開館20周年記念 ルソーの見た夢、ルソーに見る夢
アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち
2006年10月7日-12月10日
世田谷美術館
久々の世田谷美術館です。日曜日の15時過ぎでしたが、結構混雑していました。ルソーは人気があるようです。
「やさしいルソーよ、きこえますか」と詩人アポリネールが亡くなったルソーに呼びかけてから、百年近くの時がたとうとしています。パリの裏町で貧しく暮らしながら、目覚しく近代化していくパリの街を、また秘境の楽園に遊ぶ動物たちを描いたアンリ・ルソー(1844-1910)。素人画家として、無理解と嘲笑にさらされながらも、彼は最期まで自分の「夢」を捨てませんでした。夢と現実が奇妙に交錯する彼の世界は、また多くの人々をも夢見させる力をもっていました。藤田嗣治は、1914年ピカソのアトリエでルソーの作品を見せられ、「絵画はかくまで自由なものなのだ」と強い衝撃を受けたといいます。ルソーの作品は、パリを訪れた、あるいは訪れることのなかった多くの画家たち、美術評論家、そしてコレクターたちを魅了し続けました。いかにしてルソーの見た夢は、日本にたどりつき、いかにして日本の芸術家たちに夢を手渡してきたのでしょうか。本展は、アンリ・ルソーの作品、ルソーに続く素朴画家たちの作品を紹介すると同時に、ルソーに魅了された日本の作家たちが描いた夢を、洋画、日本画、写真から現代美術に至る多彩な作品でたどります。私たち日本人がルソーと共有した「夢の力」を味わっていただければ幸いです。
第1章 ルソーの見た夢
このコーナーでは、日本の公立・私立の美術館、個人蔵のアンリ・ルソーHenri Rousseau作品22点が並びます。(サントリーミュージアム所蔵の作品1点が、前期、後期で展示替)。
アンリ・ルソー 《夕暮れの眺め、ポワン・デュ・ジュール1886, 個人蔵; これは大作。セーヌ川沿いの風景を描く。
アンリ・ルソー 《フリュマンス・ビッシュの肖像》》1893年頃, 世田谷美術館;解説を読んで意外なストーリーがあることを知りました。結婚一年目で夫を亡くした女性に対して、亡き夫の肖像を偲ぶために贈ったものとのこと。
アンリ・ルソー 《ラ・カルマニョール》1893年, ハーモ美術館; 人々が踊る様子;
アンリ・ルソー 《サン・ニコラ河岸から見たサン・ルイ島》 1888年 世田谷美術館;
アンリ・ルソー 《牛のいる風景 パリ近郊の眺め、バニュー村》1909年大原美術館
アンリ・ルソー 《要塞の眺め》1909年財団法人ひろしま美術館;藤田嗣治の描いた東京国立博物館所蔵のパリ風景と似ている。藤田はこの作品を見て描いたのだろうか?別の作品?
アンリ・ルソー 《花》1910年、ハーモ美術館; ルソーの作品は、世界中に200点前後しか残されていない。中でも「花」の絵は1 0数点現存しているに過ぎない。なぜならば、彼は生前世間から認められなかったばか りに、心ない人達によって多くの作品が粗略に扱われて亡失してしまったからである。
「花」の絵は、晩年に集中している。ルソーの「花」と言えばジャングルの大輪の花 を思い起こす人も多いだろうが、マーガレットとミモザを題材とした作品は、はるかに おとなしく、むしろ安らぎの印象を与えている。又、正面性に固執しているルソー特有 の構図からやはり、ジャングル風景の中の花にどこか不思議な生気が感じられる。
展示されている作品は、日本で見ることが出来る唯一の貴重な「花」である。http://shinshu-online.ne.jp/museum/harmo/harmo2.htmから
ハーモ美術館という美術館は、諏訪湖のほとりにある美術館のようです。自慢の所蔵品の1点は、ルソーの《果樹園》(1886)で現在、米国に貸出中。ルソーを崇拝していたピカソによってサインがある由。
アンリ・ルソー 《牧場》 1910年, 石橋財団ブリヂストン美術館蔵;土田麦僊が日本へ持ち帰ったルソー作品
アンリ・ルソー 《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》1910年;所蔵者が不明です。もしかして画商が所蔵している売り立て中の絵でしょうか?それは、兎も角、今回の展覧会のパンフレットにもなっている作品です。猿と森の鬱蒼とした木々からも熱帯の様子が伝わってきますが、緑と蛍光色のオレンジ色の対比が強い太陽を光を想像させます。
第2章 素朴派たちの夢
アンリ・ルソーの発見者でもあり、最初の伝記作者であるヴィルヘルム・ウーデは、1927年ルソー、ボーシャン、ボンボワ、セラフィーヌ・ルイ、ヴィヴァンの5人の作家を集めて展示し、彼らを「聖なる心の画家たち」と呼びました。*1 いわゆる素朴派(パントル・ナイーフpeintres naïfs)の作家たちが美術の世界に登場する発端です。花々と神話の世界に生きた庭師ボーシャン、丸々とした女性たちのパリの日常をつづったボンボワ、魔術的な植物を描いた家政婦セラフィーヌ、パリの街角を丹念に取材した郵便配達夫ヴィヴァン。ここでは、ルソーにつづいた4人の画家たちの個性的な世界を展示します。
*1 Wilhem Uhde, Cinq maîtres primitifs - Rousseau - Louis Vivin - Camille Bombois - André Bauchant - Séraphine de Senlis, traduction de l'allemand par Mlle A. Ponchont, préface de Henri-Bing-Bodmer. Librairie Palmes - Philippe Daudy, éditeur, 1949.
