「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その8 伊藤 亜紗 光文社新書 2015年
「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです」 P-54
(前略)中途失明者の難波創太さんは、視力を失ったことで、「道」から、都市空間による「振り付け」から解放された経験について語っています。
「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです、コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね」。
周知の通りコンビニの店内は、商品を配列する順番から高さまで、売上を最大化するための「振り付け」がもっとも周到に計算された空間のひとつです。うかうかしていると公共料金を払いに来たのについでにプリンを買ってしまったりする。
ところが難波さんは、見えなくなったことで、そうした目に飛び込んでくるものに惑わされなくなった。つまりコンビニに踊らされなくなったわけです。あらかじめ買うものを決めて、その目的を遂行するような買い方になります。目的に直行するというとがむしゃら人人間のようですが、むしろ逆でしょう。むろん個人差はあるでしょうが、見える人の手足が目の前の刺激に反応してつい踊り出してしまうのに対して、見えない人はもっとゆったり、俯瞰的にものごとをとらえているのかもしれません。
「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです」 P-54
(前略)中途失明者の難波創太さんは、視力を失ったことで、「道」から、都市空間による「振り付け」から解放された経験について語っています。
「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです、コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね」。
周知の通りコンビニの店内は、商品を配列する順番から高さまで、売上を最大化するための「振り付け」がもっとも周到に計算された空間のひとつです。うかうかしていると公共料金を払いに来たのについでにプリンを買ってしまったりする。
ところが難波さんは、見えなくなったことで、そうした目に飛び込んでくるものに惑わされなくなった。つまりコンビニに踊らされなくなったわけです。あらかじめ買うものを決めて、その目的を遂行するような買い方になります。目的に直行するというとがむしゃら人人間のようですが、むしろ逆でしょう。むろん個人差はあるでしょうが、見える人の手足が目の前の刺激に反応してつい踊り出してしまうのに対して、見えない人はもっとゆったり、俯瞰的にものごとをとらえているのかもしれません。