雲太は出雲大社
出雲大社の本殿は、日本一の高さだったという話は、戦前に教育は受けた世代には人口に膾炙していたらしい。昔読んだ書籍を中に、雲太、和二、京三という「口遊(くちづさみ)」の話が書かれていたのは、何故か記憶に残っている。そのような記憶もあり、今回の出雲大社の訪問はとても楽しみだった。
訪問して、本殿の高さについて論じたパンフレット「出雲大社の本殿」(500円)を購入した。平泉澄文学博士の「雲にいる千木」と福山敏夫工学博士の「古代の出雲大社本殿」という論文などが収録されている。後者によれば、出雲大社の社伝によれば、神殿の高さは、古代は三十二丈、中古は十六丈(48メートル)、その後は八丈であったという。この話を根拠づけるのが、源為憲の「口遊(くちづさみ)」(天禄元年(970))という書にある雲太、和二、京三という文。雲太は出雲の杵築大社の神殿、和二は東大の大仏殿、京三は平安京の宮城の大極殿をさす。東大寺大仏殿は「延暦僧録」の十五丈というのが正しいだろうというのが通説。出雲大社本殿の棟高はそれを超えると信じられていた。とすると、中古は十六丈というのは本当だろう。この論争は明治41,2年に行われ、山本信哉博士がその時に「口遊」を引用したそうだ。
文献的な話ではなく、実際の証拠が見つかったは記憶に新しい。平成十二年の発掘で、丸太の寄木とその帯金が見つかったのだ。遂に中古には十六丈という高さが実際にあったといいうことで決着がついた。「出雲大社の本殿」にはそのときの写真なども図版として収録されている。
では、なぜそんな高い本殿をということに対する疑問に対する議論はなかなかみかけない。建築が専門分野の藤森照信氏が、平成15年9月10日に「日本人は本当に自然が好きなのか」と題する講演で、「なんのためにこれほどの高さがあったのか」ということに関して仮説を述べている。周りの「杉の高さより高く」ということではなかったかと。根拠はないが、神様は、森しかないない中で、森より高いものをつくれば来てくれるに違いないと考えたのではと、仮設する。マヤの原生林のピラミッドに登った経験がある。太陽が沈みまた登るのを見ていると、神々しい神様になった気分になった。この経験で、仮説が正しいのではと確信した。太陽信仰。高さと聖域の関係だ。と。(本件は、ちくま新書『天下無双の建築学入門』(2001/09) が初出か)
その講演録を読んで、ますます出雲大社訪問を楽しみにしていた。
藤森仮説を読んでいて、今回の出雲大社を訪れて、山を北に背負って建つ社という風景をみて思ったこと。やはり、巨木文化の伝統として、高い本殿を作りたかったのだろうと。
でも、出雲という土地を考えるとき、何か別の理由もあると思う。やはり海まで本殿から望みたかったのではないか。もしかすると、日本海の船の行き来を、朝鮮からの船を望みたかった。もしかすると出雲という雲が涌きやすい土地で、本当に「雲にいる千木」に手を伸ばしたかったのか。
出雲大社の本殿は、日本一の高さだったという話は、戦前に教育は受けた世代には人口に膾炙していたらしい。昔読んだ書籍を中に、雲太、和二、京三という「口遊(くちづさみ)」の話が書かれていたのは、何故か記憶に残っている。そのような記憶もあり、今回の出雲大社の訪問はとても楽しみだった。
訪問して、本殿の高さについて論じたパンフレット「出雲大社の本殿」(500円)を購入した。平泉澄文学博士の「雲にいる千木」と福山敏夫工学博士の「古代の出雲大社本殿」という論文などが収録されている。後者によれば、出雲大社の社伝によれば、神殿の高さは、古代は三十二丈、中古は十六丈(48メートル)、その後は八丈であったという。この話を根拠づけるのが、源為憲の「口遊(くちづさみ)」(天禄元年(970))という書にある雲太、和二、京三という文。雲太は出雲の杵築大社の神殿、和二は東大の大仏殿、京三は平安京の宮城の大極殿をさす。東大寺大仏殿は「延暦僧録」の十五丈というのが正しいだろうというのが通説。出雲大社本殿の棟高はそれを超えると信じられていた。とすると、中古は十六丈というのは本当だろう。この論争は明治41,2年に行われ、山本信哉博士がその時に「口遊」を引用したそうだ。
文献的な話ではなく、実際の証拠が見つかったは記憶に新しい。平成十二年の発掘で、丸太の寄木とその帯金が見つかったのだ。遂に中古には十六丈という高さが実際にあったといいうことで決着がついた。「出雲大社の本殿」にはそのときの写真なども図版として収録されている。
では、なぜそんな高い本殿をということに対する疑問に対する議論はなかなかみかけない。建築が専門分野の藤森照信氏が、平成15年9月10日に「日本人は本当に自然が好きなのか」と題する講演で、「なんのためにこれほどの高さがあったのか」ということに関して仮説を述べている。周りの「杉の高さより高く」ということではなかったかと。根拠はないが、神様は、森しかないない中で、森より高いものをつくれば来てくれるに違いないと考えたのではと、仮設する。マヤの原生林のピラミッドに登った経験がある。太陽が沈みまた登るのを見ていると、神々しい神様になった気分になった。この経験で、仮説が正しいのではと確信した。太陽信仰。高さと聖域の関係だ。と。(本件は、ちくま新書『天下無双の建築学入門』(2001/09) が初出か)
その講演録を読んで、ますます出雲大社訪問を楽しみにしていた。
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藤森仮説を読んでいて、今回の出雲大社を訪れて、山を北に背負って建つ社という風景をみて思ったこと。やはり、巨木文化の伝統として、高い本殿を作りたかったのだろうと。
でも、出雲という土地を考えるとき、何か別の理由もあると思う。やはり海まで本殿から望みたかったのではないか。もしかすると、日本海の船の行き来を、朝鮮からの船を望みたかった。もしかすると出雲という雲が涌きやすい土地で、本当に「雲にいる千木」に手を伸ばしたかったのか。