民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「つつじ娘」 沼田 曜一

2012年09月11日 16時38分59秒 | 民話(昔話)
 「つつじ娘」    「愛と哀しみの民話劇場」 沼田 曜一  蒼洋社 昭和54年

 むかし。
 信州の山口という村に、ひとりの美しい乙女がおったそうな。
 ある年のこと。はるか山のかなたの松代の祭りに招かれて行って、そこの若者と知りおうた。
 夜空を焦がすような焚き火を囲み、歌って、踊って、夜を過ごすうちに、いつか二人は思い思われる仲になっておった。

 ところが、祭りが終わってしまえば、昔のことだから会う機会はない。
 その上、二人の間には、太郎山、大峯、といった五つの険しい山々が立ちふさがっておる。
 会えぬと思うとよけいに想いはつのるものだ。毎日山を眺めてため息をついておった乙女の胸は、日とともに、狂おしいばかりに燃えさかっていった。
 「・・・おら、あの山を越えて、必ず会いに行くだ」

 思いつめた娘は、ある晩、こっそり家を抜け出した。
 男でも恐ろしい夜の山道を、両のこぶしを握り締めて走り続け、一つめの山を越え、二つめの山を越えると、胸は張り裂けそうに苦しい。
 それでも、ただ、会いたい、会いたいの一心で、髪をふり乱して走り続け、三つめの山も、四つめの山も越え、明け方近く、とうとう五つの山を走りぬいて、若者の家にたどり着いた。

 そして、戸口にもたれかかりながら、必死に叩き続ける音に、出てきた若者が驚いた。
 「・・・どうしたんだ、こんな夜更けに・・・?」
 「お前に、お前に会いとうて・・・」
 「あの山を、ひとりで越えてきたんか?」
 娘は、得意げにうなずくと、両の手を若者の前に差し出して、開いてみせた。
 そこには、たった今つきあげたかのような、ほかほかと温かい餅が、一つづつのっておった。
 若者は、いきなり娘を抱きしめた。
 娘は息もつまるほどに幸せであった。

 その夜から、娘は、毎晩のように訪ねてきた。
 そして、そのたびに、つきたての温かい餅が若者の前に差し出された。
 雨の夜も、そうであった。
 雪の夜も、そうであった。
 まさか、と思った嵐の晩にも、娘はずぶ濡れになって戸口に立っておった。
 「そりゃあ、人間じゃねえぞ。魔物だでや」
 友だちに言われて、若者の心に、ふと疑いが芽生えた。
 思えば女の身で、あの険しい山を五つも越してくるさえ不思議なのに、つきたての温かい餅を、いったい、どこで求めてくるのであろうか。

 ある晩、若者に問い詰められて、娘は悲しげに言うた。
 「・・・おら、お前に会えると思えば、恐ろしいものは何もなくなってしまうだ。
 あの餅は、お前に食べさせようと思うて、家を出る時に餅米を一握りずつ持って出てくるだ。そして、お前に会いたい、会いたいの一心で、山を越え、山を越えて走り続けているうちに、手の米はいつか餅になっているだ。それなのに、魔物だなんてひどいことを・・・。
 そんな、そんな恐ろしいものを見るような眼で、おらを見ないでおくれ・・・」
 涙が、あとから、あとから、とめどなく頬を伝わって流れた。
 だが、若者の疑いは解けなかった。
 そればかりか、あまりに激しい娘の心を、いつか、うとましく思うようにさえなっておった。
 「このままでは、おら、とり殺されてしまうだ・・・」

 ある晩、若者は、刀の刃と呼ばれる切り立った崖っぷちへ出かけて行った。
 太郎山から大峯に行くのに、どうしても越えなければならない難所である。
 若者は、岩陰に息をひそめて待ちうけた。時おり、名も知らぬ野鳥の叫びが聞こえる。
 やがて、わずかな星あかりに、娘の姿がポツリと見えてきた。
 両の拳を握り締め、髪をふり乱し、恐ろしさに負けまいとするのか、目をつぶるようにして、一心に走ってくるその姿は、若者の目には魔物としか映らなかった。
 「おのれ、魔物め。覚悟しろっ」
 岩陰から一気に飛び出すと、身体ごと娘にぶちあたった。
 娘はたまらず、まっ逆さまに、切り立った崖を転がり落ちて行った。

 あわれな娘の血が滴(したた)ったのか、春の終わりになると、このあたりの谷いっぱいに、まっ紅(か)なつつじの花が咲くのだそうな。

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