なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

良いのだろうか?

2009-09-30 02:40:55 | Weblog
 私は大相撲で言えば9-6大関みたいなもので、大した成績もなく、弱い弱いと言われながらなんとなくその場所に踏みとどまっているようなイメージ・・・自分ではそう思っています。
 戦いの内容も、相手をあっと言わせるような鮮やかさとは程遠く、相手のミスとか一瞬の緩みにつけこんで勝ち星を頂くような形だから、口が悪い人には「盗人」みたいな奴だと言われているかもしれない。
 リアルなどでは局後の感想で、「こう打てばどうということも無かったから、勝負は分からなかったですね」のような事を言われる事が多い・・・要するに「相手に助けられて白星を頂いている」・・・イヤ自分でもそういうイメージを持っています。
 ですから、友人などから見て「自分で仕掛けて技を決め無いと勝った気がしない」と比較すると「そういう、待ちの碁は面白くないでしょう?」と言わんばかりなのですが・・・これが案外”面白い”のです。
 マアその辺が世の中いろんな人がいて、いろんな楽しみ方があると言うことでしょう。
 
 ところで火曜日は仕事でかなり疲れてしまいました・・・仕事で疲れたというより、歩いて移動するので疲れたのですからだらしが無いです。
 しかも相棒の若い職員が、彼なりのペースで歩くのに、無理をして合わせてついて行くような歩き方をして”顔で笑って心で泣いて”という具合。
 仕事から帰って思わず一眠りしてしまいました。
  帰宅して、着替えてからネットで観戦していた筈が・・・なんだかリアルでシリアスな長い夢を見ていた気がします。
 必死で何かをやろうともがいていた記憶だけは残っているのですが、具体的な内容は消えてイメージだけは残りました。
 ふと目が覚めるとあたりは暗くなっていて、何故か「ああもうすぐ夜中かな」と思ったのですが、時計を見るとまだ7時半にもなってません・・・夕飯のご飯が炊ける寸前・・・まさに「一炊の夢」。
 そのくらい疲れていたらしい。

 しかし、夕食前の仮眠で多少元気を回復してネットで対局。
  これが向こう先・白半目コミ出し・・・何と勝ちました!
 9月に入って3連敗のあと1勝するものの再度連敗、そこから9-6大関返上の7連勝(これは久し振り)。
 好事魔多しというか、調子に乗ったところで痛恨の1敗がありましたが、今日の勝ちを入れて連勝、これでトータル10勝6敗です。
 9月は久し振りの好成績。
  対局数が、一日3から5局ぐらい打つ人なら、ひと月で100局近い人も珍しくないのですが、それでも変動点数制度では結果は勝率では無くて勝ち越し(あるいは負け越し)数で出ると思いますから、きっと100局打っても勝ち越し数は4つくらいのものかもしれません。

 いずれにしても、9月は結果オーライの月でした。
  もうすぐ10月・・・まさに月が変わるのが怖いです。

バッグアップ・記事一覧

2009-09-29 00:38:23 | Weblog
 ブログを入力するページに記事一覧と言うボタンがついています。
  最近のものから10記事づつならんでいます・・・こういうものがあると「一番古いもの」を見に行きたくなるものです。
 自分の書いたものを「見に行きたくなる」は変ですが、気分はそんなところ。
  オーバーな表現ですが沢登りのようなもので、流れがあれば源流を見たくなるもの、2007年1月1日の記事は一番古いことが分かったのですが、これははっきり間違いでもある。
 本当は2006年10月には始めた筈で、出だしの話が全く無くて、突然なにややら話が・・・初めの1,2カ月のところが欠けている・・・そして、今残っている記事は全部で1002個なのですが、もう少し多い筈です。
 マア、数で量るのも、八百屋さんでの一山いくらと言う感じですが、実際はどんなに山が大きくても価値の無いものは無いのですが・・・何故1000あたりの数字にこだわるかと言うと、ブロブを始める時「囲碁関連の事を中心に毎日更新が目標で、とりあえず”千夜一夜”みたいに1000記事」と思い立ったからです。
 途中記事を入力し忘れて、一日2本入れたりしたこともありますが、それは1日1本に少し拘りがあったからです・・・殆ど意味のない拘りではありますが。
 それで、前に3年近いので”1000は楽に越えた”と考えていたのですから、今一覧表の1002はどうもおかしい。
 要するに初めの部分の記事の記録が欠けている。
  殆ど価値が無いものでも、探した時に無いとなんだか損をしたような気分になるもので、今あるものだけでもとっておこうと「バックアップ機能」を使って記録することにしました。

 これが、ボタンを押して「記事のバックアップ中」と言う作業中のサインが出てから時間がかかること。
 「バックアップには時間がかかる場合があります」と表示があるからマア仕方が無い。
 「20分から40分・・・」とあって「ここを離れてログアウトしても作業は継続される」とあるので他のことは出来るらしい。
 それにしても時間がかかるので良く見たら”40分”の後ろに”以上”がついていました・・・と言うことは40分が天井では無い!?。
 そうなると自分で依頼した事ではあるが「勝手にやってくれ!」みたいなやけ気味な気分になる。
 
 待っている時間に、思いつくことがあって、本棚を調べると「ありました」
  ここには普通の本や雑誌の他に、パソコンで検索した物で面白そうなものなどをプリントアウトして保管してあります。
  私以外の人には単なる反故紙・裏紙使用可みたいな紙束ですが、私にとっては宝物に近いから、このゾーンは家族でもアンタッチャブルです。
 概ね囲碁関係のことか、私の出身地についての郷土史的な事や風俗習慣みたいな記事です。
  故郷のことを書く時だけでも、出来るだけ正確に書きたいと資料としてプリントしておいたものなど・・・マア雑多な物です。
 それに加えてブログの下書きにしていたメモ類・・・これもパソコンに入力したものをプリントアウトした。
 もっともこれには下書きの日付は入っていないのでプリントアウトした日付で見るしかない。
 下書きなど保存する意味は無いのだけれど、これもネズミ年?「捨てられない性格」の為でしょう。
 それと「愛染町時代」というブログの初めの断片を発見(意味のない発見ですが)・・・私がブログそのものを始めた時期が2005年10月らしい事は分かりました・・・それにブログを始めたきっかけを思い出しました。

 当時の隣の席の同僚が若い人でしたが、この人がサッカーファンでしたのでサッカー関連の話題になると二人で話しこんだものですから、他の人に「二人の話にはついていけないネ」とあきれ顔で見られていたものです。
 実際年齢差を越えて、サッカーの話題では二人で盛り上がっていました。
その彼が転勤する時に「実は私ブログをやっていましてね、もし良かったら読んでください」とブログタイトルを教えてくれました。
 普段顔を合わせているのでブログののことはかえって教えにくかったのでしょうが、転勤の時に教えてくれました。
 そしてこれも巡り合わせみたいなものかもしれませんが、転勤した彼の後任の若い方も、何故か話が合う人。
 この人はサッカー通ではありませんが、「クイズを作る趣味」のサークル活動をしている人で、並はずれた読書量とパソコンでの検索量・・・それを記憶していく所謂「雑学王」的なところが妙に気が合うのです。
 「ねえねえ、こういうこと知っている?」「ヘエそうなんだ・・・じゃこれはどう?」「あー、なるほど」日常的にこういう会話でトリビアの応酬。
 若いのに彼の知識の幅と量に驚かされ、彼もまた私が普通ならどうでもよいみたいに思う事を知っているところを面白がったようです。
  親子ほども年齢が違う友人みたいな感じでした。
 そしてその人がパソコンの知識も豊富で、ブロブについて教えて貰ったのです。

 と言う事で、ブログを見ることになり、そこに投書することをするようになり、いつか自分でもやってみようと思うようになった。
 そういう気分と同時に自分の中で、
 「自分自身の記録みたいなものは、社会的な貢献など無いので公式に記録されないのは当然として、自分の家族にも記憶されないのではチト寂しい」と思うようになりました。
 (「葬式はやらないで欲しいが、記録したものはみな目を通して欲しい」と言う事です・・・この方が余程苦痛を与えるかもしれないが)
 女房殿とは出会う以前の子供時代のことは当然お互いに知らないわけで、子供たちなどとは全然違う時代・環境で育ったのですから、彼らがオヤジはどんなところで育ったのか想像したって無理な話だから、子供時代の経験などを書いておこうと思ったし、囲碁にしても碁会所とかネット碁とか、家族には想像も出来ない別世界な筈ですから、オヤジがどんな世界で遊んでいたのか教えてやりたい・・・そういう気持ちとブログが結びついたのです。
 記事としては他人には決して興味が持てるものでは無かったのですが、ともかく自分の記憶の記録と言う事で始めたのが最初で、それが「愛染町時代」。
 それは生まれてすぐに引っ越してきて、中学1年生の12月まで暮らした町での事を書いたもので、自分としては原風景と同時に自分の「源性格形成」みたいな感じを抱いているので、とても大事な記憶。
 その後はそれをもう一度整理して「愛染町の四季」にしましたが、これは今回全部プリントしてあるのが見つかりました・・・それが今日の収穫だったようです。
 そこからブログを現在のgooに引っ越して始めたのが「なんとなく・・・」。
 
