本能寺の変の真相を知りたい方へお勧めの一冊です。
高橋裕史著『イエズス会の世界戦略』(講談社、2006年)です。
ただし、本能寺の変の真相について書かれていると期待して読まれた読者には完全に肩すかしです。本能寺の変はもちろん、信長や光秀も一切書かれていません。「それで何で本能寺の変の真相を知りたい方へのお勧め?」、「詐欺じゃない!」といわれそうです。
でも、本能寺の変の当時、スペイン/ポルトガル、そしてイエズス会の世界戦略が日本に押し寄せていたのです。その波を信長はどう受け止めて、どう利用しようとしたのか?天下統一を進める政治家・織田信長の国家戦略にどのような影響を与えたのか?
そのような歴史探求をしてみたい方にはお勧めの一冊です。
念を押しますが、決して面白おかしい本ではありません。キリシタン殉教者のイメージを信じ込んでいる方にはショックかもしれません。イエズス会の経済運営など興味のない方には退屈かもしれません。わずかに、歴史の真実を探求したい方にはひょっとすると面白いかもしれません。
そして、著者が「あとがき」で書いた以下の言葉に私は同じ思いを感じました。
『歴史研究において、「実証」と「理論」が車の両輪であることは、明記するまでもない。時代による文献史料の有無や史料の種類、研究領域に規定される部分も多いので、軽々な発言は慎むべきであろうが、近年の歴史研究を拝見していると、全般的に理論の「先走り」がめだち、史料をして語らしめる、という歴史研究の基本姿勢が後景に追いやられてしまっている感が否めない。極端なケースでは、他の研究者が提示した理論でもって史実の実証を済ましているものも見られる。失礼ながら「他人の褌で相撲をとる」ことが歴史研究の主要な方法論であるかのような空気が支配的である、と感じるのは私一人だけの思いすごしであろうか。』
この指摘は正に現代の本能寺の変研究が陥っている姿です。著者は「理論」と書いていますが、本能寺の変研究においては「理論」ではなく「観念論」です。「光秀も秀吉と同じように天下が欲しかったのだ」、「謀反の情報が事前に漏れないようにするため、光秀が同盟者を誘い込むわけがない」、「あのような状況で信長が家康を討つわけがない」。いずれも一流の歴史学者のお言葉です。このような「観念論」が本能寺の変の真実を歪み続けているのです。具体例を知りたい方は是非下記のシリーズをお読みください。
著者の高橋氏も本当は「観念論」と書きたかったのですが、穏便に「理論」と書いたのかもしれませんね。
神田千里著『宗教で読む戦国史』と合わせて読むと歴史を表と裏との両面から見る形になって面白いかもしれません。
【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!
2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!
3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き)
4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き)
5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
8.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
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『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
また、読者の書評はこちらです。
>>>トップページ
>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
高橋裕史著『イエズス会の世界戦略』(講談社、2006年)です。
ただし、本能寺の変の真相について書かれていると期待して読まれた読者には完全に肩すかしです。本能寺の変はもちろん、信長や光秀も一切書かれていません。「それで何で本能寺の変の真相を知りたい方へのお勧め?」、「詐欺じゃない!」といわれそうです。
でも、本能寺の変の当時、スペイン/ポルトガル、そしてイエズス会の世界戦略が日本に押し寄せていたのです。その波を信長はどう受け止めて、どう利用しようとしたのか?天下統一を進める政治家・織田信長の国家戦略にどのような影響を与えたのか?
そのような歴史探求をしてみたい方にはお勧めの一冊です。
念を押しますが、決して面白おかしい本ではありません。キリシタン殉教者のイメージを信じ込んでいる方にはショックかもしれません。イエズス会の経済運営など興味のない方には退屈かもしれません。わずかに、歴史の真実を探求したい方にはひょっとすると面白いかもしれません。
イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ) | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
そして、著者が「あとがき」で書いた以下の言葉に私は同じ思いを感じました。
『歴史研究において、「実証」と「理論」が車の両輪であることは、明記するまでもない。時代による文献史料の有無や史料の種類、研究領域に規定される部分も多いので、軽々な発言は慎むべきであろうが、近年の歴史研究を拝見していると、全般的に理論の「先走り」がめだち、史料をして語らしめる、という歴史研究の基本姿勢が後景に追いやられてしまっている感が否めない。極端なケースでは、他の研究者が提示した理論でもって史実の実証を済ましているものも見られる。失礼ながら「他人の褌で相撲をとる」ことが歴史研究の主要な方法論であるかのような空気が支配的である、と感じるのは私一人だけの思いすごしであろうか。』
この指摘は正に現代の本能寺の変研究が陥っている姿です。著者は「理論」と書いていますが、本能寺の変研究においては「理論」ではなく「観念論」です。「光秀も秀吉と同じように天下が欲しかったのだ」、「謀反の情報が事前に漏れないようにするため、光秀が同盟者を誘い込むわけがない」、「あのような状況で信長が家康を討つわけがない」。いずれも一流の歴史学者のお言葉です。このような「観念論」が本能寺の変の真実を歪み続けているのです。具体例を知りたい方は是非下記のシリーズをお読みください。
著者の高橋氏も本当は「観念論」と書きたかったのですが、穏便に「理論」と書いたのかもしれませんね。
神田千里著『宗教で読む戦国史』と合わせて読むと歴史を表と裏との両面から見る形になって面白いかもしれません。
【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!
2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!
3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き)
4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き)
5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
8.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
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『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
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>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
本能寺の変 四二七年目の真実明智 憲三郎プレジデント社このアイテムの詳細を見る |
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』(プレジデント、2009年)出版以来、「通説を守りたい」と頑なにお考えの方々の壁の厚さを痛感しており、貴書の研究姿勢・内容に溜飲を下げる思いがいたしました。
「史料に語らしめていない」「他人の褌で相撲をとっている」というご指摘はこれまでの本能寺の変研究に対して私の抱いている思いを代弁してくださったように感じました。
日本史の戦国時代は世界史の大航海時代。今まで見落とされてきた、この視点で研究を進めておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
初めて投稿致します。この度は、思いがけず、拙著ご紹介の栄を賜り、厚く御礼申し上げます。
拙著の論点を、過不足なくご指摘頂き、恐縮でございます。
これを機に、戦国時代の諸問題につき、ご教示頂きたくお願い申し上げます。
マーシーズさん、そしてご愛読の皆様、よいお年をお迎えください。
よいお年をお迎えください。