なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

やはり負けました。

2009-03-31 18:26:35 | Weblog
 今日は一年でも5本の指に入るくらい忙しい日になることは前もってわかっている日です。
 普段たまたま来客とか電話などが重なって忙しいkとはありますが、それは偶然で、年度末とか年末の場合は予想できる日です。
 前年度分の書類の整理とか、明日から使う新年度分の帳簿の用意。
  過年度分で保存するものと処分するものの種わけ・・・更に個人情報が入ったものはシュレッターにかけるか薬品による溶解処分にするか・・・
 そしてファイルで金属がつかわれているかどうか・・・。
  ただでさえ小人数のグループなのですが、病気による長欠者を抱えていて、半病人ボケかかりの私も戦力ですから大変・・・それなのに・・・
 
 朝起きて大変なチョンボです。
  いやこういう日に限ってやるのです。
 起きぬけに対局は厳禁なのに・・・少なくとも私はダメなのに「今日は忙しいぞ」という反発みたいに打ちたくて仕方がないのです。
 朝6時過ぎにネットに入るとお馴染みのOさんが「対局希望」を出していたのでツイツイ・・・いやかなりやる気。
 結果から言って予想通り大惨敗でした。
  だいたいここのところまぐれで白番3連勝したので調子に乗っていた。
 『マアここらで一つくらい負けてもいいか』という鼻歌気分が良くない。

 今日の惨敗の教訓は三つあります。
①、アマのザルとはいえど「負けても良い」と言う対局は無い。
  「仕方のない敗戦」みたいなものはあったとしてもそれはあくまでも結果に過ぎないのであって、初めから「負けても良い」はダメ。
 一つの負けが連敗の入口になる可能性もあるのだし、単純に考えても敗戦後の対局は「連敗をしたくないプレッシャー」もあるはずです。
②、やはり起きぬけは頭が囲碁モードではない。
  ましてやこれから仕事に出かけるのに・・・仮に対局時間が1時間なら終局が7時20分くらいで、もし少し長引くと8時近くになるかも知れません。
 その場合は「打ちかけ」の提案をしなくてはいけないし、相手が快く応じてくれない場合は形勢と関係なく投了もやむ無し。
  さてさて相当なリスクを背負っていることになります。
③、3番目はかなりセコイ
  この日のOさんはいつもより点数が上がっている。
  相対的にではあるがいつもなら互い先か私の方が白のことが多いのですが、今日の手合いは私の常先くらいの手合い。
 つまりOさん現在好調、あるいは実力アップ。
 と言うことは相手がいつもより強いと見るか、あるいはここら辺りが「上げ止まり」と見るか・・・確率的には「強い人は怖い」と考えた方がよさそうです。
 対局前のあいさつで送られてきた分が「ご指導をよろしく・・・」こういう丁重な挨拶は怖い、迂闊に近ずくとバッサリ。
 躓いたような、一刀両断されたような。
  まあこのくらい派手に負けると悔しさは通り越していますから気持は後を引かないようではあります。

永年保存

2009-03-30 17:33:35 | Weblog
 「赤道、青道を知っていますか?」これが7年前にこの事務所に初めて来た時に質問されたことです。
 「赤道」は”あかみち”であって”せきどう”ではありませんし「青道」も”あおみち”と読みます。
 土地と縁の深い人とか農業関係の方なら常識みたいなものですが、その時点で私にはこの方面の知識は0に近かったので、「申し訳ありません。全くわかりません」と答えるしかありませんでした。
 「マア、やっているうちに憶えるよ」と言ってくれたのが救いでしたが、この方面の知識を教えてくれる人はありません。
 翌日から暇さえあれば事務所の書棚に並んでいる基礎知識の本を読みました。
  土地の問題については歴史的の教科書に出てくる「太閤検地」から始まる?
 現実的には明治時代なのでしょうが、用語・知識とか道具など現実の起きていることと歴史的なことがクロスしているみたいで、密かに感激しました(どうもおかしな癖がありまして)。
 
 ともかく誰かが所有している土地があると言うことは、周りの土地との境界がはっきりしていなくてはならないということです。
 個人と個人の境界はともかく公的な土地、たとえば河川とか道路とかの境界を決めるのが仕事でした。
 「決める」と言っても一歩的なことでは無くて土地の古老の話とか土地利用の状況とかも考慮しつつ、一方で公的な道路幅も確保する形で決めると言うことです。
 従って関係者が全員納得しなければ納得するまで協議を行うか、あるいは棚上げとするかどちらか。
 そしてそこで出された結論に皆が納得すれば公的な機関に記録として残される・・・この記録の保存期間は「永年」・つまり「永久保存」と言うことになります。
 建物の方も近年悪いことをする人がいて、かなり法律が厳しくなりましたが、ともあれ「建築確認」とか「建築概要書」は審査機関で永年保存されることになっています。

 前振りが長くなりましたが「永年」がらみで昨日問題が発生しました。
  まあ冗談みたいな気もしないでもありませんが・・・
 「永年」とかどうかを全く気にしないでやっていた頃の記録も現在は永年記録保存になっています。
 今で言うと紙に書かれた、あるいはパソコンで印刷された書類とそれをデータ化した記録、さらに「台帳」形式で記録したものが揃えてありますが、20年前のものは手書きの台帳のみ。
 ですから筆跡とか、かなりの個人差がある。
  従ってこれに今は使われていない旧仮名表記の名前とかが交じるとかなりの難解な文書も残されています。
 
 さて昨日は建物の建築主・・・日本で使われている漢字ではないのは明らかでIME,では表記可能・・・しかしその字と手で書いた人の筆跡に明らかに相違がある!!
 これは当時の記録者が間違って書いたと判定すれば簡単な話なのだが、もしかしたら「新字」みたいに実際に存在する文字と言う可能性も無いわけでは無い・・・
 しかし、こういう記録を公的に発行するのにどう判断するか??
  記録は永年保存です。
 そう言う意味では20年前の記録など新しいうちかも知れない・・・さてさて困ったものです。
  20年前の記録者が元気だとして、探して聞いたところで覚えているかどうか怪しいし。
 と言うことは、今後の2,30年後の人のために、たとえ下手な字でも間違いのない字を書くことが肝心と言うことになります。
 先ほどの土地に関する立会記録を書くことが多かったし、今は建築物の台帳などの記録を扱っています。
 記録は大事です。