丸々とした女性たちのボンボワの作品は、リール美術館所蔵作品展(記録はこちら)で着目していたところ。アンドレ・ボーシャンAndré Bauchantは9点、カミーユ・ボンボワCamille Bomboisは7点、セラフィーヌ・ルイSéraphine Louisが1点、ルイ・ヴィヴァンLouis Vivinが6点も展示されています。
カミーユ・ボンボワには、丸々とした女性を描いた《池のほとりの女性たち》(1928)のような作品だけでなく、《活気のある風景》(制作年不詳)のように非常に緻密に描かれた街路樹の葉の下に、豆粒のような人間たちを描いた作品も描いたようです。
第3章 ルソーに見る夢 日本人作家たちとルソー
1914年、パリにわたったばかりの藤田嗣治はピカソのアトリエでルソーの作品を見せられ、これまでの芸術観を覆されるほどの衝撃を受けました。彼の初期作品は稚拙で素朴な味わいのあるパリ風景から出発しています。
岡鹿之助は、ルソーおよび素朴派を日本に紹介するに最も功績のあった画家であり、生涯ルソーに愛着を持ちつづけました。
目に付いた作品を中心に。
洋画
藤田嗣治 《ル・アーヴルの港》1917年、横須賀美術館開設準備室;あれれ横須賀美術館なんていうのを企画しているのですね。
岡鹿之助の海辺の風景を中心に8点。
岡鹿之助 《信号台》1926年、目黒区美術館
岡鹿之助 《観測所(信号台)》 1926年、茨城県近代美術館
小出楢重 《子供立像》 1923年、山種美術館; 山種美術館に小出楢重のような洋画も所蔵されているのですね。
松本竣介は7点。
松本竣介 《立てる像》1942年、神奈川県立近代美術館;自信と希望に満ちた表情ですが、これから戦火が激しくなるのでしょうが。プラハ国立ギャラリーにあるルソーの自画像(1890)をベースにしているという。画像はWikipedia FRへのリンクです。
<image src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d7/Rousseau09.jpg/300px-Rousseau09.jpg" width="150">
日本画
小野竹喬 《春耕》1924年、笠岡市立竹喬美術館
加山又造 《月と犀》1953年、東京国立近代美術館
写真
植田正治 《パパとママとコドモたち》1949年,島根県立美術館
植田正治 《妻のいる砂丘風景(V) 》1950年,島根県立美術館
砂丘を背景に人物写真。CMフィルムを髣髴とさせる。とするとCMフィルムもルソーの影響を受けていますね。
第4部 現代のルソー像
横尾忠則のパロディーが5点。
出口の近くに
青木世一 《ROUSSEAU-KIT「 フットボールをする人々」》2003年、栃木県立美術館
ROUSSEAUの作品を立体的に再現できるおもちゃとして表現。コレって、本当にこんなKITがあるのでは、と思ってしまいました。傑作。
アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち
2006年10月7日-12月10日
世田谷美術館
久々の世田谷美術館です。日曜日の15時過ぎでしたが、結構混雑していました。ルソーは人気があるようです。
「やさしいルソーよ、きこえますか」と詩人アポリネールが亡くなったルソーに呼びかけてから、百年近くの時がたとうとしています。パリの裏町で貧しく暮らしながら、目覚しく近代化していくパリの街を、また秘境の楽園に遊ぶ動物たちを描いたアンリ・ルソー(1844-1910)。素人画家として、無理解と嘲笑にさらされながらも、彼は最期まで自分の「夢」を捨てませんでした。夢と現実が奇妙に交錯する彼の世界は、また多くの人々をも夢見させる力をもっていました。藤田嗣治は、1914年ピカソのアトリエでルソーの作品を見せられ、「絵画はかくまで自由なものなのだ」と強い衝撃を受けたといいます。ルソーの作品は、パリを訪れた、あるいは訪れることのなかった多くの画家たち、美術評論家、そしてコレクターたちを魅了し続けました。いかにしてルソーの見た夢は、日本にたどりつき、いかにして日本の芸術家たちに夢を手渡してきたのでしょうか。本展は、アンリ・ルソーの作品、ルソーに続く素朴画家たちの作品を紹介すると同時に、ルソーに魅了された日本の作家たちが描いた夢を、洋画、日本画、写真から現代美術に至る多彩な作品でたどります。私たち日本人がルソーと共有した「夢の力」を味わっていただければ幸いです。
