HASHI氏よりご提供いただきました。
昭和47年当時のお伊勢山風景です。塔の松がまだりっぱにその雄姿を見せています。
お伊勢山も、中浜もまだ、埋め立てしていない状態です。
人は変わっても、海や山は変わらないのですね・・・。
HASHI氏よりご提供いただきました。
昭和47年当時のお伊勢山風景です。塔の松がまだりっぱにその雄姿を見せています。
お伊勢山も、中浜もまだ、埋め立てしていない状態です。
人は変わっても、海や山は変わらないのですね・・・。
狩江の元気シリーズ、今回はジオガイドに奮闘中のみなさんです。
ガイド要員13名のみなさんは、最後の追い込みの実地研修。地域の魅力ポイントを十分理解しながらコースを
歩きました。ちなみにこの辺りは、広福寺まえのエスロンの束のポイント。
急峻な道を登ってゆきます・・・・・
途中、段々畑で桑の木があります。
これは以前、畑で桑の木が栽培されていたことを物語る数少ない一本です。
いよいよ来週日曜は、ゲスト20人が来られるそうです。
頑張って下さいね~!
私のような昭和生まれの者は、畑にミカン以外の作物をあんまり見たことがありません。
そう、生まれた時からミカンだけでした。
でもこの300~400年間、当地では蝋の原料となるハゼ、桑、麦、甘藷(いも)、そしてミカンと
移り変わってきました。いまでは数十種類のミカン品種が栽培されています。(す、すばらしい!)
平野が狭い分だけ、畑は急斜面を利用して海岸付近まで作られる・・・・。R378はそんな段々畑を横切っています。
前には宇和海が、いつもと変わらずきらきらと輝いている。
石にもいろいろな利用方法があります。
狩江の山には、いわゆる仏像構造線というものが通っていて、その断層に沿って石灰岩の層ができています。
基本的には白い石で、海のサンゴなどが石になったものです。エジプトピラミッド、万里の長城、古代ギリシャの神殿など
この石灰石のおかげで、我々の文明は栄えてきました。
ここ狩浜の山にも、サンゴ、プランクトンなどが堆積してできた石灰岩が、写真のように露出しています。
これを先代たちは石組みの材料として活用しました。それがいま、日本に他に類を見ない石灰石の段々畑として
注目を集めているのです。割と加工しやすく、明治期になって火薬類が普及したことにより、なお一層この石灰石の
段々畑は面積を増やしてゆくことになります。
地域づくりの会である、かりとりもさくの会では、いま、ジオガイドの養成を
おこなっています。地域の魅力を、外部から来られたゲストに紹介し、
この狩江を好きになってもらうことにあります。
3月よりほぼ毎週日曜日に、勉強会を実施して、13名のガイド要員の方は
もう少しで一人前のガイドとして、その役割を果たしてゆくことになりました。
毎回この段々畑を散策するたび、感動と発見があります。
このすばらしい先代たちから引き継いだ景観を持てることに、わたしは感謝しています。
ほんとうにすばらしい、生きたピラミッドなのです。
ある方がこう言っています、
「狩江を見て生き長らえろ」
これは「ナポリを見てから死ね」の言わば、狩江版です。
これから多くの外部からのゲストと交流を重ねて、狩江を創ってゆきませんか。