徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

防府天満宮

2005-08-23 | 歴史
何故、防府に天満宮があるか、天満宮にお参りしたがわからない。天満宮下の観光案内所で略記をいただきながら教えていただいた。かいつまむと、

延喜元年、藤原氏の讒言により菅原道真公は大宰権師に左遷されました。
  東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
と紅梅殿を発ち、西下の途中、時の周防の国司土師信貞は公と同族であったので、防府の勝間の浦に御付けになり、暫く滞在されました。公は、酒垂山にお登りになり、山秀水麗の勝景を深く愛でられ、
 身は筑紫に果つるとも、魂魄(こんぱく)は必ずこの地に帰り来らん
とお誓いになり、淋しく旅立たれました。
延喜三年(903年)勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。国司が公の異変を感じ、安否を伺うと薨去の日と分かりました。そこで国司は早速、公の御霊をお祀りし、延喜四年に今の松崎の地に宝殿を建立し、松崎社と号しました。菅公をお祀りした神社は、当社の創建を日本最古とし、北野天満宮、太宰府天満宮とともに日本三天神と称せられる。

もともと国司が置かれたいた町ですし、そういえば、義経でも周防水軍というのがあったといっていました。意外に防府は歴史のある街です。

また、防府は種田山頭火の生まれた町です。天満宮の下に資料を展示しているお店がありました。ご主人は楽しい方です。名物の外郎(ういろう)を販売しています。
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