私の祖父が1966年に出版した『光秀行状記』の序文を慶應義塾塾長を務めた小泉信三氏が書いてくださっています。氏は祖父の大学の三年後輩とのことで、祖父の文によるとこの序文が氏の絶筆となったとのことです。
★ Wikipedia「小泉信三」記事
この本の出版のお祝いとして祖父は小泉氏から福澤諭吉翁筆「獨立自尊」の額をいただいたとのことで、これが我が家に伝わる唯一のお宝です。上の写真がそれです。残念ながら先祖から伝わったものは全て関東大震災で失われてしまいました。
★ Wikipedia「福澤諭吉」記事
facebook上でこのお話を書いたところ、美濃源氏フォーラムの事務局長の井澤様から「福澤諭吉氏の奥さんは土岐錦(きん)さん」と教えられました。ということは、現在の福澤家は土岐氏の縁者ということになります。つまり、私とも土岐氏としてのご縁があるということです。慶應義塾に中学から大学院まで12年間も在学した人間としては甚だ迂闊でしたが、初めて知りました。
祖父は知っていたのかもしれませんが、土岐氏のことをおそらく意識していなかったと思います。
なぜならば、この『光秀行状記』の著者序文の中で歌人・国語学者として著名な土岐善麿氏との再会の話が書かれているのですが、そこには土岐氏を意識した記述が一切ありません。
ある席で初対面と思った善麿氏より「まだ記者だった時代に光秀のお話を伺いに会社へお尋ねしましたよ」と言われて驚いたというお話です。土岐氏の意識があれば当然そのことを書いたはずです。善麿氏も祖父もお互いに土岐氏の共通意識はなかったようです。
★ Wikipedis「土岐善麿」記事
それも無理のないことです。土岐氏を理解しないと本能寺の変は解けないと気付いたのは私が四百年来、初めてです。光秀は土岐氏再興を担っており、土岐氏滅亡の危機を救うために謀反を起こしたのです。そのことに気付いたことに祖父も草葉の陰で喜んでくれていると思います。これまで全く意識していなかったことですが、思えば、慶應、三菱、本能寺の変研究とずっと祖父のあとをたどってきたようです。
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は!
以下の愛宕百韻シリーズをお読みいただくと光秀謀反にあたえた土岐氏の意味がご理解いただけると思います。是非、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』をお読みいただき、歴史の真実をご理解いただきたいと思います。
【愛宕百韻シリーズ】
解読捜査(捜査開始宣言) 2010.2.21
解読捜査(標的の確定) 2010.2.23
解読捜査(表の意味解釈) 2010.2.26
解読捜査(土岐氏の流れ) 2010.3.4
解読捜査(完全解読の意義) 2010.3.21
解読捜査(遂に完全解読!!) 2011.8.20追記
解読捜査(追記前編):新証拠出現 2012.1.14
解読捜査(追記後編):記録者・太田牛一の誠意 2012.1.15
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
★ Wikipedia「小泉信三」記事
この本の出版のお祝いとして祖父は小泉氏から福澤諭吉翁筆「獨立自尊」の額をいただいたとのことで、これが我が家に伝わる唯一のお宝です。上の写真がそれです。残念ながら先祖から伝わったものは全て関東大震災で失われてしまいました。
★ Wikipedia「福澤諭吉」記事
facebook上でこのお話を書いたところ、美濃源氏フォーラムの事務局長の井澤様から「福澤諭吉氏の奥さんは土岐錦(きん)さん」と教えられました。ということは、現在の福澤家は土岐氏の縁者ということになります。つまり、私とも土岐氏としてのご縁があるということです。慶應義塾に中学から大学院まで12年間も在学した人間としては甚だ迂闊でしたが、初めて知りました。
祖父は知っていたのかもしれませんが、土岐氏のことをおそらく意識していなかったと思います。
なぜならば、この『光秀行状記』の著者序文の中で歌人・国語学者として著名な土岐善麿氏との再会の話が書かれているのですが、そこには土岐氏を意識した記述が一切ありません。
ある席で初対面と思った善麿氏より「まだ記者だった時代に光秀のお話を伺いに会社へお尋ねしましたよ」と言われて驚いたというお話です。土岐氏の意識があれば当然そのことを書いたはずです。善麿氏も祖父もお互いに土岐氏の共通意識はなかったようです。
★ Wikipedis「土岐善麿」記事
それも無理のないことです。土岐氏を理解しないと本能寺の変は解けないと気付いたのは私が四百年来、初めてです。光秀は土岐氏再興を担っており、土岐氏滅亡の危機を救うために謀反を起こしたのです。そのことに気付いたことに祖父も草葉の陰で喜んでくれていると思います。これまで全く意識していなかったことですが、思えば、慶應、三菱、本能寺の変研究とずっと祖父のあとをたどってきたようです。
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は!
