2番神輿のお帰りシーン。読者からの提供です。
11月に入りました。さすがに秋らしく(今頃言うのも変ですが・・・・)なってきました。
まだカメムシがやたらと多く、夜は自販機にいっぱい寄ってきます。
このカメムシで、ミカンもかなりやられていると聞きます。
狩浜浦庄屋大塚彦惣の長男で、安政6年(1859)に生まれた高太郎は
明治12年、各浦ごとに戸長役場が置かれた時、22歳の若さで戸長となる。
のち明治22年には、渡江・狩浜合併事務担当となる。「狩江村」という村名は
この高太郎が提案したものだそうである。
あれ・・・・・・っ、角が・・・・・・・
でも、治って出てきました。この間かなりインターバルあり・・・・・。