なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

情けはひとのためならず?

2008-08-31 15:37:04 | Weblog
 本当は昨日「情けはひとのためならず」と言う話をしようと思ったら、「やぶさかではない」で引っかかってしまいました。
 さてこれは余りにも有名だし(イヌボウかるたにもありますよね)、近年間違った解釈も有名・・・
 まずは正調から行くと「人に良いことをすれば、回り回って自分に返ってくる」ですから、「功徳を積む」みたいな感じでしょうか。
 間違ったと言うか、近年の捻くれた解釈では「人のためと思って助けても、本人の自立を妨げるなど、必ずしも良いことではない・・・従って助けない方が良い場合もある」・・・こんなところでしょうか。
 間違った解釈はには必ずしも賛成は出来ませんが、時には「どちらの情け・・・?」か唸りたくなるときもある。
 人の援助を当然のこととしていたり、はじめから織り込み済みとか、逆に催促されたり、助け甲斐がないというか・・・マアこれらは言葉の解釈以前の問題でしょう。
 正調のほうなんですが、個人的にはヤヤ臍曲がりでしょうか「回り回って自分の為」と言うところが嫌い。
 何かそこに計算された目的があるみたいに感じます。
 私はやはり結果的に人に感謝されるようなことであったとしても、「自分がそれをやりたいからやる」と言うところに拘りたい。
 ですから、報われるとか報われないとか関係の無いことで、自分がそうしたいかどうかが問題。
 勿論「人を喜ばせる」も「誰かを守る」もありなわけです。

 そういえば昔100人余りの、余り大きくない会社に勤めていた頃、私は相当思い切った言いたい放題の社員でした。
 勿論自分のためではなくて、数少ない自分の部下が不利益を受けないためには、すぐに前面に出てしまう。
 相手は社長とか総務・経理部長・・・どちらも囲碁ファンで
  当時社長とは向こう4子、部長には向こう6子
 私はまだ若かったから「言いたい事を言うひよこ」だったかも知れませんが、ともかく「そうしたかった」
 出世・昇進を考えたら控えめの方が良かったはず・・・少なくとも自分のためにはなっていない。
 
 そういえば、その頃から「ザルだけれど、家族で生活が出来て、碁が打てる生活ならそれでいいじゃない」だったから、リターンなど何も期待するものが無かったのです。
 それで、「ひとのためならず」の部分・・・勿論何のご利益も無いけれど、それは初めから考えていないことなのでそれで良い。
 では諺の「ひとのためならず」は間違いか、あるいは私に関しては例外だったか・・・私は自分の気付かないところで他人に迷惑をかけているかも知れないので、どこかで相殺されているかも知れない。
 と言うことならば、、、自分のためになっている?。

やぶさかではない?

2008-08-30 16:24:09 | Weblog
 一昨日、駄洒落を大学で教えると言う話をしました。
 大学もくだけてきたというか、駄洒落もひとつの文化として認められたと言うか・・・でも反面”教える”という形が寂しい。 
 こういうものは、教わるのではなく、学びたい・身に着けたい人が勝手にやるものでしょう?
 手取り足取り教わると言うか、昔の職人みたいに学び取る類だと思う。
 でも、教えると言う部分も必要なのかな?
 昔、小学生の頃、校長先生が朝礼の挨拶で「○○するのにやぶさかではない」と言いました・・・これは今でも鮮明に覚えています。
 なぜかというと、その頃の言語知識では「やぶさかではない」の意味が分からなかったのです。
 いや、今でもはっきりと分かったとは言いがたい・・・それは、年令なりに実際の使用例に接していますから意味は通じますが「やぶさか」の語源みたいなものが分からないのでスッキリしない。
 従って自分では決して使わないボキャブラリーです。

 そういうことでは、昔どこかの大学の先生の話で(多分ラジオ番組だったか)
 どこかの入社試験だったか、試験に「やぶさかではない」と言う言葉を使って短い文章を作りなさいと言う問題を出したところ、最高の珍回答は「あなたは藪坂さんですか?、いえ私は藪坂ではありません」!!!
 まさに私の少年時代と同じレベル
   脱線ついでに英語の試験で、武器と言うのはarmです・・・ですから「武器よさらば」と訳さなくてはいけないところを「腕よさらば」・・・ブラックジョークにはなるかも知れませんが、やはり正解とはならないでしょう。

 もっとも私が学生時代お世話になっていた生物生態の先生の試験なら”可”くらいはもらえそうです。
 と言うのも件の先生のある時の試験の問題はたった1問・・・これを回答時間2時間に藁半紙1枚くらい書いても良い・・・
 それで問題は「人類にとって進化とは何か」
 とても大きな問題であるし、生物生態学の立場から何か回答を要求されているように感じます。
 ですから学生は四苦八苦して・・・
 しかしこれには模範解答のようなものは無かったのです・・・(実は受講の学生に内緒で先生に教わった)
 かの先生曰く「そんなに簡単に分かってたまるか」ですから、解答用紙に「わかりません」とかいても正解。
 勿論時間一杯使って、必死に回答を書いた人も努力賞。
  マア白紙での提出はダメです・・・

 ところで先日は雨の合間を縫って書類を届けに自転車で走りまして・・・約片道15分ですから事務服のままですし、胸には写真入の名札をつるしています。
 見るからに近所の事務所のオジサンです。
  道の途中で年配のオジサン(おじさんは年配に決まっていますが)が自転車の私に会釈・・・まあ、何か用事でしょうから止めます。
 「あの、○○アリーナはこの近くでしょうか?」有名な施設なので知っています
 「ハイ、もう一区画向こうです。歩いて5分くらいでしょう」
   そして,もう少し走っていくと、今度は向こうから小走りの年配の女性が、知り合いの人に訊くみたいに、走りながら「○○アリーナはこの先ですか?」
 とっさに「そうですよ、真っ直ぐ行って、大きなとおりを越したら左にあります」、急いで答えた割にはなかなか分かり易いはず。
 それにしても道を訊かれやすいキャラなんだろうか?
 この二人に限らずよく道を訊かれる。
 外国人にも訊かれることが多い・・・まさか外国語を理解できそうな顔と言うのではないだろう。
 マア、ブロークンの度胸勝負なら何とかなる?・・・それでも苦しければジェスチャーでも紙と鉛筆だって使います。
 ともかく人の役に立てるのは嬉しい・・・そのくらいしか役に立たないと言うのが本当の所です。

 [追伸]
 今日のBS「囲碁将棋ジャーナル」を見ていたら、「知能オリンピック」出場の選手が紹介されていました。
 囲碁を始めチェスなど5種目なんだそうです・・・囲碁とチェスの他は何でしょうね?
 そして囲碁も男女別にプロの団体・個人・ペアとアマのペアなどあるからかなり大規模です。
 ボンヤリと「知能オリンピック」と言うフレーズが頭に引っかかっていましたが、やはり本当にあったのですね。
 これだけ大規模にやろうとしているのだから、中国政府は「国家の威信」として相当な自信を持っているのでしょうね・・・オリンピックでの歓声とブーイングを思い出すとそう思います。
 囲碁に関しては中国と韓国の争意でしょう・・・
  大会は嬉しいし楽しみですが、スポーツに続きここでも「国」「国家の威信」が顔を出すのはイヤですね。
 ところで日本の囲碁人口が、(根拠は知りませんが)300万人だとすると、国の約2.5%・・・この数字は多いのか少ないのか。
 今、囲碁界で世界での地位が落ち目なのは、この底辺の問題なのか、それともトップレベルに何か問題があるのか・・・あるいは両方か、それともその他の理由があるのか?
 きっと、この大会後こういう問題が取り上げられるのではないだろうか?
 トップ部門はともかく、底辺拡大策に学校教育で取り上げるきっかけにならないだろうか・・・子供の脳の活性化に。

 

アマの大会?

