後は、自分で整理しなくても、なぜか几帳面に片付けられてしまっていました
  でも本の方は勝手に処分されませんでしたが、今あまり手元に残っていないのには理由がある。
 もし、全て手元に残しておいたらかなりの量になります。
これは、本の山を金額に換算して見られたら、小遣い削減の理由にされそう
 囲碁と縁の無い奥さんから見れば、似たような本を繰り返して買っているように見えるようです・・・そうかも知れないけれど。
 また、これだけの本を読みながら今の棋力と釣り合っているか訊かれたら返事に窮する・・・
  マアそんな心理もあり、また自分が読んだ本で、取り敢えずはすぐに再読予定ではなければなるべく人に勧めるようにしている。
 普段それほど気前が言い訳ではないのですが、この点に関しては自分ではかなり太っ腹だとは思っています。
 つまり、自分の碁敵であろうと自分の碁の最新ネタ本みたいなものを公開するようなものでしょうか。
  但し、押し付けられる方は迷惑に感じている面も無くは無い?
「この本良いですよ」とか
「是非ためになるから読んで見てください」などと自分の読んだ本を渡すのは・・・もしかしたら「もっと勉強しなさい」みたいに嫌味かも知れないから、タイミングとかシチュエーションが難しい。
  碁会所で2,3段で打っている人に「これが出来たら初段の詰め碁」みたいな本を「これを是非やってみて」と渡すのですから、やはり嫌味かな?
  でも真意は「基本には何度でも立ち帰らなくてはいけない」と思っていますし、「初段の問題」でも3段が100%出来るわけでもないのです。
 初段の問題=有段者としての基礎と考えたら、やはり大問題のはずなんだけど

マアそんなことで、今ベッドから手を伸ばして届く範囲に有る囲碁の本は40冊くらいか・・・
 その中の1冊
「布石の要領」 本因坊・高川秀格 昭和31年11月  定価170円
  古本特有の日焼けの色と独特の臭いがあります
   これは数年前に古本屋に並んでいるのを買ったものです。
 不思議ですね、自分の買った本は読んでしまったら人に押し付けて、自分では古本を買ってきたり・・・
   しかも定価より高くなっている(1冊300円だったと思う)
  昭和31年というところも買った理由かな?
   これは私が小学校2年生の年
 なんとなく新聞の棋譜を眺めていた時代です・・・だから当時から高川という名前は知っていたけれど、その時代その本を読んでも理解できたかどうか。
 さて内容は、「中級者に書いた本をよりやさしくした」様なことが書かれている
  確かに碁盤を3線で囲った地が136目で、4線の中の地が121目などの説明とか、シマリ・ハサミの名称の説明などが有るから初級者向けです。
 ところが全195ページの65ページから「秀策流の布石」が出てくるから凄いスピードです。
   考えてみると・・・
 今はいろんなことを教える教材はシステマチックというか、教わる方が理解しやすいように考えられています。
 だからこのように、基本的なことを教えた直後に「秀策」なんていう順番は無いでしょうね。
  サアどちらが好いかはその人次第でしょうか
 私の場合は、何も知らないのに棋譜を見ていて、知らないうちに打てたのだから、「いきなり秀策」に近いかも。 
  このいかにも古本という本を買ったのは他にも理由があるかも  
 そうですね・・・私が買わないとこの本は誰も手に取らなくて、捨てられてしまうような感じがした。
  まるで捨て猫を拾うみたいな・・・ 

  

