「無名の人生」 その12 渡辺 京二 文春新書 2014年
3、生きる喜び
身の丈に合った尺度 その2 P-71
逆にいうなら、幸せなことがまったくない一生もないはずです。一生かかって女一人からも好かれたことがない、そういう男性がおられたら、お目にかかりたいものです。
人間の一生には幸福も不幸もあるけれど、その評価は、自分で一生を総括してどう考えるかの問題だということになります。他人が判断できることではありません。幸福度を客観的に測る基準などないからです。
人間の幸福とは、掴みどころのないもの。それでも、ひとつだけ言えることがある。幸不幸の入り混じった人生ではあっても、それを通観してみて、自分なりの尺度でもって判断することはできる。幸も不幸もあったけれど、どちらがより多かったかのか、無駄な一生だったと振り返るのか、それとも実りの多い一生だったと思うのか。
その際、大切なことは、自分の人生をあるがままに受け取ることでしょう。それは、自分の人生を無理に初めから肯定することではありません。それでは、単なる自己満足、自惚れにしかすぎません。そうではなく、まずはあるがままに受け取れるかどうか。そこにすべてがかかっています。逆にそうできなければ、「自分の人生はこんなはずではなかった」と、恨みや後悔ばかりに苛(さいな)まれることになるでしょう。
要は、基準となるべき独自の尺度を一生かけてつくりあげられるかどうか。
3、生きる喜び
身の丈に合った尺度 その2 P-71
逆にいうなら、幸せなことがまったくない一生もないはずです。一生かかって女一人からも好かれたことがない、そういう男性がおられたら、お目にかかりたいものです。
人間の一生には幸福も不幸もあるけれど、その評価は、自分で一生を総括してどう考えるかの問題だということになります。他人が判断できることではありません。幸福度を客観的に測る基準などないからです。
人間の幸福とは、掴みどころのないもの。それでも、ひとつだけ言えることがある。幸不幸の入り混じった人生ではあっても、それを通観してみて、自分なりの尺度でもって判断することはできる。幸も不幸もあったけれど、どちらがより多かったかのか、無駄な一生だったと振り返るのか、それとも実りの多い一生だったと思うのか。
その際、大切なことは、自分の人生をあるがままに受け取ることでしょう。それは、自分の人生を無理に初めから肯定することではありません。それでは、単なる自己満足、自惚れにしかすぎません。そうではなく、まずはあるがままに受け取れるかどうか。そこにすべてがかかっています。逆にそうできなければ、「自分の人生はこんなはずではなかった」と、恨みや後悔ばかりに苛(さいな)まれることになるでしょう。
要は、基準となるべき独自の尺度を一生かけてつくりあげられるかどうか。