民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「本屋さんで待ちあわせ」 その12 三浦 しをん  

2017年12月14日 00時02分14秒 | 本の紹介(こんな本がある)
「本屋さんで待ちあわせ」 その12 三浦 しをん  大和書房 2012年

 言語を超えた芸の天才 その2
 『人生、成り行き 談志一代記』立川談志・著/吉川潮(よしかわうしお)(新潮社) P-104

 前人未到の境地を、そこには至れないものにも感じ取らせてくれるひと。人間の心の謎に迫り、まったく見たことのなかった風景を垣間見させてくれるひと。その力のあるひとこそを、天才と呼ぶのだろう。
 立川談志の高座を聞くと、脳髄が熱くしびれる。異次元に連れ去られてしまったような浮遊感がある。言語で構成された芸のはずなのに、言語では把握できない「なにか」が凄みとともに立ち現れる感覚。

 でも、その「なにか」は、私たちの内側にもとからあったものなのだ。それはいつも人間の心のなかで、ひっそりととぐろを巻いている。
 落語とは、落語を生み出し享受してきた人間という生き物とは、なんて楽しくおそろしいんだろう。だれの胸にもある沃野(よくや)(荒野かもしれない)の存在に改めて気づかされ、読んでいてなんだか震えがくる一冊だ。

「本屋さんで待ちあわせ」 その11 三浦 しをん

2017年12月12日 01時05分59秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その11 三浦 しをん  大和書房 2012年

 言語を超えた芸の天才 その1
 『人生、成り行き 談志一代記』立川談志・著/吉川潮(よしかわうしお)(新潮社) P-104

 言語を駆使して、言語による認識のくびきから跳躍してみせる。この逆説を成し遂げられるひとは、ほとんど皆無だろう。落語家・立川談志は、それを実現している稀有な存在だ。
 落語に対する自負と気迫、すぐれた分析能力と表現力、孤独と親和、そして常人にはどうも理解しがたい素っ頓狂な爆笑エピソードの数々(なぜか国会議員になる、師匠にヘッドロックをかます、など)。生い立ちから現在に至るまでを多面的にインタビューした本書は、きわめておもしろく深みのある芸談になっているし、「立川談志」という人物そのものを魅力的に浮き彫りにする。

 胸に決めたひとつのことを、ひたすら追求しつづけるのは、楽しいけれどさびしいことだ。あまりにも高度と深度があるので、そのひとがどこを目指しているのか、周囲の人間には計りきれない。しかし、そのひとが「なにかすごいことを実現している」ということだけは、しっかりと感受できる。

「本屋さんで待ちあわせ」 その10 三浦 しをん  

2017年12月10日 00時26分44秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その10 三浦 しをん  大和書房 2012年

 『植民地時代の古本屋たち』沖田信悦・著(寿郎社) P-88

 日本の植民地だった場所(樺太、朝鮮半島など)に、日本人の古本屋が戦前・戦中にいかなる店を出し、どのように商いしていたかを調べた、画期的な本。
 著者の着眼点が、まずすごい。そして、距離も荒波もものともしない。古本屋さんたちの情熱がものすごい。本とひとの存在するところに、古本屋は必ず出現するのである。

 本土(日本列島)の古本屋も、掘り出し物を求めて、植民地に出店した同業者のもとへ積極的に買い付けに行った。当時の地図や当事者の手記が資料として載っていて、ちょっとした冒険気分を味わえる。目に新しい風景を楽しみつつ、結局最後はみんな、本を漁ることに夢中になっちゃっているのがおかしい。古本大好き人間のやることは、どの土地に赴いても、いまも昔も変わらないんだなあ、と親近感が湧いた。

 本を愛し、平和に読書できる時間を愛するひとにとって、忘れてはならない記憶が記録されている。

「本屋さんで待ちあわせ」 その9 三浦 しをん

2017年12月08日 00時08分29秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その9 三浦 しをん  大和書房 2012年

 『ミッキーかしまし』西 加奈子・著(筑摩書房) P-75

 泥酔!蛾と格闘!猫にかしづく!大阪の濃ゆいおっちゃんから(頼んでもないのに)モテモテ!泥酔泥酔また泥酔!
 テヘラン生まれの作家が繰り広げる、愉快な毎日が綴られたエッセイ。とにかく笑える。とんがってはいるが、嫌味がない。忘れちゃいけないのは、笑いの合間に細やかな抒情がひそんでいることだ。

「いいエッセイ」の条件は、「著者の体験や生活臭や考えがページから迫ってきて、『この人は私のためだけに書いてくれている』と読者に感じさせるもの」ではないかと、個人的には思う。本書はまさに、その条件を満たしている。

 だれもが自分はまっとうだと思っているが、実は世の中にまっとうなひとなど一人もいないのだなと、深く感得した。まっとうじゃなくても、まあいいか、他人にあまり迷惑をかけぬ範囲で、楽しく自由に生きていけば!そんなはた迷惑な前向きさが、読むとむくむく湧いてくる。


「本屋さんで待ちあわせ」 その8 三浦 しをん

2017年12月06日 00時05分33秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その8 三浦 しをん  大和書房 2012年

 時に抗(あらが)った作家の生 その2 P-48
 ――『星新一 1001話をつくった人』最相葉月(さいしょうはづき)・著(新潮社/新潮文庫、上下巻)


 著者の最相葉月は、130名以上の関係者を丹念に取材し、「鬼気迫る」と言ってもいい、作家の壮絶な姿を浮き彫りにする。星製薬の御曹司だった新一の、実業家としての苦難と挫折。SFという新しい表現を知り、仲間とともに情熱と高揚感に満ちていたころ。

 さびしい魂を抱えて創作に打ち込んだ。一人の人間の内面に光が当てられていく。誠実で淡々とした著者の筆致から、だが抑えきれない叫びが聞こえる。なにをもって、ひとは「生きた」と言えるのか?

 私は書店でアルバイトしていたとき、星新一の文庫を購入する多くの中学生たちを見た。彼らの目の輝きを見た。500年後はいまこのときと断絶して存在するのではない。星新一の作品に胸踊らせる人々の生が積み重なって、いつのまにか500年が経つのだ。

 私たちはつながっていく。銅像やDNAや鎮座まします「宝」としてではなく、もっと深く心の底を流れ受け渡される喜びがある。生のむなしさを超える力。それが創作物の力であり、創作物を楽しむ人間の力だ。星新一はたしかに、激しく深く、己れの生を生ききったのだ。その生が、彼の死後も私たちを照らす。