 思えば、子供時代は日記などは3日と続きませんでしたから不思議な物です。
  小学校の時代の夏休みの宿題みたいな「夏休み日記」、これにはいつも反発気分「なんで、強制されなくてはいけないんだ」と思っていましたから、いつも8月31日にまとめて書いていた。
 (そうして見ると、毎日書くと言うのがダメで、書くことは書けたのかも)
 日記は毎年新しい年を迎えるたびに「今年こそ」と始めても、三日坊主で、毎年最初しか使わなかった日記帳が本棚に並んでいたのに今でもそういう気分は残っている・・・
  毎年本屋さんや文房具屋さんには、年が押し迫ると翌年分、あるいは通年使用の日記帳が並びます・・・これが好きなんです。
 自分で買っても3日坊主になるのは間違いないのに、思わず買いたくなる。
  この時期自分の衝動を抑えるのが大変なんです。

 ブログで「毎日更新」しようと思った理由・・・おこがましくも千夜一夜を引き合いに出しましたが、あちらは面白い話を千夜続けなければ命を失う・・・ともかく続いている事が自分としては驚異的。
 さてさていつまで続くかは分かりませんがお付き合いのほどを。

 PS.
 最初に始めたブログ「愛染町時代」は検索してみると、以前のサーバーに残っていました。
 嬉しいというか、一方で「きちんと利用を停止した筈なのに・・・」と言う気持ちで複雑です。
 ブロブランキングというものがあって、現在は分母が128万くらいになっていると思います。
 ものすごい勢いで増えていますが、もしかしたら停止したブロブタイトルも削除されていない限り分母の中に入っているのでしょうね。
 そういう意味では128万はやや誇大かも。
  ともあれ、自分の始めたブログがまだ残っていたので、これは月ごとにメモリーカードに保存・・・保存の意味も、保存する価値も不明ですがともかく保存・・・なんといっても子年なんだから。

 

パソコン電話

2009-09-28 02:35:06 | Weblog
 土曜日はまた女房殿に起き抜けパンチを食らいました。
  朝起きると「今日私は学校の運動会ですから、いつもより早く出かけます。夕飯は”反省会”があるので家で食べませんから・・・宜しく」
 「宜しく」って言われても、ちっとも宜しく無い。
本当は喉元まで『反省会で、何か役に立つアイデアが出たことある?』という言葉が出かかっているのだが、これを言うと私が喧嘩を売ったことになりそうなのでグッと飲み込む・・・そう、これが平和のテクニックなのです。
  マアここで幾ら文句を言ったところで昼にご飯が出て来る筈もないので「じゃ、息子にもそう言っておいてくれ」ぐらいのものです。
 ここで更に追い打ちで「そうそう、夕方洗濯物をお願いします。忘れないでね」と念押しが来る。
 「うっかり忘れたフリ」のサボタージュをけん制しているのです。

 そういう予定は事前に言っておいてくれれば準備のしようもあるのだが、マア分かっていたとしても準備は面倒だから手抜きはするだろうから、結果は同じことかもしれません。
 息子はパソコン用の機材を買うのに大型電気店に出かけると言うので、昼ご飯は待ち合わせて一緒に外食と言うことにする。
 駅の近くの裏通りに、海鮮料理専門があるのを見つけておいたのが役に立ちました・・・夜はお酒を出す店が昼は定食を出しているので、比較的気の訊いた食事を割合安く食べられるので、こういう時は助かる。
 尤も親子で海鮮定食を食べられて良かったのか、女房・母親に見捨てられた男たちと見えたかもしれません・・・

 そうそう息子の買い物と言うのが、パソコンで使う電話の機材だとか。
  家に帰って専用のカメラなどを接続し、CDでソフトを入れると・・・自分の顔を画像で相手に送りながら電話機能で会話が出来る。
 電気代などはともかく通話料がかからない。
  しかも海外とも繋がる・・・便利な物ですね。
 息子の親友が北海道で働いているので早速この機能で話をしていました。
  去年までお世話になっていたスペインの友人たちとも連絡を取ってみるとか・・・その友人はスポーツ記者なので、通常の電話ではなくてこういうものでやり取りしているそうですね。
 
 さてさて、どんどん便利になるようですがこれを囲碁にあてはめると・・・もし話手の画像を小窓で送りながら碁盤を出して操作出来る機能があったら?
  仮にプロ同士が離れた場所で棋譜を再現しながら検討するのにはかなり役に立つ筈です。
 あるいはタイトル戦などの記事を、地方の出先から記者が新聞社に送るのにも。
  もしかしたら私が知らないだけで既に使われているのかもしれないと思いましたが・・・実際は分かりませんが。
 但しこれがアマのネット碁に応用されるかどうか。
  私としては大歓迎ですが。
 現在でも実名で打っているし、別に覆面で打たなくてはいけないとも考えていません。
 問題は、そういう機能がついて顔写真が流れることで何らかの不利益とか悪用される危険性と言うところですね。
  (顔の印象で悪評を取るのは嫌ですが・・・)
 仮に、ごく親しい人同士で直接パソコンをつないで碁を打つ機能に顔の映像も載せて送る・・・これは可能な筈です。
 問題はネット碁のようにグループで利用する場合、町の碁会所感覚で顔も名前も出せるかどうか・・・イヤ出す必要があるのかどうかという風に考える人もいる筈です。
 IDで打つネットの方が圧倒的多数派なわけですし、顔も名前もとなれば敬遠されるかもしれませんから、それだけで実現性は少ないかも。
 一方でチーターとかの問題は無くなりそうではある。
  それと、やはりネット碁といえども碁を通じての人との触れ合いの部分も欲しいという事で支持する人も少しはいるかもしれない。
 と言うことは、入会審査を厳しくする必要がありそうですが、そこまでしてやりたいかどうか・・・まるで有名なカントリークラブで。新入会員希望者を全員の賛成を前提として許可するみたいなイメージ、これがゴルフで無く碁ですから・・・。

 ま、実現は無理な感じはしますが”惜しい”。
  介護だとか、故郷の年老いた親の一人暮らし対策とか、留守宅のペットの様子を見るとかにはかなり便利な機能だとは思いますが・・・これで囲碁も打ってみたいですね。
 名前と顔が出て・・・形勢が顔に出るとまずいこともあるかも知れませんが、でも楽しいことも有りそうな気がします。
  

どこまでもマイノリティ?

2009-09-27 01:28:12 | Weblog
 私の今の職場には比較的駐車場に余裕があり、お客さんが車で来ても駐車場が無くて困るということはまずは起きません。
 更に駐車場に隣接してテニスコートが1面・・・芝でもクレイでもない、全天候型と言うと聞こえはいいけれど、マアコンクリートにカーペットを貼ったようなもので、それも最近はめったに使う人もいないし、維持管理する予算も無いので少しみすぼらしくはなって来ている。
 それでも周囲をネットで囲んであり、1面しかないけれど細かなことを気にしなければソコソコ立派な物である。
 ところで、「最近使う人が少ない」と言いましたが、0では無い。
  テニスに限らず職員の年齢層が上がったのか、とても毎日は出来ないだろうし、相手あってのものですからタイミングが合わないと出来ないということもあるので、1週間に1回くらいか。
 (土日に外部の利用希望者に貸している可能性はあります)
 職場でのスポーツ人口は減少傾向のようです。(あるいは昔と好みが変わって来ているのかも)。
 例えば、昔私がここに来たばかりの頃は卓球台がありました。
  折りたたみ式のもので、大会議室の隅に置いてありましたのですが・・・と言うことは誰かが呼びかければ昼休みには楽しめた筈ですが、私の記憶では一度も使用されること無く、その後台は処分されたと思われる。
 それと、バドミントンの道具も見かけたものですが(遊びのバドミントンでは無く)それも今はどこかに・・・愛好家だった人が他へ転勤してしまったのかも知れません。
 それと、昔懐かしい図柄になるけれど、バレーボールなど輪になってやったと思いますが、あれも今は見かけることはありません。
 そうそう、野球は昔この職場は若くて生きの好いバッテリーがいた時代に職場対抗戦で優勝したことも有りますが、今では彼らは転勤してしまい勢いが亡くなっています。
 今年はメンバーもギリギリに近くなっているらしいし、走ったり投げたりが相当怪しい人もメンバーに入っていて、希望のポジションと言う質問には「ボールが来ないところ」と言う選手が増えています。
  団体スポーツだけでなく、個人で出来る昼休みジョギングとかウォーキングの人も今は見かけなくなりました。
 昼休みスポーツは減少傾向。

  それより更に寂しいのは囲碁将棋です。
 転勤する前の職場では囲碁は少なくとも3人いました(20人中)。
  当時、囲碁将棋が出来る休憩室には将棋を含めると5人も・・・
 それが今では私の他は・・・相手が見つかりません。
  探しかたが悪いのか、現実がそうなのか?
 少なくとも将棋を知っている人がいないとは思えませんが、それでも昼休みにやろうとする人はいません。
 人前でやるのが気おくれしているのかも知れませんしあるいは楽しみ方が変わって職場ではやらないみたいな事かもしれませんが・・・だからと言ってパソコン相手に楽しんでいるようにも見えません。
 囲碁は今やこの職場では絶滅危惧種になってしまいました。
  それでは昼休みの一番は
 席に座ったまま仮眠をとる・・・これが一番・・・概ね3分の1はこれ。
  節電キャンペインで事務所の蛍光灯を消してありますから、薄暗い事務室に仮眠の群れ?
 きっとこれを写真にとれば、タイトル「ゾンビの睡眠」でも通用しそうです。
 それだけ皆疲れている事の証拠みたいで、スポーツだの囲碁だの言いにくい雰囲気・・・休み時間ですから、本来の目的通りの休憩ではあるが。