2008-08-29 19:04:39 | Weblog
 オリンピックのサッカーはアンダー23というルールですが、そこに「オーバーエージ3名まで・・・」などという分けの分からないルールがある。
 これは一体何だろうか?
 勝手に考えると、多分「世界的に活躍している有名・人気選手が入ることによってゲームの質を上げる、”観客を喜ばせる”」為なんだろう。
 ワールドカップなどで強い国が3名分だけ影響力がある・・・
  いずれにせよ客寄せ的な臭いがする。
 考えてみればオリンピックから「アマ」に拘らず、最高のプレーを見せるためにはプロにも開放されたきっかけはサッカーだったようなきがする。
 もっとも、陸上やマラソンなどでも賞金大会があるわけで、賞金を獲得することによって競技生活が保証されるなら、それは”プロ”に他ならない・・・
 同じように日本の実業団と言うものが純粋にアマなのかと言うと、難しい感じもする。
 結局アマでもプロでも見ているものを唸らせるプレーを見せ、オリンピックでは一番にならなければいけないのでしょう。

 さて囲碁の世界では、少なくとも日本では日本棋院・関西棋院がプロ棋士と認めた人だけがプロなんですね。
 ですからインストラクターなどで、いくら収入があっても、そのこと自体がプロ・アマを分ける物差しではない。
 そうですよね、そうでなければ対局料・賞金での収入を指導などで補っている場合はセミプロ?などという皮肉な感じがしますから。
 ともかく、アマの一番の大会・・・昔のオリンピックみたいな
  それは世界アマ選手権でしょう。
   そういえば、この大会で活躍した人を見ると、オリンピックの位置づけにも何か関連するようなものを感じます・・・まあ部分だけを見て感想を話しているところはありますが・・・
 この大会が始まった頃、中国の代表選手・当時かなり若かったと思いますが、優勝しました。
 素人的には驚きでしたが、実は知る人ぞ知るというか、もしかしたら順当な結果だったのかも知れない。
 優勝させるために中国から送り込まれたと言うか・・・
 勿論プロではないのですから、ルール違反ではありません。
 しかしプロに転向後すぐにトッププロに伍して活躍できる人を送り込んで来たという感じはしますね。

 私の経験・思い出話ですが
 相当昔の選手権で日本代表が菊池氏だった時の事です。
 大会の優勝候補は日本・韓国・中国の時代
  私に記憶にあるのは韓国の選手です・・・本大会後開催地の地元囲碁ファンとの交流対抗戦がありまして、私は幸運にも抽選で当たって出場し韓国選手と対戦。
 いくつも置かなくては打てない相手に、握って白番では結果は言う必要も無いでしょう。
 記憶は、そういう勝敗ではなくてその選手のイメージ。
 大会が終わって疲れていただろうと言うことはあるはず・・・だが。
 いかにもやる気が無さそうな・・・それはザルを相手に黒番ですからそれも分からないではない。
  ただ私には彼の態度には他の要素があったように感じられた。
 当然言葉が通じないし、会話は一切無いのですから、100%印象のみで、私の一方的な邪推かもしれない。
 私が想像したのは「彼はこの大会に優勝してプロ棋士としてデビュー、あるいはその一歩にする予定だった。しかし日本の代表に負け優勝を逃した。従って大会後の行事は意味の無い催しだったのでは?」
 彼は一手打って時計を押し、席を立って会場の他の対局見物・・・いかにも自分の碁盤には興味が無いという態度・確かに「手ごたえの無い相手で申し訳ない」とは思うものの・・・

 ところで、日本の代表になる人は、アマの大会で優勝した人で、概ねプロを目指しているわけではない。
 (そういう時代もあったかも知れないが)
 プロを目指す殆どの人は、院生・プロ試験のコース 
 外来でプロ試験を受けるなど、一旦社会に出てから来る人もいるにはいるけれど・・・
 そういう意味では「アマ選手権」というタイトルにふさわしい感じはする。
  私のザル的理解力では、アマの強豪の延長上にプロがいるような感じはしていない。
 プロとアマでは何か違う質があるような・・・
  現実にはアマの大会で優勝してプロになる人もいるのだけれど、どこかで質が変わらなければ実現できないように見えます・・・何処がどう違うかという事が分かればもう少しましなザルでしょうね。

駄洒落講座!?

2008-08-28 18:20:52 | Weblog
 先日ニュースと言うか話題の報道で、駄洒落講座なるものが紹介された。
 途中から見ただけで、一度しか報道に接していないので詳しくは分からないのですが、どこかの女子大で「駄洒落講座」が開設されているらしい。 
 勿論講座ですから、文学教授か助教授がやっている。
 さてさて、私としては多いに喜びたいような、反面「講座」でやらなくてはいけないのか?という疑問も残る。
 マアそれでも、何かのきっかけで駄洒落を学んで、もう少し進化した洒落とか、落とし話などに行くのなら多いに結構なことだと思う。
 主宰なさっている先生によると、駄洒落的なものは万葉集にも見ることが出来るのだそうで・・・民族の財産であるらしい。
 日本語は同音異議の言葉が多いので駄洒落に向いているのだそうです、ここを入り口すれば入り易いのでしょう。
 では、何のために駄洒落を学ぶ?
  先生の話では、場をソフトにするとか、駄洒落を考えることで脳が活性化するとか、駄洒落を考えると物事を見る見方が変るとか・・・でも、一番はそうではないはず。
 何と言っても「ひとを笑わせて、楽しませることが出来る」のが一番。
 例え、例え滑り気味でも、聞いた人の片頬が引きつっていようと・・・

 私の場合は物心ついた時からラジオの落語・漫才・漫談などを聞いていたから、洒落・駄洒落の類は大好き。
 聞いて覚えたものは使いますから・・・祖母に「お前は吸い口みたいだね」と。
 吸い口って分かりますか?
 ストローつきの急須みたいなもので、病人の枕元などに置き、寝転んでいても水が飲める道具=「出口が良い」と言う意味で、”駄洒落などがポンポン出てくる”くらいの意味です。
 すると、祖母に洒落で褒められたわけで・・・こういうことの経験から、もっとひとを喜ばせようと思ったわけです。
 人を楽しませれば褒められるのですから、こんな楽しいことは無い。
 ただ、成長するにつれ、駄洒落と洒落の違いを考えるようになって・・・
 ”駄洒落は洒落より数段レベルが低いのではないか?、それより落語的な落としの方が面白そう”などと・・・
 いずれにせよ、どういう具合に話をして、どういう結末にすれば面白く聞いてもらえるか・・・などと考えるわけです。
 まるで、お笑いのネタを考えるみたいですが、レベルは低くて銭を取れるようなものではないにせよ、人に話をするということ=どこかに駄洒落とか洒落が入れられるかどうか常に考える。
 ですから、人に何か話す時はたいてい前もって頭の中でシュミレーションをしておく・・・これは今でも続いているかも・・・
 マア、とっさの反応には弱いのですが。

