歌麿と栄之-歌麿没後200年・栄之生誕250年-
2006年9月1日から26日
太田記念美術館
さて、8月に東京国立博物館で喜多川歌麿の「婦人相學十躰・浮気の相」(記録はこちら)を鑑賞した。歌麿の大首絵ってやはり女性の表情やしぐさをよく捕らえていていいなあ、と思っていたら、太田記念美術館で、歌麿と栄之-歌麿没後200年・栄之生誕250年-の企画。開館当時はよく通ったものですが(といっても綺麗、発色がいいぐらいの観点でしか見ていなかったのですが)久々に原宿の賑々しい中にある太田記念美術館を訪れました。ここはスリッパに履き替えないといけないので、朝一番に訪れました。
喜多川歌麿ですが
まずは、床の間に展示してある肉筆画。歌麿とその弟子たちの肉筆画ならびます。歌麿は《美人読玉章(たまずさ)図》。手紙を読む女性の立ち姿です。
喜多川歌麿は、はじめは絵本の絵師だったとのこと、2F展示室に絵本が並びます。潮干のつとは先般千葉市美術館で拝見しました。(記録はこちら)
絵本江戸爵 1786、白黒
麦生子 1787(歌麿他)
和歌夷 1789(正確には別の字です)
潮干のつと 1789
狂月星 1789、白黒
絵本吾妻遊 1790、白黒
絵本駿河舞 1790、白黒
四季花 1801(2冊);これは摺り色もよい素晴らしい絵本でした。
青楼絵本年中行事 1804
そして、それ以降の版画が、まず1Fの展示室に展示。
《三保松原道中》(天明年間)
《婦女人相十品 文読む女》(寛政年間);雲母摺りの解説の例として。とはいっても、あまり雲母摺りのようすは判りません。白地というだけ。出世作のシリーズのひとつ。(目が悪いわけでもないでしょうに、)文を近づけて真剣に読んでいますし、巻物を広げずに隠しているので、恋文でしょうか?

《娘日時計 午の刻》(寛政年間);黄つぶしの解説例として。娘二人の湯上り姿。昔は昼間に銭湯に通ったようです。
《北国五色墨 てっぽう》(寛政年間);大首絵の解説例として。てっぽうは身分の低い遊女。
《青楼十二時続 卯の刻》
《青楼十二時続 午の刻》
《高名美人見立て忠臣蔵 弐段目》
《高名美人見立て忠臣蔵 四段目》
《高名美人見立て忠臣蔵 八段目》
何が忠臣蔵なのか、よく判りませんが女性が二人ずつ。源氏名でしょうか?
《五人美人愛敬競 八ツ山平野屋》;
《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》
判じ絵が二枚。題名の八ツ山平野屋や兵庫屋花妻が判じ絵になっています。八ツ山平野屋は、品川宿水茶屋平野屋の評判娘を描く。手ぬぐいを銜(くわ)える美人図。兵庫屋花妻は、枕をつかむ手の仕草に艶があります。
《新製五色墨》
《当世風俗八景》 バックギャモンに娘たちが興じています。
以降2F展示室。
《祭の二美人》 髪の生え際が細かい
《蚊帳の男女》
このころから享和年間の作品。寛政の改革の影響で風俗の取締りが厳しくなり、髪そりのような何気ない日常風景を描いた作品が作られるようになったそうだ。
《髪そり》
《音曲志の楼 小柴権八》
《美人五面相 うれし泪》
《太閤五妻洛東遊観の図》;秀吉と五人の妻(北政所、淀殿、松の丸殿、三條殿、加賀殿)の醍醐の花見を描く。秀吉の側室とか醍醐寺の花見とかを拝見すると、三條殿ではなく三の丸殿が醍醐の花見にはでていたようです。醍醐寺の花見の盃争いという争いが絵に描かれていたかは不明です。
筆禍事件が1804.5がおきる。
《夏衣裳当世美人 松坂屋仕入れしぼり向き》(文化年間)松坂屋の宣伝
筆禍事件の失意のうちに1806.3没。
天明年間:1781-1789
寛政年間:1789-1801
享和年間:1801-1803
文化年間:1804-1817
鳥山石燕という狩野派の画師が、歌麿の絵の師匠ということで、何点か並びます。
その次に
鳥文斎栄之。鳥文斎栄之は、旗本という身分の高い武士という特異な経歴を持つ絵師。上品で風雅な落ち着きに満ちた画風。栄川院典信に手ほどきを受けた。
肉筆
吉原十二時之図 絹本二巻のうち
燈火の遊女 扇;こちらは結構色っぽい遊女
朝妻舟 扇
版画
舟上二美人図(縦長の判)
金龍山花見図
御殿山花見図(3枚の内)
新大橋下納涼舟(5枚組);兵庫屋の舟が、新大橋の下に差し掛かる。舟の上の賑わい、橋桁の様子など緻密に描かれている。
絵馬堂(3枚組)
若那初模様 扇屋瀧橋