 世の中の景気が良くなったり、全体が元気になって来れば、この寝ているゾンビ達も起きだして来るに違いないと期待はしています。
 それで、スポーツの方は少しは見込みはあるでしょうね・・・多少疲れるにせよ体を動かして健康的な事をやろうと言うのはきっかけがあれば出来そう。
 囲碁の方はかなり厳しい
  絶滅危惧種の赤ランプをせめて黄色にしなくてはいけない。
   ネットで碁を打っていると、当然周りは全て囲碁愛好家なので、つい忘れてしまうのですが、実は自分たちは絶滅危惧種なのかも知れないのですね。
 さて、私も職場に居るのはそう長くもないから困った。
 

久し振りの虹

2009-09-26 02:23:55 | Weblog
 いつも通勤は自転車なので、所謂スローライフの仲間に入ると思います。
  歩くペースよりはやや早いけれど、他の人のスピードよりはやや遅い・・・そいう感じのテンポです。
 よほどのことが無い限り猛ダッシュはしません。
  こういうスピードは、多分車の生活に慣れている人には気がつかない事に気がついたり、移動時間がある分自動車の運転では考えていられない事を考えられたりすると言う利点はあります。
 車の場合は時間を節約して移動した分お茶を飲む時間くらいは余裕がある、対して、移動時間=頭のイメージを働かせる時間と言ったところでしょう。
 ともあれ、朝の通勤時間約35から40分で思いついたことなどをまずは頭にメモを焼きつけます。
 これは面白いことに自分で自分に「これは覚えておく!」と暗示をかける、あるいは一種の気合いをかけて置くと意外と忘れないものだし、もし曖昧になっても何かの糸口を見つけると自転車を走らせながら思いついたストーリーを思い出せるものです。
 話の内容はともかくとして、こういう一連の訓練で、仮にボケ要素があったとしてもその顕在化を遅らせることが出来ているような気がしている。

 さてそういう頭の中のメモは、家に帰るまでとどめて置くことも可能だとは思いますが、確実にするためにはこれをパソコンのワードパッドに入力することにしています。
 昼休みとかお茶休みの合間にパソコンに入力しておいて、仕事が終わる前にプリントしておく。
 これが10ポイント活字でA4の紙に1回程度の量があるとなかなかのボリュームですね。
 これをきちんと畳んでワイシャツの胸に畳んで持って帰ります。
  今度はこの紙を無くしてはいけない・・・
 つまり、頭に「きちんと覚えておけ!」と命令したものを、一旦入力して紙に印刷した時点で、最初の命令は消えているのです。
 つまり紙を見れば良いので、記憶に頼らなくても良いから、頭は楽な方を選ぶ。

 こういう能力の極限みたいな事をした人がソルジェニツイン氏でしょうね、紙も鉛筆も所持を認められない流刑囚の生活で長編小説を頭の中に書いて記憶していたのですから。
 だから、繰り返し思い出しながらなぞると言う作業も必要だったらしい。
  マア、私の方はそういうきちんとしたものではないし、量にしてもA4一枚。
 多分話す原稿としても3分もかからない話だろうから、トレーニング・エクササイズみたいなものです。

 ところで今日もそういう原稿を胸にしまって夕方帰宅しました。
  話は横道にそれますが、今朝の天気予報では夜にはところにより雨があるかもしれないとか、そして最近は雨が極端に少ないなどの話がありました。
 予報としては当たったようで、帰り道は傘も帽子もいらない程度ですが細かな雨が降ってきました。
 マア、気持ちが良い程度ですが、この雨は所謂天気雨で丁度夕日が当たって東の空に奇麗な虹が出ました。
 バスの乗客も、渋滞中のドライバーも、子供を前後に乗せたお母さんも、買い物の年配の主婦も・・・殆どの人が見とれて、多分半数以上の人が携帯で撮影していたと思います。
 「ねえ見た?」「見た見た」「奇麗ねえ」「凄いわね」なんていう会話が飛び交っています。
 東の空に奇麗に半円形の虹が描かれている。
  会話を交わす人の顔が皆自然に笑顔になっている。
 「虹を見たから良いことが起こる?」いや「こういう虹を見ることができたのが良いことなんでしょう」。
 携帯に撮った映像をきっと家で家族に見せて虹の話題で一時盛り上がるでしょう。
 そういうことで、今日はプリントした原稿は「虹」のパワーで吹っ飛びました。

 ところで、世代別で小・中・高ぐらいの年代の子供たちはイマイチ反応が鈍いような感じでしたね。
 まさか「あれは空気中の水分・・・光によりプリズム・・・それぞれの波長の違い・・・」などと冷めた目で見ていたわけでもないでしょうが、奇麗な物が空に大きく描かれた虹を見て驚いて欲しかったかな。

 私?、私は「虹とかけてアメンボウと説く」なんてナゾナゾ。
  してその心は「アメンボウ」=雨坊主だからレインボウ・・・チョット寒い感じですね、失礼!(これも自転車で走りながらの一人遊びです)。
 
 久し振りに雨が降って、それが丁度天気雨なので奇麗な虹になりました。
  見た人はほんの一時かもしれませんが、なんだか得をしたような気になったり、ちょっぴり嬉しいい気持ちになったようです。
 こういう気分も久し振りです。

考えるバランス

2009-09-25 01:55:29 | Weblog
 (23日の朝のこと)秋の連休最終日の朝の筈?なんですが、朝早くから炊事やら洗濯の気配がして目が覚めました。
 朝5時半なのに女房殿が働いているので、思わず「今日から仕事?」と訊いてしまいました。
 私なら一日間違えて出勤することもあるかも知れないですから、自分の基準で考えてしまいます。
 「眼が覚めたので、起きてしまいました」
 これなら、お互いそういう年令なわけで、目が覚めたのに無理に布団の中に居るのはかえって苦痛であるかもしれないし、お互い子供時代も結婚後も日曜だからと言って寝坊する習慣は無いし、いつものように家事をするというのは理解できる・・・しかしこれは全く上手い詐欺的な手口のようなものでした。
 確かにその時間に目が覚めて家事をするのが日課ではあるけれど、本当は計画した通りの予定の行動だった筈です・・・そのすぐあとに「今日はお昼は妹のところで食べるから・・・」これが朝起きてすぐの思いつきとは思えない・・・結論として、つまり隣の市に住む妹の家に行くので、”昼ご飯は各自調達せよ”と言う宣言である。
 全く女房も古くなるとなかなかタヌキと言うか、いろんな芸を見せてくれます。

 マア、息子もアルバイトで出かけるということだし、自分ひとりならなんとかなるでしょう・・・それにコチトラはどうせネットで碁を打つくらいです。
 いや、午前中に本屋さんに行くくらいは考えていますが。

 ところで今日の囲碁観戦は、いろいろ考えさせてくれる面白い碁でした。
 白番の方は私の先か2子の間くらいの人で黒番の人はほぼ私と同じくらいなので、だいたい私と同じ条件で、黒の先・白からコミ2目半出しと言う条件。
 白の人は強いという印象・・・私にはそう刷り込まれている。
  多分私はこれまで3局くらい先で打って一局も入っていないと思います。
 もしかしたら力関係以外にも原因があるかもしれません・・・棋風が近いところがあって、しかも相手の方が猛烈に地に辛いのでこちらとしては普段ですと地を先行して相手の大模様を制限する作戦を取るのに、相手にそれをやられてしまうのです。
  つまり自分の得意パターンを取り上げられた形ですからそれだけでもフラストレーションが発生します。
 無理やり好みでは無い役柄を演じさせられる感じですから、画面を眺めながら『相手の石を持ちたいな』と思いながら打ったりする。
 自分が地を先行した場合、相手が無理に模様を生かそうとするならそれを阻止する作戦になる筈のところが、この方が相手ですと自分が無理をしなくてはいけない立場になるのです。
 自分で「無理気味」だと自覚しながら無理押しせざるを得ないのですから、この時『罪悪感を抱きながら悪事を働くみたい」で、すでに気持ちは負けているに違いない。

 さて観戦の方は・・・まるで自分が打っているかのような展開。
  白は序盤で3隅は確保して、残り1隅はイーブン・・・見返りとして中は黒が厚いのですが、裾は開いてたりするわけでまとめるのは大変そう。
 結局はこの厚みをめぐっての戦いで決着がつくだろうと予想は出来るし、その通りになって行きました。
 ところで、持ち時間は各45分なんですがここから中盤での争いが本格化するという時点で(この碁では90手くらい)黒残り10分、白残り30分くらい。
 これは時間との戦いも黒は大変だなと見ていたら・・・110手くらいで持ち時間を使い果たしました。
 ここから後は1手30秒以内で打つのですが・・・アマの”早打ち”から行けば出来ないこともないけれど、ここまでに時間を使い果たした人ですから大変には違いないと想像できる。
 最後まで時間切れにならずに打ったという事は黒もサスガかもしれません。
 但し肝心な闘いの場面で時間が足りなかったり、形勢を確認できずにやや差があるの碁を最後まで打ったということは悔しかったかも知れません(想像ですが)。

