垣根涼介氏『光秀の定理(レンマ)』が拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で提示した歴史の真実を取り入れた史上初の画期的な本であることをブログに書きました。
★ 『画期的歴史小説・垣根涼介『光秀の定理』
★ 垣根涼介『光秀の定理』書評
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者のひとこと集
大変面白く読んだ本でしたが、鍵として使われている確率論が本当なのかどうか釈然とせずに、ずっと気になっていました。おそらく、この本を読んだ方は同じような気持ちを引きずっていると思うので、ネタバレに片足を踏み込みそうですが、私がようやく到達した「スッキリ」を解説いたします。
設問は4つあるお椀のひとつだけに石が入っていて、それを選ぶ問題です。一つ選んだ後に空のお椀二つを取り去って、さて、選び直してもよいとしたら、あなたはどうしますか。
答は最初に選んだお椀とは別のお椀を選ぶべきというのです。ほとんどの人が選択するであろう「初志貫徹」をしてはいけないというのです。
私は次のように考えました。おそらく、多くの方がそう考えると思います。
初め4つのお椀の内から1つ選ぶと確率は1/4、空のお椀を2つ取り去って残った2つのお椀の内から1つを選ぶと確率は1/2。「だから最初の選択のままだと確率1/4、2つ残った段階で初めに選んだのとは別のお椀を選び直せば確率1/2。よって、選び直した方が確率が高い」というのでしょう。でも、2つ残った段階では、どちらのお椀も確率1/2になっているはず。選び直しの時に、最初に選んだお椀をもう一度選び直せば確率は同じ1/2に高まるのではありませんか。
こう考えると、どうしても釈然としません。
実はこの設問は1990年にあった有名な実話で、「モンティ・ホール問題」というのだそうです。Wikipediaに長文の解説が書かれています。当時の高名な数学者たちも私と同じように考えて、「あり得ない!」と叫んだようです。(拙著の出した本能寺の変の答を「有り得ない!奇説!」と叫んだ歴史学者がいたのと同じようですね)
結論は垣根氏の確率論が正しいというのです。しかし、3つのドアを例にして説明しているWikipediaの解説を読んでも私にはよく理解できませんでした。どうしても直感と合わないのです。残った2つのお椀はどちらも1/2の確率にしか思えないのです。
そこで、お椀がたくさんある例を考えてみました。たとえば100兆個。初めに1個選ぶと、その確率は1/100兆です。宝くじで1億円当てるより難しいと直感理解できました。残りの(100兆-1)個の方に間違いなく当たりくじがあるでしょう。そこから、ハズレくじを(100兆ー2)個抜いて残った1個のくじこそ間違いなく当たりくじだと直感できました。
これを確率論的に表現すれば次のようになります。
n個のお椀から1個選ぶ確率は1/n、残りの(n-1)個のお椀の1個の確率も1/nだが残り全部では(nー1)個分が合算されて(n-1)/n。残りのお椀から空のお椀を取り去っても、この確率は変わらないので、最後に残ったお椀の確率は(n-1)/nになる。よって、残りのお椀の方の確率が(n-1)倍高くなる。
nを大きくすればするほど残りのお椀の確率が大きくなるので、膨大なお椀の数で考えると直感に合う。お椀が3個や4個で考えると直感となかなか合わせずらい。
いかがでしょうか。スッキリした方は「いいね」のコメントをください。
なお、垣根氏と同じような時期に拙著を「参考文献として掲載」して下さった史上初の歴史小説・伊東潤氏『王になろうとした男』という本も書かれていました。垣根氏、伊東氏の鋭い感性に敬意と感謝を表します。
★ 画期的歴史小説・伊東潤『王になろうとした男』
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>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』読者書評
>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
【参考ページ】
残念ながら本能寺の変研究は未だに豊臣秀吉神話、高柳光寿神話の闇の中に彷徨っているようです。「軍記物依存症の三面記事史観」とでもいうべき状況です。下記のページもご覧ください。
★ 本能寺の変の定説は打破された!
★ 本能寺の変四国説を嗤う
★ SEが歴史を捜査したら本能寺の変が解けた
★ 土岐氏とは何だ!
