今日は時間たっぷりの一日・・・イヤ正しくは”今日も”だろうが
ともかく平日の休日で、どこかに出かけなくてはいけない用事も無い
まるっきり無いわけでもないけれど、まあ仕方が無い用事はある
女房殿が出がけに「今日はオデンを作っておいてください」
この「ください」が曲者で、これは言いつけられたほうに「自由選択権」は無い
マア嫌いなものではないし、一日全く用事が無いのも張り合いが無いともいえます
しかし今は老夫婦二人だけの生活だから作りすぎると2,3日続くことになりそうだし、かと言ってちまちま二人分ジャストと言うのも美味しく出来ないような気がする・・・なかなか量の按配も難しいそうです。
何か作るのは嫌いではない、むしろ好きな方だと思うのです
それもグルメチックな物ではありません
ごく普通なものですが、女房殿とは出身地が違うので黙っていたら食卓に出て来ないものが多いから『食べたければ自分で作りなさい』風なこと
それが平日の休みににはリクエストが来たりするわけです
但し、「おいしいから」と言うのは注文者側の建て前で、本音はミエミエなんです
秋が深まって冬に向かって行きますが、その年によって我が家では食卓にブームみたいなものがあります。
一昨年は「鍋物」で「何鍋にする?」って言う感じでした
去年は「おでん」で各地の食べ方を真似て楽しんだり・・・
さて今年の冬は何になるのか?・・・取り敢えずは去年の続きです
さて一日が長い、贅沢な一日です
こういう長い一日に限って対局数は少ないから我ながら不思議です
夕べから今のところ打ったのは1局だけ
流石に平日の昼間ですからそれ程には入場者が多くは無いから、お馴染みさんが少ないこともあるけれど、それでも全部で100人以上は来ていますし(ネットです)・・・打つ相手が居ない分けでもない
ゆったりとした気分で人様の碁を観戦したり、ナガラ族ではあるけれど画面をチラチラ見ながら本を読んだりしています。
社会思想社の小さな文庫本のシリーズで「新版・囲碁名言集」
著者は榊山潤さんという出版関係の仕事をしてきた方の格言集で、プロの編集したものとは少し味わいが違うようです。
私みたいな横着な性格で、横着な読み方をしているものには丁度いいと思う
(そういう言い方は褒め言葉にはならないか!?・・・)
その中で二つほど興味を持った話を紹介すると
「郷に入っては郷に従え」と言う話の導入部分
”所変われば品変わる、江南の橘江北に生ずれば枳(カラタチとなる”
中国では有名な格言だとか
私にとっては碁の格言ではなく子供時代の思い出です
故郷はミカンの産地で町の周囲の山は殆どがミカン山ですね
田んぼが細いあぜ道で仕切られて所有者が変わるのが分かるようにミカン山の場合は所有者の境界はカラタチの木が植えられていました。
これはミカンの木の台木にも使っていたし、何といってもその棘が侵入者を拒否するバラ線みたいな働きをします。(バラの棘など問題にならない)
こういう木に激突などということを想像するだけでもぞっとします
ともあれ橘(今のミカンのご先祖でしょうか)も枳も両方一つの山にあったわけです。
マア何の役にも立たない話ですが・・・こども時代はこういう山の中を駆け回っていたのです。
橘も枳も懐かしい(そういえば高校の校章も橘でした)
もうひとつはあの有名な算砂の辞世の句
「碁なりせばコウを立てても活くべきを死ぬるばかりは手も無かりけり」
第一世本因坊で、信長・秀吉・家康に碁で仕えた人で・・・三人の武将は皆算砂に五子で打っていたそうです。
これは皆同じくらいに強かったのか、信長が五子だったから秀吉も家康も皆『俺も・・・』と言うことだったのか。
想像では後者のような気がしますね。
碁打ちの場合「私などは未だ駆け出しですよ」などと言う一方で「同じくらいなはず」と言う見栄みたいなものはあるはずですから・・・
マア教える方も腕が好かったのでしょうね、そつなく三者に教えたのですから
ところで算砂65才で世を去った
当時の医療水準では手の打ちようは無かったのでしょうね
算砂の場合はコウ粘りみたいな延命策は無かった!
