ご存知のように前回からひまわりさんがこのサイト運営に加わって
いただきました。彼女は狩江の生まれではないのですが、縁あって
この地で仕事を持ち、生活されています。彼女のように新しい視点から
この狩江を見つめることができるのも、ふるさとを創ってゆくうえで
大切なことだと思っています。人と語り合ったり交流することが大好きな
ピチピチギャルです、これからもよろしくお願いいたします。
さて、7月19日<日)8:00~12:00、第2回「狩江の山を歩く会」が
今年もおこなわれました。今年のコースは、お宮~天神様~水車の清掃を
兼ねた初級コース。といっても夏の日差しはやっぱりこたえました。
天神様へは長い階段を登り、ようやく到着。ほこらの周りを掃除し
学問の師に一同ご利益を願い、再び山を。
愛媛新聞社の支局長さんも参加、たいへんごくろうさんでした。
水車へは割と近く、何十年ぶりか、あるいは初めての人たちもおられました。
名前のごとく、昔この沢から水を引いた、水車の小屋がありました。
が、ある年の水害で崩壊し、今はその石垣が残るのみ。
人も住んでいたそうで、粉を挽く仕事だったそうです。
写真はその小屋あたり。
いただきました。彼女は狩江の生まれではないのですが、縁あって
この地で仕事を持ち、生活されています。彼女のように新しい視点から
この狩江を見つめることができるのも、ふるさとを創ってゆくうえで
大切なことだと思っています。人と語り合ったり交流することが大好きな
ピチピチギャルです、これからもよろしくお願いいたします。
さて、7月19日<日)8:00~12:00、第2回「狩江の山を歩く会」が
今年もおこなわれました。今年のコースは、お宮~天神様~水車の清掃を
兼ねた初級コース。といっても夏の日差しはやっぱりこたえました。
天神様へは長い階段を登り、ようやく到着。ほこらの周りを掃除し
学問の師に一同ご利益を願い、再び山を。
愛媛新聞社の支局長さんも参加、たいへんごくろうさんでした。
水車へは割と近く、何十年ぶりか、あるいは初めての人たちもおられました。
名前のごとく、昔この沢から水を引いた、水車の小屋がありました。
が、ある年の水害で崩壊し、今はその石垣が残るのみ。
人も住んでいたそうで、粉を挽く仕事だったそうです。
写真はその小屋あたり。
どうも~はじめてまして♪
「ひまわり」といいます。これからちょくちょく狩江の面白きことを
ご紹介していきますので、どうぞよろしく!
ここで、ちょっとだけ自己紹介~☆
最近ビリヤードの音にはまっています(笑)スコーンと打つ球の音がたまりません
昨日も、ビリヤードをするために夜な夜な遊びにいきました。
出身は、お酒の強い人がいるっていえば、○○県!と
分かる方も多いと思いますが、そんな県民です。
お酒は大好き!なのですが、最近弱い体質という事を知り
最近は、運転手役も多いため、ここ半年。。飲んでません。
酔っ払ったらどうなるか…(皆さんのご想像にお任せします)
ここ狩江に来たキッカケは、
変人が大好きだからということもあるのですが、
1年を振り返って思うと、住んでる人と声を交わしたり遊んだりと
地域の中で、私も住んでるんだな~ということが大好きだからと
いうことでしょうか。
地元人でも、ここにどうして来たの?とか
若いのにどうして?友達にとめられんかった?などなどと
言われたこともありますが、なんだか、好きなんですよね
知っている人が周りにいて、何気ないこととかを話したり
一緒に、道を掃除したり、一緒に山に登ったり
一緒に暮らしているんだな~。ってのが楽しいんです。
ここ3日間の連休でもそんなことを感じました。
クルマのドアが少し開いているから、締めたほうがいいよ~とか
タコを料理するには、まずボイルしてからさばくんだよ~とか
メガネは、あそこに行ったら直してくれるよ~とか
そんな会話が素敵なんですよね♪
今朝の感動したことを思い出したら、長くなってしまいましたが
こんな感じので自己紹介を終わります。では、こんなところで
「ひまわり」といいます。これからちょくちょく狩江の面白きことを
ご紹介していきますので、どうぞよろしく!
ここで、ちょっとだけ自己紹介~☆
最近ビリヤードの音にはまっています(笑)スコーンと打つ球の音がたまりません
昨日も、ビリヤードをするために夜な夜な遊びにいきました。
出身は、お酒の強い人がいるっていえば、○○県!と
分かる方も多いと思いますが、そんな県民です。
お酒は大好き!なのですが、最近弱い体質という事を知り
最近は、運転手役も多いため、ここ半年。。飲んでません。
酔っ払ったらどうなるか…(皆さんのご想像にお任せします)
ここ狩江に来たキッカケは、
変人が大好きだからということもあるのですが、
1年を振り返って思うと、住んでる人と声を交わしたり遊んだりと
地域の中で、私も住んでるんだな~ということが大好きだからと
いうことでしょうか。
地元人でも、ここにどうして来たの?とか
若いのにどうして?友達にとめられんかった?などなどと
言われたこともありますが、なんだか、好きなんですよね
知っている人が周りにいて、何気ないこととかを話したり
一緒に、道を掃除したり、一緒に山に登ったり
一緒に暮らしているんだな~。ってのが楽しいんです。
ここ3日間の連休でもそんなことを感じました。
クルマのドアが少し開いているから、締めたほうがいいよ~とか
タコを料理するには、まずボイルしてからさばくんだよ~とか
メガネは、あそこに行ったら直してくれるよ~とか
そんな会話が素敵なんですよね♪
今朝の感動したことを思い出したら、長くなってしまいましたが
こんな感じので自己紹介を終わります。では、こんなところで
今日は海の神様のお祭りの日。
スペシャルイベント、門之脇村芝居大演芸大会は隔年の催しなので
今年はありません、が、公民館ではそのかわりに「おもしろビデオ上映会」が
ありました。かつてはぎおん界隈にカキ氷などが売られて、私も小さい頃
それを食べた記憶があります、もう50年近く前の話ですが。
さて、ホットニュース。
本浦地区、とある一人住まいのおばあさん宅に異変あり!
