>>> Asageiplus「明智光秀子孫が語る本能寺の変」(3)
【2015年11月1日追記】
私のルーツ捜査に一大進展がありました。下記のページをご覧ください。
>>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道
【2014年10月9日追記】
『歴史読本』6月号の「特集明智光秀の謎」が文庫本となってKADOKAWAより出版されています。拙稿「子孫が語る その後の明智一族」が掲載されています。ご覧いただくと表題のような疑問は解消すると思います。
>>> ここまでわかった!明智光秀の謎
【2014年4月24日追記】
本日発売の『歴史読本』6月号「特集明智光秀の謎」の98頁から103頁に拙稿「子孫が語る その後の明智一族」が掲載されています。ご覧いただけると幸いです。表題のような疑問は解消すると思います。
>>> 歴史読本のページ
【2014年4月5日記事】
「明智憲三郎は本当に明智光秀の子孫ですか?」という質問をインターネットで見かけます。その質問にご丁寧に回答を書いている方がいらっしゃるのですが、これが的外れ。何でも他人に質問するという態度は安易に思いますが、その質問に的外れな回答をする人も随分無責任だと思います。
本人からの回答は一言。「拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いてあります」。やはり、ご自身で原典を当たるべきではないでしょうか。それが何かを知りたいと思った時に成すべき基本動作だと思います。
なお、4月24日に発売される『歴史読本』6月号に「子孫が語るその後の明智一族」と題して、より詳しく書きましたので興味ある方はご覧ください。
>>> 本能寺の変:当日に発生した謎が解けるか?
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
【2015年11月1日追記】
私のルーツ捜査に一大進展がありました。下記のページをご覧ください。
>>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道
【2014年10月9日追記】
『歴史読本』6月号の「特集明智光秀の謎」が文庫本となってKADOKAWAより出版されています。拙稿「子孫が語る その後の明智一族」が掲載されています。ご覧いただくと表題のような疑問は解消すると思います。
ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫) | |
クリエーター情報なし | |
KADOKAWA/中経出版 |
>>> ここまでわかった!明智光秀の謎
【2014年4月24日追記】
本日発売の『歴史読本』6月号「特集明智光秀の謎」の98頁から103頁に拙稿「子孫が語る その後の明智一族」が掲載されています。ご覧いただけると幸いです。表題のような疑問は解消すると思います。
>>> 歴史読本のページ
【2014年4月5日記事】
「明智憲三郎は本当に明智光秀の子孫ですか?」という質問をインターネットで見かけます。その質問にご丁寧に回答を書いている方がいらっしゃるのですが、これが的外れ。何でも他人に質問するという態度は安易に思いますが、その質問に的外れな回答をする人も随分無責任だと思います。
本人からの回答は一言。「拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いてあります」。やはり、ご自身で原典を当たるべきではないでしょうか。それが何かを知りたいと思った時に成すべき基本動作だと思います。
本能寺の変 四二七年目の真実明智 憲三郎プレジデント社このアイテムの詳細を見る |
なお、4月24日に発売される『歴史読本』6月号に「子孫が語るその後の明智一族」と題して、より詳しく書きましたので興味ある方はご覧ください。
>>> 本能寺の変:当日に発生した謎が解けるか?
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 | |
明智 憲三郎 | |
文芸社 |
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
そこで、光秀の詠んだ句の解釈で意見が述べたく、HPを閲覧させていただきました。
発句の「さつき」は花のサツキであり、また殺鬼(セッキ)で信長のことを指す可能性はありませんか?
朝廷のもとに殺鬼の信長が就任しそう、やばいという暗喩です。
継句の庭のなつ山は「丹羽の名つやむ」の可能性はありませんか?
朝廷が勝って、織田の名が絶えますという暗喩です。
三句の池のなかれは「いくなかれ」の可能性はありませんか?
信長の所に行ってはいけないと家康をせき止めて、織田の首(さつきの花)は落ちるという暗喩です。
最後まで読んでいただきありがとうごさいます
発句の「さつき」はどの書・写本でも「五月」と書かれています。信長を「殺鬼」と書いた史料は一切なく、そのような語も当時の史料には見られません。最近のゲームの世界で生まれた語ではないでしょうか。
脇句の「庭」はどの書・写本でも「庭」と書いてあり、「丹羽」を連想させるのは無理があります。「名つやむ」は意味不明であり、そのような語を連想することは困難です。
第三の「池」を「いく」に連想させるのも無理があります。また、連歌の席に同席してもいない家康へのメッセージを詠み込む可能性は全くないと思います。
私は以上のように考えますが、Yahoo知恵袋などで他の方々にもご意見を求めてはいかがでしょうか。