 アマの碁ではほぼ関係ないと言えますが、プロの意識では「棋譜を汚さない」というものがありますね。
 プロの棋譜は言うならば「永年保存」ですから、後の時代に誰の目に触れるか予想できません。
 そう言う意味でプロとしての意識が大事なんでしょう。
  ザルは気楽で良かったですが、私も飯のタネの方では「永年保存」は心して仕事をしなくてはいけません。
 

ささやかな快挙

2009-03-29 15:29:19 | Weblog
 日曜日の朝の第一感少し寒い感じはするもののやや穏やかと言うか、ピンとした寒さは感じません。
 と言っても起き上がって着替えて洗顔してと言ったような事をする前の、ほんとにベッドの中の第一感ですから、顔の皮膚が感じたその日の第一情報と言い換えても良いかも知れません。
 大まかに言えば昨日の引き続き花冷えみたいな天気ですが、まあまあ選挙日和と言ったところかも知れません。
 そう、当地では今日は県知事選挙の投票日です。
  女房殿からは「何時頃の行きますか?」と声がかかっています。
 「そう言えば息子は初投票かな?」
 「いや、2回目かもね」
 「もう少し暖かくなってから家族揃って行きますか」
 「そうだな今時は早く行っても何も貰えないんだろ?」
 全くセコイことを言っています。
  昔、娘が幼い頃は朝早く投票に行くとゴム風船とか紙風船を貰えたものです。
 まあ今は娘も息子も投票に行く年代ですから喜ぶ年でもない。

 と言う事で投票所に行く前にネット碁会所を覗いてみると、知らない名前の人がリストに出ています。
 概ね同じくらいの点数ですが名前に記憶が無い。
 入場者情報で見ると600局以上は打っていますから、たまたま行き合わなかっただけのようです。
 私が1500局くらいで相手の人が600局くらい。
 期間で言うと私が5年は経っていますが・・・まあ出会わなかったということもあるのですね。
 相手の人は勝ち数が負けを10局は上回っていますが、このくらいの対局数があれば不思議でもない・・・最近でも上昇中なのかどうか気になるのです・・・
 もし仮に対局数が少ないのに勝ち数が負けを大幅に上回っているならば、棋力急上昇中の若者のパターンかも知れません。
 でも対局数が多ければアップした後に平均状態の可能性が大きいので、とりあえず似たような素人仲間と言う感じで安心。

 対局は私の白番で黒からコミ2目半出し。
 初顔合わせで相手の方がおとなしい人だったためか、ずーずーしいジイサマに相手の人が辟易したためか割合好きに打たせて貰えました。
 中盤の、まだ大寄せにはやや早いかなというところで私が先手で何箇所か2線コスミ、ハネ継ぎを繰り返したところで相手の人が突然投了。
 瞬間、白がイヤラシイ打ち方をしたので気分を害したのかなとも思いました・・・
 その辺りでは私は目数を数えて形勢判断はしていませんでしたが、その場面では大寄せに入るのが自然かなと思い打ち進めていました。
 変な話ですが、相手が投了してから形勢判断です。
 更に研究盤面で、ヨセのシュミレーション。
 結果は白の20目くらいだったので、黒さんの投了はその意味では正しい選択だったのでしょう。
 と言うことは私が「ここでは大寄せを打つところ」だと思って打っていた時に、黒氏から見ると「白の逃げ切り態勢」とみえたのですね。
 因みにこの対局は1手30秒で考慮時間10分の早碁でした。

 研究盤面からMY情報に入って、最近の成績を検索。
 先日は直近の100局と言うように局数での検索がありましたが、今朝は期間での検索をして見ました。
 とりあえずこの1か月の成績は9勝7敗。
  対局数がやや少なめですが、それはともかく問題は黒番5勝1敗に対し白番では4勝6敗です。
 たぶん白番の打ち方に問題がありそうです・・・今のところどこがどうなのかはわかりませんが。
 最近の1週間で見ると4勝3敗、1日1局ペース。
 黒番で1勝0敗、白番で3勝3敗・・・少し持ち直して来たか?
  ところで白番では2連勝。
 わずか2連勝、連勝の中で最低の2連勝ですが少し希望みたいなものが湧いてくる連勝です・・・たぶん思い込みの勘違いですがアマにはこの勘違いも大切。

ありがとうございます(見落としていました)。

2009-03-28 16:07:57 | Weblog
 今の職場で、5,6年前に机を並べていた若い職員がサカキチと言っても良いくらいのサッカーファンで地元チームのサポーターでした。
 そんな事で昼食後の話題はいつもJの話題なので、これには他の職員が呆れていました。 
 要するに二人の会話に得てくる人名とか内容が周りにはチンプンカンプン。
  その彼がある時「私、実はブログをやっています」と話してくれたのがあるサッカーブログ。
 その後彼は転勤しましたので直接の会話は不可能になりましたが、私がブログを訪問して何やらコメントを入れることで、一方的な・断片的な会話は続きました。
 そんなことがありまして、ある時これを自分でもやってみようかなと思いつきました。
 ホームページに比べるとブログは手軽に初められそう。
  何を中心話題にするかはサッカーも好きですが、それ以上に囲碁ですね。
 それに生まれて11日目に引っ越してきて中学1年生まで住んでいた町。

 話はそれますがaizomechouはその町名です。
  尤も初めはもう少し短くてaizomeとしたかったのですが他の人が既に登録していたので、下にchouをつけました。
 言葉としては「愛染」、「藍染」、「逢染」となりますが、どれも好きです。

 さて以来3年以上続けていますが、マア、他人様のお役に立つようなものでは無くて、思いついたまま言いたいことを書いているだけですが、ボケ防止にはなっていそうです。
 普通の日記ですと、「途中でやめてもだれの迷惑になるわけで無い」と思うはずですが、ブログの場合は「誰の迷惑にもならない」のは同じですが「人前でコケたくない」みたいな勝手な自意識が支えになるようです。
 続けていると覗いてくれる人がいまして、それもまた支えになっています。

 ところで、コメント欄で「しん」様からコメントが入っていることを発見しました。
 全く気がつくのが遅くてお恥ずかしい限りです。
 記事は1月に描いた「画竜点睛」についてで、コメントは3月18日となっています。
 これは嬉しいですね「しん」様ありがとうございます。
  今のものも含め前のものも見てくれている人がいることに感謝しています。
 絵とか写真などを取り入れてもう少し見るだけでも楽しいブログにするのも良いかも知れませんが・・・とりあえずは今の形で続けます。

碁キチも脱帽!

