「円山応挙から近代京都画壇へ」(後期)@芸大美術館
前期は、応挙展かと勘違いして入場し、丸山派展だったのかとがっかりし、ほとんどスルーしたので、印象がなかった。
2枚つづり券を購入していたので、後期もと来場。
第一室は、の大乗寺再現は変わらず、松に孔雀図 円山応挙 寛政7年(1795)。郭子儀図は京都展で登場とはちょっと残念。
狗子図(円山応挙 安永7年(1778) 敦賀市立博物館)の解説でかわいいは応挙、丸山派の伝統とあり、成程と納得。
重文 保津川図 円山応挙 寛政7年(1795) 株式会社 千總 は、応挙の絶筆の作品とのこと。
写生のイメージのある応挙の到達点は、琳派的な川の流れの表現か、と。栖鳳の模写(1888年奈良県美)も展示されていた。
眼福は、 雨霽 竹内栖鳳 昭和3年(1928) 足立美術館(金屏風)。
と後期は十分楽しめました。
前期は、応挙展かと勘違いして入場し、丸山派展だったのかとがっかりし、ほとんどスルーしたので、印象がなかった。
2枚つづり券を購入していたので、後期もと来場。
第一室は、の大乗寺再現は変わらず、松に孔雀図 円山応挙 寛政7年(1795)。郭子儀図は京都展で登場とはちょっと残念。
狗子図(円山応挙 安永7年(1778) 敦賀市立博物館)の解説でかわいいは応挙、丸山派の伝統とあり、成程と納得。
重文 保津川図 円山応挙 寛政7年(1795) 株式会社 千總 は、応挙の絶筆の作品とのこと。
写生のイメージのある応挙の到達点は、琳派的な川の流れの表現か、と。栖鳳の模写(1888年奈良県美)も展示されていた。
眼福は、 雨霽 竹内栖鳳 昭和3年(1928) 足立美術館(金屏風)。
と後期は十分楽しめました。