
「時は今あめが下知る五月かな」と本能寺の変の直前に光秀が謀反の決意を詠んだとされる愛宕百韻の発句。四百年以上に渡って信じられてきたこの話がウソだと初めて暴いたのが『本能寺の変 四二七年目の真実』(2009年)です。「知る」ではなく、「なる」だったのです。
その後、これを裏付ける画期的な新発見が歴史学界の「信長プロジェクト」でありました。信長の側近太田牛一の書いた『信長公記』の自筆本(池田家本)には「知る」を刷消して「なる」と書き直してあったのです。
それを踏まえて推理を発展させて書いたのが下記の2012年のブログ記事です。
>>> 愛宕百韻の解読捜査:記録者・太田牛一の誠意
そして2013年に『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)で愛宕百韻の完全解読結果を書きました。百韻に込められた全ての意味、そして誰が何のために書き換えたのかも暴きました。
『本能寺の変 431年目の真実』を未読の方は是非お読みいただいて完璧な推理をお楽しみください(第1章・第4章)。百韻の規則、土岐氏の歴史、太田牛一・大村由己・里村紹巴という人物、彼ら相互および光秀・秀吉との関係、愛宕百韻を記載した書物・伝本。これだけの知識があれば、どなたでも解読できる光秀の暗号「ミツヒデコード」だったのです。
ここまでしても相変わらず「知る」だとし続けている歴史学界の重くて高くて頑丈な壁を読者の皆様の後押しを得て、打ち破りたいものです。
【写真の説明】
愛宕百韻が催された愛宕山威徳院(西之坊)。現在は愛宕神社の社務所。
興行日は天正十年五月二十八日とされているが、これもウソだと暴かれています。
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『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)
発売1年で27万部突破!!
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」珠玉の書評
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
>>> 愛宕百韻:桑田忠親・金子拓両博士の怪
その後、これを裏付ける画期的な新発見が歴史学界の「信長プロジェクト」でありました。信長の側近太田牛一の書いた『信長公記』の自筆本(池田家本)には「知る」を刷消して「なる」と書き直してあったのです。
それを踏まえて推理を発展させて書いたのが下記の2012年のブログ記事です。
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そして2013年に『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)で愛宕百韻の完全解読結果を書きました。百韻に込められた全ての意味、そして誰が何のために書き換えたのかも暴きました。
『本能寺の変 431年目の真実』を未読の方は是非お読みいただいて完璧な推理をお楽しみください(第1章・第4章)。百韻の規則、土岐氏の歴史、太田牛一・大村由己・里村紹巴という人物、彼ら相互および光秀・秀吉との関係、愛宕百韻を記載した書物・伝本。これだけの知識があれば、どなたでも解読できる光秀の暗号「ミツヒデコード」だったのです。
ここまでしても相変わらず「知る」だとし続けている歴史学界の重くて高くて頑丈な壁を読者の皆様の後押しを得て、打ち破りたいものです。
【写真の説明】
愛宕百韻が催された愛宕山威徳院(西之坊)。現在は愛宕神社の社務所。
興行日は天正十年五月二十八日とされているが、これもウソだと暴かれています。
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『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)
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![]() | 【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 |
明智 憲三郎 | |
文芸社 |
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