
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』(明智憲三郎著・文芸社・2016年5月)の抜粋をこのブログで順次ご紹介しています。第1回から順に辿れるようにリンクを貼ってありますので、順にお読みください。
>>> 第1回「はじめに」と「おわりに」
第17回の今回は第23話「みんな勘違いって変だ!」です。
第23話 みんな勘違いって変だ!
信長は何かを企てていた、そして、それが光秀に謀反成功の目算を立てさせたのではないか。それがわかれば第十九話に書いた信忠見落としの謎、家康呼び出しの謎、順慶への偽情報の謎、光秀の兵の証言の謎などすべての謎の説明がつくはずだ。そう考えた私はいよいよ「真実の復元」の最後の詰めに取り組みました。
しかし、なかなか答が見つかりません。信長はやはり朝廷を滅ぼそうと企てていたのか?世の中でいわれている様々な説も当てはめてみましたが、どれも謎解きにはつながりません。もう一歩のところまで来ていると思って、何日も何日も考えたのですが見つかりません。「今日はあきらめた。寝よう!」と寝床にもぐりこんでウトウトしていると突然ひらめいたのです。「そういえば光秀の兵があんなことを言っていた!」
「信長の命令で家康を討ちに行くものとばかり思った」と。なぜ兵みんながそう思ったのか。この謎を解こうとしていたのですが、視点を変えてみよう。もし、これが本当のことだったとしたらどうだろうか。他の謎が解けて、すべて辻褄が合うのだろうか。(中略)
次々と辻褄が合うではないですか。一ヶ所を突くとドミノがパタパタと倒れていくように疑問に思っていたことが次々と解けていったのです。
信長は家康討ちが成功したら直ちに光秀の軍勢を家康領に侵攻させて、主君も重臣も討たれて統制・管理能力を喪失した徳川軍を降伏させる。孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」の極致です。味方も敵も兵力を損傷することなく、敵兵を味方の兵力にそのまま組み込むことができる。これぞ信長の至高の作戦!
これを天下統一後に行ったのでは誰にでも予見されてしまいます。もちろん家康にも。「まさかこの時期にやるわけがない」と思うこの時期にこそやらねばならないことだったのです。孫子は「誰もが最善と思う作戦は最善ではない」と説いています。後に天下を取った秀吉は家康を討つ機会を逃してしまいました。その結果、秀吉の死後に一族は家康によって滅亡させられたのです。(中略)
すべての証拠が「信長による家康討ち」を指し示していました。その動機がたとえ不明であったとしても信長を殺人未遂罪で有罪にできるだけの証拠がそろったのです。
二〇〇三年に開始した歴史捜査の成果を二〇〇九年に第一作『本能寺の変 四二七年目の真実』として出版しました。読者からは高評価を得ましたが、様々なご指摘もいただきました。
それらのご指摘も参考にして、さらに蓋然性を高めるための捜査を継続し、二〇一三年に第二作『本能寺の変 431年目の真実』を出版しました。この間の四年間の捜査でより深く、より広く、捜査範囲を拡大して証拠固めができました。信長が家康を安土城で討たずに本能寺で討とうとした理由なども明快にし、検事調書レベルの蓋然性まで高めたと思います。
さらに家康討ちなど信長の決断の論理を明確にするために、信長がどのような知識・論理をもっていたのかを捜査し、二〇一五年に第三作『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』を出版しました。信長の常識を知らずして信長の決断について論じるのは的外れだったのです。武田信玄の重臣たちが「信玄が死ねば信長は家康を殺すに違いない」と語っていた証言も入手できました。戦国武将の常識はやはり現代人の常識を超えたところにあったのです。
一作ごとに蓋然性を高めたことにより犯罪捜査としての蓋然性としてはすでに十分なレベルに到達していると思います。しかし、もっと深く真実を知りたいという思いは消えることがありません。特に、信長がなぜ光秀をあれほど信頼していたのか、そして、それにも関係すると思われる光秀の前半生の経歴。光秀がすべてを書き残した遺書のような絶対的な証拠は存在しないので、百パーセントの蓋然性は実現できません。でも、様々な証拠の積み重ねで百パーセントにより近づけることは可能ですし、その努力は永遠に必要だと思います。本能寺の変の歴史捜査はまだまだ続きます。
定説に固執する方々から目の仇?! amazonカスタマーレビューに理性を欠く誹謗中傷! 歴史学を科学にしたいのですが・・・
>>> 第18回(最終回)「エピローグ 歴史捜査に学ぶ」へ続く
【関連リンク】
>>> 本能寺の変、その「うんちく」間違ってます!
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!
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明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
>>> 第1回「はじめに」と「おわりに」
第17回の今回は第23話「みんな勘違いって変だ!」です。
第23話 みんな勘違いって変だ!