 ところで時間の問題。
  学生時代の試験ですと、テクニックとして直ぐに解ける問題を一通り回答しておいて、難解な問題を後で取り組む・・・みたいな事はあります。
 欠点としては配点の低いものを優先でやるみたいなところもありますが。
  囲碁ではこういうテクは許されない。
 昔駄菓子屋で売っていたり子供雑誌の付録についていた(名前は知りませんが)巻物のゲームみたいなもの・・・巻物をほどきながら道路を進むのですが、これが所々で3択となる・・・間違うと道路工事中とか、落とし穴とか、崖だったり、クマとかヘビが待ち受けたりする。
 要するに、どこかで致命的な間違いをするとそこでゲームオーバーなわけです。
  何かの問題を棚上げにしておいて、別の問題を先に解くと言う高級テクニックもあるけれど、まずは順番通り起きた事件順に考える筈(あるいは対処しなくてはいけない)。
 そこのところはテストの要領の良い対処方法テクとは違う。
  
 考える時間のバランスについても考えさせられる一局でした。
  序盤で時間をつぎ込んで打つ・・・まるでプロみたい(からかいではなく)なんですが、結局は序盤で時間を使い果たしてしまうと中盤以降の戦いがつらい。
 初めが無ければ後は無いという分けで、序盤で思慮不足の手を打って形勢を損じるとその後が大変なことは分かる。
  家に例えれば序盤は土台なわけで、そこをおろそかには出来ない・・・さりとて戦いが本格的になる中盤で時間が無いのも致命傷になりかねない。
 結局巻紙のゲームと同じで、どこで決定的なミスをしても結果は同じ。
  ではバランスよく時間を使うということはプラス思考では「上手に消費時間をコントロール」することですが、裏面から見れば(特にアマは)「ほどほどに手を抜く」「どうせ考えても正しい結論に行きつくかどうか分から無いし、相手が先に間違うかも知れないし・・・」みたいなことで、ほどほどに見切り発車する習慣とも繋がりそうです。

 アマの公式戦では「持ち時間45分切れ負け」が殆どでしたが、このネットではそこに1手30秒の秒読み付きなので相当余裕がありそうに思うのですが、実際には大変そうです。
 時間が無い場合、私なら終盤で地合い計算など、損の無いところを5,6手打ちながらやっと計算できるかどうか・・・計算を途中で忘れたり・・・幾らネット碁でもメモ用紙に鉛筆と言うわけにはいきませんし。
 今気がついたのですが、もしかしてこういう時にパソコンの地合い計算機能を使うのでしょうか?
 棋譜の並べ直しで、結果計算の時しか使っていませんが・・・。
  

しつこいあっさり系?

2009-09-24 04:52:31 | Weblog
 「しつこい」と「あっさり」が同居する性格?・・・心理学の分析はよくわかりませんが、分裂とか二重とかいうようなことでは無くて、よく血液型の特徴で言う(本当かな?)B型的気質と言うか・・・
  気持ちが向くものには相当しつこいくらいに関与するが、気持ちが向かないももには義務的な事でも放置したくなる。
 好い方だけみれば相当真面目なひとのようですが、肝心なところは手を抜いていて、誰かのフォローでボロが出ないようになっている、一言で言うと自分勝手・・・多分私はそういう性格で、フォローの方は女房殿とか親友のお世話になっている。
 ムムッ!その辺りが親友の少なさの原因でしょうね。
  「あいつと付き合うと手間がかかる」と思われている・・・
 生活面ではもしも女房殿より長生きをしてしまったら、自分で自分の世話をするのを放棄したくなりますから、人生で最大の悲劇に直面すること必死です・・・マアこの方は”幸い”持病をいっぱい抱えているので、とてもあの元気な女房殿より長生きはしない筈です。
 
 脱線しましたが、本人の自覚のように、かなりあっさりした人つき合いをする性格ですが、それは対人関係であって、例えばチョット気になった事があると頭から離れない性格でもある。
 「浮かんだり消えたり」「出たり入ったり」と言うか「伏流水」と言うか一応の結論が出るとか、何らかの決着がつくまで表に出たり潜ったりしながら続くのです。
 こういうことは事柄ごとに起こるので、もし自分の中でペンディング状態の項目が増えて来ると・・・少なくとも自分の中で決着がつかない事柄が増えすぎると、頭の許容能力を越えますからビジィ状態でちょっと元気が無くなるとか、、、他人から見ると「オヤッ?」と言うようになるらしい。
 但し、簡単に結論の出る問題の方が少ないわけで、ちゃんと自分の中に安全弁がある・・・つまり普通の人が気にするようなことでも全然気にならないことも多いといのが多分安全弁なんでしょう。
 これが無かったら多分連日パニックになっている筈。
  つまり他人からは「いい加減な奴」に見えるそのことが、私にとって世の中で安全生きていける仕組みなのでした。

 ところで今気になっているのは、昨日も書いたようにネット碁などでの「インフレ」というキーワード。
  まず、リアルに限定して考えると、たいていの碁会所とか囲碁サークルでは点数制度で打っているので、日々の成績によって点数が上下しハンデが変わる仕組み。
 そしてたいていのところでは、成績は自己申告となっている・・・つまり成績はカードに自分で記録して提出する。
 これがプロゴルフの自己申告みたいに確実に行われていれば問題はお起こらない・・・はず。
 たいていインフレ問題が顕著になる原因は、勝った人は自分のカードに○を忘れずにつけるが、負けた方が×をつけ忘れることがあるので起きると思われます。
 席亭とか、誰か世話人がやかましくやれば相当防げるとは思いますが、人手不足とか、この種の注意を露骨に繰り返ししにくいと言うような対人関係の問題も絡んで来るのが厄介なところ。
  「うっかりミス」なのか「確信犯的手抜き」なのか・・・あまり強調すると後者のイメージで決めつけるような感じになって、常連客を失うことになる心配もある。
 商売で碁席を提供している場合などは、原因になる人が想像できてもストレートに注意するのには勇気がいりそうです。(単なるミスなら注意しやすい・・・)
 
 それとインフレの原因になるのには段級位の基準問題もあると思われます。
  これは内部的なインフレ問題ではなく、他のグループとの比較で「甘い」「辛い」問題があると思われます。
 元になるのは「段」という言葉の持つ魅力と言うか重みと言うか、他人に「碁を打つんですってね、どのくらいでお打ちになるんですか?」と訊かれて、胸を張って”○級”と答えられる人は少ないと思う。
  若い人とか、始めたばかりの人なら自然に言えそうですが。
 年令が高い人、経歴が長い人、あるいは社会的な地位が高い人など・・・「段」と答えたい心理がある筈です。
 それに棋院などから「○段を贈る」なんて言いうこともあるし・・・
  マア囲碁普及の意味もあるでしょうが、あまりにも現実と離れると滑稽なことも起きます。
 何代か前の我が市の市長は棋院から確か「5段」を贈られましたが、隣の市の市長はほぼ実力5段なので、恒例の市の囲碁対抗戦では市長対決は必ず序盤で打ち掛け。
 こういうの「お止碁」と言うんでしょうね。

 それは極端な例ですが、誰かが「初段免状」を持っていれば、『イヤあなたは初段の実力は無いので、ここでは2級です」とかは言いにくいこともある。
  ですから冗談に「棋院初段」と言うのは必ずしも名誉では無くて、からかっているような表現だったりもする・・・マア囲碁仲間としては免状を持っている人に羨ましさを感じる裏返しの場合もありますが。
 ともあれ、初段を名乗りたい有力者の力が強いと商売上無視できないので基準が甘くなる傾向があるようです。
 そうするとその人に7子とか8子置かせる人は8段とか9段と言うことに、玉突き現象が起こるわけで、これもインフレ状況なんでしょう。
 (解決法としては「甘い初段」と同時に「3,4あるいは5、6段クラスを更に上下に分ける」ダブルスタンダードにして、上を抑える?)