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 初公開!明智光秀家中法度
★ 『画期的歴史小説・垣根涼介『光秀の定理』
★ 垣根涼介『光秀の定理』書評
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者のひとこと集
大変面白く読んだ本でしたが、鍵として使われている確率論が本当なのかどうか釈然とせずに、ずっと気になっていました。おそらく、この本を読んだ方は同じような気持ちを引きずっていると思うので、ネタバレに片足を踏み込みそうですが、私がようやく到達した「スッキリ」を解説いたします。
設問は4つあるお椀のひとつだけに石が入っていて、それを選ぶ問題です。一つ選んだ後に空のお椀二つを取り去って、さて、選び直してもよいとしたら、あなたはどうしますか。
答は最初に選んだお椀とは別のお椀を選ぶべきというのです。ほとんどの人が選択するであろう「初志貫徹」をしてはいけないというのです。
私は次のように考えました。おそらく、多くの方がそう考えると思います。
初め4つのお椀の内から1つ選ぶと確率は1/4、空のお椀を2つ取り去って残った2つのお椀の内から1つを選ぶと確率は1/2。「だから最初の選択のままだと確率1/4、2つ残った段階で初めに選んだのとは別のお椀を選び直せば確率1/2。よって、選び直した方が確率が高い」というのでしょう。でも、2つ残った段階では、どちらのお椀も確率1/2になっているはず。選び直しの時に、最初に選んだお椀をもう一度選び直せば確率は同じ1/2に高まるのではありませんか。
こう考えると、どうしても釈然としません。
実はこの設問は1990年にあった有名な実話で、「モンティ・ホール問題」というのだそうです。Wikipediaに長文の解説が書かれています。当時の高名な数学者たちも私と同じように考えて、「あり得ない!」と叫んだようです。(拙著の出した本能寺の変の答を「有り得ない!奇説!」と叫んだ歴史学者がいたのと同じようですね)
結論は垣根氏の確率論が正しいというのです。しかし、3つのドアを例にして説明しているWikipediaの解説を読んでも私にはよく理解できませんでした。どうしても直感と合わないのです。残った2つのお椀はどちらも1/2の確率にしか思えないのです。
そこで、お椀がたくさんある例を考えてみました。たとえば100兆個。初めに1個選ぶと、その確率は1/100兆です。宝くじで1億円当てるより難しいと直感理解できました。残りの(100兆-1)個の方に間違いなく当たりくじがあるでしょう。そこから、ハズレくじを(100兆ー2)個抜いて残った1個のくじこそ間違いなく当たりくじだと直感できました。
これを確率論的に表現すれば次のようになります。
n個のお椀から1個選ぶ確率は1/n、残りの(n-1)個のお椀の1個の確率も1/nだが残り全部では(nー1)個分が合算されて(n-1)/n。残りのお椀から空のお椀を取り去っても、この確率は変わらないので、最後に残ったお椀の確率は(n-1)/nになる。よって、残りのお椀の方の確率が(n-1)倍高くなる。
nを大きくすればするほど残りのお椀の確率が大きくなるので、膨大なお椀の数で考えると直感に合う。お椀が3個や4個で考えると直感となかなか合わせずらい。
いかがでしょうか。スッキリした方は「いいね」のコメントをください。
なお、垣根氏と同じような時期に拙著を「参考文献として掲載」して下さった史上初の歴史小説・伊東潤氏『王になろうとした男』という本も書かれていました。垣根氏、伊東氏の鋭い感性に敬意と感謝を表します。
★ 画期的歴史小説・伊東潤『王になろうとした男』
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![]() | 【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫 あ 5-1) |
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>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
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>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
【参考ページ】
残念ながら本能寺の変研究は未だに豊臣秀吉神話、高柳光寿神話の闇の中に彷徨っているようです。「軍記物依存症の三面記事史観」とでもいうべき状況です。下記のページもご覧ください。
★ 本能寺の変の定説は打破された!
★ 本能寺の変四国説を嗤う
★ SEが歴史を捜査したら本能寺の変が解けた
★ 土岐氏とは何だ!
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 初公開!明智光秀家中法度
フェイスブックにまで来て頂いて、光栄です!
「光秀の定理」は、婦人誌「LEE」でも、読書欄で取り上げられていました。
これから真説が静かに、広まっていくのではないでしょうか。
やはり煕子さんは、亡くなられてたのですか。
「兼見卿記」に、煕子さんの妹の死は書かれていたのに、煕子さんの死は書かれていないので、坂本城落城まで生き延びてらっしゃると思ってました。
誰も来ない所で申し訳ないのですが、
フェイスブックに、御本のことを書かせていただきました。
新刊が出るのを心待ちにしております!
父親に煕が付いていたので俗称として煕子といわれているとの話がありましたが、菩提寺の西教寺の中島和尚様によると過去帳に煕子と書かれているそうです。
煕子さんの葬儀に光秀が参列したのは「前代未聞」とも書かれているそうで、当時は奥さんの葬儀には立ち会わなかったようです。
光秀が愛妻家であるとのエピソードは後世の軍記物が作った話で信ずるに値しませんが、確かに愛妻家ではあったようです。
煕子さんが、光秀の為に、懸命にさいころの確率を調べるシーンが好きです。
先をよむのが楽しみです。
有難うございました。
煕子さんの字は、「細川護煕」と打たないと出てこないですね、奇妙な感じがします。
関係ありませんが、元首相の息子さん(陶芸家)は、細川護「光」さんとおっしゃるそうです。