2009-03-27 17:36:01 | Weblog
 火曜日の深夜と言うか水曜日の未明、いつものネット碁でMさんの対局を観戦しました・・・いや確かに観戦したのはMさんの碁だったはずです。
 こんな風に記憶が曖昧というか、乱されたような感じがするには訳があります。
 と言うのは今朝がた目が覚めて7時過ぎに(今日は仕事が休みで、病院に行く予定もない日)所在なく、いやヌクヌク感を楽しみながら温まったベッドでパソコンをネット碁につなぐと、Mさんが打っています。
 その時はMさんが2子置いて上手に打って貰っていました。
  形勢が良くなさそうなのに、Mさんが粘っているというか・・・ネットですから表情は見えませんが、おそらく平然と一発狙いの感じがします。
 白氏はもしかしたら、既に勝負はついているという感覚で打っていたかも知れません・・・要するに相手があきらめてくれるまで付き合うとか、仕方なく終局まで打つような感じ。
 こういうときは案外落とし穴が待っていることが多い。
  案の定「大石死せず」の裏格言「大石だって死ぬこともある」みたいなもので、「大石」という安心感が逆に危険の見本のような結末が待っていました。
 白の超大石に目が出来なくて白氏無念の投了。
  そう言うわけで、Mさんの快挙と言うか、誉められない勝利と言うか、そう言う碁を観戦してしまいました。
 局後対局室を退去して対局希望者一覧表を見ると、対局を終わったばかりのMさんの名前が載っています。
 これは・・・たぶん・・・私を誘ってくれているような気がします。
  勿論名指しではないし、ネットでのことなので私の一方的な思い込みの可能性は大きいのですが、なんとなくそう言う気がします。
 これまでもMさんの碁を観戦した後はこういうことが多かった・・・
  まあこういうスタイルなのでMさんは連続対局で対局数が多いのですね。
 ともあれ先ほどの碁の毒気にあてられた気分なので対局意欲が起きませんでした。

 さてそれから数時間して昼食後にネット碁を見ると
  ん!! Mさんが対局しています!
 すごいスタミナとパワー!!
  結果とか、碁の内容はともかく深夜・早朝・昼と打っています。
 休み休み打っているのか、間で仮眠を取っているのか他人事ながら心配。
  まあ私が観戦しながら眠っているようにきっと何か極意があるに違いない、そうでなくては連続(おそらく)12時間以上は・・・
 !!だが、考えてみるとそれを見ている私も・・・見ているだけとはいえ「アンタも好きね」と言われるだろう。

一種のブラックジョーク!?

2009-03-27 17:31:25 | Weblog
 今日の仕事の帰りに近所のレンタルDVDの店に寄りました。
  最近では本を読む体力・視力が低下したのか読書量が減りまして、反比例してDVDを見ることが増えています。
 そこへもって来て「シルバー会員」ですから最新作以外なら7泊8日で半額料金ですからつい借りてしまいます。
 私だけでは無いようで、店のカウンターに私の前に並んだ人も「○○5円」という金額が聞こえたから、この人も半額の会員らしい。
  案外シルバー世代に半額で貸し出しても商売になっているように見えます。
 ところで今日はこの店のサービスデーだったらしく借りた人に350ml缶の飲料1本プレゼント。
 もらえるものなら大抵のものは有難いが・・・よく見ると缶チューハイのようです。
 これは私にとっては猫に小判みたいなものです。
  くれたから素直に貰いましたが、さて冷蔵庫でどうしよう。

 DVD屋さんの次に、その近くのコンビニに寄ってみて・・・
  店の前に分別収集のいくつかのごみ箱が並んでいます。
 缶、ビン、ペットそれに「燃やせるゴミ」・・・マア見慣れた光景です。
  ところがその「燃やせるゴミ」のごみ箱の縁に、タバコの吸い殻が置いてありました。
 流石に火は消してありましたが、「燃やせるゴミ」にタバコの吸い殻・・・
何やらジョークのような気がしますが考えすぎだろうか?。

 そう言えば今朝は寒かったですね。
 一度5月並みなどというあたたかさを経験させておいて、真冬に近い温度に突き落されたようです。
 現実には本当の真冬はもっと寒いのでしょうが、相対的には相当寒い。
  朝通勤で近所の団地の中を通ると、桜並木がサクラ色に煙っています。
 開きかかったところでストップがかかったようです。
  花冷えではなくて寒の戻りでしょうか、きっと花も震えているはずで、サクラにとってこれも一種のブラックジョークかも知れません。

 ところで件のコンビニの前にコミュニティセンターがあります。
  ここでは冗談みたいな経験があります。
 ここに通ってくるご婦人で私と打つ時・・・彼女の好敵手とか仲間が手が空いていない時に渋々私と打つのですが、手合いは向こう5子。
  まあもう少し置いてもいいかも知れませんが、勝負ではないから多少のことは構わない。
 ところでこのご婦人相当生真面目な性格と見えます。
  たぶんリタイアしているとは思うのですが、ものかたい商業に着いていただろうと推測できる雰囲気です。
 囲碁の方もそう言う気質が出ているような気がします。
  それを少し揶揄した見方で言うと・・・
 「工夫より堅実さ1本」と言う感じ、それに「生真面目に戦う」
 どういうことかと言うと「決して途中で投げたりあきらめたりしない」
  最後まで頑張る!!
 これは凄い敢闘精神ではありますが、、、
  こういうスタイルは同じくらいのクラスの中では意外と効果を発揮して、本来まるでダメな碁をひっくり返したりするのです。
 ですから、本人にとって「最後まで頑張る」のは悪い事ではないと思っているはずです。
 但し・・・上手相手にどうにもならないような局勢で最後まで打つということは・・・何手負けであってもヒタヒタとダメを詰める。
 相手が大場とか大きなヨセの手を打っても一切構わず、ひたすら自分の石を取っている白石のダメを詰める・・・相手が気がつかなければ逆に取ってしまおうと。
 何かの手筋、他の石との絡みなどと言う七面倒なことは一切抜きで、5手も6手も負けている攻め合いをダメ詰めで逆転しようと言う・・・恐ろしい精神力というか。
  私も一度相手のダメ詰めに「何をやっているんですか?」と訊いたことがありますが、件の生真面目なご婦人が返事をするはずがありません。
 「囲碁は黙って打つ」「どこに打とうと私の勝手でしょ」と言わんばかり。

