本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

「千思万考」黒鉄ヒロシ氏の本能寺の変

2012年08月30日 | 427年目からの挑戦
 8月26日(日)12:00に私のブログのアクセスが急増しました。普段10人/時程度のエントリーなのに一挙に120人に増えました。何があったのかと思ったら、テレビ朝日サンデースクランブルの黒鉄ヒロシ氏「千思万考」コーナーで「本能寺の変の真実」について放送していたことがわかりました。
 私は直接見たわけではないのですが、放送を見た友人から黒鉄氏がアビラ・ヒロン『日本王国記』に書かれている織田信長の「余は余自ら死を招いたか」という言葉を紹介して、本能寺の変が実は「信長による家康討ち」だったと語ったとのことです。
 もちろんこれは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた私の見出した真実のひとつです。この春にもPHP研究所発行の雑誌『歴史街道』5月号の「本能寺の変特集」に「余は余自ら死を招いたか」というタイトルで寄稿しました。
 ★ 「歴史街道」は戦国史を書きかえられるか?

 黒鉄氏はこの特集のコメンテータとして記事を書いておられ、その中で「余は余自ら死を招いたか」に関心を示していたので、私の寄稿に賛同して頂けたのではないかと期待していました。どうやら、その期待が現実になったようです。心強い賛同者が現れたものです。
 黒鉄氏はまだ拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』そのものはお読みでないようですので、是非是非早い機会にお読みいただき、『歴史街道』の寄稿文ではとても書ききれなかった私の推理と証拠の全貌をご理解いただきたいと期待しております。

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5 コメント

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Unknown (通りがかり)
2012-08-31 12:47:30
先日、土岐信吉さんという方が書いた歴史小説(1995年の作)「秀吉謀反 異説・本能寺の変」という本を読みました。その中では、光秀は、「信長による家康討ち」の実行犯として設定されていました。大変面白かったです。
土岐さんの本を読むまでは、「信長による家康討ち」という発想は、明智さんが言い始めたことだと思っていたのですが、ずいぶん前からあった視点だったみたいですね。


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読んでみます (明智憲三郎)
2012-08-31 14:42:35
 土岐信吉さんの本を早速読んでみることにします。アイデアだけなら誰でも言えることなので、どのような裏付けが提示されているのか確認してみたいと思います。
 それにしても「土岐」さんとは何とも奇遇です。
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誤読では? (明智憲三郎)
2012-09-05 12:11:54
 土岐信吉さんの本を図書館で借りて早速読みました。「光秀は、信長による家康討ちの実行犯として設定されていました」という「通りがかり」さんの言う事実は確認できませんでした。本当に読まれたのですか?
 それに土岐さんの本は小説です。史実を伝えようとしたものではないので、たとえ「家康討ち」が書かれていても、それはアイデアに過ぎないでしょう。私のように証拠を積み重ねて、最後にこの結論しかありえないとして出てきた答とは別物です。
 「通りがかり」さんにも是非拙著『本能寺の変 四二何年目の真実』をお読みいただき、本物の歴史の面白さを感じていただきたいと思います。
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再び「信長は謀略で…」 (フロイス・2)
2012-09-06 23:16:15
このブログではおなじみの、鈴木・藤本共著「信長は謀略で殺されたのか: 本能寺の変 謀略説を嗤う」の中で、藤田達生氏が「本能寺の変の群像」という著書(雄山閣出版)で信長の家康討ちを唱えていられることが紹介されています。 この事は、2011年5月8日の明智さんのブログ記事への僕のコメント(やたら長い…)でも触れました。 僕自身は「本能寺の変の群像」は読んでいません。 読まれた方の感想には興味ありです。
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藤田氏の「大胆な仮説」 (明智憲三郎)
2012-09-09 13:12:08
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』130頁でも藤田氏の仮説を紹介しています。藤田氏は「状況証拠のみであるが大胆な仮説」として、警戒心の強い信長が光秀の軍勢を京都周辺に残した理由はこれしか考えられないとして、本城惣右衛門の覚書でわかるように当時は信長が光秀を使って家康を討つことは何ら不思議がなく、信長はそろそろ家康を処分しようとしていたとしています。
 藤田氏はこれ以上の裏付け証拠を示しておらず、「大胆な仮説」にとどまっています。その後、藤田氏は「信長による家康討ち」は主張しておらず、「足利義昭黒幕説」の主張に力を入れているようです。
 私が捜査を始める前に藤田氏の著書は読んでいたのでこの話は頭のどこかには入っていましたが、証拠から積み上げ直して推理していく過程ではすっかり忘れていました。最後に悶々として全ての証拠のつじつまの合う答を探していて、ぽっと答が出てきたときにも忘れていました。
 拙著を執筆していて気が付き、藤田氏の先見性に敬意を表して拙著に敢えて藤田氏の著書での「大胆な仮説」について書いた次第です。
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