これ以降、古典に題材をとった作品。上品な女性が描かれています。
浮世源氏八景 松風夜雨

略三幅対 小野小町、衣通姫、女三之宮;たしかに上品に女性が描かれています。
濤衣(とうい)玉川 名所盃合;「松の風 音だに秋は さびしきに 衣うつなり 玉川の里」(千載集・源俊頼)ということで砧が描かれ、砧の玉川の図。
(18日)
2006年9月1日から26日
太田記念美術館
18世紀の終わり、生き生きとした女性たちを描き、浮世絵界にその名を轟かせた絵師、喜多川歌麿。その名前は葛飾北斎と並び、現在でも日本のみならず広く海外まで知れ渡っています。特に、女性の胸元から上を大きくクローズアップして描くその大胆な構図は、わずかな描線や色彩にもかかわらず、女性たちの細やかな内面までを捉えたものとして、江戸っ子たちからの絶大な賞賛を浴びました。
歌麿のライバルとして、同じ時代に活躍した美人画の名手が、鳥文斎栄之です。栄之は、浮世絵師には珍しく、旗本という身分の高い武士という特異な経歴を持つ絵師としても知られています。栄之の美人画は、その出自を反映してか、上品で風雅な落ち着きに満ち、歌麿の美人画とは異なる味わいをもたらすものとして、当時は歌麿に拮抗するほどの人気を博していました。
本展覧会では、浮世絵美人画の世界を代表する二大巨匠・歌麿と栄之の世界を、同時代の絵師や門人たちの作品を交え、さまざまな角度から紹介いたします。歌麿没後200年、また、栄之生誕250年にあたる記念の今年、歌麿と栄之が描き出す江戸情緒あふれる華やかな美人たちの姿をごゆっくりご堪能下さい。
※ 総展示作品数130点弱。前期と後期で全て展示替えいたします。
※ 尚、9月は歌麿、10月は栄之を中心に展示いたします。
さて、8月に東京国立博物館で喜多川歌麿の「婦人相學十躰・浮気の相」(記録はこちら)を鑑賞した。歌麿の大首絵ってやはり女性の表情やしぐさをよく捕らえていていいなあ、と思っていたら、太田記念美術館で、歌麿と栄之-歌麿没後200年・栄之生誕250年-の企画。開館当時はよく通ったものですが(といっても綺麗、発色がいいぐらいの観点でしか見ていなかったのですが)久々に原宿の賑々しい中にある太田記念美術館を訪れました。ここはスリッパに履き替えないといけないので、朝一番に訪れました。
喜多川歌麿ですが
まずは、床の間に展示してある肉筆画。歌麿とその弟子たちの肉筆画ならびます。歌麿は《美人読玉章(たまずさ)図》。手紙を読む女性の立ち姿です。
喜多川歌麿は、はじめは絵本の絵師だったとのこと、2F展示室に絵本が並びます。潮干のつとは先般千葉市美術館で拝見しました。(記録はこちら)
そして、それ以降の版画が、まず1Fの展示室に展示。

何が忠臣蔵なのか、よく判りませんが女性が二人ずつ。源氏名でしょうか?
判じ絵が二枚。題名の八ツ山平野屋や兵庫屋花妻が判じ絵になっています。八ツ山平野屋は、品川宿水茶屋平野屋の評判娘を描く。手ぬぐいを銜(くわ)える美人図。兵庫屋花妻は、枕をつかむ手の仕草に艶があります。
以降2F展示室。
このころから享和年間の作品。寛政の改革の影響で風俗の取締りが厳しくなり、髪そりのような何気ない日常風景を描いた作品が作られるようになったそうだ。
筆禍事件が1804.5がおきる。
筆禍事件の失意のうちに1806.3没。
天明年間:1781-1789
寛政年間:1789-1801
享和年間:1801-1803
文化年間:1804-1817
鳥山石燕という狩野派の画師が、歌麿の絵の師匠ということで、何点か並びます。
その次に
鳥文斎栄之。鳥文斎栄之は、旗本という身分の高い武士という特異な経歴を持つ絵師。上品で風雅な落ち着きに満ちた画風。栄川院典信に手ほどきを受けた。
肉筆
版画

これ以降、古典に題材をとった作品。上品な女性が描かれています。

(18日)