第1章 ルソーの見た夢
このコーナーでは、日本の公立・私立の美術館、個人蔵のアンリ・ルソーHenri Rousseau作品22点が並びます。(サントリーミュージアム所蔵の作品1点が、前期、後期で展示替)。
「花」の絵は、晩年に集中している。ルソーの「花」と言えばジャングルの大輪の花 を思い起こす人も多いだろうが、マーガレットとミモザを題材とした作品は、はるかに おとなしく、むしろ安らぎの印象を与えている。又、正面性に固執しているルソー特有 の構図からやはり、ジャングル風景の中の花にどこか不思議な生気が感じられる。
展示されている作品は、日本で見ることが出来る唯一の貴重な「花」である。http://shinshu-online.ne.jp/museum/harmo/harmo2.htmから
ハーモ美術館という美術館は、諏訪湖のほとりにある美術館のようです。自慢の所蔵品の1点は、ルソーの《果樹園》(1886)で現在、米国に貸出中。ルソーを崇拝していたピカソによってサインがある由。
第2章 素朴派たちの夢
アンリ・ルソーの発見者でもあり、最初の伝記作者であるヴィルヘルム・ウーデは、1927年ルソー、ボーシャン、ボンボワ、セラフィーヌ・ルイ、ヴィヴァンの5人の作家を集めて展示し、彼らを「聖なる心の画家たち」と呼びました。*1 いわゆる素朴派(パントル・ナイーフpeintres naïfs)の作家たちが美術の世界に登場する発端です。花々と神話の世界に生きた庭師ボーシャン、丸々とした女性たちのパリの日常をつづったボンボワ、魔術的な植物を描いた家政婦セラフィーヌ、パリの街角を丹念に取材した郵便配達夫ヴィヴァン。ここでは、ルソーにつづいた4人の画家たちの個性的な世界を展示します。
*1 Wilhem Uhde, Cinq maîtres primitifs - Rousseau - Louis Vivin - Camille Bombois - André Bauchant - Séraphine de Senlis, traduction de l'allemand par Mlle A. Ponchont, préface de Henri-Bing-Bodmer. Librairie Palmes - Philippe Daudy, éditeur, 1949.
丸々とした女性たちのボンボワの作品は、リール美術館所蔵作品展(記録はこちら)で着目していたところ。アンドレ・ボーシャンAndré Bauchantは9点、カミーユ・ボンボワCamille Bomboisは7点、セラフィーヌ・ルイSéraphine Louisが1点、ルイ・ヴィヴァンLouis Vivinが6点も展示されています。
カミーユ・ボンボワには、丸々とした女性を描いた《池のほとりの女性たち》(1928)のような作品だけでなく、《活気のある風景》(制作年不詳)のように非常に緻密に描かれた街路樹の葉の下に、豆粒のような人間たちを描いた作品も描いたようです。
第3章 ルソーに見る夢 日本人作家たちとルソー
1914年、パリにわたったばかりの藤田嗣治はピカソのアトリエでルソーの作品を見せられ、これまでの芸術観を覆されるほどの衝撃を受けました。彼の初期作品は稚拙で素朴な味わいのあるパリ風景から出発しています。
岡鹿之助は、ルソーおよび素朴派を日本に紹介するに最も功績のあった画家であり、生涯ルソーに愛着を持ちつづけました。
目に付いた作品を中心に。
洋画
岡鹿之助の海辺の風景を中心に8点。
松本竣介は7点。
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日本画
写真
砂丘を背景に人物写真。CMフィルムを髣髴とさせる。とするとCMフィルムもルソーの影響を受けていますね。
第4部 現代のルソー像
出口の近くに
ROUSSEAUの作品を立体的に再現できるおもちゃとして表現。コレって、本当にこんなKITがあるのでは、と思ってしまいました。傑作。