明智光秀愛宕百韻発句「時は今あめが下なる五月かな」、ガラシャ辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」。二つの句を見比べて何か気付きませんか?
そうです、どちらも「時」という語が詠み込まれていますね。この「時」という語の普通の意味は「タイミング」です。和歌には裏の意味が詠み込まれるものですが、明智光秀の詠んだ愛宕百韻の「時」には明智家の属した「土岐(とき)」氏がかけられていて、「土岐氏(明智家)は今、強い雨に叩かれているような苦境のこの五月である」という意味になります。
一方で、ガラシャ辞世の句は「死に時をわきまえている土岐氏(明智家)」という死への覚悟が詠み込まれています。つまり、ガラシャは父親の謀反の覚悟が怨みや野心ではなく、土岐氏(明智家)の存亡にかかわるものであったことを、よく理解していたのです。そこで、自分の辞世にもそのことを示す句を詠んだのです。
ここまで、世の中で知られている細川ガラシャと書かずに、「ガラシャ」と書いてきました。なぜならば、ガラシャが生きた時代には細川ガラシャと名乗ったことも、呼ばれたこともないからです。それだけでなくガラシャは辞世の句で「あくまでも私は明智の娘として死んでいきます」という意思を残したと思えて仕方ないからです。
2019年長岡京市ガラシャ祭りのポスターの「私は明智の娘です」というキャッチコピーから強い啓示を受けました。その長岡京市は今、絶好の紅葉時です。
>>> 長岡京市もみじめぐり案内
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私が代表理事を務める一般社団法人明智継承会では、令和3年度の新規賛助会員の募集を開始しています。
>>> 明智継承会のページ
賛助会員に加入していただきますと、
・当会の活動状況をまとめた会誌(年度末に年1回発行)のお届け
・講演会等の情報交換会への優先ご招待
・代表理事 明智憲三郎による会員様限定ビデオレター(毎月配信)のご視聴
・会員様限定のご意見・質問窓口のご利用
・明智憲三郎facebookグループへのご招待(ご希望の方のみ)
等の、特典をご用意しております。
※facebookグループ参加ご希望の方は、ご連絡ください。
また、代表理事の明智憲三郎は、「明智家の末裔たち」で歴史捜査を一旦完遂いたしましたが、新たな歴史捜査を開始いたしました。こちらの情報も、会員様限定で公開する予定です。
本年度(令和3年7月~令和4年3月末)の年会費は5,000円と特別価格になっておりますので、ぜひともこの機会に賛助会員にご加入ください。
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日文研の呉座勇一氏が女性蔑視・中傷で炎上した問題で歴史修正主義者・ネトウヨぶりがあらわになった。
>>> 北村紗衣氏中傷事件
この問題に哲学者の山崎行太郎氏がまっとうな評論を展開している。
私は、この論争文の一節を読んで、はっきり言って、不快感だけではなく、怒りに近いものを感じた。呉座勇一は、井沢元彦や八幡和郎の「主張」を 、「陰謀論」と呼んでいる。私は、呉座勇一の主張の多くは正しいだろうと、推察する。しかし、井沢元彦や八幡和郎らの主張を、「 在野のトンデモ歴史研究家 ・・・」の「陰謀論」と切り捨てることには、首をかしげざるをえない。しかも、「 在野のトンデモ歴史研究家」を「泥棒」にたとえ、自分たち、「官学アカデミズムの歴史学者」 を警官にたとえている。この一文を読みながら、私は、不謹慎にも、「この男、頭は大丈夫か」と思ったものだ。
「呉座勇一問題」で、私が、最大の根本問題だと思ったことは、呉座勇一が自慢する「歴史学者」たちの「方法」に関する問題だった。作家で歴史研究家の井沢元彦は、歴史学者を、「史料絶対主義」とか「史料第一主義」とか言って、歴史のメインテーマに踏み込まない歴史学者は専門馬鹿だとか激しく、批判・罵倒しているらしい。私は、井沢元彦をほとんど読んだことがないので、この表現が正確かどうか分からないが、私自身は、どちらかと言うと、井沢元彦の意見に賛成だ。歴史学者がつまらなのは、歴史の深層を避けて、史料や資料、あるいは文献にこだわりすぎて、その先の「歴史の哲学」とでもいうべき世界にに踏み込まないことだ。たとえば、呉座勇一は、「本能寺の変」で、明智光秀が、何故、謀反を起こして信長を攻めて死に追いやったのか・・・というような問題に、踏み込まないのが「歴史学者」だという。「本能寺の変」の謎のような一般受けするような問題を採り上げないのが歴史学者だ、と。史料や文献がないような歴史問題は、留保するのが歴史学者だ、と。やなるほど、そうか。そうであるならば、われわれが、歴史学者という人種を軽視し、軽蔑、無視するのも当然だろう。しかし呉座勇一は、それに怒り狂っているのだ。歴史学者を馬鹿にするのもいい加減にしろ 、と。
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(1)
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(2)
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(3)
私も呉座氏からは奇説・妄想と誹謗中傷を受けた。その手口はネトウヨそのもの。「これでは、とても建設的な議論はできない」と判断して敢えて反論は控えた。今回の事件は起こるべくして起こったようだ。
>>> 明智憲三郎 奇説? 妄想?
