本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『「本能寺の変」は変だ!』「これで光秀討ちって変だ!」

2017年02月02日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
【写真は京都妙心寺明智風呂】
 『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』(明智憲三郎著・文芸社・2016年5月)の抜粋をこのブログで順次ご紹介しています。第1回から順に辿れるようにリンクを貼ってありますので、順にお読みください。
 >>> 第1回「はじめに」と「おわりに」

 第15回の今回は第21話「これで光秀討ちって変だ!」です。

第21話 これで光秀討ちって変だ!
 天正十年(一五八二)六月二日早朝に本能寺の変が勃発すると堺にいた徳川家康は直ちに脱出を図り、途中一揆に襲われながらも伊賀を越えて、四日に三河の岡崎まで命からがらたどり着いた。一行に同行していた穴山梅雪は家康一行と途中で別れたため一揆に殺された。岡崎に帰りついた家康は直ちに光秀討ちに動こうとしたが「中国大返し」をした秀吉に先をこされてしまった。これが世にいう「神君伊賀越え」の顛末として誰もが疑わない定説となっています。
 ところが捜査してみたら変なのです。まず、いくつかの史料の記述をみてください。
(中略)
 
 家康が京都方向へ軍を動かしたのが十四日。それまでは甲斐・信濃に様々な画策を行っています。四日の信蕃、五日の次昌・忠継、六日の正綱、十二日の昌世はいずれも七十日前に滅ぼされた武田氏の家臣で家康に匿われていた人物です。
 この時の甲斐は織田氏の領地として信長の重臣河尻秀隆が治めていました。そこへ、どしどし土足で踏み込んで元の武田氏家臣の国衆を味方に付けたり、城を築いたりと勝手放題をしています。安堵状とは主君が家臣の土地の所有を保証するものですから「甲斐は家康の領地」と宣言したことになります。
 このような動きを察知して十四日に秀隆が先手を打って家康重臣の信俊を討ってしまったのも当然でしょう。十五日には北条氏も家康の動きに気付いて手を打ち始めました。定説では北条氏が先に侵攻したので、家康はやむなく甲斐に入ったとされていますが、どうみても逆です。
 家康の画策が功を奏して十八日には国衆一揆が秀隆を討ち、甲斐の織田軍を崩壊させています。一方で、十五日に光秀の死を知った家康は引き返すのではなく、二十キロ先の津嶋まで進軍しています。何のための進軍だったのでしょうか。これで光秀討ちとは変!
(中略)

  梅雪は一揆に殺されたことが定説となっていますが、これも変です。太田牛一やフロイスをはじめとして多くの史料がそう書いているのですが、いずれも情報源のはっきりしない伝聞に過ぎません。歴史捜査の手法では史料の多数決では決めません。嘘つきの証人が皆同じことを言っていても嘘は嘘です。「諸史料がそう書いているので、それは本当だろう」という論理は正しくないのです。もっと確かな証言を探さねばなりません。
 探してみたら一人だけ見つかりました。家康の家臣で、岡崎に近い深溝(ふこうず)城主の松平家忠です。彼が書き残した『家忠日記』の六月四日に次のように書かれています。
【家康以下、伊勢地をたって、大浜に上陸したので、町までお迎えに行った。穴山は切腹した。帰り道の途中で織田信澄が謀反に加わったのは噂にすぎないと聞いた】
 どうですか。梅雪は一揆に殺されたのではなく、切腹したのです。そして、梅雪は家康一行とは別れてはいなかった。同行していなければ切腹したことを目撃はできません。この証言が梅雪と行動を共にしていた家康一行から直に聞いた生の話であること、そして、光秀に加担したと噂のあった信澄が無関係であるという正確な情報を家康一行がもたらしていることからみても、とても信憑性の高い情報といえます。
(後略)


 以上の事実を戦国史研究者が無視しているため、安土城天主放火事件を迷宮入りにしてしまっているのです。光秀滅亡後の六月十四日時点で織田軍と戦っていて、安土城を織田軍に奪回されて困るのは誰か?と考えれば、自ずと放火犯人が見えてくるではありませんか
 >>> 第16回「一日八十キロって変だ!」へ続く


【関連リンク】
 >>> 本能寺の変、その「うんちく」間違ってます!
 >>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!

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 本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
 「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」
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