 そういえば自分の息子が中学生の時、駄洒落の話をしまして、、、
 「駄洒落は面白いけれど、単なる”発音”の言葉遊びではなく、同じような意味とか正反対の意味とか全く別次元の意味とかを考えるともっと面白い」
 「即その場限りに笑いも、まあ無いより良いけれど、その時”?”でも、家に帰ってから、あるいは翌日になって膝を叩くような笑いもある」どちらかと言うとその方が深いでしょう。
 マア子供には無理な話でした。
 それに、TVなどに溢れる”笑い”が、いかにも底の浅いものが多いように感じる。
 提供する側の責任は当然として、受け取る側にも責任がありますね。
 全く酷いレベルのものを、喜んでいるようなところがあって・・・受けるかどうかも提供側の筋書き通りだったりして。

 碁会所は当然、静かに対局が続く時もあれば・・・賑やかに駄洒落が飛び交う時もあります。
 駄洒落に限らず、調子の良い言葉も出てきます。
 それは、賭場の言葉だったり、寅さん見たいな香具師の言葉だったり。
 他のジャンルの言葉を囲碁に当てはめたり
  例えば「切れる」ということから
 「金の切れ目が縁の切れ目」
 「分かれる切れるは芸者の時に言う言葉」
 「おかみさんへ、ご新造さんへ、いやさ、お富」なんていうフレーズが出てくる・・・だいぶセンスが古いけれど。
 それでも、これらの意味が通じるとなんとなく同じような世代・共感があったりして、、、
 盤上はたいしたことは無いが、口上は高段者だったり。

第三のオリンピック?

2008-08-27 16:00:34 | Weblog
 北京でオリンピックの閉会式があって二日後には選手団は続々と帰国してきます。
 私のような貧乏人からすると、せっかく行ったんだから観光などしてゆっくりしてくればいいのにと思うのだけれど・・・きっとこれは公務出張みたいなもので、「用務が終わったら直ちに帰国せよ」なんだろうな。
 帰国後の会見・インタビュー
 活躍した選手の裏話とかそれなりに楽しいですが、同じ映像を繰り返し流される傾向があって・・・それは個人的にはいらつく。
 それで、今回はアテネよりメダル数が減ったとか・・・あるいは期待通りに行かなかったということです。
 元々過大な期待、それもマスコミが景気良く煽った数字がいつの間にか期待値・最高にうまく行った時のMAXがあたかも予定数に摩り替わっていただけですから、これを下回るのは当然。
 それも選手にはプレッシャーでしょうね。
 どうしても出たい大会で、且つ少なくない税金が使われているわけで(実際にはここまで来るのに当事者の負担は大変だろうが)・・・周囲の過大な期待と励ましがあるはずで、個人の背中にたくさんの重荷がかかる・・・
 そして、大会二日後には「次のロンドンに向けての強化・・・」
  オリンピックに出れなかった人にとっては既にロンドンが始まっているのでしょうが・・・でも公式の発言でロンドンを聞くと”息つく暇も無い”感じです。
  燃え尽き症候群の予防にはなるかもしれない?・・・それに、今回期待通りにいかなかった人への”渇”?。
 確か、今回アテネに引き続きメダル獲得と言うケースが多かった。
 それは、その選手が強くて、この4年間の努力が実ったのだろうが、後に続く選手がどうなったのかと言う点で不安を感じるのでしょう・・・ましてや全体としては下がっているのですから。
 今や「アマチュアのスポーツの祭典」などとは口にするのも恥ずかしいわけで、プロと、ステートアマ、それに実態はプロみたいな人の大会になっているわけで、そういう意味では「オリンピックの成績向上」を目指すには国策が伴わなければならない・・・
 実情はそうなんですが、プロが国を代表して戦うなんて、私にはしっくり来ない。
 あるいは、オリンピックスタジアムはローマのコロセウムで、そこで剣闘士たちが大歓声の中で戦っている?
  いぜれにせよ、プロはその種目のプロであって個人の誇りと名誉は好いけれど、国の威信まで言うとなんだか白けます。
 もっとも全ての競技がそういう日の当たり方をしているものばかりでは無かったけれど・・・
 そういう大会を、2週間なんとなくTVで見ていた。

 北京では引き続きパラリンピックがありますね。
 こちらの方は私としては国どうこうよりも”個人”を感じます。
 車椅子バスケットみたいに国ごとのゲームもあるけれど、それでも国家と言うより”チーム名”みたいなものですね。
 (但し、こちらの方が社会・国の強力な後押しが必要なので、”後押しは必要・表には出るな”そんな感じです)

 そして、夢か幻か・・・北京で「知能オリンピック」があるような気がしていたのですが、、、それはどこかで読んだのか、ボーっとしながらかってに空想しただけかも知れない。
 空想なら空想でいけれど、せっかくだから?、こんなオリンピックがあったらいいなと言う「知能オリンピック」を。
 まずは何と言っても「囲碁」・歴史のある空前の面白いゲームですから
  ルールは開催国が選択しますから、中国開催なら中国ルールで、コミ7目半になりそう
 将棋も入りますね・・・この場合は開催国が決めても良い・・・例えば中国ならば中国将棋、日本ならば日本の将棋、中東やロシアならチェス。
 更に世界のどこかの知られていない将棋が提案されるかも知れない。
 これにサイコロを使ったゲーム・・・バックギャモンとか
 ペアゲームでコントラクトブリッジなどのカードゲーム。
 麻雀も候補の一つです。
  毛色が変わったところではロボットコンテスト
  あるいはプログラミングコンテスト
 ルービックキューブだとか綾取りコンテストとかも入るし、ビリヤードが入っても良いですね。

 さてさて、候補を眺めると、プロは勿論、裏の世界のプロもいそうな種目が多い・・・それなりに国の威信などより個人の成績になって欲しい・・・
 もっとも囲碁とかロボコンは”威信”を持ち出す人が居そうです。
  マア、威信は落ち目になっているので、失うものは無いとも言えるんだけれど・・・でも較べられるのを嫌がる人もいるかも知れません。
 だから初めから個人中心で。
 「プロを目指さないアマの大会」というのもあっても良いと思う。

恐いもの見たさ

2008-08-26 17:29:24 | Weblog
 今年はオカルト番組を見ずに夏が終わりそうです。
  例年ですと、私が居間のTVでこの種の番組を見始めると、気の小さな息子はスーッと自分の部屋に引っ込み、女房殿は台所仕事に立って行ったものですが、今年の夏はオリンピックの影響か・・・私がスポーツ以外の番組に手が回らなかったと言うこともありますが、見ずに夏が行く。
 マア、遊園地のお化け屋敷に今年は行っていないという感じ
 異次元の存在を、見たことが無いので信じているわけでもないけれど、逆に全面否定するほどの信念も無い。
  心の中では「一度で良いから”ほんもの”を見たら”いる”事を信じられるのに」と思っているから、深夜にトイレに立つ時など”もしかしたら”と振り返ってみる。
 いや、本当に見たことが無いものがいたら、きっと絶叫・卒倒ものでしょうが、それでも振り返ってみたくなる。
 そういう点では、埋立で造成した土地の集合住宅・水洗トイレというのは清潔ではあるが、深夜の迫力は無いです。

 こういう話には、われながら軽薄ではあるが、落語の「お菊さん」の話に乗っていくようなところがある・・・この辺りは講談の調子とは違う。
 そういえば、昔月に2回くらい四谷方面に行く用事があった。
 まさに「お岩三」がまるられている所のすぐ側で、行き返り必ずそこの前を通ります。
 よくこの怪談話などを映画や舞台でやるときは関係者一同がお参りするはず。
 でも初めて通った時・・・「割とこじんまり」と言う印象。
 それに、有名な割には普通の家や事務所のある町の中にある・・・
 ということは「田宮某・・・」他関係者以外には祟らないのではないだろうか?
 そうでなければ近所に住めないですよね。
  あるいは、時代がたって祟るパワーが逓減してしまったか、祟るのに相手飽きたのか、、、あるいは今はいお休み?
 ともかく肝は小さいのだけれど「恐いもの見たさ」と言うところはある。
  夜中に出かけて「出たーッ!」と真っ先に逃げるタイプ。

