日本における歴史人口学の礎を築いた慶應義塾大学名誉教授・速水融(あきら)氏の『歴史のなかの江戸時代』から示唆に富んだ一文をご紹介します。
わが国の日本史研究には二つの致命的な欠陥があるように思われる。
一つは、歴史学においては、あるきまった普遍法則がすでに発見されているということから出発して、それに合うべき「史実」を史料から求めるという態度である。ここでは前述の科学的手続きの内、観察と仮説の設定を欠き、検証も十分行われていないことになる。あるいは本来自らの苦闘によって切り開かなければならないこの過程を、既存の、権威者の手に委ね、その努力を放棄してしまっていることである。この態度に立つとき、歴史研究はまことに気楽で、居心地のよいものになるだろう。何しろ、観察、仮説の設定という作業は、とくに歴史研究においてはおそろしく大量の時間と労力、そしてある場合には資金を必要とする。本を数冊買って読めば済むというようなものではない。さきに述べた文献史料の持つ不完全性を補うためには、それを間接的史料でカバーしたり、非文献資料に拠ったり、ありとあらゆる材料を探さなければならない。(中略)
欠陥の第二は、歴史研究という名の下に、史料、とくに文献史料の羅列で済まされているという状況である。(中略)
批判の手続きを踏むことを必須の条件とする史料をそのまま引用して、観察や検証が済んだとするのは歴史の研究とはいえない。そこから史料の向う側にある史実をいかに読み取り、史料に直接表現されていない、あるいは史料の書き手や、当時の人々には意識されていなかったかもしれない事実や法則を読み取らなければならない。あたかも自然科学の場合に、観察や検証が対象物を直接肉眼でみるだけでは到底満足しえないのと同様である。観測や実験のための装置が必要だし、そのためのテクニックが当然要求される。
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一つは、歴史学においては、あるきまった普遍法則がすでに発見されているということから出発して、それに合うべき「史実」を史料から求めるという態度である。ここでは前述の科学的手続きの内、観察と仮説の設定を欠き、検証も十分行われていないことになる。あるいは本来自らの苦闘によって切り開かなければならないこの過程を、既存の、権威者の手に委ね、その努力を放棄してしまっていることである。この態度に立つとき、歴史研究はまことに気楽で、居心地のよいものになるだろう。何しろ、観察、仮説の設定という作業は、とくに歴史研究においてはおそろしく大量の時間と労力、そしてある場合には資金を必要とする。本を数冊買って読めば済むというようなものではない。さきに述べた文献史料の持つ不完全性を補うためには、それを間接的史料でカバーしたり、非文献資料に拠ったり、ありとあらゆる材料を探さなければならない。(中略)
欠陥の第二は、歴史研究という名の下に、史料、とくに文献史料の羅列で済まされているという状況である。(中略)
批判の手続きを踏むことを必須の条件とする史料をそのまま引用して、観察や検証が済んだとするのは歴史の研究とはいえない。そこから史料の向う側にある史実をいかに読み取り、史料に直接表現されていない、あるいは史料の書き手や、当時の人々には意識されていなかったかもしれない事実や法則を読み取らなければならない。あたかも自然科学の場合に、観察や検証が対象物を直接肉眼でみるだけでは到底満足しえないのと同様である。観測や実験のための装置が必要だし、そのためのテクニックが当然要求される。
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明智 憲三郎 | |
文芸社 |
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