本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
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本能寺の変:ノイローゼ説を斬る!

2010年01月12日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 信長の信賞必罰の厳しい態度が原因で光秀がノイローゼになって信長を殺した、というのがノイローゼ説です。

 NHK大河ドラマでも1992年の「信長 - KING of ZIPANGU」ではこのストーリーになっていました。緒形直人の信長に対してノイローゼになっていく光秀をマイケル富岡が好演していました。信長を討った後に光秀が大の字になって寝て「これでようやく眠れる!」といって寝入る場面が目に焼き付いています。
 20年近い前に放映されたものですが、当時は私も本格的に本能寺の変を研究していなかったので、「本当にこういう感じだったのかもしれない」と思ってしまいました。テレビの影響力は大きいですね。
 ★Wikipediaの「信長 - KING of ZIPANGU」記事

 それでは動機から見ていきます。
 信長の家臣の書いた『信長公記(しんちょうこうき)』にはもちろんこのような記述は一切ありません。
 この説を初めに書いたのは豊臣秀次の家臣だった小瀬甫庵(おぜ・ほあん)です。甫庵は『信長公記』を盗作して『信長記』を書きました。『甫庵信長記』と呼ばれるものです。甫庵は儒教思想に基づく因果応報の物語に仕立て直したのです。
 その中で光秀の謀反の動機は信長の信賞必罰の厳しさがいずれ自分を破滅させると恐れたため、としました。NHK大河ドラマ「信長」の原作者はこの『甫庵信長記』を下敷にしたわけです。

 ところが、この甫庵は後に『甫庵太閤記』を書いて、その中で動機は家康饗応役を取り上げられたことを怨んだため、としました。ノイローゼ説から怨恨説に乗り換えたのです。軍記物のいい加減さを如実に現しています。
  ★刷り込まれた本能寺の変の通説 ← 軍記物とは?

 ノイローゼ説の根拠はこのようなものですので、動機として成立しません。
  ★小瀬甫庵 ← Wikipediaの説明ページです

 実行可能性については、ノイローゼになった人物があのように周到に謀反の準備をして実行することは考えられません。本能寺での信長討ちも安土城無血占拠も成功させるには周到な準備と実行の指揮があったはずです。

 関係者の証言、本人の自白についてもノイローゼの証言はありません。光秀と交際の深かった公家の吉田兼見の日記には本能寺の変後の光秀との接触の記録がありますが、全く異常は認められません。

 成功時報酬については、ノイローゼなので報酬など考えているわけがない、ということになり、それまでです。

 以上見てみると、ノイローゼ説には全く可能性がないといえます。
 


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