肉筆浮世絵のすべて(前期)
2007年4月28日から5月27日(前期)
2007年5月30日から7月1日(後期)
出光美術館
表記に行ってきました。何と今年度は出光美術館、ぐるっとパスで無料で入れてしまうのですが、年間会員になったので、そちらで入場。
さて、年代、派別にオーソドックスに並んでいる。楽しく鑑賞。
実は、内藤正人氏(出版当時は出光の学芸員)の著書「浮世絵再発見」を拝読していった。肉筆浮世絵は、貴人たちが身近においた浮世絵があることを例証しているというのが主旨。
そのなかに収録されている出光の所蔵品で今回展示されていたのは2点。
一つは、月岡雪鼎「騎牛吹笛美人図」(出光美術館所蔵)。「題は見立山路とされてきたが異論もあった。しかし、女性には五七桐の金泥の紋があり示唆的であり、本歌は、山路とするのが妥当ではと。(見立山路とは、花人親王(のちの用明帝)が扇絵に女房を描き、絵姿の女性を探したが、豊後の玉世姫が実は観世音の申し子で扇の絵姿に勝ると相聞されたが勅使が派遣されたが一人娘であることを理由に断られた。天皇自ら豊後にくだり山路と名乗る牛飼いに身をやつし、愛情をこめて笛を吹いた。後に、宇佐八幡の仲人でめでたく姫は后となって都に上ったという故事。草刈山路という浄瑠璃にもなっている。)」とのことだった。せっかく読んだのに、「五七桐の金泥の紋」を見忘れました。(こちらは前期のみ)
もう一点は、勝川春章「美人鑑賞図」(出光美術館)。勝川春章の最晩年錦絵を描かなくなった時期の作品。
画題の絵画化された庭園の規模が大きなところから、どこかと疑問が出るが、もしかすると六義園ではないかと推測される。画中で女性達が楽しんでいる絵は、狩野探幽の「寿老に鶴亀」のようだが、同図は柳沢家に伝来した。(旧大和郡山藩松平甲斐守(伯爵柳沢家)御蔵品入札」(京都美術倶楽部 大正15年)また、柳沢吉保の孫の柳沢信鴻と勝川春章は交流があったという。柳沢信鴻は大和郡山藩二代目藩主(1724から1792)。俳号は米翁。柳沢家は父の代に川越から大和郡山に移封された。信鴻は五十で致士後は下屋敷であった染井山荘(六義園)に閑居した。彼は日記を残しており、「松鶴日記」の天明七年、寛政元年には、勝川春章との関係が記されている。天明八年には「拝開よぶこどり」(錦絵摺の画帖、春画)「絵本青楼美人合姿鏡」(北尾重政と合作)「絵本役者夏の富士」(平木浮世絵美術館所蔵)などを入手した記事がある。さらに北尾重政、宋紫石なども庇護している。ただ、手に入れた浮世絵などを貝福などの遊びの景品として下賜していたとの記述も日記にある。とのこと。それで画中の庭園は六義園ではないかと。
実物を拝見して驚いたのは、その表装の見事なこと。紫の一文字、茶、薄茶、薄緑、から濃い緑と縞模様の中廻し。もちろん金で刺繍が施してあります。大名家伝来です。もうひとつは、八頭身美人であること。清長展を見た帰りということもありますが、女性はすらっとしています。(こちらは全期展示)
陶磁器がおまけで展示されていているがこちらも結構見ごたえあります。
のんこう 此花、酒呑童子
仁清 灰釉胴張共蓋水指、色絵鶏香合、色絵桜花文角香合(9.4センチ角)
鍋島 色絵柴垣桜花向付 6客(高さ6.8センチ)
古伊万里 色絵樽乗西洋人物形酒器、色絵山水文猪口
奥高麗茶碗 銘さざれ石
などなど
2007年4月28日から5月27日(前期)
2007年5月30日から7月1日(後期)
出光美術館
表記に行ってきました。何と今年度は出光美術館、ぐるっとパスで無料で入れてしまうのですが、年間会員になったので、そちらで入場。