階段あたりになにかトロッとしたものが、天井から落ちているとの事。
なんとそれは蜜らしく、調べたところ、天井裏にミツバチが大きな巣を
作っていて、その蜜がこのところの暑さか湿気の加減で剥げ落ちたのではとの事。
市役所の方が取り除くらしいですが、なにかハチ蜜もったいないような・・・・
写真はその天井裏のようす(写真は公民館主事さんよりご提供)。
スペシャルイベント、門之脇村芝居大演芸大会は隔年の催しなので
今年はありません、が、公民館ではそのかわりに「おもしろビデオ上映会」が
ありました。かつてはぎおん界隈にカキ氷などが売られて、私も小さい頃
それを食べた記憶があります、もう50年近く前の話ですが。
さて、ホットニュース。
本浦地区、とある一人住まいのおばあさん宅に異変あり!
階段あたりになにかトロッとしたものが、天井から落ちているとの事。
なんとそれは蜜らしく、調べたところ、天井裏にミツバチが大きな巣を
作っていて、その蜜がこのところの暑さか湿気の加減で剥げ落ちたのではとの事。
市役所の方が取り除くらしいですが、なにかハチ蜜もったいないような・・・・
写真はその天井裏のようす(写真は公民館主事さんよりご提供)。
7月号の狩江公民館だよりがポストにはいっていましたので
読んでいます。今月号では、通学合宿の体験談、レクバレー大会などのお知らせ。
その中でちょっと面白そうな欄があったのでご紹介。
7月19日(日)今年もやるぞ!狩江の山を知る(歩く)会の開催。
今年は天神様からみずぐるまへのコースだそうです。去年はひやまの
狼煙あとや高~い石垣散策でした。興味のある方はぜひどうぞ。
7月15日(水)第2回面白ビデオ上映会
ちょっと前の昔ビデオの上映会か?乞うご期待ですね。
以上のような内容ですが、関係者の方、ご苦労さんです。
写真はチリメン漁を終えて夕方船が岸に着いたところ。
このところチリメン漁は豊漁なのです。
読んでいます。今月号では、通学合宿の体験談、レクバレー大会などのお知らせ。
その中でちょっと面白そうな欄があったのでご紹介。
7月19日(日)今年もやるぞ!狩江の山を知る(歩く)会の開催。
今年は天神様からみずぐるまへのコースだそうです。去年はひやまの
狼煙あとや高~い石垣散策でした。興味のある方はぜひどうぞ。
7月15日(水)第2回面白ビデオ上映会
ちょっと前の昔ビデオの上映会か?乞うご期待ですね。
以上のような内容ですが、関係者の方、ご苦労さんです。
写真はチリメン漁を終えて夕方船が岸に着いたところ。
このところチリメン漁は豊漁なのです。
今回より新しい「狩江の歴史をたずねて」のコーナーを設けました。
昔からの地名、いわれ、慣習、伝説など、狩江の歴史に関するものを
このコーナーでご紹介したいと思います。
まず第一回目は、”同時ゲ峠”。その名の通り、「どうじがとうげ」と呼びます。
ここは地元では、”越え(こえ)”とも呼ばれているあたり。
狩浜本浦から高山へ通じる、まだ今の国道も整備されていない時代の
唯一の道でした。写真のようにお寺から道が山に向かって通っており
ここは大変急な道でもありました。
かつて宇和島藩と吉田藩とに分かれた時代、吉田藩の狩江からと
宇和島藩の高山から年1回、境界線を確認する為、この峠で
同時に落ち合ったことからこの名がつきました。
その時代、領地は開墾の土地や水利など、藩にとっても地区にとっても
大変重要な事柄でした(現在も)。領地をめぐる問題はその後もいろいろな所で
あったようですが、そのため年1回の境界確認は重要なものだったのです。
昔からの地名、いわれ、慣習、伝説など、狩江の歴史に関するものを
このコーナーでご紹介したいと思います。
まず第一回目は、”同時ゲ峠”。その名の通り、「どうじがとうげ」と呼びます。
ここは地元では、”越え(こえ)”とも呼ばれているあたり。
狩浜本浦から高山へ通じる、まだ今の国道も整備されていない時代の
唯一の道でした。写真のようにお寺から道が山に向かって通っており
ここは大変急な道でもありました。
かつて宇和島藩と吉田藩とに分かれた時代、吉田藩の狩江からと
宇和島藩の高山から年1回、境界線を確認する為、この峠で
同時に落ち合ったことからこの名がつきました。
その時代、領地は開墾の土地や水利など、藩にとっても地区にとっても
大変重要な事柄でした(現在も)。領地をめぐる問題はその後もいろいろな所で
あったようですが、そのため年1回の境界確認は重要なものだったのです。