民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「声が生まれる」 音がない その3 竹内 敏晴 

2016年12月04日 00時07分23秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 音がない その3 P-6

 もっとも困ったのは軍事教練だった。なにしろ号令がわからないのだから、あわてて周囲に動作を合わせても必ず遅れる。わたしが怒られるのは仕方がないが、分隊なり小隊全体がなんどもやり直させられる。その罪を一人で背負う。面と向かって怒鳴り上げられても脅えはするがなにも聞こえぬ。遂には隊列から外されて、直立不動のまま捨て置かれた。

 ただ一つわたしが心おきなく打ち込めた授業、それは数学、なかでも幾何だった。これは先生に教えてもらう必要がない。後に湯川秀樹氏が同じ理由で好きだったと書いているのを読んでひどく嬉しかったのを覚えている。公理から第一の定理が導き出され、公理と第一の定理から第二の定理が生み出される。この人工言語は生活体験が要らない。「それゆえに」と「なぜならば」による抽象的な論理の構造は話しことばと全く無縁の世界である。わたしは熱中した。図形的な幾何は解答に決まりがない。補助線の発見一つで、三角形の問題として枠組みされている問いを、円の問題として解いたりすることができる発想の飛躍のおもしろさ。ただ一人ノートに文――つまり、ことばを書き綴ってゆく。この時だけはだれにもかかわることのない、耳の聞こえないものに与えられた孤独の充実の世界だった。受験に関係ないのでだれも熱を入れない立体幾何がおもしろくてたまらなくなって、遂に教科書にのっている定理の証明法に異を唱えて教師を壇上で立ち往生させたこともあった。はじめて知った、音声を全く必要としない、人工言語の思考法の存在は、言語障害者に不思議な安堵感をもたらしてくれた。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。