 「恐いもの見たさ」と言うと悪い評価ですが、「好奇心が強い」と言えば多少持ち直し、「新しいものに積極的に取り組む」といえばかなり良いイメージでしょう。
 実際のところはこれに「意地」とか「痩せ我慢」が加わって微妙なブレンドです。
 子ども時代に兄弟や年上の従兄弟にオカルト攻めをされている時代、”恐がってばかりいたら尚更絶好のターゲットにされる”と言うこことが分かっていたから、必死の「平気顔」の抵抗をしたものです。
 そういう痩せ我慢的な心と、やはり恐いもの・珍しいものを見たいという気持ちもある。
 だから、囲碁の中盤の曲がり角・・・「切れば戦い必至」の場面で、好戦的ということのほかに、戦いを回避してその後勝負どころが無く・・・と言うのを恐れるし、戦いを避けた場合の局面の変化はある程度予想できるが、真っ向から戦った場合は「やってみなければわからない」部分もある・・・ザルですから尚更一寸先は闇のことが多い。
 そういう時、頭から闇の中に飛び込んでみたい衝動がある。
  度胸は無いけれど、「なに、命までとられるわけでもないだろう」
 無鉄砲と言うか、無分別と言うか、「恐いもの見たさでしょうか」

オリンピックは1勝1敗

2008-08-25 17:46:13 | Weblog
 オリンピックでの成績ではなくて、期間中のネット碁対局の成績です。
  私はオリンピックとは関係ないのですが、もしかしたら成績には多少の関連はあるかもしれません。
  1敗については「ナガラ」の話で書きました。
 これはその後、心を入れ替えて?打った1勝の方の話
 いずれにせよ長い期間中は1勝1敗でした。
  マア、心を入れ替えたから勝てたかどうかは分からない、と言うより、これは少し自分中心の見方でしょうか。
 1対1のスポーツにせよ囲碁にせよ、ゲームの内容とは別に勝負が存在する事だってあるでしょう。
 自分のコンディションが良くなくても相手がそれ以上に悪い事だってあるし、その逆に万全の体勢で臨んでも、相手もそれ以上だったりすることもある。
 そういう意味で「心を入れ替えて」勝ったというのはこちら側だけの内輪の話。
 そういう要素はあったにしても50%分でしかない
 もしそれを全面に出してしまうと、勝ち負けはこちらの心がけ次第で決まるみたいな調子でしょう。

 そういえば、昔従兄弟に色紙を書かせたら・・・
  高校サッカーでは名前が知れていますが、親戚付き合いの中では同じ世代の年下の弟分的な位置。
 私の父の葬式に来てくれて、火葬場での待ち時間に甥っ子に色紙を用意させて、この従兄弟に書いてもらったことがある。
 マア言葉としては陳腐ですが・・・「人事を尽くして天命を待つ」
  ザルレベルであっても、囲碁に限らず勝負事はこれですね。
 相手があることですが、取り敢えずは自分の準備は怠らない。
 ネット碁にたいした準備は無いのですが、少なくとも「ナガラ」はしない。
 気持ちを落ち着ける・集中する。
 マア直前に囲碁の本を読むのは一夜漬けとか受験会場での悪あがきの類に近いからこれは要素から除外。
 それと私はパソコンの側にペットボトルと扇子が必需品
 あ、それから緊急事態?に備えてポケットにミオコールスプレー(血管格調)
  終盤の競り合いのときにドキドキが高まった時に、気持ちも体も静まります
 
 さてこの日の相手は向こう先白からコミ4目半
 初めての対局の人で、白からコミを出すのは気持ちの上では負担です。
  打っていて、向こう先と言ってもこちらが隙があれば突かれそうな感じの打ち方です。
 この碁は大変細かくなりそうな碁で、終盤少し良さそうなんだけれどはっきりしない。
 後手いち、半コウツギ・・・全てのヨセを打ち終わって、「終局要請ボタン」を押したはずなのに、「一時中断」「打ち掛け」となってる。
 ミスタッチなのか誤作動?・・・いやキーボードを間違えたのでしょうね。
 あわてて「対局再開要請」を繰り返し・・・相手が応じてくれました。
  その結果
 白番半目勝!
 なんと際どい、それにボタンを間違えたり、心を入れ替えてもこの程度です。
 ともかく長いオリンピック期間中のネット碁は1勝1敗でした。

ナガラでは勝てない

2008-08-24 14:51:00 | Weblog
 先週の日曜日に久し振りのネット対局をしました。
 ここのところ、平日の夜、土日はヒマなのに対局が無かった・・・そうですね私などが”碁を打つ暇も無い”などと言ったら笑われてしまいます。
 忙しいとか暇だとかは関係なく碁を打ってきたのですから・・・
 実の両親の葬儀で田舎に行く時だって、二度とも囲碁の本を何冊か携行したし、もしも仮に田舎で「一局」誘われたら、打ったに違いない。
 若い頃仕事で社長の臨時秘書と言うか随行員役で外国旅行にいった時も・・・
  社長は私に4子で囲碁好き・・・なので、磁石版と囲碁の本を持って行ったものです。
 実際に打ったのは、社長の経営者仲間の別の社長とだったけれど。
 どんな状況でも碁を打たなければ夜は明けない
 缶詰の研修付けの日々は流石に打てなかったけれど、消灯後には頭を研修から切り替えて目を瞑って棋譜ならべをしていたくらい。
 それなのにここ10日余り打っていない・・・これは異常事態?
 いや、囲碁がザルの遊びなら、別の遊びに忙しかっただけで、要するに単に顔を向けていれば良いだけのオリンピックTV観戦と、ザルなりに考えて打つ碁とは違うと言うことです。
 昼間は仕事、夜はTVでオリンピック観戦
 親戚の子供が出ているわけではないけれど、興味のあるスポーツなら何国人でも面白いから夜遅くまでみてしまう。
 それで「余り遅くなると翌日の仕事に差し障る」と部屋に引き上げて、そこからネットでサンサンとかパンダの観戦・・・流石に目が疲れているのか、頭が疲れているのか集中力・気持ちの盛り上がりが足りないのか・・・対局までには至らず。
 こういう毎日が続いて・・・多少は「禁断症状?」気味
 
 疲れないうちに打たなくてはいけない・・・ということは宵のうちに打つか、その日はオリンピック観戦を回避するか・・・
 結局若い頃のクセが出ます。
 パソコンを持って今のテーブルにセット。
 ここでならネット碁を打ちながら、TVも見られる・・・少なくとも中継の音声は耳から入ってきます。
 但し、この夜はJリーグの中継もあったから、スカパーとBS101、103、BS民放、地上波NHK・民放の掛け持ち兼、ネット碁。
 私らの世代は元祖ナガラ族の世代・・・ラジオを聞きながら受験勉強をした世代ではある。
 しかし、掛け持ちが多すぎたか!?
 いくらザル仲間との碁でも「ザルを舐めるな」だろう。
 それとも「この程度のナガラが出来ないようでは、修行が足りない」かも。
  いずれにせよ見事に負けた。
 「見事」の意味を話しますが、ともかくスッテンコロリと負けました。
  途中までは内容は悪くは無かったと思う
 黒番で、コミは2目半出しなので細かながら残りそうな気がしていた
 何度も数え直し、まづは間違い無さそうだと・・・
  ところが1,2目のヨセでセコイ欲張りをした、、、後手2目だけれど他に大きなヨセはなくなってきているので、この後は後手1目ばかりだと思って打った手・・・これがダメ1つ間違いの致命傷。
 自分から打ってはいけない場所!
 簡単な手筋が見えていない
 仮に立場が反対なら、落とし穴みたいに待ち受けるであろうし、そうでなくてもコウ立てに3回は使えると計算するはず・・・そこが見えていない・一瞬見失ったと言うか・・・
 それまで打ってきた200手あまりを失った感じ。