サクラ

2009-03-25 13:04:42 | Weblog
 火曜日の時点で今年の桜は早いらしいという話がありました。
  今は卒業式シーズンなのに、もし桜が咲いてしまうとシーズンのイメージとずれが出てしまいますね。
 これはやはり入学式のイメージです。
  地方から受験すると大学の合否を電報で知らせてくれる(たいていは部活のアルバイトなど)のですが、合格の際の言葉は「サクラサク」が一番多かったでしょう。
 反対は「サクラチル」・・・私も18歳の時に「サク」と「チル」を1通づつ貰いました。
  この方の戦績は1勝1敗1棄権。(棄権の話は何時か・・・)

 ところで、私の住んでいる辺りではちょっとした公園には桜があったり、大きな桜の木が何本もあるような(私が勝手に思っているだけかも知れませんが)隠れ名所みたいな場所もあります。
 近くの団地も桜並木みたいになっていたり、近所の大型スーパーの前庭はすでに散ってしまいましたがオオシマサクラがたくさん植えてあります。
 それに川沿いに桜並木になっていたり、これから桜の名所を作ろうとして「○○サクラを植える会」みたいな活動があったり、既にあるのにまだまだ増やそうとしている・・・
 いや、悪いことだと言っているのではなく、サクラが好きなんだなと感心しているのです。
 それはこの地方に限られたことではなのか、全国的にそうなのか?
  あるいは昔からそう言う国民性?、国民的嗜好だったか?
 昔に比べると多少のゆとりが出来て、その現れなんでしょうか?
 私の子供時代に同じ市の中にサクラの名所はありましたが、○○堤みたいな溜池の周囲とかお城の堀沿いくらいの記憶しかない。
 そう言う意味では地方的偏りはあるかも知れません。
 春に家族揃って、両親に連れられてお弁当を持って日本平に何度か行きました。
  300mの頂上で富士山を眺めてお弁当を広げて、ふもとの清水港・折戸湾・三保を見降ろし、駿河湾越しに伊豆の連山を眺めるのですが、これはあくまでもピクニックで桜を見るためのお花見ではありません。
 「お花見」という言葉はしっていましたが、現実にはやったことが無かったのです。

 サクラと言えば散り際の美学と言うのでしょうか「花は桜木人は武士」と言う言葉がありますが、最近「サムライJAPAN」という言葉が・・・
 WBCとかサッカーの日本代表とか・・・ムキになることでもないでしょうが個人的には止めて欲しい。
  「戦う」=「サムライ」なんでしょうが、戦う役割と言うより身分的なイメージが強くて私としては気分のよくない表現です。
 『日本人の先祖が皆侍だったわけでもないのに』・・・と言ったような皮肉な感想を持ってしまいます。
 まあ、懸命に戦うと言う意味で「サムライ」と言う冠詞を呈しているのでしょうが、でもこの冠詞の裏には「負けたら帰れません」みたいなイメージが張り付いているような気もするのです。
 戦争を否定しながら戦争中の精神がチラチラと見え隠れするような。

 ご先祖は苗字帯刀だったそうですがこれはいくつかの神社を管理していた神官と言うか、多少の土地を持っていたという事で要するに郷士。
 それも本家の話で、父は二男だし私はそのまた5人兄弟の末っ子ですから、これはもう郷士にもなれない・・・そう言う意味で江戸時代が続かなくて良かった。
 いずれにせよ「サムライ」と聞くと「お前は違う」というイメージがある。

 サクラのイメージに潔さというものいがあります。
  散り際が身上、パッと咲いて綺麗に散る。
  囲碁で言えば中押しみたいなものでしょうか・・・パッと散る。
 尤も私の場合、負けの殆どが中押し負けで、懸命に戦った結果の敗戦かといつと・・・。
 気持ちの上では懸命に戦ったような気はしても、実際には準備とか勉強とかを含めてやれることをすべてやった上での結果とは言いにくい。
 「人事を尽くして天命を待つ」みたいなことでもないわけで、ここがザルのお遊びなんでしょうね。
  
 
 

やや疑問

2009-03-24 17:28:13 | Weblog
 昨日月曜日の朝は窓の外の風の音で目が覚めました。
  こういう風の音で、中学生の頃故郷の家に住んでいた時のことを思い出します。
 大きな台風が近くを通過した時に、兄と二人で玄関を守ったことがあります。
 どういうことかと言うと、木造で玄関は細かな木を組んだような見た目には良いのですが、華奢な感じがする引き戸。
 実際には柳が風に強いので、見た目ほどは弱くはないのかも知れませんが、強い風が吹き付けるたびに見た目で分かるくらいにしなるのです。
 例えれば、凧が風にしなるみたいに・・・
 これは戸が壊れなくても戸にはまっているガラスが枠のしなりに堪えられなくなれば割れる心配もあるわけで、これは見ていても恐ろしい光景です。
 万が一にも玄関の戸が吹き破られでもしたら、そこから風が家の中を蹂躙して、家の中のものが乱れ飛ぶとか、酷い時は竜巻に襲われたように屋根が吹き飛ぶかもしれないような想像をさせる程。
 従って中学生の私と20代半ばの兄の二人で玄関を手で押さえていたものです。
  兄弟で力を合わせて何かをやった数少ない思い出です。
 そんな事を思い出させるような風の音です。
  但し、今は鉄筋コンクリートのマンションと言う名の集合住宅なので家が揺れると言うことは無くて、専ら音で昔の記憶で脅かされている感じです。

