![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/66/d63982e05881eb63ac41fdcc9593536f.jpg)
「日光東照宮のあちこちに桔梗紋がある」は虚説です!!
このページの【2010年2月12日記事】の証拠写真をご覧ください!
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著、文芸社文庫) 35万部突破!!
>>> 『織田信長 四三三年目の真実』(幻冬舎)発売!!
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>>> 『本能寺の変 431年目の真実』エピローグ
『本能寺の変 431年目の真実』の読者の分析を以下にご紹介します。
戦国時代は「兵は詭道なり」、すなわち陰謀が大前提でしょう。武将たちの陰謀や策謀を抜きにして戦国を語るのには限界があり、だから桶狭間や本能寺を偶然とか幸運とかで片付けてしまうのでしょう。
呉座氏が明智憲三郎氏を批判する6章と終章を読みましたが、「家康黒幕説」と言う時点で明智氏の著作を読んでいないことがわかってしまう残念な代物でした。明智氏のデータフロー分析を無視して、明智説の一部分を切り取って「想像に想像を重ねた推理」とか「一目で荒唐無稽と分かるような話」などといい加減な評価をする姿勢に、呉座氏はまったく信頼の置けない人だと思いました。他の根拠に乏しい怨恨説や野望説、黒幕説とざっくり同列に扱って明智説を相対化しようとする呉座氏の陰謀が見え隠れします。呉座氏ご自身の首にも鈴をつけておきましょう。
愛宕百韻の連歌の規則、順慶と忠興の上洛命令無視、吉田兼見6月1日不参、日記の改竄、家康の伊賀越えから東陣西陣の二方面作戦、旧武田領の織田軍切り崩しに至るまでの周到な準備、津嶋への陣替え、秀吉による細川藤孝と松井康之の論功行賞、安国寺恵瓊の処遇等々、本能寺の変は光秀だけを見ていては何も見えてこないです。『431年目の真実』が40万部売れたのは、明智説に他に類を見ない確からしさ、蓋然性、網羅性の高さを読み取ったからに他なりません。40万人の読者はフェイクに惑わされないでしょう。
【2012年7月2日追記 2013年10月15日改定】
いまだにインターネット上では「日光東照宮のあちこちに桔梗紋がある」という誤った情報が飛び交っています。困ったものです。前提となる事実認識が間違っていて、その上に立ってああでもないこうでもないと無意味な推論を展開して何になるのでしょうか?
一刻も早く、事実に立脚した議論に転換していただきたいものです。こんなことでは歴史学界の権威者・高柳光寿氏が『明智光秀』で50年前に固めてしまった誤った「本能寺の変」定説を崩していくことはできません。
>>> 本能寺の変の定説は打破された!
【2010年2月12日記事】
日光東照宮にはあちこちに桔梗紋があるという俗説がインターネット上でもはびこってしまっています。
この説は日光東照宮の設計者である天海僧正が実は明智光秀であったという天海僧正光秀説の根拠として使われています。桔梗紋は明智光秀の紋だからというのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/26/2bca533d5801a2e159014bbab7fbe4b9_s.jpg)
光秀の紋が東照宮にあったからといって、それが光秀が天海僧正である証明にはならないと思うのですが、この説には決定的な欠陥があります。それは、桔梗紋だと主張されている紋が「桔梗紋ではない!」という極めてシンプルな事実です。
桔梗紋とされるものは次の2箇所ですが、いずれも桔梗紋ではないのです。
①陽明門の門衛の袴の紋
これはどこから見ても織田家の木瓜紋(もっこうもん)です。家紋の本で調べるまでもなく、誰が見ても桔梗紋とは別物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c0/a37cfc7b30b5e09f549a1e40320ed4d3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/81/3f22ef0a4a88725722325085b5872436_s.jpg)
②陽明門の先にある鐘楼の壁やひさしの紋
これは確かに桔梗紋と見間違える可能性はあります。花弁の先を見ると見分けがつきます。桔梗紋は先がとがっているのに対して、この紋は先が丸まっています。これは家紋ではなく装飾用に多用された唐花紋(からはなもん)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1a/d12f4934a73d4499c7fe718b49e6e79d.jpg)
こういった虚説がれいれしく唱えられて、インターネットでもこれを前提とした議論がなされたりしています。でも、前提が違っているのですから、むなしい議論ということになります。
こういった根拠のない話は一刻も早く姿を消してもらいたいと思います。
【関連リンク】
>>> 『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』あらすじ
>>> 『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』読者書評
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>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