 こういうことはレベルは違うけれどプロにもあるらしい。
 メイエンさんの本に、プロが自分から取られるようにダメを詰めていった棋譜が紹介されていた。
 プロの真剣勝負にもエアポケットがある
 コチトラはザルな分けで、エアポケット海に点々と浮かぶ正気の島伝いに碁を打っているようなもの。
 元がこれですから、ナガラでは・・・
 掛け持ちで遊びながら「勝とう」と考える方がズーズーシイのでしょう。
  しかし相手の人が「俺もTVを見ながら打っていたら、勝手に相手がこけた」なんて言わないですよね。

綽名は・・・無い!・・・と思う

2008-08-23 17:14:43 | Weblog
 勤めている事務所の1階の入り口付近に飲み物の自動販売機が並んでいます。
 真夏は便利で助かります。
 2階の執務室には自動給湯器があって、お茶・ウーロン茶がホット&コールドで飲めますから、マイカップに注ぐだけです。
 (7年前までは、お茶をサービスしてくれる事務員さんがいたのですが、流石に時節柄そういうしきたりは廃止になり久しい)
 でも、昔に較べたらエアコンの温度が違うので、室内で仕事をしていても日射病にはならなくても、体に熱がこもって熱射病になるのではないかと思う日もある。
 マア、対策はひたすら水分を補給して、暑ければ汗をかくことでしょうか?
 体からでてくる汗が止まったら要注意だと思っている。
  それに今年からは週に2,3回自転車で往復30分くらい、出かける用事がある(出来るだけ午前中にしていますが・・・)。
 そんなことで、自動販売機のペットボトルは必需品なのです。
  
 ところである飲料メーカーのペットボトルに小さなシールがついていて・・・何かの懸賞応募用のシールらしい。
 携帯とかパソコンから応募できるキャンペーン用のシール。
 大きな桁の番号が印刷されていて、これが応募のポイントになる。
 だいぶシールが溜まったので自宅でパソコンでアクセス・・・
  以前このようなシステムでスロットゲームがあって、当たったことがあるのです・・・その時の商品はビームスの小さなバッグ・・・息子と娘の方が喜んで商品到着と同時に奪われましたが。
  そういえば、以前のワールドカップサッカーで勝利チームを当てるゲームがありイングランドの国旗柄のスポーツタオルを貰ったことがある。
 ついでに愚痴を言うと、某メーカーのキャンペーンは当たらない・・・タオルをくれたメーカーのライバル会社は・・・
 
 さて応募に当たっては、自分の名前など登録しなければならない・・・
 これは良くあることで、その情報が悪用されるかされないかはその会社を信じるしかない。
 景品が当たったときだけ登録するのなら、景品を受け取る必要上仕方が無いのですが、応募に際して登録すると言うのは多少”臭い”感じはする。
 それでもマア、一応信用するとして・・・
 応募フォームの空欄を埋めていったのですが、「あなたの綽名は?」と言う設問がある。
 これは困った。
 子供時代に幼馴染から「○○○チャン」「○○○くん」と呼ばれていた時期はある。
 同じようにかなり年が上の大人・伯母から「○○○坊」とか坊の下にクンがついたりしていた。
 しかしこれは綽名ではなく単に呼び名ですから、綽名とは一寸違う。
  スポーツをやるときグランド上で仲間を呼ぶ時に必要な「呼び名」みたいなものであって、「愛称」でもなければ「蔑称」でもない。
 そういう意味では「愛されもしなければ、さげすまれもしなかった」らしい。
  特徴が無いわけではなかったのに・・・
 もしかしたら「綽名」をつけて呼ぶのを避けたかも知れない・・・
  例えば、気に入らない綽名で呼ぼうものなら、体力にものを言わせて反撃するとか・・・当時からだが大きくて、、、
 ともかく綽名は昔も今も無い
  蔭で呼ばれているようなものも・・・自分に聞こえてこないのだから感知できませんから「無い」としか言いようが無い。
 ところが応募フォームでは空欄があると受けつけてくれないのです。
  それでは自分で自分の綽名を捏造しなくてはいけないらしい。
 その次のメッセージには驚く!
  「この綽名を公開して・・・」
 一体これは何だ!
  全く「余計なお世話」みたいな「勝手にしろ」みたいな感じで、即応募中止
  それをしても実害は無いかもしれませんが、なんとなく気分が悪い。
 メーカーのイメージも私の中ではダウン。

 今日は土曜日なので隔週のマイ図書館デー
 囲碁コーナーは相変わらず変わり映えしなかったし、古い雑誌を含めて読みたいものがたくさんあるので「技術的?」な本は見送り。
 囲碁・将棋に関する読み物を探していて、、、何故か将棋の棚で発見(まあ将棋にも関係ありますが)
 「勝負の世界」(将棋VS囲碁対談五番勝負) 芸・華・道 毎日コミュニケーションズ
 発行が昭和62年ですから、既に20年以上経っています。
 でも面白そう
 登場は趙治勳・谷川浩司、林海峰・大内延介、藤沢秀行、芹沢博文、武宮正樹・内藤国雄、小林光一・中原誠。
 これは第一巻で第二巻も隣に並んでいた・・・それは次回に

 全く余談・・・貧乏人の呟きですが
  この本はハードカバーで、20年前の発行で当時の値段が1550円。
  もし、発行当時に出会ったとして、買っただろうか?
  もしかして、古本屋に出るまで待とうと思ったかも・・・本の中身の問題ではなく単に価格の印象。

鋏が5本!