 あと1時間したら自転車で通勤ですから、それを考えるとやや憂鬱。
  自転車にとって雨はともかく、風が大敵です。
 軽く背中から押されるくらいで、相対的に無風状態。
  ですから本当の無風なら軽い向かい風と同じですから、いわんやこの強風。
 仮に風向きが変わらないとしたら、行きか帰り必ずや向かい風に走ることになる。
 「こいでもこいでも進まない」それどころか「ストップしてしまい自転車から降りざるを得ない」・・・イヤな予感。

 自転車通勤が長くなりますが、最近はTVなどでもエコの観点から取り上げられたりしますが、一般的にはそれほど奨励されていない感じがします。
 「奨励」と言うなら、エコとか健康の面から補助をしてでも奨めると言うことでしょうが、実際には自転車通勤には該当する電車の定期代に相当する通勤手当が出ないところが多い。
 まあ実費支給と言う観点からは当然かも知れませんが、でも見方を変えるとこれでは口先で奨励しているだけに過ぎないとも言えます。
 よく自転車通勤と言うと「健康にも良いですね」と言われますが、しかし言葉ではそう言うものの実際にはヤラナイ人が多いのですから・・・
 『まあ、車が無いから仕方なく』『他に選択肢が無いから』と言うことですが。
 ともあれ、私より職場に近い人でも車の人が数人いるところを見ると、これは習慣の問題でもあるのでしょう。
 それに、3年ごとに近く転勤があるので、次は遠くの職場になるかも知れないし。

 ところで直近の対戦成績10局で5勝5敗の後、1勝1敗。
  しかも白番で黒2目半コミ出しでは負け、黒番で1目半コミ出しでは勝ち。
 従って最近の12局で先番6局は5勝1敗、白番では1勝5敗。
  本当に白番が弱いのだろうか?
 その割に黒番が強いとも思えないのですが。
  この程度は統計上はサンプルが小さいための偏りなんでしょうね。

直近の1000局!

2009-03-23 18:15:55 | Weblog
 いつものネット囲碁クラブには棋譜倉庫とか情報ボックスと言うものがあります。
 棋譜倉庫には直近の200局の棋譜が古い順にしまってあります。
  実際は数年前にシステムの変更があった時から以後の棋譜は全てあるような気もしますが、その記録を探すやり方が分からないので、「手軽に探せる200局」と言うように考えています。
 素人にとって古い棋譜はあまり検索する機会が無いので、200局もあれば十分な感じです。
 これで少なくとも半年はさかのぼって棋譜を見ることができるし、どういう相手とどういう手合いで、結果がどうだったかを知ることができます。

 そういうことは「棋譜検索」と言うボタンを押して、次に「自戦譜」を選択すると一覧表が出て来ます。
 今日はその「自戦譜」のところで「高段者対局」を押してしまいました。
  特にマズイ事ではありませんが、初めてこのボタンを押しました。
 どうやらその日(あるいは最近)の対局のうち、白番の人の点数が高い棋譜が見ることができるらしい。
 ですからプロ棋士に先とか2子とかの人の棋譜を鑑賞したり、あるいはこういう人に”普通のザル”が置き碁で教えて貰った棋譜を見ることができるようです。
  長いことこのクラブで遊ばせて頂いていますが初めて覗きました・・・迂闊なことです。

 ところで棋譜鑑賞の倉庫のほかに「個人情報」と言うものがあります。
  私の名前・会員番号から始まるので、おそらく自分についての情報を自分が見るところだと思います。
 対局数・全成績・・・これは本当に入会後のすべてでは無くて、先ほども話したようにシステム変更後。
 それでも勝ち数も負け数も750を超えるのですからここ4年くらいの対戦成績でしょう。
 尤も全てハンデ無しで打っているのではなくて、変動する点数制ですから長く打てば打つほど50%の線に近づく筈?なので、こういう統計がどれ程の意味があるのかがやや疑問な感じです。
 但し、同じ所にある直近の成績と言う表示では、文字通り「最近の成績」と同時に「一定程度最近の傾向?」みたいなものが分かるかも知れないので調べてみると・・・。
 「直近」というものの、どの程度直近なのかを指定できます。
  但しこれは「期間」と言う条件では無くて「最近の○○局」という対局数を指定した成績です。
 まず直近の1000局。
  1000局と言えば2年以上前の成績も入るので「直近」の意味があるかどうかは怪しいのですが、これが何と499勝501敗。
 要するに最近は停滞しているというか、「こんなもの」の証明であるらしい。
  膨大な成果0という遊びかもしれません・・・おかげ様でと言うべきか。
 但し会員によっては1000局程度は1年もしないで達成する人もいますから、こういう期間での集計もあるのでしょう。
  もう少し「直近」で500局で見ると250勝250敗。
 更に近づくと、直近100局では48勝52敗。
  多少は成績不振な気もするけれど、でも変わり映えしないというような気もします。
 さて一番直近のくくりで最近の10局。
  これが5勝5敗。
 要するに同じ所を徘徊しているイメージですが、唯一傾向らしいものも感じました。
 それは10局のうち黒番5局で4勝1敗、白番が5局で1勝4敗。
  高々10局の話ですからどれ程の意味があるのか解らないけれど、ここのところ黒番での成績が良かったのです。
 感覚的には白番の方が打ちやすいと思っていたのに結果は逆。
  すると、今後黒番で打つ相手に限定して対局すれば!!・・・
 いや、変動する点数制度ですから・・・何だかネズミ講みたいな考えです。

モニター

2009-03-22 14:53:28 | Weblog
 タイトル戦のTV中継とか、雑誌に載っている対局写真などには棋士の膝に毛布が乗っているものがあります。
 はじめに見た時は、おそらく空調関係が調整されているであろう室内で何故膝に毛布なのか不思議でした。
 女性棋士がスカートで対局する場合、畳の部屋なら考えられるし、椅子・机の対局ならハンカチとかバッグなども考えられる。
 男性棋士の場合は不要ではないかと思ったのですが、プロとは程遠いザルの私でさえも寒気を感じることがあって、毛布の必要なことに納得がいきました。
 よく頭に血が集まってしまい足に血が行かないというような表現になると思いますが、実際に血液の流れがそのようになるかどうかはわかりませんが、極度に集中すると足に寒気を感じることがあります。
 これは室温が低くて寒くなるのでは無いので、いくら調整された室内でも寒気を感じる、体内の問題なんでしょう。
 