以下の愛宕百韻シリーズをお読みいただくと光秀謀反にあたえた土岐氏の意味がご理解いただけると思います。是非、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』をお読みいただき、歴史の真実をご理解いただきたいと思います。
【愛宕百韻シリーズ】
解読捜査(捜査開始宣言) 2010.2.21
解読捜査(標的の確定) 2010.2.23
解読捜査(表の意味解釈) 2010.2.26
解読捜査(土岐氏の流れ) 2010.3.4
解読捜査(完全解読の意義) 2010.3.21
解読捜査(遂に完全解読!!) 2011.8.20追記
解読捜査(追記前編):新証拠出現 2012.1.14
解読捜査(追記後編):記録者・太田牛一の誠意 2012.1.15
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
本能寺の変 四二七年目の真実明智 憲三郎プレジデント社このアイテムの詳細を見る |
僕は詳しくは知りませんが、水色の野球帽に土岐桔梗の花びらがやや広がった家紋マークを刺繍して、土岐源氏 明智光秀て刺繍入れたのが
12コ有ります!
その写真また、送りますわ!
例の明智さんの展覧会の案内状は刷り上がってるみたいなんですが、印刷屋さんから、作家さんの方に直接送られたみたいで、手元に有りません。届きしだい送らせていただきます!
僕が、かってに自分が被るためにデザインして、帽子屋さんにたのみました!
しかし、最低5コ以上でないと注文受けてもらえないので、桔梗の花びら青色バージョンが、全ニット帽3コ、夏用の後ろメッシュバージョン
3コ、桔梗の花びら、白色バージョンも同じように3コずつです!僕は青色の方が好きなので、
先生に白色バージョンプレゼントしますわ!
ただサイズが、Mサイズです!たぶん55㎝前後のアジャスター付きです!僕頭小さいんですわ!
たとえば、プロ野球のファンの人が球団の帽子を買うみたいな感じかな?
僕の場合、戦国グッズで明智光秀さんの帽子は、気に入るのが無かったので、それなら、オリジナルで好きなのを作製した方が、満足と言うか、落ち着くんですわ!
帽子が好きなんかな!大学卒業して帽子会社に就職してました!
明智光秀さんのゆかりの地を訪ねる時はこの帽子と桔梗紋直径約30㎝ぐらいのトートバックにカメラ入れて撮影に行きます!
今納車待ちなんですが、ピザ屋さんでよく使用している3輪バイクを買ったのですが、これも、水色に塗って、桔梗紋入れて、帽子と同じようにするつもりでしたが、やめました!
頭の中に有る物が、普通の人と、違うんだと思います!
私の家系の先祖に、三宅秀という医師がいました。三宅秀は、順天堂創始者佐藤尚中の娘と結婚し、佐藤家と三宅家とは親戚となりました。
その為、佐藤家繋がりで三宅家と福沢家、三菱の岩崎家はすべて系図上、遠縁として繋がっています。
福沢諭吉翁夫人が土岐一族だっとは知りませんでした。
憲三郎様を含め、あちこち不思議なご縁で繋がっていますねぇ。
これからも、宜しくお願い致します!
今日関係者の1人と歴史とか、城跡、明智光秀さんの事とか話してたら、神社の宮司さんが、明智光秀さんは、野田と関係が有る?みたいな事おっしゃってました!
野田とは、大阪市福島区に有る野田城跡の事?
実際、関係有るのでしょうか?
どうにかして、関連させて、憲三郎先生に講演していただけるきっかけを考えております!