
>>> 本能寺の変の定説は打破された!
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で書いた羽柴秀吉による愛宕百韻の改竄。それを裏付ける新証拠が見つかったことを2013年1月のブログに書きました。 その新証拠とは太田牛一自筆の『信長公記』池田家本には「ときは今あめが下なる五月哉」と書かれており、「なる」の部分は擦り消し修正して書かれていて、擦り消される前の文字は「知る」であるという金子拓氏(東京大学史料編纂所)の報告でした。
★ とうとう愛宕百韻改竄が証明された!
その確認をしたいと思って探していたところ、『信長公記』池田家本の写真撮影による複製が出版されていることがわかりました。次のものです。
『信長記』 岡山大学池田家文庫等刊行会編、福武書店、1975年出版
1975年に出版されていたものを見逃していた迂闊さに愕然としましたが、この本の存在について言及した研究書が無かったこと、つまり全く注目した人がいなかったことも驚きです。この本の重要性を本能寺の変研究者が見逃し続けてきたのですから。
「新証拠」と書きましたが、1975年に出版された本に書かれていたのですから「新たに気付いた証拠」というのが正確でした。ただ、冤罪事件の再審でも「新証拠」として出てくるのは同じようなものなので、「新証拠」と呼ばせて頂くことにします。
さて、証拠をとりに早速、国会図書館で池田家本の問題部分のコピーをとってきました。それが冒頭の写真です。次のように書かれています。
連歌興行
発句 惟任日向守光秀
ときは今あめが下なる五月哉
水上まさる庭のなつ山 脇西之坊
花落る池のながれをせきとめて 第三紹巴
か様に百韵仕り、神前に籠置
複製版からは擦り消し修正の跡は確認できませんでしたが、牛一が「下なる」と書いたことは間違いなく確認できました。1975年から40年近くに渡って、光秀は「下しる」と詠んだと秀吉に騙されたままで、あれこれ推論を展開してきた本能寺の変研究者の努力はいったい何だったのでしょう?野望説だけでなく朝廷黒幕説の根拠にも使われていました。
おそらく、今でもこの価値の大きさに気付いているのは私だけのような気がするのが残念です。
【愛宕百韻シリーズ】
解読捜査(捜査開始宣言)
解読捜査(標的の確定)
解読捜査(表の意味解釈)
解読捜査(土岐氏の流れ)
解読捜査(完全解読の意義)
解読捜査(遂に完全解読!!)
解読捜査(追記前編):新証拠出現
解読捜査(追記後編):記録者・太田牛一の誠意
***************************************
『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
また、読者の書評はこちらです。
講演もお引き受けしています。
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>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で書いた羽柴秀吉による愛宕百韻の改竄。それを裏付ける新証拠が見つかったことを2013年1月のブログに書きました。 その新証拠とは太田牛一自筆の『信長公記』池田家本には「ときは今あめが下なる五月哉」と書かれており、「なる」の部分は擦り消し修正して書かれていて、擦り消される前の文字は「知る」であるという金子拓氏(東京大学史料編纂所)の報告でした。
★ とうとう愛宕百韻改竄が証明された!
その確認をしたいと思って探していたところ、『信長公記』池田家本の写真撮影による複製が出版されていることがわかりました。次のものです。
『信長記』 岡山大学池田家文庫等刊行会編、福武書店、1975年出版
1975年に出版されていたものを見逃していた迂闊さに愕然としましたが、この本の存在について言及した研究書が無かったこと、つまり全く注目した人がいなかったことも驚きです。この本の重要性を本能寺の変研究者が見逃し続けてきたのですから。
「新証拠」と書きましたが、1975年に出版された本に書かれていたのですから「新たに気付いた証拠」というのが正確でした。ただ、冤罪事件の再審でも「新証拠」として出てくるのは同じようなものなので、「新証拠」と呼ばせて頂くことにします。
さて、証拠をとりに早速、国会図書館で池田家本の問題部分のコピーをとってきました。それが冒頭の写真です。次のように書かれています。
連歌興行
発句 惟任日向守光秀
ときは今あめが下なる五月哉
水上まさる庭のなつ山 脇西之坊
花落る池のながれをせきとめて 第三紹巴
か様に百韵仕り、神前に籠置
複製版からは擦り消し修正の跡は確認できませんでしたが、牛一が「下なる」と書いたことは間違いなく確認できました。1975年から40年近くに渡って、光秀は「下しる」と詠んだと秀吉に騙されたままで、あれこれ推論を展開してきた本能寺の変研究者の努力はいったい何だったのでしょう?野望説だけでなく朝廷黒幕説の根拠にも使われていました。
おそらく、今でもこの価値の大きさに気付いているのは私だけのような気がするのが残念です。
【愛宕百韻シリーズ】
解読捜査(捜査開始宣言)
解読捜査(標的の確定)
解読捜査(表の意味解釈)
解読捜査(土岐氏の流れ)
解読捜査(完全解読の意義)
解読捜査(遂に完全解読!!)
解読捜査(追記前編):新証拠出現
解読捜査(追記後編):記録者・太田牛一の誠意
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そちらの文章を読み、自分はむしろ光秀よりも秀吉の方に関心が沸いてきました 秀吉の出自も謎に包まれていますが真実はどうなのでしょう?
百姓だとも地主だとも山窩とも言われていますが、真相が知りたいです また光秀がじつは朝倉に仕えていなかったように通説にも大きな間違いがあるのかもしれません 明智さんの考察が知りたいと思います
前半生の史料がないから光秀は下賤の出とされていますが、それが論拠であれば藤孝も下賤の出ということになってしまいます。
この二人が足利将軍家の放浪のどこかの時点、どこかの場所で巡り合ったはずなのですが・・・・。まず、これを見つけたいと思います。