 プロの先生たちの公式手合いはともかく、ザルの私が毎回そうなるわけではありません。
 逆にネット碁で毎度そういう状態でしたら、一局打つとぐったりしてしまうとか、毎日石を打つたびに体にダメージを受けるみたいで大変です。
 囲碁を打っていてドクターストップ?・・・いや、そこまでは行かないでしょうが。
 私の場合はローカルでマイナーな囲碁大会であっても、その大会での第一局目の序盤はそういう感じで、下半身に寒気を感じます。
 普段のネット碁では寒気を感じることはないので、この差には何か原因があるのでしょうね。
 ネット碁では、たまに感じるのは攻め合いでの極度の緊張感から「ドキドキ」した感じでしょう。
 病気の症状では無い筈ですが、苦しいと言うことはないにしても感じることはある。
 それはたいてい「攻め合いでの場面で、確かに1手勝っている筈なのに相手があきらめていない」「こちらが良い筈なのに、もしかしたら大変な見落としがあって私が悪い?」・・・こういうときです。

 こういうとき仮に家庭血圧計で測ったらどういう結果になるでしょう。
  実際に急激に血圧が上がっているのか、それともドキドキしているという感じだけで、本当いはさして普段と変わらないのか?
 昔ある知り合いの人が「囲碁のこういう緊張感が良い。心臓にある程度負荷を与えて、結果鍛えていることになる」と言っていましたが、さてどの程度正確?。
 もし仮にプロ棋士の対局にそれぞれにモニターをつけたらどういう結果になるでしょうね。
 序盤の血圧とか、中盤での呼吸数とか・・・
  昔抜歯の際に「持病がある・・・」と話したら、別室でのオペとなりました。
 服用している血液をサラサラにする薬を数日前からストップし、抜歯の際は腕にモニターをつけて数分ごとに血圧・呼吸数・脈拍をモニターしながらの抜歯です。
 口の中以外は麻酔はされていませんから意識ははっきりしているので、ここまでされると帰って私は重病人みたいな変な気分になって来ます。
 
 さて対局中に血圧などの変化があるとしたら・・・想像ですが形勢によって変化の仕方が違うという仮説?は成り立つかも知れません。
 勿論変化には個人差があるでしょうが一般的にみて、血圧が大きく変化した棋士の方が形勢が・・・良い!。
 理由は、単純に
  例えば競馬場で倒れるような人・・・持ち金を全て負けた人は倒れないが、仮に大穴を当てた場合に倒れることがあるらしい。
  宝くじに外れたからと言って倒れることは無いけれど、何億円も当たれば倒れるかも知れない。
 囲碁は籤とかギャンブルではないけれど、勝負事ですから勝っているあるいは勝っていると意識している方にプレッシャーが大きいはず。
 負けている場合、気持ちの整理には多少手間がかかるものの心理的にはプレッシャーはないですから。

一条寺下り松

2009-03-21 15:12:27 | Weblog
 一条寺下り松と言えば・・・私は子供の頃にいとこの持っていた吉川英治の「宮本武蔵」の印象が強い。
 小学生時代のことなので全巻読んだかどうか記憶はあいまいなのだが、本の体裁が紺色で和綴じのような記憶がある。
 しかし大分曖昧なのでもしかしたら間違っている可能性は大きい。
  間違っていると言えば「一条寺下り松」という名前を「一条下り松」と覚えていたのですから・・・大きな間違いとは言えないまでも正確性に欠けているわけで、特に地名とか固有名詞を記憶する時にこれではいけませんね。
 
 そう言えば、少年時代の本から得た知識などは記憶の底に残るようです。
  特にこの武蔵の本などはいくつも映画になっているので、記憶に残る本の武蔵と映画監督によるそれぞれの武蔵など比較したものです。
 少年時代から映画をそういう風に見ていたかも知れません。
  沢庵和尚とのエピソードも・・・和尚が武蔵に「弱くなれ」と言う場面など何故か記憶に残っています。
 この時代に沈殿した沢庵和尚のイメージと後に読んだ歴史上の人物としての沢庵和尚などの違いも面白いです。
 そして子供時代の密かな楽しみとしては、他の子は「武蔵」=「ムサシ」と言うのですが、心の中では『あれはタケゾウなんだ』と思ったり、『宮本武蔵では無くて本当は新免武蔵』なんだと・・・

 ところで一条寺下り松とは多少の縁があったみたいです。
 いや武蔵とは関係ないのですが、私が大学受験でお世話になった先輩の下宿がそこにあったのです。
 当時、3月の3,4日で関東で受験して、その足で一旦帰郷し翌朝・5日には京都に行き、7,8日が試験だったと記憶している。
 先輩と言うのは実はそれまで知り合いでは無かった人・・・私のすぐ上の姉が3年上で同じ高校の卒業生で、その同級生が京都の大学に通っていたのでその人の下宿に泊めて貰ったのです。
 そして、その先輩の妹が私とは同級生。
  これが友人以上の関係ならなんだかドラマ仕立ての物語ができそうですが、これがただの友人ですから、田舎出身の助け合いみたいなものです。
 京都に着いて先輩の下宿に連れて行ってもらったのですが「出町柳」[叡山線]「一条寺下り松」と言う単語とともに記憶に沁みついています。
  試験の出来が悪くて、早めに教室を出て試験会場の近くの京都御所の芝生に寝転がっていた記憶などなど・・・

 試験から帰郷して先輩・同級生の家にお礼に伺った時に、その家がミカン農家だったので帰りにナップサック一杯にミカンをお土産にもらって帰りました。
 そう、当時は収穫したミカンを熟成させてから出荷していたミカンです。
 3月・一条寺下り松・宮本武蔵・貯蔵ミカン・・・こういうキーワードで記憶が繋がっているのです。
 あれから40年以上経つのに3月になると思いだすのですから相当しつこい性格であるらしい。

