リール近代美術館所蔵 ピカソとモディリアーニの時代
2006年9月2日から10月22日
Bunkamura ザ・ミュージアム
「リール近代美術館の寄贈作品の基盤は、ロジェ・デュティユールRoger Dutilleul (1873-1956)による収集品で、美術愛好家としての彼は、目利きの目で、好みのまま、どの流派とか稀なものとかは気にせず作品を選択していきました。当時彼は、伝説的画商カンワイラーと交流し、誕生したてのキュビスムの作品を購入したことで知られています。また、購入したマティスの作品を売ってモディリアーニの絵画を買い求め、結果としてモディリアーニの大コレクターのひとりとなったのです。その後、彼の甥にあたるジャン・マジュレルJean Masurel (1908-1991) がこれらのコレクションを受け継ぎ、さらに充実した作品群として完成させていきました。この伯父とその甥、二人の収集家がリール近代美術館の基を築いたのです。 」とのこと。
レジェ、モディリアーニが何点もならんでいるのは圧巻です。このほか、ボンボワなど初めて知る作家も多く楽しめました。目に留まった作品を。(画像はSRCリンクです)
ジョルジュ・ブラック《家と木》(1907-08)
ブラックは、サロンヌ・ドートンヌに落選した作品でカンワイラー画廊で個展を開催した。そのときの批評家の弁がキュビズム。そうキュビズム誕生のときの作品。セザンヌが亡き後、その方法論を再現したことよくわかる。緑と黄茶色の色使いもゼザンヌを髣髴とさせる。
このあとのブラックの作品は、本格的にキュビスムになり、(少なくとも私にとっては)あまり面白い作品では無くなっていく。でも初めの一枚は、セザンヌをごくすこし抽象化しただけの作品だった。

パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ《魚と瓶》(1909)
灰色をベースに緑色で味付けをして瓶、果物、梨(?)を描く。
パブロ・ピカソ《ビールジョッキ》(1909)キュビズム的作品

パブロ・ピカソ《楽器と頭蓋骨》(1914)落ち着いた色彩と模様の美しい作品。木目のピアノ、青い木目、薄灰色の頭蓋骨、赤に黒の斑の縦の縞、JRNの文字の紙などで画面を構成する。
パブロ・ピカソ《帽子を被った女》 (1942)
褐色・黒・灰色をベースとした作品。ドラ・マール(との破綻)を描く。
パブロ・ピカソ《女の顔》(1943)落ち着いた表情の女の顔。円を1本の線で分かち、目を2つつける。
フェルナンド・レジェ
レジェの作品は、初期のキュビズム的な作品から、風船のような女性の作品までがずらっと並び壮観。
フェルナンド・レジェ《横たわる女》1914年;円柱とレモン型のキュビズム。初期のレジェは、ブラック的キュビズムからスタートしたのか?

フェレナンド・レジェ《赤いテーブルの静物》《緑のテーブルの静物》《人物のコンポジション》
の3点の水彩、グラファイト、紙の作品。どれも1920年。青、赤、緑、黄などの原色のコンポジションが美しい。
フェレナンド・レジェ《犬を連れた女のための構想画》(1920)
フェレナンド・レジェ《果物入れのある静物》(1923)明るいで原色で画面をコンポジションしたなかにピンクの果物いれ、青い梨、山の風景画など具象的なオブジェが見え隠れする。
フェレナンド・レジェ《横たわって読書する女》(1923)
フェレナンド・レジェ《花束を持つ女》(1924);これこそレジェの到達点。赤い背景に、風船のような膨らんだ体つきの女性が黄色の花を掲げる。

アメデオ・モディリアーニ
アメデオ・モディリアーニ《若い女の胸像》(1908)
アメデオ・モディリアーニ《バイキングのエッゲリング》(1916)アーモンド眼の細面の男性、濃い緑の背景、黒い服。何故か筆跡が顔中、いや画面中にある
アメデオ・モディリアーニ《モイーズ・キスリング》(1916)青い服の童顔のおかっぱ頭のキスリング。なぜか手が大きい。
アメデオ・モディリアーニ《母と子》(1919)金髪の細面、濃い緑のガウンをはおり黒い服を着る女性が、青い服の幼子を白いタオルに包み込んで抱く姿。1918年以降プリミティブ芸術と聖母子像などの古典主義との融合を図った典型的作品、ジュンヌ・エピュテルヌが当時母親になったことを思い出させる。とのこと。おだやかさ表情が印象的。

アメデオ・モディリアーニ《肌着を持って坐る裸婦》(1917)恥ずかしそうなポーズの栗毛の裸婦像。
アメデオ・モディリアーニ《赤毛の少年》(1919)オリーブ色の服の赤毛の細面の少年。
モーリス・ユトリロ
モーリス・ユトリロ《サン・ルイ・アン・リル通り》(1918)
写真のようなパリの街角。終わりのない遠近法。

