
>>> 本能寺の変の定説は打破された!
本能寺の変についてはいろいろなことが通説となって世の中に広まっています。
親たちや友人から聞かされたこと、本や雑誌に書かれていたこと、テレビ番組が放送していたこと、さまざまなことが皆さんの頭の中に「常識」としてしみ込んでいます。
実はそれらの元ネタをたどっていくと一人の人物に行きつきます。それがあの羽柴秀吉です。本能寺の変の四か月後、秀吉は自分の家臣に一冊の本を書かせました。それが『惟任退治記』です。
この本には光秀が信長を怨んでいた、天下を取る野心を持っていた、そして単独犯行だと書かれています。もちろん中国大返しという秀吉の偉業も書かれていますし、それだけでなく、信長が残虐な人物だということも書かれています。
これらがいずれも秀吉の天下取りに都合がよい話だったのです。いわゆる「大本営発表」です。
★ 通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
秀吉が都合よく作った話を基にして、江戸時代に軍記物という物語がそれらしいエピソードで肉付けして話を膨らませました。そして軍記物を基に歴史小説が次々と書かれ、それらを原作にした歴史ドラマが繰り返し放送されてきました。四百年間、秀吉の作り話が拡大再生産され続けてきたわけです。そして、残念なことに歴史研究界も通説を肯定してしまっています。これには明治政府以降の国策として秀吉が国家の英雄に祀り上げられたことが大きく影響しています。
★ 軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
残念ながらこのような事実が全く知られていませんし、指摘すらされていません。2年前に拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で私が書くまでは、『惟任退治記』に前述のようなことが書かれていることを指摘する歴史研究家すらいませんでした。
「みんな秀吉にだまされている」状況から一刻も早く脱却して、本能寺の変研究や明智光秀研究はもちろん、戦国史研究全体を正しい道にもどさねばなりません。戦国史研究は秀吉によって大きく道を歪められてしまっているのです。
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【定説の根拠を斬る!シリーズ】
通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
本能寺の変についてはいろいろなことが通説となって世の中に広まっています。
親たちや友人から聞かされたこと、本や雑誌に書かれていたこと、テレビ番組が放送していたこと、さまざまなことが皆さんの頭の中に「常識」としてしみ込んでいます。
実はそれらの元ネタをたどっていくと一人の人物に行きつきます。それがあの羽柴秀吉です。本能寺の変の四か月後、秀吉は自分の家臣に一冊の本を書かせました。それが『惟任退治記』です。
この本には光秀が信長を怨んでいた、天下を取る野心を持っていた、そして単独犯行だと書かれています。もちろん中国大返しという秀吉の偉業も書かれていますし、それだけでなく、信長が残虐な人物だということも書かれています。
これらがいずれも秀吉の天下取りに都合がよい話だったのです。いわゆる「大本営発表」です。
★ 通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
秀吉が都合よく作った話を基にして、江戸時代に軍記物という物語がそれらしいエピソードで肉付けして話を膨らませました。そして軍記物を基に歴史小説が次々と書かれ、それらを原作にした歴史ドラマが繰り返し放送されてきました。四百年間、秀吉の作り話が拡大再生産され続けてきたわけです。そして、残念なことに歴史研究界も通説を肯定してしまっています。これには明治政府以降の国策として秀吉が国家の英雄に祀り上げられたことが大きく影響しています。
★ 軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
残念ながらこのような事実が全く知られていませんし、指摘すらされていません。2年前に拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で私が書くまでは、『惟任退治記』に前述のようなことが書かれていることを指摘する歴史研究家すらいませんでした。
「みんな秀吉にだまされている」状況から一刻も早く脱却して、本能寺の変研究や明智光秀研究はもちろん、戦国史研究全体を正しい道にもどさねばなりません。戦国史研究は秀吉によって大きく道を歪められてしまっているのです。
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定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
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信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
「光秀の子孫、「本能寺の変」の真相を捜査」という題で、『三田評論』8・9月号に書かれたことを、私のブログ<轟亭の小人閑居日記>で紹介させていただきました。 以前、池田光さんの講演会でお目にかかったことがあります。
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