本日は東日本大震災から1年。テレビの特別番組を見ていると1年前に突然災難に見舞われた方々が未だに元に戻ることができずに苦難の日々を送っていらっしゃることに心が痛みます。1日も早い復興を祈らずにはおれません。
さて、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の出版から丸3年たちました。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ
出版1周年を振り返った記事は書いたのですが、2周年の記事は大震災やその後の計画停電などのごたごたで、とうとう書く機会を逃してしまいました。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』出版1周年
思い返してみると、1年目は3回の増刷があって1万3千部、講演6回・ラジオ出演1回、ブログも立ち上げと「起」の年でした。2年目は4回の増刷で8千部、講演13回・ラジオ出演3回・寄稿2回と増え、順調に「承」の年となりました。TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演の大きな反響や慶應義塾大学同窓会の全国大会で講演させていただいたことはエポックメイキングだったと思います。
★ 慶應義塾大学連合三田会での講演
さて、3年目は「転」の年になりました。寄稿は4回に増えたものの、増刷はなく、講演は4回に減りました。大震災以後昨年中は講演の依頼が一切なかったので大震災の影響があったかもしれません。ただ、我が家に起きた事件(妻の入院)のため講演依頼があってもお引き受けできない状態でしたが。
★ 2012年正月を迎えて
そのような中でも新しい展開がありました。
一つ目は歴史学界からの拙著批判に本格的に反論したことです。歴史学界からの拙著批判が初めて出てきたのは2010年10月出版の藤本正行氏の著書でしたが、2011年2月出版の鈴木眞哉氏の著書が藤本氏の批判を丸飲みする形で拙著をただ一言「落第組」と書きました。そこで、ブログに両氏に対する反論を書き、さらに両氏の説(野望・怨恨併用説とでもいうべき)の正体を丁寧に斬りました。それが以下のシリーズです。これによって、私の見出した真実の蓋然性が強化されたと思います。
【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!2010.11.23
2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る! 2011.5.3
3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き) 2011.5.4
4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き) 2011.5.5
5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う 2011.5.8
6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き) 2011.5.15
7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編) 2011.5.21
8.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
二つ目は初めてテレビに取り上げていただいたことです。放送時間は短時間でしたがNHKに認知していただいたことは大きな前進と受け止めています。PHP研究所『歴史街道』2012年5月号(4月6日発売)にインタビュー記事が掲載されることになったのも波及効果ではないかと思います。
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」
三つ目は引き続き多くの読者の方々からお褒めや激励の言葉をいただいたことです。「まだ忘れられていない!」ととても元気付けられました。ありがとうございます。
★ 読者書評
こうして3年間を振り返ってみると着実に前進しつつも「起承転」と転機を迎えているように感じます。真実の普及を粘り強く進め、かつ新しい挑戦も加えて「結」、つまり「100万部、大河ドラマ化」へ邁進したいと思いますので、引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします。
さて、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の出版から丸3年たちました。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ
出版1周年を振り返った記事は書いたのですが、2周年の記事は大震災やその後の計画停電などのごたごたで、とうとう書く機会を逃してしまいました。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』出版1周年
思い返してみると、1年目は3回の増刷があって1万3千部、講演6回・ラジオ出演1回、ブログも立ち上げと「起」の年でした。2年目は4回の増刷で8千部、講演13回・ラジオ出演3回・寄稿2回と増え、順調に「承」の年となりました。TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演の大きな反響や慶應義塾大学同窓会の全国大会で講演させていただいたことはエポックメイキングだったと思います。
★ 慶應義塾大学連合三田会での講演
さて、3年目は「転」の年になりました。寄稿は4回に増えたものの、増刷はなく、講演は4回に減りました。大震災以後昨年中は講演の依頼が一切なかったので大震災の影響があったかもしれません。ただ、我が家に起きた事件(妻の入院)のため講演依頼があってもお引き受けできない状態でしたが。
★ 2012年正月を迎えて
そのような中でも新しい展開がありました。
一つ目は歴史学界からの拙著批判に本格的に反論したことです。歴史学界からの拙著批判が初めて出てきたのは2010年10月出版の藤本正行氏の著書でしたが、2011年2月出版の鈴木眞哉氏の著書が藤本氏の批判を丸飲みする形で拙著をただ一言「落第組」と書きました。そこで、ブログに両氏に対する反論を書き、さらに両氏の説(野望・怨恨併用説とでもいうべき)の正体を丁寧に斬りました。それが以下のシリーズです。これによって、私の見出した真実の蓋然性が強化されたと思います。
【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!2010.11.23
2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る! 2011.5.3
3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き) 2011.5.4
4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き) 2011.5.5
5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う 2011.5.8
6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き) 2011.5.15
7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編) 2011.5.21
8.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
二つ目は初めてテレビに取り上げていただいたことです。放送時間は短時間でしたがNHKに認知していただいたことは大きな前進と受け止めています。PHP研究所『歴史街道』2012年5月号(4月6日発売)にインタビュー記事が掲載されることになったのも波及効果ではないかと思います。
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」
三つ目は引き続き多くの読者の方々からお褒めや激励の言葉をいただいたことです。「まだ忘れられていない!」ととても元気付けられました。ありがとうございます。
★ 読者書評
こうして3年間を振り返ってみると着実に前進しつつも「起承転」と転機を迎えているように感じます。真実の普及を粘り強く進め、かつ新しい挑戦も加えて「結」、つまり「100万部、大河ドラマ化」へ邁進したいと思いますので、引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします。
明智 慧様の展覧会に、明智光秀公の娘様りんこ様の子孫の方が、お見えになりました!
なんか凄い人に感じ、舞い上がっちゃって思う存分お話できませんでした!
最近、なんだか明智光秀公のおかげなのか、明智様と明智様そして明智様です!
ココのブログの何処に展覧会情報が拝見できるのか僕には分かりませんでしたけど、宣伝有り難う御座いました!
脚本、明智憲三郎様の、大河ドラマ早く拝見したいです!・・・。