 さて、ネット碁のインフレ?
  今手元にある、入会時に貰った会の雑誌の末尾にある会員ランキング(会員名・順位・点数)と先月のランキング情報の300位から600位辺りの比較をしてみました・・・実際には始めたばかりで答えはありませんが・・・
 雑誌の方は2004年のもので、その後上がった人もいれば下がった人もいて一見インフレの傾向は分かりません。

 もう少し調べてみないと分かりませんが、私の感じでは・・・
  私が入会した時は、初めの自己申告段位は県大会などで活躍した記録がある人以外は上限が4段までだったと記憶しています。
 ところが今はその辺りが・・・新しい人でも6段くらいの人がいるようで、そこは少し甘くなっている。
 もし無条件に自己申告を認めれば、「どこそこの碁会所で6段格なので」という理由で申告できるし、「周りから6段はあると言われている」ということも申告根拠になる・・・マア私が知らないだけで、ある地方では活躍していいるのかもしれませんが、感じとしては少し新入会員に緩くなっているように見えるのは、これもネット商売の競争が激しいことも一因かも。
 もうひとつは、ある程度打った時点で成績が本人の思うに任せない時・・・(こういうことはよくある筈ですが)・・・「申告すると1回だけリセット出来る」!。
 「なんだ!?」っていう感じですね。
 そういう制度が出来たていたので、私だっていつもより10点下がった時、余程こういう救済?を申告したいと言う誘惑に負けそうになる・・・最も確実で早い復元方法ですが、本当は初めの申告ミスが原因だとか、一時的にせよ棋力あるいは調子の低下の反映にすぎないのに、超法規的救済措置があると言うのもおかしな話。
  実際にそういう申告があったかどうか知りませんが、もしリセットするのなら、その人に勝った他人の分もリセットしなければ勘定が合わない筈です。
 1000人とか2000人とかの中で僅かな点数だとも思いますが、そこがそれ、拘るところは拘らないと気が済まない性格なんです。

 段級位制で打つネット碁の方は観戦のみなのではっきりとは言えませんが、時々「?」はあるように思います。
 マアでも、いつか正会員になって打ってみないとはっきりしたことは分からないかも。
 そうそう、点数・段位がインフレなのか、レベルが上がった結果なのか?
 元々、グループの数だけスタンダードが存在すると言う事で理解すればよいだけで、自分の持っているイメージを全部にあてはめようとすることが間違いなのかも知れません。
  グループを越えた対局では為替レート的な換算で手合いを決めてもよし、プロなら当然ですが、アマでも実力対決なら互い戦で打てば良いだけ。
 問題は「○段という名乗り」というだけかも。

エッ?私は25級ですか?

2009-09-23 00:47:49 | Weblog
 敬老の日、いや今では老人の日と言うんでしたか、改称の理由は「老人であるという理由だけで”尊敬”を強要するのは宜しく無い」という理由でしょうか?
 もしそうだすると私とは随分違う感覚のようです。
  確かに高齢の方の中には私の理解の範囲を越える人とか、私程度の力ではお世話を出来ないし、会話だけでも10分も持たないだろう。
 でも私のような不健康体質から見れば長生きしていると言うだけで憧れみたいなものです。
 ところで、9月のこの時期からお彼岸にかけて連休があって「シルバーウィーク」と言うのですよね。
 確かにそういう期間があるのは知ってはいました(ボケではなく)。
  その時期には道路が混むかもしれないとかのニュースも聞いてはいました・・・しかししょせん他人事!?。
 家族でどこかに行くような予定もないし誰かが遊びに来ることも無し、全く現実感がありませんでした。
  ですから、カレンダーに赤い文字の日が並んでいるというか、9月の真ん中あたりはずいぶん赤い模様が多いと感じている程度でした。
 週末の金曜日の夕方同僚と打ち合わせをしていて・・・「エッ!来週はこんなに休みが続くのですか?」という発言をして、逆にその場にいた皆から「ギョッ!?」と顔を見られてしまいました。
 「明日からの休みを知らない人がいた!」・・・「もしかしたら、誰も言わなければ月曜日も仕事に来てくれるつもりだったのですか?」。
  「どうせ仕事しか行くところが無いんです!!」と開き直るしかない
 もう、呆れると言うか、ボケ老人扱いです・・・マアそういう扱いは無理もないかも知れませんが。

 そういうことで、日曜日の夜も月曜日の事を気にせず気持ちはゆったり。
  (気にしていても”ゆったり”ですが)
 普段ですと多少は自制心らしきものが働いて、”なるべく早く寝ておこうかな”などと考えることも無いわけではないのですが、今週に限っては気にせずノンビリ。
 尤も、女房殿は同好会の若いメンバーの結婚披露宴の二次会に招待されてどこぞのホテルに、息子は仲良しグループの誰かが帰ってくるので歓迎の集まりで近所の居酒屋に・・・ジイサマは一人でパソコンを叩いています。
 TV番組も面白いものが無いので、ネット碁か人のブログを覗く、あるいは興味のある事柄を検索してみる、それもなければ、本を読むか・・・寝るしかない。
 要するに”ノンビリ”するしかないという選択の余地のない”余裕”状態。
  こうなることが予想できるので、個人的にはあっても無くても良い「シルバーウィーク」に関心が無かったのかもしれません。
 (まさに私と同じ「箸置き」的価値;無いよりは好い、あるいはあっても好い)
 この時期に「やっと休める」とか「久し振りに家庭サービス」と言う人にはなんという贅沢を通り越した罰あたりみたいなものでしょう。

 ともあれネット碁は落ち着いて打てます・・・落ち着くしかないので・・・
  この時期に来てやっと9月の11局目を打ちました。
 前にも話したように連敗スタートして、気合を入れて打った3局目も敢え無く・・・3連敗。
 半ばやけ気味でなんとか1勝したものの次はまた負け、その後なんとか勝ったけれど再び負け途中までで2勝5敗。
 負け越しはマダ僅か3つと感じるかどうか?・・・悲観的な気分が「初めの3つの負けを取り返すのは大変!」だと頭の中で悪魔が騒ぎ貧乏神が囁くのです。
 その後(私としては奇跡の)4連勝があって通算6勝5敗になり気分的には一息つきました。
 尤もシルバーウィーク後半で再びデッドロックに乗り上げる危険性は大いにあるので安心はできませんが、とりあえず危機脱出。

 ところで日本棋院幽玄の間で無料会員登録をして観戦が出来るようになりましたが、不思議なことも有りました・・・イヤ、無料会員にどの程度の事が認められてるのか分かっていないだけで、観戦以外での認められている機能が分かっていないのですが。
 観戦は出来る・・・これはありがたい。
  この対局者リストの横に対局待ちリストがあるのです・・・これが間違いかも?。
 そこに「上」とか「下」「同じ」などと言うところにチェックを入れるところがありますが、多分これが対局条件だということは想像できる。
 ところで対局可能=対局希望?に「登録」するかどうか?
  つまり申し込んで受け打入れられるのかどうか?
 こういうボタンがあれば押してみたくなります=もしかしたら対局が許される?
   無料会員はプロの対局も観戦できないくらいですから当然対局など出来っこない?とは思いつつ、失敗したって「パンドラ」ほど酷いことは起きっこないと開き直る。
 迷った末に「チェック」を入れてクリック
  すると対局可能リストとかいうものが見える・・・でも自分のIDネームが無い!。
 よく見ると一番下にゲスト「No・・・25級]と言うのがあってそこが色つきになっている。
 もしかすると、それが私?
  それでも文句は言えないかも知れないけれど、そうだとすると登録した時の自主申請段位は全く無視された形です。
 「無料会員は対局できません」と言ってくれた方がよっぽど気持ちが良い。
  それとも25級から修業し直しなさいと言うことなのかも・・・日本棋院ってそんなに棋力のハードルが高かった?。
 マア、これ以上触らないで観戦だけにしておきます。

 PS.
 実はそこに24級が一人、25級は6,7人登録されていました・・・もしかするとこれは私と同じように迷路に迷い込んだ人たちかもしれません。
 (言葉遊びのインスピレーション=地獄の亡者たち?)
 とすると、ここから戦って30ランクぐらい這いあがって行け!!?
 日本棋院幽玄の間ではプロの対局、アマ超高段者たちのグループも厳しい対局でしょうが、もしかするとその次にここが厳しい戦いの場かも知れません。
  だって、同じ条件の人と25級として対局して、そして負けたら泣きたくなるかも・・・
 まさに地獄から這いあがるための戦い!!ナンチャッて。
  私? 当然裸足で逃げ出しました。

インフレ?デフレ?

2009-09-22 00:41:58 | Weblog
 経済問題ではありません。
  ネット対局でのランキング・段位に関して受ける印象です。
 先日他の方のブログを拝見していて「最近パンダでインフレ傾向にある・・・」というような記述を読みまして、もしかすると先日感じたことは”もしかしたら”・・・と思ったのです。

 段位については、いろんな団体があって棋力表示あるいはハンデの目安に必要な物なのかもしれませんから、それぞれの基準があっても良いかなとは思います。
 それは国によっていろんなお金の単位があるようなものでしょう。
  別のグループに属する人と対局する場合に多少の戸惑いはあるかもしれませんが、その際に”辛い”方がステイタスが上とか考えなければ良いだけで、単なる表記方法の違いだと思えれば良いわけです。
 マア普通に考えると、厳しい段位認定の方がレベルが高いように感じ勝ちです・・・でも単純な方法としはオール互い戦で対局して勝率を比較して高い方が強いという事で好いでしょう。
  そういう対局ばかりになったら、棋力が多少違ってもハンデを認めることで楽しめると言う囲碁の楽しみ方を否定してしまいそうではあります。
 