ジョルジョ・ルオー《我ら自らを王と思い》(1939) 版画集ミゼレーレの1点を絵画にした作品。
ジョアン・ミロ
《絵画》(1927)

《顔》(1937)水彩、水性塗料、木炭、パピエ・コレ、紙。青い背景にジャガイモ顔、赤い鼻。

《絵画》(1933)ナイフとフォークがモチーフだそうで。

《偉大な音楽家の顔》(1931)画面を一筆書きの曲線で分割し、赤、青、黄色、緑での塗り絵をしている。
ウジューヌ・ネストール・ド・ケルマデック
ウジューヌ・ネストール・ド・ケルマデック《明らかに裸同然の人物》(1946)
ウジューヌ・ネストール・ド・ケルマデック《光とヌード》(1950)
リズミカルにまっすぐに伸びやかな線で、一筆書き的に人物をかたどる。しかし画面は、そのデッサンとは関係なく明度のやや低い様々な色で分割される。
アンドレ・ボーシャン
アンドレ・ボーシャン《ステュクス川》(Le Styx)(1939)岩山の模様が圧倒する。前景に小さく、若い裸婦が流れに足を入れている。

アンドレ・ボーシャン《いちご摘み》(1940)森に迷いそうないちご摘みの女性が二人。
カミーユ・ボンボワ
カミーユ・ボンボワ《ヒナゲシの花束を持つ田舎の娘》;豊かなマッスの娘と明瞭な色彩、気取った相貌とのどかな田園風景、繊細な細線で描かれた花束、花畑。見れば見るほど不思議な絵。

世田谷美術館で来月ボンボワが展示されるので期待したい。
アンドレ・ランスコワ
アンドレ・ランスコワ《桃色で描いた家族》(1938-1940);亡命ロシア貴族によるイコン。
ベルナール・ビュッフェ
ベルナール・ビュッフェ《石打ち刑》(1948)

ベルナール・ビュッフェ《横たわる裸婦》(1949)
ベルナール・ビュッフェ《メロンある静物》(1949)
ベルナール・ビュッフェ《身繕いをする女たち》(1953);濃い赤い背景に三人の裸婦。男のような顔で腹はでている。
ビュッフェは、第2時世界大戦後の深刻でショッキングな作品で評価を確立したという。
2006年9月2日から10月22日
Bunkamura ザ・ミュージアム
「リール近代美術館の寄贈作品の基盤は、ロジェ・デュティユールRoger Dutilleul (1873-1956)による収集品で、美術愛好家としての彼は、目利きの目で、好みのまま、どの流派とか稀なものとかは気にせず作品を選択していきました。当時彼は、伝説的画商カンワイラーと交流し、誕生したてのキュビスムの作品を購入したことで知られています。また、購入したマティスの作品を売ってモディリアーニの絵画を買い求め、結果としてモディリアーニの大コレクターのひとりとなったのです。その後、彼の甥にあたるジャン・マジュレルJean Masurel (1908-1991) がこれらのコレクションを受け継ぎ、さらに充実した作品群として完成させていきました。この伯父とその甥、二人の収集家がリール近代美術館の基を築いたのです。 」とのこと。
レジェ、モディリアーニが何点もならんでいるのは圧巻です。このほか、ボンボワなど初めて知る作家も多く楽しめました。目に留まった作品を。(画像はSRCリンクです)
ブラックは、サロンヌ・ドートンヌに落選した作品でカンワイラー画廊で個展を開催した。そのときの批評家の弁がキュビズム。そうキュビズム誕生のときの作品。セザンヌが亡き後、その方法論を再現したことよくわかる。緑と黄茶色の色使いもゼザンヌを髣髴とさせる。
このあとのブラックの作品は、本格的にキュビスムになり、(少なくとも私にとっては)あまり面白い作品では無くなっていく。でも初めの一枚は、セザンヌをごくすこし抽象化しただけの作品だった。

パブロ・ピカソ
灰色をベースに緑色で味付けをして瓶、果物、梨(?)を描く。

褐色・黒・灰色をベースとした作品。ドラ・マール(との破綻)を描く。
フェルナンド・レジェ
レジェの作品は、初期のキュビズム的な作品から、風船のような女性の作品までがずらっと並び壮観。

の3点の水彩、グラファイト、紙の作品。どれも1920年。青、赤、緑、黄などの原色のコンポジションが美しい。

アメデオ・モディリアーニ

モーリス・ユトリロ
写真のようなパリの街角。終わりのない遠近法。

ジョアン・ミロ



ウジューヌ・ネストール・ド・ケルマデック
リズミカルにまっすぐに伸びやかな線で、一筆書き的に人物をかたどる。しかし画面は、そのデッサンとは関係なく明度のやや低い様々な色で分割される。
アンドレ・ボーシャン

カミーユ・ボンボワ

世田谷美術館で来月ボンボワが展示されるので期待したい。
アンドレ・ランスコワ
ベルナール・ビュッフェ

ビュッフェは、第2時世界大戦後の深刻でショッキングな作品で評価を確立したという。