2008-08-22 18:17:20 | Weblog
 先日東南アジア方面に文房具を送ろうというキャンペーンがありました。
 どういう規模かは知りませんが、ともかくうちの事務所は参加。
 子供の文房具にまで親の手が回らない国・地域に中古で良いから文房具を送ろうと言うものです。
 趣意書と寄贈品入れの箱が回ってきて・・・いざ箱の中に何か入れる段になると、多少の引っ掛かりがあるのです。
 趣旨はよいのだけれど。
  やはり子ども時代の思い出から、何かしらスッキリしないものもある。
 私の子ども時代は、戦後すぐのドサクサではないものの「ギブミーチョコレート」の陰を引きずっていたでしょうし、休職の脱脂粉乳ミルクのありがたさと同時に飼料を食べさせられたと言う感情も消えない。
 私はアノ頃から、幼い頃からしつこくて執念深い性格も持ち合わせているのでしょう。
 当時でもアメリカ船が入港したなら、港には敢えて行かなかったし、給食のミルクが実は家畜の飼料と聞いた時の記憶は・・・
 勝者の・もてるものの驕りを感じたし、子供ながらも「高楊枝」の振る舞いをした。
 今回の中古品文房具寄贈のキャンペーンは趣旨は良いのだが・・・”無い”のだから何とかしなくてはいけない・・・でも自分の子ども時代の記憶が引っかかります。
 中古品で良いのか・・・出来たら新品の方が良いのではないか?・・・どちらにしても与える方の優越感があってはいけない・・・
 使いかけのサインペン、ボールペン、鉛筆・・・
 私は箱の中に何も入れられませんでした。
  寧ろ100円玉1つの方が良いのか?
   代わりとってはおかしいけれど、、、手元に鋏が5本ある。
 同じところで仕事をしていると、前任者の引継ぎとか誰かが私のところに忘れていったり、鋏・定規・ホッチキス・クリップ・ピンチの類が溜まってくる。
 こういうものを捨てたり処分したりしないから結構溜まる。
  鋏などは普段使っているお気にいりの鋏以外に5本も溜まっている。
 ですから本来の趣旨とは違うかもしれないが寄贈箱に鋏みを本入れました。
 (ホッチキスの場合針が消耗品なのできっと今回の趣旨には向かないでしょう)
 さて、実際に現地で役立つだろうか?
 貰った子供が喜んでくれるだろうか?
  私の子供時代の記憶の残り方からすれば無理でしょうね。
   マア寄付する方のささやかな自己満足?

 ところで中古品を人にあげると言うと、私にはクセがある。
 囲碁の本で、読んでみて気に入った・ためになる。分かり易い本だと思うと人に読んで欲しくなるクセがある。
 だから「どうぞ読んでみて」と人にあげる・・・貰う人が本が買えないのではないのです・・・私が友人に読ませたい・・・そして「読み終わったら誰かにあげてください」と付け加える。
  本にもいろいろあるでしょう
 人から人の手に渡りながら大勢の人に読まれる本。
 あるいは、ずっと側において置きたいような本。
  
 囲碁の本で言うと「日本囲碁大系」のような大判の棋譜集などは持っていれば本棚に納めたい本。
 でもそれと違って、繰り返し読むために持ち歩いたり、大勢で回し読みして、1周まわって来てまた読むような本もある。
 難しいのは、人に薦めるときでしょう。
  きっと、良かれとは思っていても”おせっかい”かも知れないし。
  「是非読んでください」も受け取り方によっては「お前様もちゃんと勉強しなよ」とか「ここが足りないのではないのですか」みたいな偉そうな・・・
 マア、そんなハードルを無神経に無視してしまいますが、実際は心の中では「誤解されませんように」と祈ってはいるのです。

 そういう意味では鋏5本も同じこと。
 本当に喜ばれるかどうかは送る側には分からない事なのです。

内側から出てくる気持ちの力

2008-08-21 18:23:55 | Weblog
 今日は朝から忙しかった。
 私の出勤時間は規定では9時ですが、だいぶ余裕を持って到着します。
 何も早く出てサービス早出仕事を心掛るような殊勝な気持ちではなく、朝仕事場に着いたらまずはお茶を一服して、頭の中で一日の大雑把なスケジュールを考える時間です。
 ですからこれは囲碁で言えば、対局室に入ったらまず碁盤をきれいにぬぐって、お茶を一服する・・・あの心境でしょう。
 囲碁はザルですが、仕事は一応プロと言うことなのでムリヤリ並列的な例えです。
 たまにはそういう手順を踏んでいられなくて、いきなり仕事に突入することもあります。
 マア今日はそういう仕事が待ち構えていてくれました。
 作業量そのものは1日仕事でもないのだけれど、片付けてしまわないとなんとなく落ち着かないみたいな仕事・・・「情報公開」「大量請求」が待っていた。
 知る権利とか公開する義務とか、いろんな意見はあるが多少微妙な感じもぬぐいきれないところがある。
 公開で入手した情報を使って商売していると思うのですが、それは所謂市民の生活を守るためとは言えない・・・形は確かに情報公開なんだけれど。
 それに費用はコピー代1枚10円ですから、仮に100枚の書類をコピーしても1000円です。
 コピー紙は10円で買えますが、書類を選んで過不足無く用意し、公開できない個人名などを隠してコピーを作る手間は一切考慮されない。
 つまりジイサマのした働きはまさにタダ働き・・・馬鹿馬鹿しいような・義務として当然みたいな・・・
 それで半日潰して
 マア実利0円の仕事で、終わっても満足感は無いもののヤレヤレの安堵感
  
 ふと今日こそは一局打とうと思いました。
 今日は事務所上げての行事みたいなものがあり、職員の半数以上が出かけている
 こういう日に限って歓迎できない人が来るのです・・・もっとも蒸し暑いので、私が出かければきっとバテたでしょう。
 ああいう人を「ブーマー」と言うのか「クレーマー」と言うのか?
 多分どちらも当てはまらないとは思う・・・つまり言っている事はマアまとも。
 但し、方法はクレーマーと変わらない、と言うか「パワーハラスメント」に近い
 要するに善良な市民として正しい主張をし、こちらの対応の拙さを指摘し「大声で怒鳴る」。
 自分は県知事も顔を知っていて、副知事も要所の部長も知り合いだと・・・
 「自慢じゃないが」というところが全く可笑しい。
 もう私は自分を抑えるのに必死です。
 「世の中を直そうと思ったらまづご自分の性格から始めたら」と口に・・・出せたら気持ち良いだろう・・・その瞬間前も後ろも敵だらけになるでしょうが・・・
 今は出来なくても、いつか仕事を離れたらきっとこれを言おうと心に誓いました。

 さて久し振りといえば、最近また碁を打っていません。
 私は平均1日1局くらいですから10日あまりで局というのは珍しい
 要するにオリンピック期間中、1戦1敗。
 この期間中は碁の中身はともかく・・・ザルは直りませんが碁キチを返上ぎみ
 では何故オリンピック期間中は打たないのか・・・打てないのか?
  他人事みたいだけれど、考えてみると
 オリンピック放送を見ていると、当然物理的に時間が減ります。
 それもあるけれど「TV中継」が終わったら「ハイ次!」みたいに対局開始とは行かないのです。
 相手はともかく自分が出来ない
 部屋に戻ってパソコンを立ち上げて、ネット碁に接続して・・・でも頭の中のオリンピックモードを一旦追い出して囲碁モードに切り替えなくてはいけない。
 一つのことが終わったら一旦クールダウンしてから、徐々にアップしていくみたいに、この切り替えと気持ちのアップが無いと打てないみたいです。
 われながらザルの割には厄介なことを言っています。
 でも、帰宅して即ネット対局が出来ないみたいな・・・帰宅途中でコミュニティに寄っても、到着即対局はしたくないような・・・

 若い頃には会社の帰りに碁会所で打って、10時閉店後は隣の雀荘で麻雀というパターンがありました。
 これはこの順番だから出来たんでしょう。
 仮に逆は無理でしょうね。
  当時は徹夜で麻雀をしてそのまま出勤、また夕方から碁会所というパターンを繰り返した。
 出鱈目な、無茶苦茶な・・・今でもそういう事をさせてくれて文句を言われなかった女房殿や娘や息子には頭が上がらない。
 マアそういうことで、今は多少まともに戻ったのでしょう・・・いや年をとって無理がきかなくなっただけかも。
 ともかく、今はバッテリー・電池ではないけれど、充電されないと打てないみたいです・・・もっとも勝敗・内容はまた別です。

アララ!?

