S30~40年代、私たちの冬の通学は、朝7時半頃に浜のいりこ納屋に集合。
寒いとみんなが集まるまで「肉弾」というゲームをやっていました。
二手に分かれて攻撃と防御のゲーム。攻撃側が防御網を破って敵陣地に侵入し
陣地を獲得すればおしまい。すごく単純な遊び。スリルがありました。
それをやっていた季節に、前の湾ではたまに写真のような光景が現れていました。
冷え込んだ朝の光景は今でもたまに見られますが、温暖化のせいか以前よりは
少なくなったようです。
S30~40年代、私たちの冬の通学は、朝7時半頃に浜のいりこ納屋に集合。
寒いとみんなが集まるまで「肉弾」というゲームをやっていました。
二手に分かれて攻撃と防御のゲーム。攻撃側が防御網を破って敵陣地に侵入し
陣地を獲得すればおしまい。すごく単純な遊び。スリルがありました。
それをやっていた季節に、前の湾ではたまに写真のような光景が現れていました。
冷え込んだ朝の光景は今でもたまに見られますが、温暖化のせいか以前よりは
少なくなったようです。
超大型非常に強い台風21号が日本列島に接近中。
すっぽりと日本が包まれてしまうほどの大きさです。怖い。
現在の通過予定コースでは、当地では東寄りあるいは北東の風が吹きます。
時折風が舞っています。今夜にかけてその影響が最大に出そうです。
お祭り前の忙しい時期ですが、ちょっと掃除には向いていないかも。
じっと通り過ぎるのを待ちます。
通過後は秋晴れがやって来そうです。
前回の台風は18号の誤りでした、すみません。
この台風は四国西南地域を通過し、狩江地区は北風となりました。
よって南風がまともに当たる最悪ルートは免れました、良かった。
雨はかなり短時間で降りましたが、みかんにとっては
いい雨だったと思います。
現在狩江地区は大潮の関係で、日頃見られない
海岸風景を見ることが出来ます。
地質学的には、我々の住んでいる地域は豊後水道の
断層に引っ張られ、沈んでいるそうです。
逆に、四国山地の山の方は盛り上がっているそうです。
へぇ~、そうなんだ。
田之浜~島の元付近までのちょっとした海岸線の風景です。
ここら辺は、東西に通る仏像構造線。白い石は石灰岩。
島の元付近です(↓)。遠くにミツコシ島がみえますが、その左側に
小さな島が出てきているのがわかりますか?
このような大きな干潮時でないと見れません。
また、島の元への道もくっきり出ております。写真から
かなり潮が引いていることが分かると思います。
昔、下の写真の中の、磯の端には干拓の為の石垣が作られていたそうです。
埋め立てしようという計画だったそうですが、台風であっけなく頓挫。
今では、そのなごりの石積がこのような干潮時には見えるそうですが
まだ見たことありません。
今日は全国的に黄砂が舞っているとのこと。
いつもなら宇和島の鬼が城が見えるのですが、ご覧の通り
うす曇りのような黄砂が立ち込めていました。
R378沿いの海辺の風景を切り取ってみました。
ちなみに下の写真は、狩浜からずっと南の由良半島で写した写真で、
愛南町(旧城辺町)~足摺あたりを映したものです。
少し時間ができたので、非日常的な体験をしたくて、ある所へ
行ってきました。
歩いてゆくと、岩々がせり上がり、はて?どこかの惑星に不時着してしまったのか?
これはとてつもない時間が作った地層の断面か?
奇妙な岩が水面に現れる。
やはり大地の唸りが聞こえてきそうだ・・・。
どこからか鳥竜の姿が現れてきそうだ、あるいは恐竜が首を水面から出しているかも。
ここは四国西予ジオパークのうち、お隣三瓶町の須崎海岸の風景です。
わたしたちの段々畑風景を語るとき、秩父帯南帯層は切っても切れない
関係にあります。すなわちこの地層帯と四万十帯の間に出来た、日本で
唯一海との接点を持った石灰岩地層がわたしたちの明浜にあるのです。
大陸プレートとフィリピンプレートがぶつかり合った生々しい跡が
この須崎海岸のこの場所に残っています。しかも日本最古の地層帯が
西予市に存在していることをみなさん、覚えていて下さい。その名は・・・
黒瀬川構造帯!