信長は何かを企てていた、そして、それが光秀に謀反成功の目算を立てさせたのではないか。それがわかれば第十九話に書いた信忠見落としの謎、家康呼び出しの謎、順慶への偽情報の謎、光秀の兵の証言の謎などすべての謎の説明がつくはずだ。そう考えた私はいよいよ「真実の復元」の最後の詰めに取り組みました。
しかし、なかなか答が見つかりません。信長はやはり朝廷を滅ぼそうと企てていたのか?世の中でいわれている様々な説も当てはめてみましたが、どれも謎解きにはつながりません。もう一歩のところまで来ていると思って、何日も何日も考えたのですが見つかりません。「今日はあきらめた。寝よう!」と寝床にもぐりこんでウトウトしていると突然ひらめいたのです。「そういえば光秀の兵があんなことを言っていた!」
「信長の命令で家康を討ちに行くものとばかり思った」と。なぜ兵みんながそう思ったのか。この謎を解こうとしていたのですが、視点を変えてみよう。もし、これが本当のことだったとしたらどうだろうか。他の謎が解けて、すべて辻褄が合うのだろうか。(中略)
次々と辻褄が合うではないですか。一ヶ所を突くとドミノがパタパタと倒れていくように疑問に思っていたことが次々と解けていったのです。
信長は家康討ちが成功したら直ちに光秀の軍勢を家康領に侵攻させて、主君も重臣も討たれて統制・管理能力を喪失した徳川軍を降伏させる。孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」の極致です。味方も敵も兵力を損傷することなく、敵兵を味方の兵力にそのまま組み込むことができる。これぞ信長の至高の作戦!
これを天下統一後に行ったのでは誰にでも予見されてしまいます。もちろん家康にも。「まさかこの時期にやるわけがない」と思うこの時期にこそやらねばならないことだったのです。孫子は「誰もが最善と思う作戦は最善ではない」と説いています。後に天下を取った秀吉は家康を討つ機会を逃してしまいました。その結果、秀吉の死後に一族は家康によって滅亡させられたのです。(中略)
すべての証拠が「信長による家康討ち」を指し示していました。その動機がたとえ不明であったとしても信長を殺人未遂罪で有罪にできるだけの証拠がそろったのです。
二〇〇三年に開始した歴史捜査の成果を二〇〇九年に第一作『本能寺の変 四二七年目の真実』として出版しました。読者からは高評価を得ましたが、様々なご指摘もいただきました。
それらのご指摘も参考にして、さらに蓋然性を高めるための捜査を継続し、二〇一三年に第二作『本能寺の変 431年目の真実』を出版しました。この間の四年間の捜査でより深く、より広く、捜査範囲を拡大して証拠固めができました。信長が家康を安土城で討たずに本能寺で討とうとした理由なども明快にし、検事調書レベルの蓋然性まで高めたと思います。
さらに家康討ちなど信長の決断の論理を明確にするために、信長がどのような知識・論理をもっていたのかを捜査し、二〇一五年に第三作『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』を出版しました。信長の常識を知らずして信長の決断について論じるのは的外れだったのです。武田信玄の重臣たちが「信玄が死ねば信長は家康を殺すに違いない」と語っていた証言も入手できました。戦国武将の常識はやはり現代人の常識を超えたところにあったのです。
一作ごとに蓋然性を高めたことにより犯罪捜査としての蓋然性としてはすでに十分なレベルに到達していると思います。しかし、もっと深く真実を知りたいという思いは消えることがありません。特に、信長がなぜ光秀をあれほど信頼していたのか、そして、それにも関係すると思われる光秀の前半生の経歴。光秀がすべてを書き残した遺書のような絶対的な証拠は存在しないので、百パーセントの蓋然性は実現できません。でも、様々な証拠の積み重ねで百パーセントにより近づけることは可能ですし、その努力は永遠に必要だと思います。本能寺の変の歴史捜査はまだまだ続きます。
定説に固執する方々から目の仇?! amazonカスタマーレビューに理性を欠く誹謗中傷! 歴史学を科学にしたいのですが・・・
>>> 第18回(最終回)「エピローグ 歴史捜査に学ぶ」へ続く
【関連リンク】
>>> 本能寺の変、その「うんちく」間違ってます!
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!
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明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
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文芸社 |
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
以前『本能寺の変 431年目の真実』を興味深く拝読させていただきました。
今回、「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業を読みました。私は青森市に住んでおり、青森県には、土岐姓が多くどのような過程で津軽や南部にたどり着いたか気になるところです。
本を読ませていただいて、土岐家直系の血筋は途絶えているとのことでしょうか?池田家や明智家の血筋で脈々と続いているということなのでしょうね。
歴史の重みを痛く感じずにはいられずコメントしました。
今後も拝読していきたいと思います。頑張ってください。
足利義満に追放された四代守護康行の子孫と解釈すると、あまり気にしておらず記憶にないので調べてみます。康行-康政-持頼と続いたようです。