
【写真】 光秀居城の丹波亀山城の石垣
私の先祖は明智光秀の子の於隺丸(おづるまる)が山城国の神社に匿われ、名字を明田(あけた)と変えて代々隠れ忍んできたと伝わります。系図は存在せず、口伝だけなのですが、昨年の捜査で私から6代前の明田利右衛門という人物までの250年の系図を復元できました。この人物が京都三条白川筋にある明智光秀公首塚に関係した明智光秀の子孫であることが江戸時代の史料で確認できています。詳しくは次の記事をご覧ください。
>>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道
明治時代になって私の曾祖父が政府に申請して姓を明田から明智へ戻しました。当時、そのことが郵便報知新聞の記事にもなって評判になったと伝えられています。数年前に国会図書館でこの記事を探してみたのですが、残念ながら記事の掲載された年月日がわからず、膨大な量の新聞を前にして頓挫しておりました。
私にとっては本能寺の変の真実の捜査が優先課題であり、自分のルーツ捜査は後回しにしていたのですが、昨年の進展を踏まえて、この新聞記事の発見に再度トライしてみたいと思うようになりました。とはいっても、明治5年から存在する新聞を端からチェックしていくと膨大な時間がかかりそうなので、とても一人で取り組む気力が起きませんでした。
そこに先祖のお導きなのか、素晴らしい協力者が現れました。その方の協力を得て3月から捜査を始めたところ、だんだん「この年あたりだろう」という絞り込みができていき、とうとう6月末に発見することができました。明治14年12月16日の新聞でした。
その記事によると曾祖父は一度復姓の申請をしたが認められなかった経緯があり、この年が光秀300年忌なので追善かたがた復姓したいと系譜一巻を添えて再申請して認められたとのことです。記事には曾祖父の提出した申請文も掲載されており、復姓の理由は「将来愚昧な子孫が明田を本姓と誤り、光秀の子孫であることを忘れてしまうことを危惧して」とのことです。記事によれば光秀の短刀と短冊も伝わっていたと書かれていますが、系譜一巻も含めて、これら伝承品の一切は関東大震災で消失して現在は存在しません。
私のルーツ捜査はこうして第二段まで至りました。残るは明田利右衛門から於隺丸まで遡る150年間の第三段です。いつになるかわかりませんが、チャレンジしてみたいと思います。
【おまけ】
実は私のルーツ捜査を飛び越して先へ進んでしまったルーツ捜査の成果が11月に出ました。何とクリス・ペプラーさんが光秀の子孫だったのです!
>>> クリス・ペプラーは明智光秀の子孫?の歴史捜査
---------------------------
明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社・2016年5月14日発売!!
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
私の先祖は明智光秀の子の於隺丸(おづるまる)が山城国の神社に匿われ、名字を明田(あけた)と変えて代々隠れ忍んできたと伝わります。系図は存在せず、口伝だけなのですが、昨年の捜査で私から6代前の明田利右衛門という人物までの250年の系図を復元できました。この人物が京都三条白川筋にある明智光秀公首塚に関係した明智光秀の子孫であることが江戸時代の史料で確認できています。詳しくは次の記事をご覧ください。
>>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道
明治時代になって私の曾祖父が政府に申請して姓を明田から明智へ戻しました。当時、そのことが郵便報知新聞の記事にもなって評判になったと伝えられています。数年前に国会図書館でこの記事を探してみたのですが、残念ながら記事の掲載された年月日がわからず、膨大な量の新聞を前にして頓挫しておりました。
私にとっては本能寺の変の真実の捜査が優先課題であり、自分のルーツ捜査は後回しにしていたのですが、昨年の進展を踏まえて、この新聞記事の発見に再度トライしてみたいと思うようになりました。とはいっても、明治5年から存在する新聞を端からチェックしていくと膨大な時間がかかりそうなので、とても一人で取り組む気力が起きませんでした。
そこに先祖のお導きなのか、素晴らしい協力者が現れました。その方の協力を得て3月から捜査を始めたところ、だんだん「この年あたりだろう」という絞り込みができていき、とうとう6月末に発見することができました。明治14年12月16日の新聞でした。
その記事によると曾祖父は一度復姓の申請をしたが認められなかった経緯があり、この年が光秀300年忌なので追善かたがた復姓したいと系譜一巻を添えて再申請して認められたとのことです。記事には曾祖父の提出した申請文も掲載されており、復姓の理由は「将来愚昧な子孫が明田を本姓と誤り、光秀の子孫であることを忘れてしまうことを危惧して」とのことです。記事によれば光秀の短刀と短冊も伝わっていたと書かれていますが、系譜一巻も含めて、これら伝承品の一切は関東大震災で消失して現在は存在しません。
私のルーツ捜査はこうして第二段まで至りました。残るは明田利右衛門から於隺丸まで遡る150年間の第三段です。いつになるかわかりませんが、チャレンジしてみたいと思います。
【おまけ】
実は私のルーツ捜査を飛び越して先へ進んでしまったルーツ捜査の成果が11月に出ました。何とクリス・ペプラーさんが光秀の子孫だったのです!
>>> クリス・ペプラーは明智光秀の子孫?の歴史捜査
---------------------------
明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社・2016年5月14日発売!!
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
![]() 「本能寺の変」は変だ!著者:明智憲三郎価格:1,080円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る |
![]() | 「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業 |
amazonで詳細を見る | |
文芸社 |
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社