 そうして考えると、「インフレ化傾向」と感じることももしかしたら何らかの問題を含んでいるのかもしれませんがインフレ=悪いことかどうかは難しい。
 例えば「昔の初段はもっと価値があった」と言うようなことを聞いたものです。
  実際アマレベルでは昔の初段は今の5、6段くらいの力があったというような話だった・・・実際には今の人と昔の人が同時に対局出来ないわけですから比較はしにくいのですが、そういう感覚があったらしい。
 「プロの段位」はプロ基準で考え、「アマの段位」は多少甘めに考えれものの、全く別の基準だとは考えていない時代の段位によると、アマプロの表示は今ほどかけ離れていない筈ですからそういう感覚なんでしょう。
 よくアマ初段=プロに7子と言う換算レートありました。
  (逆にみるとアマ7段がプロ並み?・・・そんなことは無いと)
 実際にはプロが無理にアマに勝ちにいかない戦い方でという条件がつきそうだし、プロの芸とアマの棋力との間には越えられないような溝があって、それを無視した比較のような気はしますが、マア大雑把にはそうらしい。
 と言うことは統一段位みたいなものが出来たらアマの初段はプロを含めた7級と言うことかもしれません。(この場合、プロ間での手合い割りが必要でしょうから、プロは最高でも3段くらいしか出せない?)
 そういう意味ではアマへの普及活動的なサービスとしての「インフレ」も有りなのかもしれません。

 「今の若い者はだらしが無い」的な年寄りのお小言としての「最近インフレ」「昔の段位は辛かった」は、先輩の常套句として拝聴するとして、実際のところでは、そのネットの中で打ったことが無いのではっきりしたことは言えませんが「もしかしたら]と思うところもありました。
 パンダでの観戦の時「この段位の人にしては・・・こういう内容は少し寂しいかも」と言う対局に何回か出会ったことがあります。
 マア一方的な感想で、時間制度による心理的負担とか、たまたまその碁がそうであったに過ぎないとかの可能性もあるので断定的な事は分かりません。
 でも、昔私が所属していて結構厳しく可愛がられていた時とはイメージが違う感じはしました。
 
 自分の基準では[KGS]>>>[パンダ]>=[タイゼム]>[サンサン]>[TAISEN]>[日本棋院]かな?・・・(自分で打った感じですが、KGSと棋院のネットは観戦しただけで、自分では対局はしていないので、これはあくまでも見た感じ)
 マア、多少のずれはあってもこれはあくまでも「為替レート」の問題で、ステイタスの上下だと考えなければ良いわけです。
 従ってインフレ・デフレではなくて基準のブレ・あるいは基準の多様性なんでしょう。
  これはきっとある筈です・・・もし段級位とか点数制で、途中リセットが認められている場合は、運営していくうちに必ず生じる問題だと思います。

 PS・
 暫くタイゼムに入場していませんでしたが、今回の話題をきっかけに調べてみると今でも入場して対局が可能だと言う事が分かりました。
 ですから、対局はともかく観戦をする予定です。
 それと日本棋院幽玄の間でも観戦は出来るように無料会員登録をしましたので、これでパンダでの観戦と併せて4つのネットで観戦できることになりました。
 心配は、「観戦に忙しくて打っている暇が無い?」
 

   

語り継がれない「伝説」

2009-09-21 01:48:11 | Weblog
 昨日の父の思い出話は私にとっては殆ど伝説みたいなものですが、他の兄弟たちにとっては多分記憶の隅の方にあるか無いかわからないくらいの話だろうと思う。
 同じ兄弟でも年齢差だけ父との付き合いの時間が違うだろうし、父とかかわった時代とかお互いの年齢によって起こり得るエピソードにも違いがあるかも知れない。
 そういう意味では私にとって思い出の一枚と言える写真がありました。
  私がエプロン姿でゴム付きの白いロングパンツみたいなものを穿いて写っている写真(歩き始めた頃)ですが、その背景に家の薄暗い勝手口で父が剃刀を振り上げている姿が写っている・・・。
 まさか本気で威嚇?で剃刀を振り回しているわけではないでしょう・・・多分写真の背景に髭そり中の姿が写ることに気がついてストップをかけた瞬間だったとは想像は出来るけれど、この写真だけを見せて父に吹き出しをつけて台詞を考えたら結構面白い場面だとは思う。

 さて自分だけの伝説、伝説になりそこなった伝説
  72時間連続麻雀などと言う馬鹿な記録は伝説にならなくて良かったようです。
 でも当時は大学周辺の学生相手の雀荘では結構有名人だったようで、メンツが足りないところに自己紹介無しで誘われていた。
 マアあまり負けないけれど、馬鹿勝ちもしないところが「殆ど無害」と言う事で雀荘のマスターや婆様などから「要注意」では無かった筈です。
 今は麻雀で遊ぶ人はかなり少なくなったらしく、学生街に雀荘が無くなっていました・・・従って麻雀キチの伝説を語り継ぐ人はいないでしょう。
 私だって熟練の技を一つ持っているのですが、それを話す相手もいないし・・・一度娘に話したけれど意味が通じなかった。

 そういう学生時代・・・麻雀だけでなく囲碁らしきものも打っていました。
  私自身級位のはずですが、(植物)クラブの部室で植物図鑑でも見ていればマジメな先輩ですが、囲碁を打てる後輩を捕まえては打つ「お山の大将」。
 その日も後輩のT君を捕まえて部室で碁。
  部室は旧軍隊の厩舎らしいバラック建て、その角部屋でガラス窓越しに上半身だけは見える形でした。
 従って囲碁を打つスタイルは、男二人が前かがみで向き合っているスタイル。
  さて丁度講義が終わって部室に来た後輩(当時はお嬢さん)が、部室に入ってくるなり「○○さん、何か大変なことでもあったのですか?」と真剣に訊く。
 私:「何か起きたかって?」
 「だって、二人で深刻な顔をして向き合っているでしょう」と、言いながら、二人の間にある碁盤を見た・・・「なーんだ」
 彼女のお父さんは強かったらしいので、直ぐに察したようですが・・・
  私が真剣な顔をしているのは初めて見たのだそうです。
  つまりいつもはいい加減な顔をしていたという事ですし、遊びの時でしか真面目な顔をしないとも言える。
 これは私にとっては伝説的な出来事ですが、彼女にとってはあっさり忘れ去られたかもしれませんね。

 先に父の話をしましたが、そのまた父(祖父)母(祖母)にも伝説的出来事はあります(尤も祖父は私が生まれた時には亡くなっていたので、会ったことは無いし写真も無いので、絵としてのイメージは全くありません)。
 この人は大チョンボで家屋敷・周りの畑などを失った人ですから、必ずしも評判は好くないのですが、それでもひとに騙される人ですから人は好かったらしい。
 失った土地が小学校になっていて私など親戚の子供は皆ここに通っていたし、伯父(父の兄)などは小学校の教員になって赴任していたから複雑な心境だった筈です。
 祖父の本職・神主の話です。
  毎年決まった時期に伊豆七島のどこかの島に渡っていたという。
   おそらく島の神社の祭礼に合わせて渡っていたのだろうと推測は出来るのですが、誰に頼まれたのか、どの島のどの神社なのか、あるいはどんな役目なのか一切不明なのです・・・まさか祭りを口実に遊びに行っていたとは思いませんが。
 それにしても、連絡先とか一切告げずに行くなんて・・・訊かない方も訊かない方ですが。
 今となっては私みたいな詮索好きな孫が調べたくても手掛かりが無さすぎ。
  多分小さな島の小さな神社だとは思うのだが・・・

 ところで祖母もしっかり者であるけれど、多少は伝説的なところはある。
  自身は多分江戸時代は大名の家臣の家の娘ですが御姫様的な育ち方をしたらしい。
 それが明治維新で、離れた土地の郷士の家に嫁いで・・・初めは若奥様だった筈で夫婦仲も良かった筈(子供を11人も生んだのですから)、没落後は祖父が早く亡くなったことも有り、小さな体で大黒柱にならざるを得なかった。
 まさに「おしん」の時代の働くおかみさんのイメージ・・・あの体で米問屋で米俵を担いで子供を育てたという話が残っています。
 それが晩年は長男が家を建て直したことも有り、悠々自適な生活。
  うちにも良く泊まりに来ましたが、祖母の印象は・・・湯上りで、鏡の前に座った形です。
 ああいう座り形と言うか、ぴたりと決まった姿は今でもめったに見れないと思う・・・私もリアルで座敷で碁を打つ時にああいう形で座れればかなり決まっている筈ですが
 そういう意味ではマイ・リトル伝説・・・但し共有する人がいません。
 私も伝える相手が・・・。
 

伝説と言えば

2009-09-20 00:59:02 | Weblog
 伝説と言えば先日大リーグ新記録を達成したイチロー選手ですね・・・生きている伝説と言うか、将来必ず伝説の人になるハズ。
 いや、イチローに関しては勝手に「伝説の場面」を経験している。
  それはまだ家の息子が小学生で、当時は野球少年だった時代。
 地元のプロチームの少年向けのサービスみたいなもので、野球場の入場料が割引(子供だけ)だったり、今日場内のお店でのサービス券があったので、よくマリンスタジアムに観戦に行ったものです。
 自転車で30分ですから、ナイターは夕涼み代わりですね・・・事実外野スタンドなどは近くの会社のサラリーマン・OL等のビアガーデンみたいな事も有りました。
 私たち親子は、地元チームの応援でもなく特定のチームの応援もしないので、単に空いているという理由でたいていはレフトの外野席でした。
 でも、イチローが来るオリックス戦だけは別。
  彼の守備位置に近いライト側に移動します。
 さて、そこでミニ伝説的な場面に出会いました。
 「普通、ライト側はホームチームの応援団が占めていますから、ここでビジターの応援など出来る筈がありません。もししたければそれなりの覚悟が必要かと思います。ところがイチローだけは特別でした。マア言ってみればミーハーでしょうが、若い女の子たちがライト側の応援席に居て、黄色い声で”イチロー”コール。全く応援団など眼中にない・・・無知と言うか、人のことなど気にしない。
これには普段ならコワイ応援団の叔父さんもお兄さんも呆れ顔・諦め顔。「しょうがんない娘っ子」だと笑って見逃すしかなかったようです。」
 こういうのも小さな伝説的シーンだと思うのです。
  世界のイチローが日本でプレイしていた時代の伝説です。

