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本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

明智姓復姓の明治14年新聞記事発見!

2016年12月30日 | 427年目からの挑戦
【写真】 光秀居城の丹波亀山城の石垣
 私の先祖は明智光秀の子の於隺丸(おづるまる)が山城国の神社に匿われ、名字を明田(あけた)と変えて代々隠れ忍んできたと伝わります。系図は存在せず、口伝だけなのですが、昨年の捜査で私から6代前の明田利右衛門という人物までの250年の系図を復元できました。この人物が京都三条白川筋にある明智光秀公首塚に関係した明智光秀の子孫であることが江戸時代の史料で確認できています。詳しくは次の記事をご覧ください。
 >>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道

 明治時代になって私の曾祖父が政府に申請して姓を明田から明智へ戻しました。当時、そのことが郵便報知新聞の記事にもなって評判になったと伝えられています。数年前に国会図書館でこの記事を探してみたのですが、残念ながら記事の掲載された年月日がわからず、膨大な量の新聞を前にして頓挫しておりました。
 私にとっては本能寺の変の真実の捜査が優先課題であり、自分のルーツ捜査は後回しにしていたのですが、昨年の進展を踏まえて、この新聞記事の発見に再度トライしてみたいと思うようになりました。とはいっても、明治5年から存在する新聞を端からチェックしていくと膨大な時間がかかりそうなので、とても一人で取り組む気力が起きませんでした。
 そこに先祖のお導きなのか、素晴らしい協力者が現れました。その方の協力を得て3月から捜査を始めたところ、だんだん「この年あたりだろう」という絞り込みができていき、とうとう6月末に発見することができました。明治14年12月16日の新聞でした。
 その記事によると曾祖父は一度復姓の申請をしたが認められなかった経緯があり、この年が光秀300年忌なので追善かたがた復姓したいと系譜一巻を添えて再申請して認められたとのことです。記事には曾祖父の提出した申請文も掲載されており、復姓の理由は「将来愚昧な子孫が明田を本姓と誤り、光秀の子孫であることを忘れてしまうことを危惧して」とのことです。記事によれば光秀の短刀と短冊も伝わっていたと書かれていますが、系譜一巻も含めて、これら伝承品の一切は関東大震災で消失して現在は存在しません。
 私のルーツ捜査はこうして第二段まで至りました。残るは明田利右衛門から於隺丸まで遡る150年間の第三段です。いつになるかわかりませんが、チャレンジしてみたいと思います。

【おまけ】
 実は私のルーツ捜査を飛び越して先へ進んでしまったルーツ捜査の成果が11月に出ました。何とクリス・ペプラーさんが光秀の子孫だったのです!
 >>> クリス・ペプラーは明智光秀の子孫?の歴史捜査

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 本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
 「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」
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