震える心

2009-03-20 18:15:49 | Weblog
 今月の月初めにはよく打ったのですが(と言っても1日2局くらい)その後10日間ブランクがあって中3日、それから今日まで5日。
 対局が多いと碁が雑になることを恐れます。
  つまり「勝った負けた」の世界で、結果にこだわって負ける「もう一丁」と言う気分で対局が増えて行くような気がします。
 これでは碁キチではあっても日頃のザルに拍車がかかってしまいます。
 では対局の感覚が広くなるとどういう心理かと言うと・・・ネットに接続して”同じくらいの点数の対局待ちの人”がいたとして、いざ対局オファーとなると、『この人と打ってもいいのかな?』と言うようなためらいが生じます。
 要するに『ひどい碁を打って負かされる』ことを心配するのです。
 いや、気持ちが震えるという感覚でしょうか。
  要するにこれはこれで勝敗にこだわっているのです。
 確かに負けたくなければやらなければ良いわけで、対局しなければ不敗神話が誕生しそうです。

 『良い碁が打てるように頑張る」と言うような悟りには程遠いですが、「碁を打ちたい」>「負けたくない」とならないとダメなようです。
 負けてお金を取られたり、何かを失うわけでもないのに厄介なものです。
  尤も、こういう一見捻じれたような根性でも、個人的には自分の心の支えにはなっているかも知れません。
  大した支柱ではないので結果も大したものではないのは言うまでもない。

 ともあれ5日ぶりのネット対局
 相手は私よりやや上手ですから先番でコミ無し。
  名前はネット上でたまに拝見するような気がしますが・・・対局の記憶はない。 
 ですから「どういう碁を打つのか」「どういうイメージで立ち上がってくるのか」と言うような予備知識も記憶も無い。
 却ってこういう方が良いかも知れません。
  特に久しぶりの対局の時はあまりあれこれ考えない方が良い。
 その方が「碁を打ちたいから打つ」という気持ちに忠実になれそうです。
  幸いこちらの先番ではあるし、「自分の打ちたいように打ってみる」と言う気持ちに素直になれるようです。

 内容はお粗末でしたが、それでも全力で打てたようです。
  それでこの2週間で2勝1敗・・・やはり勝ち負けにこだわるところが抜けませんね。
 こういう生臭みが抜けてしまったら碁キチ返上かも知れません。
  何かを超越して枯れた心境に慣れたら・・・きっと身も心も枯れていたりして。

耳を疑いました

2009-03-19 17:56:49 | Weblog
 今日職場に行ってカレンダーを見ると何と明日は休み!
  そんなに休みを頂いて良いものかとも思うけれど、頂いている額からすればそんなものかなとも思います。
 むしろ個人的にはもっと頂いても不思議ではないなどと不遜な考えもありますが、マアそれはさしあたって住むところがあってご飯の心配が無いので一応棚上げとします。
 昔ですと祝日は常に○月○日と決まっていたので、一度覚えれば良かったのですが、最近は○月の第○日曜とか、土日と重なった時の振り替わりとか、覚えるのが結構面倒です。
 このパソコンには小さくカレンダーが出ますが、家の中には張っていませんからうっかりすると忘れてしまいます。
 しかも、私の性格で「仕事と遊びの区別がつかない」面が作用しています。
 仕事をいい加減にやるという意味では決してありません。
 むしろ自分ではかなりまじめにやる方だとは思っているのですが、逆に道楽感覚で仕事に打ち込むと言うか、面白ければどんどん行ってしまう感じです。
 従って仕事をしたからと言ってストレスにならない性格と言うか、面白ければ少々忙しくても疲れない性格。
 反対に気が向かないことには量の多少にかかわらず疲れてしまうし、やることが無ければやはり疲れが溜まる。
 だからと言うか、子供が大きくなってしまったこともあって、「休みが待ち遠しい」と言うことは全く無い。
 それに30日以上の年休が未消化なままで、あと半年の間に消化仕切れそうもないくらいなので・・・休日は休みを貰うと言うより、事務所に行ってはいけない日みたいなものです。

 ところで話が変わりますが、我が愚息。
 昨年末に海外の事業所に就職が決まったと思いきや、寸前でドタキャン状態。
 理由は未曾有うの不景気、先の見えない展開でしょう。
 本人がさぞ落ち込むかと思いきや、意外とあっけらかんとしていて、流石に我が息子なんですが、内心『もう少し焦っているところも見せろ!』という感じです。
 同期の友達などは大学を出て就職しているのに悠々たるもので「世の中こんなだからもう1年くらいスペインに行って来たいな」などとノタマッテくれる。
 親父は貧乏だからあてにされていませんが、どうやら母親の懐と脛を狙っているというか、そういうのが当然と思っているらしい。
 結局は国内でまた学校に行くことにしたのだが・・・それが外国人に日本語を教える資格を取得するとか、通訳の業務に着く勉強とか・・・
 ただ遊んでいるよりは良いけれど・・・しかし耳を疑いました。
 『お前、人に教える前に自分の日本語をなんとかしろ・・・』
 流石に喉元で飲み込みました。
  ろくに本も読まず、きちんとした日本語を話すことができているようにも見えず・・・それは何割か親にも責任があるかも知れませんが・・・人に、しかも外国人に教える仕事につきたいとは。
  本人がやる気になっているのに水をさすわけにもいかないし・・・心配ではあるし。
 ところで最近は本を読むようになってはいるらしい。
 「新約・カラマーゾフの兄弟」!? 「この人の訳が面白いからどんどん読めるんだよ」だって?
 『嘘だろ?』、それって変わりすぎでしょ?
 この子は子供の頃から両親の間では「おバカの○○ちゃん」と呼ばれていたのに。

