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『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』(明智憲三郎著・文芸社・2016年5月)の抜粋をこのブログで順次ご紹介しています。第1回から順に辿れるようにリンクを貼ってありますので、順にお読みください。
>>> 第1回「はじめに」と「おわりに」
第7回の今回は第5話「天下を取る五月って変だ!」です。
第5話 天下を取る五月って変だ!
怨恨説を定説の主演賞とすれば光秀は天下を取りたくて謀反を起したとする野望説が助演賞でしょう。野望説の根拠となっているのは謀反の直前に光秀が催した連歌(れんが)会で詠んだ発句(ほっく)(最初の句)「ときは今あめが下知る五月かな」です。この句は「土岐(とき)氏である自分が天下を取るべき五月になった」と解釈され、光秀の天下取りの野望が籠められているとされています。「とき」に「時」と「土岐」がかけられ、「あめ」に「雨」と「天」がかけられ、「知る」に「治める」の意味があるとされています。
でも、この解釈には無理があります。何かと言うと、本能寺の変は六月二日に起きているのです。つまり、「天下を取る」のは五月ではなく六月なのです。五月と六月はディジタルに不一致と理系は考えます。今まで本能寺の変研究者の誰もがそのような疑問を抱いたことはなかったようです。「天下を取る五月になった」は実に変!
(中略)
ひょっとすると『惟任退治記』にも何か書かれているかもしれないと気づかれた読者は大正解です。『惟任退治記』の記述を見てみましょう。
【五月二十八日、愛宕山に登り、一座の連歌を催す。光秀発句にいわく、
ときは今あめが下しる五月かな
今、これを思惟(しい)すれば、則ち、誠に謀反の先兆(せんちょう)なり。何人(なんびと)か兼ねてこれを悟らんや】
句の解釈は書かれていませんが、「この句は今になって思えば誠に謀反の心の現れであった。しかし、その時は誰も悟ることができなかった」と解説が付けられています。
やはり、『惟任退治記』が天下取りの野望を表していることを最初に書いていたのです。『川角(かわすみ)太閤記』はこの記述を元に「謀反の心の現れ」だったことを紹巴(じょうは)が知っていたように話を作ったのです。ということは、野望説も怨恨説も元は秀吉が作った!大発見です。
このように、どちらも秀吉が元を作った怨恨説と野望説ですが、歴史学界では両説の間で長らく論争が続きました。怨恨説に異を唱えて野望説を唱えたのが高柳光寿氏であり、その記念碑的な著作が一九五八年に出版された『明智光秀』です。その後、歴史学界は高柳氏の主張する野望説と桑田忠親氏の主張する怨恨説に二分されて論争が続きました。桑田氏は一九七三年に高柳氏の本と同名の『明智光秀』を出版しています。
一方で、一九六七年に八切(や/ぎり)止夫(とめお)氏が犯人は光秀ではないとする冤罪(えんざい)説を主張した『信長殺し、光秀ではない』を出版して以来、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説などの様々な新説が唱えられるようになりました。
これに対抗する形で新説をひとくくりに謀略説と名付け、それまで怨恨説と野望説に分かれていた歴史学界は両説の中和をとった「怨恨・野望説」にまとまっていきました。その契機となったのが二〇〇六年に出版された藤本正行・鈴木眞哉著『信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤(わら)う』です。「信長を恨んでいたろうが、もちろん光秀には天下を取りたい野望もあったに違いない」というのが現在の歴史学界の合意事項のようです。何だか四百年かけて秀吉の作った元の鞘(さや)に納まったようです。めでたしめでたしでしょうか。でも、秀吉が自分に都合よく書かせた大本営発表を鵜呑みにしてよいのでしょうか。(後略)
>>> 第8回「その四国説って変だ!」へ続く
【関連リンク】
>>> 愛宕百韻の怪
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!
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明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
>>> 第1回「はじめに」と「おわりに」
第7回の今回は第5話「天下を取る五月って変だ!」です。
第5話 天下を取る五月って変だ!
怨恨説を定説の主演賞とすれば光秀は天下を取りたくて謀反を起したとする野望説が助演賞でしょう。野望説の根拠となっているのは謀反の直前に光秀が催した連歌(れんが)会で詠んだ発句(ほっく)(最初の句)「ときは今あめが下知る五月かな」です。この句は「土岐(とき)氏である自分が天下を取るべき五月になった」と解釈され、光秀の天下取りの野望が籠められているとされています。「とき」に「時」と「土岐」がかけられ、「あめ」に「雨」と「天」がかけられ、「知る」に「治める」の意味があるとされています。
でも、この解釈には無理があります。何かと言うと、本能寺の変は六月二日に起きているのです。つまり、「天下を取る」のは五月ではなく六月なのです。五月と六月はディジタルに不一致と理系は考えます。今まで本能寺の変研究者の誰もがそのような疑問を抱いたことはなかったようです。「天下を取る五月になった」は実に変!
(中略)
ひょっとすると『惟任退治記』にも何か書かれているかもしれないと気づかれた読者は大正解です。『惟任退治記』の記述を見てみましょう。
【五月二十八日、愛宕山に登り、一座の連歌を催す。光秀発句にいわく、
ときは今あめが下しる五月かな
今、これを思惟(しい)すれば、則ち、誠に謀反の先兆(せんちょう)なり。何人(なんびと)か兼ねてこれを悟らんや】
句の解釈は書かれていませんが、「この句は今になって思えば誠に謀反の心の現れであった。しかし、その時は誰も悟ることができなかった」と解説が付けられています。
やはり、『惟任退治記』が天下取りの野望を表していることを最初に書いていたのです。『川角(かわすみ)太閤記』はこの記述を元に「謀反の心の現れ」だったことを紹巴(じょうは)が知っていたように話を作ったのです。ということは、野望説も怨恨説も元は秀吉が作った!大発見です。
このように、どちらも秀吉が元を作った怨恨説と野望説ですが、歴史学界では両説の間で長らく論争が続きました。怨恨説に異を唱えて野望説を唱えたのが高柳光寿氏であり、その記念碑的な著作が一九五八年に出版された『明智光秀』です。その後、歴史学界は高柳氏の主張する野望説と桑田忠親氏の主張する怨恨説に二分されて論争が続きました。桑田氏は一九七三年に高柳氏の本と同名の『明智光秀』を出版しています。
一方で、一九六七年に八切(や/ぎり)止夫(とめお)氏が犯人は光秀ではないとする冤罪(えんざい)説を主張した『信長殺し、光秀ではない』を出版して以来、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説などの様々な新説が唱えられるようになりました。
これに対抗する形で新説をひとくくりに謀略説と名付け、それまで怨恨説と野望説に分かれていた歴史学界は両説の中和をとった「怨恨・野望説」にまとまっていきました。その契機となったのが二〇〇六年に出版された藤本正行・鈴木眞哉著『信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤(わら)う』です。「信長を恨んでいたろうが、もちろん光秀には天下を取りたい野望もあったに違いない」というのが現在の歴史学界の合意事項のようです。何だか四百年かけて秀吉の作った元の鞘(さや)に納まったようです。めでたしめでたしでしょうか。でも、秀吉が自分に都合よく書かせた大本営発表を鵜呑みにしてよいのでしょうか。(後略)
>>> 第8回「その四国説って変だ!」へ続く
【関連リンク】
>>> 愛宕百韻の怪
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!
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明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
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文芸社 |
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
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2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
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2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社