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『本能寺の変 431年目の真実』の読者の分析を以下にご紹介します。
戦国時代は「兵は詭道なり」、すなわち陰謀が大前提でしょう。武将たちの陰謀や策謀を抜きにして戦国を語るのには限界があり、だから桶狭間や本能寺を偶然とか幸運とかで片付けてしまうのでしょう。
呉座氏が明智憲三郎氏を批判する6章と終章を読みましたが、「家康黒幕説」と言う時点で明智氏の著作を読んでいないことがわかってしまう残念な代物でした。明智氏のデータフロー分析を無視して、明智説の一部分を切り取って「想像に想像を重ねた推理」とか「一目で荒唐無稽と分かるような話」などといい加減な評価をする姿勢に、呉座氏はまったく信頼の置けない人だと思いました。他の根拠に乏しい怨恨説や野望説、黒幕説とざっくり同列に扱って明智説を相対化しようとする呉座氏の陰謀が見え隠れします。呉座氏ご自身の首にも鈴をつけておきましょう。
愛宕百韻の連歌の規則、順慶と忠興の上洛命令無視、吉田兼見6月1日不参、日記の改竄、家康の伊賀越えから東陣西陣の二方面作戦、旧武田領の織田軍切り崩しに至るまでの周到な準備、津嶋への陣替え、秀吉による細川藤孝と松井康之の論功行賞、安国寺恵瓊の処遇等々、本能寺の変は光秀だけを見ていては何も見えてこないです。『431年目の真実』が40万部売れたのは、明智説に他に類を見ない確からしさ、蓋然性、網羅性の高さを読み取ったからに他なりません。40万人の読者はフェイクに惑わされないでしょう。
【2012年7月2日追記 2013年10月15日改定】
いまだにインターネット上では「日光東照宮のあちこちに桔梗紋がある」という誤った情報が飛び交っています。困ったものです。前提となる事実認識が間違っていて、その上に立ってああでもないこうでもないと無意味な推論を展開して何になるのでしょうか?
一刻も早く、事実に立脚した議論に転換していただきたいものです。こんなことでは歴史学界の権威者・高柳光寿氏が『明智光秀』で50年前に固めてしまった誤った「本能寺の変」定説を崩していくことはできません。
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【2010年2月12日記事】
日光東照宮にはあちこちに桔梗紋があるという俗説がインターネット上でもはびこってしまっています。
この説は日光東照宮の設計者である天海僧正が実は明智光秀であったという天海僧正光秀説の根拠として使われています。桔梗紋は明智光秀の紋だからというのです。
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光秀の紋が東照宮にあったからといって、それが光秀が天海僧正である証明にはならないと思うのですが、この説には決定的な欠陥があります。それは、桔梗紋だと主張されている紋が「桔梗紋ではない!」という極めてシンプルな事実です。
桔梗紋とされるものは次の2箇所ですが、いずれも桔梗紋ではないのです。
①陽明門の門衛の袴の紋
これはどこから見ても織田家の木瓜紋(もっこうもん)です。家紋の本で調べるまでもなく、誰が見ても桔梗紋とは別物です。
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②陽明門の先にある鐘楼の壁やひさしの紋
これは確かに桔梗紋と見間違える可能性はあります。花弁の先を見ると見分けがつきます。桔梗紋は先がとがっているのに対して、この紋は先が丸まっています。これは家紋ではなく装飾用に多用された唐花紋(からはなもん)です。
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こういった虚説がれいれしく唱えられて、インターネットでもこれを前提とした議論がなされたりしています。でも、前提が違っているのですから、むなしい議論ということになります。
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以前、放送された歴史番組だったと思うのですが…
日光東照宮の入口(というのか?)の像に”木瓜紋”をつけた理由は、「豊臣秀吉(の魂?)」に、「お前の上司・信長サマが見ているぞ」との、脅しだった、とありました。
(どの番組か忘れたのが残念です。)
同時に、明治政府が「徳川家康(の魂?)」への牽制に、「豊臣秀吉の神輿」を、日光東照宮に納めた、という話もしていました。
今と比較にならない位、当時は、呪術や霊魂等を恐れていたのでは、と思います。
少なくとも、日光の「像」のズボン?の柄が「桔梗紋」のわけないと思います。
私は今まで日光に行ける機会がなかったので写真などでしか見られなかったのですが、、、
確かによく見ると、天海僧正のあの家紋は織田信長と同じ紋ですね。。
いままで勘違いしていました。。
そして、大本の歴史学者の書いたことも史料の誤読だったり、勝手な憶測だったりしています。
これが現代の「歴史」の実像です。桔梗紋と木瓜紋の違いは実物や写真を見れば誰でもすぐにわかると思いますが、この事実を広めるにも多大な時間がかかっています。まさに牛歩です。ましてや本能寺の変の真実を広めるのは長い年月が必要だと覚悟しています。
・小説家は新しい珍説を、さも真説の様に言い立てる。
・歴史家も珍説を発表して、世に名を残そうとしているかの様です。
・常套手段は、歴史的事実の歪曲・隠蔽です。
象徴的なのは、鎌倉幕府の成立年でしょう。
「実質的に・・・」として、1192年は否定されつつある様ですが、室町幕府や徳川幕府の成立年は、従来通りのままですね。
少なくとも、徳川幕府は「関ケ原に勝ったから、実質的にその年から成立」に、一緒に変更されなければと思ってます。
不可思議です。(苦笑)