さて、年代、派別にオーソドックスに並んでいる。楽しく鑑賞。
実は、内藤正人氏(出版当時は出光の学芸員)の著書「浮世絵再発見」を拝読していった。肉筆浮世絵は、貴人たちが身近においた浮世絵があることを例証しているというのが主旨。
![]() | 浮世絵再発見―大名たちが愛でた逸品・絶品小学館このアイテムの詳細を見る |
そのなかに収録されている出光の所蔵品で今回展示されていたのは2点。
一つは、月岡雪鼎「騎牛吹笛美人図」(出光美術館所蔵)。「題は見立山路とされてきたが異論もあった。しかし、女性には五七桐の金泥の紋があり示唆的であり、本歌は、山路とするのが妥当ではと。(見立山路とは、花人親王(のちの用明帝)が扇絵に女房を描き、絵姿の女性を探したが、豊後の玉世姫が実は観世音の申し子で扇の絵姿に勝ると相聞されたが勅使が派遣されたが一人娘であることを理由に断られた。天皇自ら豊後にくだり山路と名乗る牛飼いに身をやつし、愛情をこめて笛を吹いた。後に、宇佐八幡の仲人でめでたく姫は后となって都に上ったという故事。草刈山路という浄瑠璃にもなっている。)」とのことだった。せっかく読んだのに、「五七桐の金泥の紋」を見忘れました。(こちらは前期のみ)
もう一点は、勝川春章「美人鑑賞図」(出光美術館)。勝川春章の最晩年錦絵を描かなくなった時期の作品。
画題の絵画化された庭園の規模が大きなところから、どこかと疑問が出るが、もしかすると六義園ではないかと推測される。画中で女性達が楽しんでいる絵は、狩野探幽の「寿老に鶴亀」のようだが、同図は柳沢家に伝来した。(旧大和郡山藩松平甲斐守(伯爵柳沢家)御蔵品入札」(京都美術倶楽部 大正15年)また、柳沢吉保の孫の柳沢信鴻と勝川春章は交流があったという。柳沢信鴻は大和郡山藩二代目藩主(1724から1792)。俳号は米翁。柳沢家は父の代に川越から大和郡山に移封された。信鴻は五十で致士後は下屋敷であった染井山荘(六義園)に閑居した。彼は日記を残しており、「松鶴日記」の天明七年、寛政元年には、勝川春章との関係が記されている。天明八年には「拝開よぶこどり」(錦絵摺の画帖、春画)「絵本青楼美人合姿鏡」(北尾重政と合作)「絵本役者夏の富士」(平木浮世絵美術館所蔵)などを入手した記事がある。さらに北尾重政、宋紫石なども庇護している。ただ、手に入れた浮世絵などを貝福などの遊びの景品として下賜していたとの記述も日記にある。とのこと。それで画中の庭園は六義園ではないかと。
実物を拝見して驚いたのは、その表装の見事なこと。紫の一文字、茶、薄茶、薄緑、から濃い緑と縞模様の中廻し。もちろん金で刺繍が施してあります。大名家伝来です。もうひとつは、八頭身美人であること。清長展を見た帰りということもありますが、女性はすらっとしています。(こちらは全期展示)
陶磁器がおまけで展示されていているがこちらも結構見ごたえあります。
のんこう 此花、酒呑童子
仁清 灰釉胴張共蓋水指、色絵鶏香合、色絵桜花文角香合(9.4センチ角)
鍋島 色絵柴垣桜花向付 6客(高さ6.8センチ)
古伊万里 色絵樽乗西洋人物形酒器、色絵山水文猪口
奥高麗茶碗 銘さざれ石
などなど
最近肉筆画の良品に会える機会が増えて嬉しいです。
絵も良かったですが、仰るとおり陶磁器も良いのが多く出ていましたね。
わたしはノンコウが好きなので嬉しかったです。
提重もすてきでした。
TBいたします。
最近、レオナルドの《受胎告知》一枚だけで成り立っている展覧会があり、細かいことまで勉強して観に行きましが、勝川春章の《美人鑑賞図》もここまでわかっているのなら、もっと勉強していくべきでした。