良い性格ではありません

2009-03-18 14:53:50 | Weblog
 昨日「約束の5分前には着かないと気持ちが悪い」と書きました。
 確かにその通りで、勤務時間にしても規定よりかなり早めに着くのが定石です。
 それで、始業時間目でゆっくりお茶を飲んだり雑談でもしているなら普通でしょうが、早く着けば着いたで昨日の残務があったり、本日の予定をなぞったり、あるいは朝一から電話だあったりで即始業になる。
 始業時刻ギリギリで誰からも苦情はないのだけれど、このくらいでないと自分の気持ちが悪いと言うだけのことで、サービスタイムをやっています。
 ともあれ、やや良い人風に描きましたが、実は現実はそうでもない。
  「約束の5分前に着く」ことを自分の行動規定みたいにしているのは、要するに私の勝手なのですが、もし仮に私の約束相手が遅れた場合・・・別段相手にも5分前ルールは強制しませんが・・・仮に遅れた場合で、やむを得ない理由とも思われない場合表面はともかく内心非常に熱いものがあります。
 ひどい場合には遅れてくる相手を待つことをしませんから、遅れてきた相手がそこに私を発見できなくて、逆に私が約束を違えたと誤解する可能性もあるのにサッサと帰ってしまうことも・・・
  そういう意味では決して良い人では無く、むしろ我儘に近い。
 早く行くのは私の勝手、多少の時間を待てない・・・

 そういう意味ではネットで対戦相手が決まったのに相手が反応しないときは困るのです。
 相手が決まって挨拶文を送ったのに返信が無い場合。
 挨拶の交換=対局開始なので、それではいつまでたっても始められません。
  マア、一方が挨拶を送って相手が反応しない時、確か3分か5分で相手が反則負けになる規定はあるのですが、碁を打ちたいのに、相手も打ちたくて対局登録したはずなのに・・・非常にイヤな気分になるのです。
 げすの勘ぐりですが、待たせる人は決まっているような気がします。
  そしてキチンと反則になる前に対局場に現れるのですから、それも一つのテクニックかも知れません。
 時代劇で、道場みたいな所の玄関で「頼もうー!」と大声をかけたときに「どーれ」と返事があったきりなかなか誰も現れないみたいな気分。
 「どうせ出てくるならすぐに出て来てくれ」と言う感じ
 あるいは電話を取り次いだ時にやりかけの仕事があると、なかなか受話器を持たない人がいます。
 確かにやりかけの仕事があるので「迷惑」な面はあるにしても先に電話に出てくれと傍目には思うのです・・・きっとあんな感じです。

 待たせることはしませんが、待つことも出来ない・・・こういう性格は年をとっても変わることはないようです。
 

教育的成果!

2009-03-17 17:35:52 | Weblog
 今朝は(も)ぐっすり眠ってしまい、さすが「春眠暁を覚えず」です・・・但し例年よりその季節が前倒し傾向にあるのはやはり暖冬の影響でしょうか。
 そういうわけで目が覚めたら7時15分!。
  まあ、寝坊ではあるけれど、身支度してトーストにコーヒーぐらいなら問題はない時間ではあります。
 しかし、性格的に余裕を持って何かをやらないと気持ちが悪い・・・つまり、出かける支度をして置いてTVのニュースとか天気予報とかを見ながらお茶・コーヒーを飲むくらいでないと落ち着かない気分が残るのです。
 例えば誰かとの待ち合わせでは約束の5分前にはつかないと気持ちが落ち着かないような癖。
 そう言うように躾けられたのか、自分にそうさせてきたのか、ともかくそういう風に生きています。
 これは高校時代のギリギリ寝坊で遅刻率50%超、大学時代の代返依頼常習シンドロームの反省でもあって、社会に出てからは自分でも驚く180度転換をして3,40年続けている。
 ともあれ、何となくせわしい気分で家を出て自転車を走らせていたのですが、歩道の前方を悠々と歩くジイサマがいました。
 私よりは10才以上は先輩であろうと思われます。
 「人間道の真ん中を胸を張って歩けなくてはいかん」という教育がされていただろうと推測されるような歩き方。
 バス停で歩道が狭くなっているのに、周りにを一向に気にせず歩道の真ん中をゆっくり進む。
 私は直後まで迫っているのだけれど、仮に自転車のベルを鳴らしたらおそらく気を悪くするだろうと思ってジイサマの歩くスピードに落として徐行。
 全く昔の教育的成果と言うか「我が道をゆく」精神の持ち主と言うか・・・

 この後で、やはり歩道上で女子高生の3人の自転車とすれ違いました。
 遠くから見た時に嫌な予感がしましたが案の定彼女たちは一向に避ける気配が無い。
 レディファーストを勘違いしているのか、「避けるのならジイサマの方が先えしょ」と確信しているらしい。
 3人の自転車は横に並んでいるのだけれど、誰もよけようとしないし友だちに進路を譲ることを促すこともない。
 すれ違う寸前に、このまま進めば確実に衝突・接触する直前に最低限の対比行動をするのみ。
 これが男子高校生の場合はもう少しこちらに気を使う素振りのある子もいるので、悲しむべし現代女子高生気質のような気がします。
 ついでに言うと、これが男女の場合、すれ違うサイドが女子高生側だと。
  ボーイフレンド側に気を使う素振り、あるいは気持ちが言っていることはあっても、やはりジイサマの方には神経がいかないらしい。
 昔なら他人に気遣いが出来ると言うことをアピールする意味でも道を譲ったりしたと思うけれど・・・今は電車の中でもコンパクトを使うあの感覚なんでしょう・・・ボーイフレンド以外は関係のない人=物と同じ。
 まあ、みんなが皆同じと言うこともないでしょうが、大げさに言えば日本の未来は暗い!

 ところで、通勤途上の中学校の校門では先生たちが通学指導をしています。
 私がそこを通過する頃はたぶん校門を閉める直前くらい。
 教頭先生と思しき方とはすでに1年近くそこで顔を合わせるわけで、先生の方から「おはようございます」と声をかけてくれます。
 ところが私はそういう挨拶が苦手で「会釈」を返すのが精いっぱい。
 この中学校には昔は囲碁仲間の先生が勤務していたことはありますが、そういう人となら挨拶はできますが、どうも顔を合わせるだけで挨拶を交わすのは苦手。
 先生としては毎朝顔を合わせる人に挨拶をしているのだろうし、朝の挨拶の垂範何だろう。
 そういう意味では私もしっかり応えないと好い見本になれないネ。