 ところで、伝説と言えば私だって伝説の人になる筈だった・・・かも知れない。
  かなりローカルな世界ですが・・・
 ある冬の日・・・所謂インディアンサマーみたいに穏やかな日に下宿から裸足にサンダル、Yシャツにカーデガンスタイルでいつもの店に行きました。
 マア、いつもの雀荘ですが・・・
  当時は麻雀人口が多かった筈で学生も愛好家が多かった・・・これには大きく分けて二つのグループがありました。
 一つは同じ学科とかクラブの仲間同士でしか遊ばないグループで、もう一つはそういう垣根を越えて顔見知りの4人が集まれば遊ぶ感じ・・・私は後ろのグループでしたので、ともかく暇な時は一人でブラッと雀荘に行くのです。
 さてその日も丁度4人集まったので直ぐに試合開始・・・これが、誰か用事で抜けるとすぐに誰かが代わりに入るので試合に切れ目が出来ない。
 途中経過は省くとして、試合時間はトータル72時間・・・つまり3昼夜眠らずに・・・
 最後は背中を冷や汗が流れる自覚・・・何故か涙が止まらないので目じりがただれて来る・・・顔色が蒼くなっているのが自分でもわかる。
 ドクターストップならぬ雀荘の婆のストップがかかりました「アンタ死ぬよ!」
  
 歩いて15分の下宿への道のりが長かった。
  来る時は小春日和だったのが、帰り道には雪が積もっていました・・・そこを裸足にサンダル。
 麻雀の腕はともかく、でたらめな性格と無茶苦茶な行動では当時伝説的な学生になりかかっていましたが(?)・・・麻雀はすっかり廃れ、今ではその学生街に雀荘は一軒も見当たりません。
 「ムムッ!これでは伝説を語り継ぐ人が居ない!」
 そこがイチローとは決定的に違う。

囲碁・食事・風呂

2009-09-19 00:10:44 | Weblog
 家でネット碁を楽しむには、少なくとも我が家では「食事」「風呂」の時間に気をつけなくてはいけません。
 ネットで対局中に「ご飯ですよ」と声がかかった場合も、まさか対局相手に「食事につき、囲碁は中断」と言う提案は出来ませんし、形勢と関係なく投了など論外です。
 仮に形勢不明あるいは当方が少しでも有利な状態で投了した場合、必ずしも相手が喜んでくれるとは限らないと思うのです。
 もし私がそう事に出会ったら「キツネに騙されたような・・・」いや何かしら「小馬鹿にされたような」そういう印象が残る筈です。
  そうせざるを得ない事情があったらしいと想像はしても・・・
 一旦始めた勝負事は「親が倒れても止められない」みたいな気持ちでやるわけで、ザルの遊びでも「親の死に目に会えない」覚悟(オーバーですが)。

 そう言う事なので我が家で対局中に「ごはんですよ」の声がかかった時の返事は「今、試合中」と言う一言に決めている。
 気持ちは「大事な対局中なので今は無理ッ!、後で」と言う事であるが、「大事な」と言う部分は「素人のネット碁くらいで・・・」と思われるのが気恥ずかしいので口には出さない。
 「対局」という言葉も囲碁を理解していない家族に使っても馴染みが薄いと思うので使いません。
 結局分かりやすく「試合中につき手が離せません」みたいな表現。
  長年の習慣でこれで結構通じてはいるが。
 但し、後で食卓についた場合、ご飯もみそ汁もおかずも冷えていても文句は言えない。
 夏ならまだしも冬は困る・・・いや季節はともかく「出来たて」で無いとおいしくは無い・・・自業自得みたいな感じですが。
 ともあれ、遅れて食卓に着く、あるいは一人で食事を取るにしても家族から文句は言われませんが、特別待遇も無し・・・不満があるなら自分で何とかしなければいけない。

 風呂の場合は、家族の入浴順が決まっているわけです。
  これが、長年の習慣と言うのが不思議で、たった家族3,4人なのに融通が利きません。
 順番など入る人の都合で入れ替えれば良いのに、何故か順番が変えられない。
  こういうことってどこの家庭でもそうなんでしょうか?それとも家族全員B型だとそういうことも起こり得るのか。
  考えてみると共通の湯船に入るから入浴の順番が固定化されるのでしょうか。
 もしシャワーで済ませるなら順番などどうでも良いように思うのですが、どんなもんでしょう。
 ともかく我が家では「順番通り入る」か「その日はパスして入らない」のどちらか。
  あるいは早朝にシャワーを浴びたり。

 そう言う事なので、自分の部屋で一見孤独にネット碁を打つと言っても、実は部屋の外の気配をうかがいながら打っているわけです。
 食事のタイミングを時計を見ながら測って碁を観戦か対局か決めたり・・・台所の物音に注意を払いながら。
  まるでお婿さんみたい・・・イヤ何にもしない婿さんですが、これでも結構自主的に気を使っている・・・家族には絶対そう思われていないのですが。

 こういう事って、長年暮らしている家族でもお互いに理解できない部分かもしれませんね。
 単純な年数ではなく、囲碁を打つか囲碁を知らないかの違いが大きい筈。
  ということは私は家族とって理解できない謎の部分を持っているということであり、私から見たら「囲碁の楽しみを理解できない」という謎を持っている人たちという事で、お互いに謎を持っている事になります。

父の思い出

2009-09-18 01:39:12 | Weblog
 テレビの中継で彼岸直前に「”ヒガンバナ”が一斉に咲きました」という映像がありました。
 それは確か北海道か東北方面だったと思いますが、住民が山林の手入れをしながらヒガンバナの球根を植えて行った結果だそうです。
 赤い花が一面に咲く光景は印象的。
  そう言えば埼玉にもこういうところがあった筈。
 規模は全く違いますが、私の住んでいる町の歩道の街路樹の根元にもヒガンバナの球根が植えてあったらしい。
 それがこの時期に一斉に花開いていました。
  土曜日にもそこを通ったのに全く気がつきませんでしたが、ほんの数日の間に一斉に花茎が伸びて、花が開いたようです。
 まさにお彼岸の時期に花開く。
  供養の花のようでもあり、お彼岸を忘れないように咲くようでもあります。

 お彼岸を忘れないようにというサインは私にとって大事です・・・両親についてお盆の墓参りなど頭から飛んでしまう”親不孝者”です。
 尤も憶えていれば必ず墓参すると言うことも言えないかも・・・
  まあ「行く行かないでは無くて、思い出など、個人をしのぶことが大事」だと開き直っていますが、兄弟たちも「末っ子はそんなもの」「5人も子供がいれば、一人くらい少なくても大丈夫」くらいに思われています。
  マア、そう言う感じと言うか、家族・家庭に仏事的行事が無かったということも影響がありますねきっと。
 それは母方の親戚とか、知り合いのところでのお葬式や仏事的な事はあるにしても、自分の育った家の中では一切無かったのですから。
 お盆にしても近所の友達の家の仏壇のお供えなどにお菓子や果物があると羨ましかったくらいですから・・・
 神棚しかない家でした。
 父は次男でもあるし家族で全員健康でしたから仏壇も位牌も無い。
 ですから両親が亡くなって初めて肉親の葬儀でお寺に行った。
  それはお墓の場所を借りるためには、そうせざるを得ないという事で、檀家でも仏教信徒でもないのに仏式のお葬式でした・・・私にとっては何だか違和感があったのですが、他の兄弟たちは「そういうもの」くらいに考えていたようです。

 方便としての葬儀にはなんとなく反発を感じたのですが、どうやら心理的に心の底の方では未だに尾を引いている感じがします。
 「自分の時」は絶対に近所の神社でお願いするように遺言を残さなくては・・・そこは「浅間」さん系なので、マア好いでしょう。
 もし無理ならば完全に無宗教形式の「さよならパーティ」だけで十分。
  などとお彼岸・お盆の時期は自分に再確認します。

 ところでTVで西伊豆の海に潜る番組がありました。
  戸田(ヘタ)って今では沼津市なんですね・・・高校生の頃ヒッチハイクで伊豆での第一夜、ここの海岸に放置されていた廃船の中で一晩泊ったことがありますが、今でも戸田町だと思っていました。
 それはともかく、駿河湾の深海ネタの寿司が番組に出て来ました。
  きっとおいしいだろうなと映像を見ましたが・・伊豆西海岸」というキーワードで亡くなった父を思い出しました。
 マア、父の時代はタカアシガニが深海系と言うことは分かっていても、深海魚は寿司ネタにはしなかったでしょうが。
 でもきっとここには来ている筈なんです。
  駿河湾を挟んで清水から伊豆西海岸には一日3,4便の定期船があったので、時折、日曜日で天気が良いと父が突然「ちょっと出かけて来る」と言って出掛けたのが西伊豆でした。
 具体的な地名などは言ったことはありませんが、普通に考えれば「戸田」「土肥」「松崎」の何処かの筈。
 月に一度かふた月に一度くらいでしたが、家族・知人は誰も連れて行きませんからそこで何をしていたのかは本人も言わないし誰も分かりません。
 でも想像では、どこか名所旧跡は見るにせよ必ず「海の近くの海鮮料理の店で一杯やっている」筈だとは思ってはいました。
  マア、カウンター越しにお酌をしてもらうような店があったかどうか?・・・そこは謎ですが、謎があっても面白いですね。
 きっとこのTV番組に出て来るような店に寄っていたのでしょう。
  家に帰ってきた時の父はいつもお酒の匂いがしたし・・・
 片道1、2時間の船での小旅行でリフレッシュしていたのかも知れません。