そうです、どちらも「時」という語が詠み込まれていますね。この「時」という語の普通の意味は「タイミング」です。和歌には裏の意味が詠み込まれるものですが、明智光秀の詠んだ愛宕百韻の「時」には明智家の属した「土岐(とき)」氏がかけられていて、「土岐氏(明智家)は今、強い雨に叩かれているような苦境のこの五月である」という意味になります。
一方で、ガラシャ辞世の句は「死に時をわきまえている土岐氏(明智家)」という死への覚悟が詠み込まれています。つまり、ガラシャは父親の謀反の覚悟が怨みや野心ではなく、土岐氏(明智家)の存亡にかかわるものであったことを、よく理解していたのです。そこで、自分の辞世にもそのことを示す句を詠んだのです。
ここまで、世の中で知られている細川ガラシャと書かずに、「ガラシャ」と書いてきました。なぜならば、ガラシャが生きた時代には細川ガラシャと名乗ったことも、呼ばれたこともないからです。それだけでなくガラシャは辞世の句で「あくまでも私は明智の娘として死んでいきます」という意思を残したと思えて仕方ないからです。
2019年長岡京市ガラシャ祭りのポスターの「私は明智の娘です」というキャッチコピーから強い啓示を受けました。その長岡京市は今、絶好の紅葉時です。
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私が代表理事を務める一般社団法人明智継承会では、令和3年度の新規賛助会員の募集を開始しています。
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また、代表理事の明智憲三郎は、「明智家の末裔たち」で歴史捜査を一旦完遂いたしましたが、新たな歴史捜査を開始いたしました。こちらの情報も、会員様限定で公開する予定です。
本年度(令和3年7月~令和4年3月末)の年会費は5,000円と特別価格になっておりますので、ぜひともこの機会に賛助会員にご加入ください。
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日文研の呉座勇一氏が女性蔑視・中傷で炎上した問題で歴史修正主義者・ネトウヨぶりがあらわになった。
>>> 北村紗衣氏中傷事件
この問題に哲学者の山崎行太郎氏がまっとうな評論を展開している。
私は、この論争文の一節を読んで、はっきり言って、不快感だけではなく、怒りに近いものを感じた。呉座勇一は、井沢元彦や八幡和郎の「主張」を 、「陰謀論」と呼んでいる。私は、呉座勇一の主張の多くは正しいだろうと、推察する。しかし、井沢元彦や八幡和郎らの主張を、「 在野のトンデモ歴史研究家 ・・・」の「陰謀論」と切り捨てることには、首をかしげざるをえない。しかも、「 在野のトンデモ歴史研究家」を「泥棒」にたとえ、自分たち、「官学アカデミズムの歴史学者」 を警官にたとえている。この一文を読みながら、私は、不謹慎にも、「この男、頭は大丈夫か」と思ったものだ。
「呉座勇一問題」で、私が、最大の根本問題だと思ったことは、呉座勇一が自慢する「歴史学者」たちの「方法」に関する問題だった。作家で歴史研究家の井沢元彦は、歴史学者を、「史料絶対主義」とか「史料第一主義」とか言って、歴史のメインテーマに踏み込まない歴史学者は専門馬鹿だとか激しく、批判・罵倒しているらしい。私は、井沢元彦をほとんど読んだことがないので、この表現が正確かどうか分からないが、私自身は、どちらかと言うと、井沢元彦の意見に賛成だ。歴史学者がつまらなのは、歴史の深層を避けて、史料や資料、あるいは文献にこだわりすぎて、その先の「歴史の哲学」とでもいうべき世界にに踏み込まないことだ。たとえば、呉座勇一は、「本能寺の変」で、明智光秀が、何故、謀反を起こして信長を攻めて死に追いやったのか・・・というような問題に、踏み込まないのが「歴史学者」だという。「本能寺の変」の謎のような一般受けするような問題を採り上げないのが歴史学者だ、と。史料や文献がないような歴史問題は、留保するのが歴史学者だ、と。やなるほど、そうか。そうであるならば、われわれが、歴史学者という人種を軽視し、軽蔑、無視するのも当然だろう。しかし呉座勇一は、それに怒り狂っているのだ。歴史学者を馬鹿にするのもいい加減にしろ 、と。
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(1)
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(2)
>>> 呉座勇一問題に拘る個人的理由と思想的根拠(3)
私も呉座氏からは奇説・妄想と誹謗中傷を受けた。その手口はネトウヨそのもの。「これでは、とても建設的な議論はできない」と判断して敢えて反論は控えた。今回の事件は起こるべくして起こったようだ。
>>> 明智憲三郎 奇説? 妄想?