電話の怪

2007-01-17 02:56:45 | Weblog
 いやー怪電話では無くて良かったです。
 あれこれ想像して楽しませて戴いていますが、まだはっきりしないところが合ってその点は不満です。
  先日用事で勤め先の事務所を留守にしていた時の事です。
 かなりの確率で現場に行ったりするし、突発的なこともあるのでいつもデスクにいるとは限らないのです。
  これは尻が軽いというか神速・拙速に近いかも知れませんが、中にいるより性格的には外が好い
  それで帰ってきた時に留守番の人から
「外から○○さんに電話がありました」
 「何か問い合わせでした?」
通常いろんな問い合わせが来るけれど、指名での問い合わせはまず無い
「いえ、どこかに寄る予定でした?」
 「いえ何もスケジュールには入っていません。何か用件を言っていました?」
電話でさまざまな問い合わせはあるけれど、時間を貰って電話なりファックスで返事をすることはあっても、出かけて行っての説明はまず無い。
 そういう時は先方が来所するでしょう
「伝言はありません」
 「何だろう?名前を訊きました?」
「いえ、”最近見えないので”と言っていました」
  せっかく電話をくれても名前を名乗らないと困ります・・・訊かなかったほうも悪いのかな。
 「最近見えない」はどこかのバーかスナックの決まり文句みたいですが、残念ながら私に限ってはこれは当てはまらない。
 コチトラはアルコールとは無縁居士だし、電話の主はオジサンだったらしい。
お酒だけではなくて色っぽい話とも無縁です(残念!?)
 それでも「普段宴会などでは飲まないけれどホントはいけるんでは?」と冷やかされたけれど、これはありえない。
 見てくれは体格は大きいし、一見いかにも斗酒辞せずという顔をしているけれど、父・両祖父のDNAは見てくれだけです。
 彼らは恐らく優秀なアルコール分解酵素を持っていたに違いない・・・飲む側から分解してしまうような。
  ところが私は・・・恐らくアルコール→アセトアルデヒドでストップするらしいから少量のアルコールでも違和感を感じます。
 ・・・そういうことで電話はアルコールの筋では無い。
 勤めの帰りによる・・・本屋・古本屋には最近寄っていないところは有る。
 しかし、たまに本について質問したりはするけれど、世間話などはしないし、まして名前も知らないはずだし、勤め先の電話番号など論外です。
  ということで、私がここに勤めていることを知っていて電話番号も知っている人ということになる(当たり前の話ですが)
 すると答えは二つに一つ
まず、以前はよく行っていた碁会所のかつての仲間か?
  今の勤め先から見ると夕方ここに寄るのは、帰宅する道筋からするとやや遠回りだし、平日だと思った相手がいない可能性も高い。
  土日の場合は、バスでJRの駅に出て、JRで1駅がなんだか億劫だし、近いのに馬鹿馬鹿しい乗り継ぎです
 直接自転車で行くのもありますが、片道約25分で、往きは大きな登り坂・・・これはものぐさ太郎には厄介なものです。
 たまには行きたいとは思っているものの、考えたらもう5年は経っている
だからそれは「最近見えない」には当てはまらない気がします
  二番目の可能性は
最近顔を出していないコミュかな?
 ここに寄らなくなってまもなく1年になるだろうか
  以前は仕事の帰りにここによって観戦したり、1局打ってから帰宅という手順もありました。
  これは丁度コミュニティの囲碁の部屋の利用時間が終わって、自転車で家まで5分で、これが我が家の夕食にドンピシャ
 早すぎれば先に風呂という手も有るし・・・
  そういえば御無沙汰しているわけだけれど、理由が3つくらいあるかな
 最大の理由はネット碁のほうが忙しいというか、同じくらいの人と打てるし観戦できるからです。
  このブログもそうですし、人のブログを読んだりもします
 二番目は昔話したことがありますが、特定の人と手合い割りについて不満を感じた事があった。
 三番目はやや傲慢な表現になるかも知れませんが「ただ打つだけ見たいなイメージが嫌だった」というところかな
 最後のところはほんとに”暇つぶし”という感じで・・・確かにそういう面はあるのだけれど、そのように感じるとやや寂しい気がします。
 この辺がコミュニティの限界でしょうね
  無料で誰でも利用できるといういい点はあります。
 そして道具などは有志の寄贈で座布団などは市の備品
だから誰でも利用できるけれど、運営については自発的にリーダーはいたとしても、強制力は無い・・・
  だから、道具がそろっている部屋で勝手に打っているだけになりかねない
 これは有料の碁会所がさまざまなことでお客を引き付けようとするのとは対象的な感じがします。
  さて、この中に少しでも私を憶えている人がいるとしたら・・・二人いるかな
 一人はIさんと言いますが、私に3子でなかなか入らなくて悔しがっていたから・・・首を洗って来いかな?
  しかし電話番号は知らない筈
 モウ一人Yさんかも知れない!!
  この人は今はリタイアしているけれど、昔は立場は違うけれど同業のような
ものだそうです
 この人はノランティアで「子供と碁を打つ会」みたいなことをやっていて、地元の小学校で普及活動をしているらしいし、土曜日の午前中にはこのコミュの部屋で子供と碁を打っている。
 私も数度そこには参加したことがありました。
  土曜日の朝9時ごろに図書館に行って本を見たり、面白そうな本を借ります。
 ロビーでは興味の有る週間誌や月刊誌を閲覧して・・・
10時から12時までが「子供との碁」になる手順
  そして家に帰ると丁度昼ご飯。
 なるほど・・・これは御無沙汰していました。
   きっとそうに違いない
 第一容疑者はYさんだな・・・久しぶりにこの次の土曜日に行ってみようかな