  こういう謎・ミニ伝説を大事にして時々父を思い出しているのは親不孝代表の末っ子の私だけみたい・・・勝手に楽しんでいるようなものですが、さて、お彼岸に父の事を思い出す「供養」になったかならないか・・・。

電池切れ寸前

2009-09-17 00:29:35 | Weblog
 いやー、火曜日は歩きました。(本当は少しオーバーかも知れませんが)
  この日は事務所の最寄駅から電車で2駅先で降りて調査をして、1駅戻って2番目の調査・・・調査は無事に終了・・・ここまでは好かった。
 さて言葉で説明すると分かりにくかもしれませんが、2番目の調査地点は出発駅と次の駅の中間点でしたので、これは歩いて出発駅に戻るのが効率的。
 (電車区間なので1駅の距離は大きくは無いので歩こうと思えば歩いても行ける距離ではある)
 ところが更に出発駅から事務所までも歩いて戻ることになる・・・マア歩けば歩ける距離ですが、同行者に内心「勘弁してよ」と言いたくなる・・・顔には出さずに世間話などしながら歩いている自分が何とも「見栄を張って」「意地を張って」イヤだし情けない。
 相手にしてみれば「この程度ではそれほど無理していないでしょう?」くらいでしょうね。
  「今日は好く歩きましたね、健康的でしたが、でもアナタはひざが悪いので大変だったかな?」と言われても『そんな気使いは言葉だけでは意味が無い』とは口に出さず、笑っているだけ。
 
 と言う事で、夕方仕事帰りの自転車の重いこと。
  しかもこういう時に限って風も逆に吹くのです・・・自転車には風が大事な要素。
 こういう日は個人的エネルギー問題が発生します。
  エネルギー摂取・まずこの日のお弁当・・・これが私にとっては問題のお弁当でした。
 本当は私の単なる好き嫌い・偏食ですが・・・鶏肉料理がメインのおかずでしたが、これは大の苦手で食べられないのでパス。
 お弁当の中のご飯の半分は食べないことにしているので半分パス。
  付け合わせの漬けものは塩分コントロールの為にパス。
 結果サラダと煮物に半ライス弁当・・・そうそう朝も寝坊したためバナナとリンゴとブラックコーヒー・・・全くでたらめな食生活かもしれません。
 カロリー制限ではあるけれどバランスはメチャクチャ。
  朝出がけに何やら予感があったので「フランドールテープ(心臓貼り薬)」を予防的に貼ってきたのが役に立ったかも知れません(効果は実証できませんが)。
  こういう日に限って仕事でウォーキングをしてしまったので、帰り道は低血糖とかエネルギー切れみたいな状態に陥らないようにヒヤヒヤでした。

 理由も無く冷や汗が出たり、急に体から力が抜けるような感じがしたら即持参の糖分補給顆粒を飲まなくてはいけません。
 そこまではいきませんでしたのまずは好かった好かった。

 但し帰宅して、夕食後は何もする気にならず、面白そうなTV番組も無いので寝てしまって2時間の仮眠。
 それで、ようやく体内電池は充電出来たようです。
  全く携帯電話並みの体ですから、充電しないとダメみたい。
 さて、いつものネット碁です。
 この日はネット碁のお友達(同県で、同じくらいの棋力で、勝手に思っています)のMさんと、これも好く見かけるNさんの碁を観戦。
 (MさんとNさんの対局で見ている私はLサイズ)
 Mさんは比較的好戦的な棋風ですが、Nさんの棋風が多少変わったのか真っ向から戦っています。
 マア相手が戦いを仕掛けてきた時には避けられないことは多いにしても、どうもNさんも変わったように見えなくもない。
  1局目はNさんのノックアウト勝ち。
 2局目は・・・深夜の対局なので、Mさんが対局希望リストに載った時に、対局可能の人が少なく、Nさんが応じる形ですから両者での2局目・・・今度はMさんのリベンジ成功。
 3局目・・・3局目も相当な激しい碁。
  どうも見ていて攻め合いの手順が違うような・・・だから結果が逆になってしまったような・・・そう言うところで私も観戦を終了。
 深夜同じ相手と何局も激しく戦う碁キチ・・・まさに「好きな人」たち。
  マアそれを3局も続けて見ている私も相当「好きな人」には違いない。
 

打たせてくれる先生

2009-09-16 00:48:37 | Weblog
 少し前に、ネットで再会した嘗ての先生(”たぶん”ですが)の話をしました。
  今日もその方の打ち碁を3手目から終局まで観戦することが出来ました。

 嘗て私が通っていた碁会所に、時折訪ねてくれて、何局か打って貰いました。
  大学病院の医局勤務から同じ県内の国立病院勤務になりましたが、病院勤務の頃も2カ月に一度くらいだと思いますが顔を出してくれました。
 (ここから先は想像ですが)
 勤務の方は停年退職して故郷に帰って今は悠々自適・・・
 (実は勝手に故郷を東北方面に決めていて、停年退職と言うことにして、しかも悠々自適と言うことにしています。)
 本当はまだ現役かもしれないし、自分で開業しているかもしれないし、週の2,3日を頼まれて勤務しているかもしれない。
 マアそこのところは勝手な想像ですが。
  ただ、今日の対局を見せて貰ってますます同一人物に違いない確率が高くなったような気がします。

 対局の方は先輩(?)のSさんの方が勝ちました。
  Sさんが白番で相手の方も同じ点数なので、黒6目半コミ出し。
 黒氏は4隅で稼いで、白のS氏は厚みに物を言わせて追い込む構え。
 黒氏は隅で稼いだ分中は白が厚く、それが全部地に変わると黒も楽観は出来ない形勢で、それを黒が制限に行くと、黒氏の隅の地も当初の見てくれより小さくなりそうな形勢。
 要するに私ならどっちを持っても自信が無いという場面。
  さて、黒氏の隅の一団に薄いところがあって、本来なら黒は手入れが必要なところ・・・但しそうすると当然黒が後手となる。
  もし黒が手入れをしない場合は、どうやら白からコウ絡みで取りに行く手がありそうな場面。
 果たして黒は手抜きで他の場所で白地を制限する手を打つ。
  当然これを受けていては白は後手で,得るものは無いわけで、黒からのヨセを断固無視して、黒の大石を取りかけに行きます。
 黒はコウでしかシノギが無い形なのですが、ものが大きいだけに黒からのコウ材が難しい。
  結論から言うと白がコウを解消した時点で終局。

 こういう碁は終わってからも観戦者は(勝手に)忙しい。
 当然今回のテーマは「もし、コウも辞せずなどと手抜きをしないで、手入れをしていたら地合いはどうだったか」です。
 実際の対局は180手程で終わっていますが、事件発生以前の場面から勝手に100手くらいシュミレーションして、280手くらいまで想定図を作ると・・・これが白の1目半勝ち。
 シュミレーションの信憑性が問題ですが、高ければ、あの時点ではどうやら手抜きを決断するには早かったかも知れません。
 但し、シュミレーションにどこか間違いがあって・・・黒氏の考えでは「勝負の手抜き」だったのかも知れないし、実戦での心理状況として「このままでは追いつかれる」というプレッシャーを受けていたのかもしれません。

 ところでネットのS氏、私の受ける印象ではますます同一人物のS氏に思えて来ます。
 理由の一番は先生のイメージ。
  先とか2子で教わる場合、上手には大きく分けて2つのタイプがあると思います。
 単純に言うと・・・
 ① 打たせてくれるタイプ
 ② 打たせてくれないタイプ
 ①と②ではどう違うかと言うと・・・
 例えとして適当かどうかは分かりませませんが、子供を躾ける時の事を想定します。
 ②は大人から見ていけないと思われることは断固禁止する、あるいは大人も自分の主張をする・・・①の方は、子供がやろうとすることはたいていの事はやらせてくれる・・・但しそれが正しく無い事である場合は「決して利益にはならない」と言う事を自分で悟るようにしかやらせてくれない。
 つまり下手としては②の先生には潰される、①の先生には不利な状況に追い込まれ反省させられる感じ。
 一見すると②の先生が怖いけれど、①の先生の怖さは後で感じる怖さ。
  
 Sさんはどちらかと言うと「打たせてくれる先生」。
  但し正しく打た無いと、自分で打ちたいように打った筈なのいつの間にか不利になってる。
  先生は手を出さないのに勝手に道に迷う感じ・・・
 当然今日の碁みたいに手入れをしなければキッチリお咎めは有る。
  強い人は皆そうかもしれないけれど、この感じはSさんを感じます。