今・私は必死のコウ粘りの最中みたいなものです
昔ならとっくに目ナシになるところ、あわよくば両コウに持ち込もうとしているようなものです。
この本を読み返して見て、なかなか味のある部分も発見できたようです
さて今日はもう一局打ってみようか、取り敢えずは観戦がいいか
ともかく平日の休日で、どこかに出かけなくてはいけない用事も無い
まるっきり無いわけでもないけれど、まあ仕方が無い用事はある
女房殿が出がけに「今日はオデンを作っておいてください」
この「ください」が曲者で、これは言いつけられたほうに「自由選択権」は無い
マア嫌いなものではないし、一日全く用事が無いのも張り合いが無いともいえます
しかし今は老夫婦二人だけの生活だから作りすぎると2,3日続くことになりそうだし、かと言ってちまちま二人分ジャストと言うのも美味しく出来ないような気がする・・・なかなか量の按配も難しいそうです。
何か作るのは嫌いではない、むしろ好きな方だと思うのです
それもグルメチックな物ではありません
ごく普通なものですが、女房殿とは出身地が違うので黙っていたら食卓に出て来ないものが多いから『食べたければ自分で作りなさい』風なこと
それが平日の休みににはリクエストが来たりするわけです
但し、「おいしいから」と言うのは注文者側の建て前で、本音はミエミエなんです
秋が深まって冬に向かって行きますが、その年によって我が家では食卓にブームみたいなものがあります。
一昨年は「鍋物」で「何鍋にする?」って言う感じでした
去年は「おでん」で各地の食べ方を真似て楽しんだり・・・
さて今年の冬は何になるのか?・・・取り敢えずは去年の続きです
さて一日が長い、贅沢な一日です
こういう長い一日に限って対局数は少ないから我ながら不思議です
夕べから今のところ打ったのは1局だけ
流石に平日の昼間ですからそれ程には入場者が多くは無いから、お馴染みさんが少ないこともあるけれど、それでも全部で100人以上は来ていますし(ネットです)・・・打つ相手が居ない分けでもない
ゆったりとした気分で人様の碁を観戦したり、ナガラ族ではあるけれど画面をチラチラ見ながら本を読んだりしています。
社会思想社の小さな文庫本のシリーズで「新版・囲碁名言集」
著者は榊山潤さんという出版関係の仕事をしてきた方の格言集で、プロの編集したものとは少し味わいが違うようです。
私みたいな横着な性格で、横着な読み方をしているものには丁度いいと思う
(そういう言い方は褒め言葉にはならないか!?・・・)
その中で二つほど興味を持った話を紹介すると
「郷に入っては郷に従え」と言う話の導入部分
”所変われば品変わる、江南の橘江北に生ずれば枳(カラタチとなる”
中国では有名な格言だとか
私にとっては碁の格言ではなく子供時代の思い出です
故郷はミカンの産地で町の周囲の山は殆どがミカン山ですね
田んぼが細いあぜ道で仕切られて所有者が変わるのが分かるようにミカン山の場合は所有者の境界はカラタチの木が植えられていました。
これはミカンの木の台木にも使っていたし、何といってもその棘が侵入者を拒否するバラ線みたいな働きをします。(バラの棘など問題にならない)
こういう木に激突などということを想像するだけでもぞっとします
ともあれ橘(今のミカンのご先祖でしょうか)も枳も両方一つの山にあったわけです。
マア何の役にも立たない話ですが・・・こども時代はこういう山の中を駆け回っていたのです。
橘も枳も懐かしい(そういえば高校の校章も橘でした)
もうひとつはあの有名な算砂の辞世の句
「碁なりせばコウを立てても活くべきを死ぬるばかりは手も無かりけり」
第一世本因坊で、信長・秀吉・家康に碁で仕えた人で・・・三人の武将は皆算砂に五子で打っていたそうです。
これは皆同じくらいに強かったのか、信長が五子だったから秀吉も家康も皆『俺も・・・』と言うことだったのか。
想像では後者のような気がしますね。
碁打ちの場合「私などは未だ駆け出しですよ」などと言う一方で「同じくらいなはず」と言う見栄みたいなものはあるはずですから・・・
マア教える方も腕が好かったのでしょうね、そつなく三者に教えたのですから
ところで算砂65才で世を去った
当時の医療水準では手の打ちようは無かったのでしょうね
算砂の場合はコウ粘りみたいな延命策は無かった!
今・私は必死のコウ粘りの最中みたいなものです
昔ならとっくに目ナシになるところ、あわよくば両コウに持ち込もうとしているようなものです。
この本を読み返して見て、なかなか味のある部分も発見できたようです
さて今日はもう一局打ってみようか、取り敢えずは観戦がいいか