今年の大河ドラマ「麒麟がくる」では比叡山焼き討ちまでの明智光秀の身分は足利義昭の幕府方
として描かれています。これが実は画期的なことなのです。
実は江戸時代の物語「明智軍記」の記述をもとにして、歴史学界の最高権威者とされる高柳光寿氏が
「上洛時点で光秀は足利義昭と織田信長の両方に仕えていた」とする両属説を唱えたのが60年ほど前。
それ以来、歴史学者は右へ倣えで誰もが両属説だったからです。司馬遼太郎氏も「国盗り物語」で両属説を採用し、
50年ほど前、大河ドラマとなって一般にも広く知れ渡りました。
これを初めて否定したのが11年前の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』でした。
それでも歴史学界は相変わらず両属説のままでしたので、今回の大河がひっくり返したのは快挙といえます。
両属でないとすると、埋もれていた様々な史実が見えてきます。
詳しくは拙著『光秀からの遺言』をご覧ください。
********************************
WEBニュース番組のリライズ・ニュースのインタビューを受けました。
その様子がWEBに配信されました。明智光秀研究にかけた思い、明智継承会にかける思いを
語りました。
短時間なので語りつくせませんでしたが、以下のような質問に答えています。
Q1. どのような夢やビジョンをお持ちですか?
Q2. それを具現化するために、どんな目標や計画がありますか?
Q3. 目標や計画に対して、どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?
Q4. その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか? そこにどんな出会いや発見がありましたか?
Q5. 発見や出会いの背景には、何があったのですか?
>>> りライズ・ニュースのページ
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明智光秀の研究用データベースである「みつひでDB」に光秀に関する質問コーナー「みつひでQA」を公開しました。よくある質問への回答を見ることができます。
たとえば、謎とされる光秀の系譜や前半生など。
>>> みつひでQAの目次ページ
として描かれています。これが実は画期的なことなのです。
実は江戸時代の物語「明智軍記」の記述をもとにして、歴史学界の最高権威者とされる高柳光寿氏が
「上洛時点で光秀は足利義昭と織田信長の両方に仕えていた」とする両属説を唱えたのが60年ほど前。
それ以来、歴史学者は右へ倣えで誰もが両属説だったからです。司馬遼太郎氏も「国盗り物語」で両属説を採用し、
50年ほど前、大河ドラマとなって一般にも広く知れ渡りました。
これを初めて否定したのが11年前の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』でした。
それでも歴史学界は相変わらず両属説のままでしたので、今回の大河がひっくり返したのは快挙といえます。
両属でないとすると、埋もれていた様々な史実が見えてきます。
詳しくは拙著『光秀からの遺言』をご覧ください。
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WEBニュース番組のリライズ・ニュースのインタビューを受けました。
その様子がWEBに配信されました。明智光秀研究にかけた思い、明智継承会にかける思いを
語りました。
短時間なので語りつくせませんでしたが、以下のような質問に答えています。
Q1. どのような夢やビジョンをお持ちですか?
Q2. それを具現化するために、どんな目標や計画がありますか?
Q3. 目標や計画に対して、どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?
Q4. その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか? そこにどんな出会いや発見がありましたか?
Q5. 発見や出会いの背景には、何があったのですか?
>>> りライズ・ニュースのページ
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明智光秀の研究用データベースである「みつひでDB」に光秀に関する質問コーナー「みつひでQA」を公開しました。よくある質問への回答を見ることができます。
たとえば、謎とされる光秀の系譜や前半生など。
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