2008-08-20 15:52:37 | Weblog
 今日は先週に手続きに行った「年金関係」の続き・・・足りない書類の提出でこの件は一件落着のはず・・・。
 初めにハローワークに寄って再発行してもらう書類があり、それを持って社会保険事務所に行く・・・ですから先週の混雑具合を考えれば下手をするとほぼ1日仕事になる覚悟ではある。
 最初のハローワークに足を踏み入れるのは初めてなんですが、イメージとして求人者で混雑をしていると思い込んでいた。
 今、世の中それほど景気が良いわけでもなし・・・
 建物の中にはいると8時半数分前に、約20人くらいがドアが開くのを待っている・・・大勢いるようないないような・・・それにどうしても仕事を欲しいといった緊迫感は薄い。
 時刻が来てドアが開いて・・・今では求人情報はパソコンなんですね。
 フロアーに何台か設置されたパソコンで閲覧しています・・・ですから整然と言うか閑散と言うか。
 私みたいに証明書の再発行は・・・私一人でしたから、担当窓口で一番で・・・5分で終了。
 思いがけない早業に嬉しいような拍子抜け。
 但し難関の社会保険事務所が残っている。
 ハローワークから事務所まで自転車で7,8分・・・途中のコンビニで再発行の書類をコピー(この時点では”提出”だと思ってい=実際は確認だけなのでコピーは不要でした)。
 先週の社会保険事務所は8時半開始のところに9時ごろ来たら、約2時間待ちでした。
 今回もほぼ同じですから鞄には囲碁の本を1冊持ってきて、コンビにではペットボトルのお茶を買ってきて長期戦に備えて万全の体勢。
 ところが、ところが到着して事務所のドアを開けるとアララ!?なんだか変。
 もしかしたら、開店休業というか、臨時休業日なのかしらみたいな・・・
 なんと、受付で9番目のカードを貰ったのですが、この時進行状況を示す案内モニターには、既に一つ前の8番が出ている。
 つまり私の前に誰も待っていない・・・先週の混雑は何だったのだ!。
 まさに「ウッソー!!」嬉しいウッソー信じられない。
 半日はかかるだろうからと覚悟して出てきたのにハローワークと社会保険事務所に2ヶ所で30分余り・・・嬉しい誤算でした。

 今日はこの用事の帰り道に本屋さんに寄って「NHK囲碁講座9月号」を買ってきました。
 20日ですからそろそろ出る頃だし、社会保険事務所で待ち時間が長いようなら、途中で本屋さんに行こうかなとは思っていたのですから、順番は変わりましたが予定の行動ではある。
 雑誌の内容ですが
 9月号でマイケル・レドモンドの講座が終わってしまうのが残念ですね。
 講座ももさることながら青葉さんの名古屋訛りの英語?が良かったですから・・・
 ローカル色と言うか、青葉さんの見た感じ・イメージと名古屋弁のアンバランスの妙と言うか。
 これが関西弁・京都弁ですとそれほどの落差は無いのでしょうが、名古屋弁と言うのが面白い。
 こういうスタイルで1冊の本に纏めてくれると良いのですが・・・これは1隠れファン(マイナーに近い方言のファン)の希望です。
 きれいな若い女性ということですと、名古屋弁でも良いし東北弁でも良さそうな気がします。
 もしかしたら、静岡弁が混じっても・・・
 そういえば学生の時同期の友人が長野の出身で医学生・・・彼は堂々と信州弁で「・・・ズラ」と話していた。
 静岡・山梨・長野とズラは使われていたのですね。
 子供の頃祖母が「・・・ズラ」「ヤッキリする」「ゴセッポク無い」・・・などを聞いてはいたけれど自分で話したことは無い。
 まさか同年代の人の口から「・・・ズラ」が出てくるとはと思ったものですが、今の時点で考えると、それはそれで面白いかもしれないと思うようになった。
 お笑いの視点ではなくて、もしかしたら方言の方が心に迫る場合もあるのではないか・・・
 マア他に地方の人には難しいでしょうが。
 そういう意味では静岡弁は難しそうです・・・殆ど私語に近いでしょう。
 私などには多少はアクセントとかに、所謂標準語ではない部分があるはずですが「○○弁」とは言い難い。
 地元でも「静岡弁」で話す人は多分いない・・・
 逆に関西弁ではそれなりに出回っているし。
 そういう意味では「名古屋弁」はその中間で、面白いです。
 東北弁・・・これも山形とか秋田では違うみたいなことはあると思いますが。

 そういうことでは、いっそ全国方言大会でも面白いかな。
 この格言は「○○方言で言うと」みたいな解説。
 または名古屋ではそうですが青森では・・・みたいな。
  どうも発想が暇人なんですね。
  もうすぐ、年金を貰えるようになり、公共施設をただで利用できるようになり・・・「ひたすら、死ぬまで生きる暇人」ですので、今後益々暇人的発想になるでしょうね。

朝寝坊効果!?

2008-08-19 18:25:14 | Weblog
 今朝は古女房殿の「今日はお休みですか?」の声で目が覚めました。
 言葉の頭に「あなた」がつけば満点に近いのだが、結婚以来一度もそれを聞いたことが無い・・・マア、友達夫婦の走り見たいなものだからそういうものは一切無し。
 結婚当初はお互いに呼び捨てだったのだけれど、私の両親兄弟の手前多少の遠慮があったか名前の下に「さん」がオマケされた。
 子供でも目の前にいれば「お父さん」がつくこともあるけれど、今は老夫婦二人だけだから、呼び捨てもない代わりに”さん”も無し。
 ですから会話にお互いの目的語「Yoo」が無いのです。
 起こされながらそんなことを考えているのだから、案外長生きが出来そうですね。
 ボンヤリした頭では「何故そんなことを聞かれたのか」理解できていないから、目は醒ましたものの、心は醒めていません。
 最近は朝寝坊と言うものはめったに無い・・・寧ろ早く目が醒めるのですから、自分に朝寝坊という意識が麻痺していた。
 高校の頃なら朝起きるのが7時50分くらいで、8時20分に教室に到着するかどうかの真剣勝負を毎朝繰り返していたので、寝坊しつつその意識は頭のどこかにあったはず。
 教師が朝教室に到着するのが早いか、階段で追い抜くことが出来るかの勝負・・・これが勝率5割・・・要するに半分遅刻。
 それでも何とか授業には間に合っていたから、授業時数は足りていた。
 但し遅刻チャンピオンだから校長先生に母が呼び出しを受けたり・・・多分「家での生活指導」だったはずですが、母は先生の話を私には一言も言わなかった。
 すでに諦めていたのか、見放していたのか・・・母の神経が太かったのか?
  ともかく今はこういう事が嘘みたいに朝目が醒める。
 
 私:「今日は何曜日?」(全く何曜日かも分かっていない)
 「火曜日ですよ」
 私:「今何時?」
 「7時半です」
 やっと大寝坊したことに気がついて『どうせ声を掛けるならもう15分早ければ良いのに』と言う言葉が頭を過ぎりましたが・・・口に出していえるほど度胸は良くない。
 口出したところで、私が負ける場面しか思い浮かばないし、平和を保つ意味でも沈黙が肝要。
 「自分で起きられなかった私が悪い」ですから、超特急で委託にかかる。
 もっとも、寝坊ではあるけれど、顔を洗って髭を剃って、牛乳とトマトジュースくらいは飲める時間はある。
 ともかくいつもより5分遅れで出発・・・これで5分遅れですから普段は朝からゆったりしているのですね。
 後は自転車通勤ですから、自分の脚力次第。
 元々余裕たっぷり通勤ですから5分遅れは問題なし・・・でも
 いつも追い抜く人と、追い抜く場所が違う、すれ違う人とすれ違う場所が2,300メートル手前。
 時間はいつもより5分違うのだから当然だけれど、それなのになんだか不安。
 つまり、ペースがいつもと違う。
 いつもの時間に家を出て、いつものスピードで自転車で走り、いつもの人にいつものところですれ違う・・・こういうものがペースなんでしょう。
 ここ7年間のうち5年以上はこの時間に、このペースで走っているのだから体に染み付いたものがあるに違いない。

