本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

光秀の和歌の解読

2023年05月16日 | このブログのガイド
 我が家は、明智光秀の側室の子供が山城国の神社に匿われて生き延びた子孫と伝わっています。いくつかの伝承品があったのですが、そのうちの短冊には「山あいの霧はさながら海にして波かときけば松風の音」という和歌が書かれていました。という話を先日の講演会で初めてご披露して、「霧といえば丹波の霧が有名ですので、この側室は丹波の亀山城にいたのでしょう」と説明しました。
 これを聞いた歌手で作詞家の明智ガラシャさんから「波かときけばとあるので、波の音の聞こえるところにいた側室のことを思って詠んだ和歌と思われます。坂本城のあった琵琶湖に波は立つのであれば、側室は坂本城にいたと考えられます」「松風とあるのであなたを待っているというメッセージでしょう」と流石は作詞家というコメントをいただきました。
   >>> 明智ガラシャ
 ググってみたら琵琶湖の波は結構高いと有名らしいです。そうすると側室は確かに坂本城にいたことになります。正室は既に亡くなっているので、不思議な話ではありません。そうすると、匿われたという山城国の神社はどこだろう? 側室は誰の縁者だろう?と想像が膨らみます。

 でも、もう一考必要そうです。
 松は葉が抜け替わっていつまでも枯れないので、縁起の良いものとされ、特に武将は「末代まで続く」という願をかけたようです。その視点で見ると、この和歌は、息子に対して末代まで無事であってくれと言う光秀の思いを詠み込んだものかもしれません。
 そうであれば、「しっかり受け止めましたよ」とご先祖様に報告したいですね。
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