 そういうことを拡大解釈すると、、、囲碁はザルとは言え初級の頃からの通算は40年近く打っているはず。
 碁会所初段ですが、ザル初段から数えても30年にはなる。
 ですから、染み付いてしまったものも多いに違いない。
 中には良いこともあるでしょうが、感心しないこと・悪いこともあるはずで、しかも染み付いてしまっているから善悪が自分で自覚できなくなってると想像できる。
 そうに違いないのですが、ザル仲間には同じ「しみつき」があるので、指摘するような感覚は鈍いはず。
 それに自信を持って他人に意見を言える?事は少ないし、マア消極的ではある。
 ですから、たまには高段者に打ってもらわないといけないですね・・・プロならもっと良いかもしれない。
 最近はネット碁ばかりですから、同じレベルの人ばかり・・・それが悪いのでは無く、そればかりではいけないのでしょう。
 対策は今までと違うことをするだけですね。
 窓を開けて風を通すのに似ているでしょうか。
  すぐに考え付くのは
 K畑師匠がいつもいる囲碁センターに行って打ってもらう。
 最近ネットのHPに出てくる囲碁センターに行ってみる・・・ここにはプロがいるはずだし・・・自宅近くから電車で4駅程度だし。
 昔の老師(本当は女性プロ)にどこかで出会ったら(同じ市に住んでいるはず)指導をお願いする。

 「寝坊」から考えることがあったのだから「寝坊」も無駄ではなかったか?
 本当はただの夜更かしによる朝寝坊、老人性の目敏さより体力の無さが上回っただけです。
 

ゾウの散歩

2008-08-18 18:34:51 | Weblog
 今日は勤めの帰り道、例のさーかすの大テントを通り過ぎた所にある・テントと隣接地のおきな空き地を大きな動物がゆっくりゆっくり歩いていた。
 この近くではたまにキリンを見かけれる事があるのだけれど、今日はゾウが2頭
 いつもよりは涼しいので、日が翳った夕方に表で散歩?しているのだろう。
 そうですよね、ゾウだっておとなしいだけの動物ではないはず。
 ストレスが溜まったら可哀想です。
  ともかく、タダでゾウが見られたのは嬉しい・・・タダでというところが少々セコイけれど・・・動物園でもないのにキリンやゾウが見られるのはなんだか嬉しい。
 通りかかった人もそちらを向いて皆ニコニコしていたから、同じような気持ちだったでしょう。
 7・80メートル四方の柵で囲まれた空き地で、雑草を刈り取って1,2週間といったところ。
 マアむき出しの土ではないから好いけれど、草は食べられないでしょうね?・・・ここには木は生えていません。

 さて家に帰ると、TVで女子のトライアスロンを放送していた。
 所謂「鉄人レース」に女性が挑戦するのですから凄い・・・私は若い頃ならスウィム・バイク・ラン・・・どれか一つならタイムと関係なくやれそうですが・・・三つは凄い・・・それに今となっては文字通り命がけでしょう。
 密かに「上田選手」を応援していたのだけれど、健闘したが結果は残念。
 マアそれでも、日本の女子が3人揃えば良い成績でしょう・・・もし仮に団体戦みたいなものがあったなら・・・
 応援すると言っても、カンパをしたわけでもないし、直接声を掛けたわけでもないけれど、出身地は違いますが当地でスポーツ活動をしている”縁”もあるし、NHKの「スポーツ大陸」でも放送されたし・・・”頑張れ”と声を掛けたくなる選手。
 上田選手の頑張る姿を応援したい選手・・・結果ではないのです。
 彼女の何気ない言葉が印象的です。
 練習で「苦しい練習をすると笑っちゃうんです」・・・「これで、今よりもっと強くなれると思うと笑える」確かそんなコメントがあった。
 今回は、自分では満足できる結果では無かったでしょうが、マダマダ次がある。
 ロンドンの星になれる可能性があるのだから、ジイサマとしては羨ましい。

 ジイサマのザル碁には明日が無い感じ。
 マア、さしたる・努力と言えるほどの努力はしていないし・・・
 私より怠けている人よりは、多少は勉強家ではあるでしょうが。
 50歩100歩・ドングリの争いのレベル。
 ”苦しい練習”ではなくて”遊びの世界。
 勉強=苦学では無く・・・それも遊びにしてしまう性格。
 体型的に若い頃”ゾウ”みたいと言われていた時期があった・・・体型+鼾の音かもかもしれませんが。
 今日のゾウの散歩に親近感を感じるのはそのせいかな。
 あくせくしたところが無いから向こうのほうが上です。

好機逸すべからず

2008-08-17 15:08:57 | Weblog
 先週買った古い囲碁雑誌の付録・2005年囲碁研究7月号「思わず納得 囲碁格言②」(中山典之六段)に17個の格言が出ています。
 私に一番あっている?のは「ピンチの時がチャンス」だと思う。
 普段の対局で一応「出来るだけ厳しい手を打ちたい」と考えていますが、元々が”のほほん型”だし、「簡明で勝つ」=「普通の手で負けない」思っていますからザル仲間からは、実際にはそれほど厳しい手を打つとは思われていないと思われる。
 それでも、一見普通に見える場面にもチャンスが潜んでいるかもしれないとは考えながら碁盤を見て、相手も僅かな隙間でも見逃してくれないはずですから、険しい局面に陥ることはある・・・多分多いと思う。
 それは、一寸かっこよく言うと昨日見た卓球の試合みたい・・・厳しい手を打つと、、、厳しい回転をかけた球を入れると、その回転が残った球が返ってくる、、、厳しい手を打つと厳しい分厳しい手が返ってくる。
 と言うことで、チャンスとピンチは紙一重、いやチャンスとピンチは裏表だろう

 そういう意味で、この「格言のミニ本」に出ている「好機逸すべからず」は先にあげた格言の親戚みたいなものでしょう。
 このオリンピックでのスポーツの観戦でも、、、例えば男子のサッカーで「あそこで決めていたら」とか「そこを凌いでいたら」結果がどう転んでいたか分からないという試合がありました。
 いや、これは日本の男子サッカーだけではなくて、「勝負事」には概ねついてかまわることのような気がする。
 「タラ」「レバ」は無いとは言いながら、繰言・悔やみ言とは区別がつけにくいけれど、反省点しなければいけないところは反省しなければいけない・・・
 それで、試合の途中経過点で得たポイントあるいは逃したポイントは単独に存在するものではなくて、必ず途中の出来事は、その後に影響を残す。
 ですから、「ポイントを得るべき場所で得られない」と言うのは得点0と言うより、失点に近い0だと思う。
 一方、大ピンチで失点を防げれば、もしかしたら得点に近い0かもしれない。
 
 中国にちなんだ言葉・・・たしか史記のなかのどこかに「天命を受けないならば、必ずあなたに災いがある」みたいな言葉があったと思う。
 それは天子になるとか、天下を取るとかの話だけれど、かなりミニ化してザル碁の世界でも「好機を逸したならば災いがある」だろう。