つつじの乙女 「信濃の民話」 日本の民話 1 松谷みよ子 未来社 1957年
昔、小県(おがた)の山口村に、一人の働き者の 美しい娘がありました。
ある年の 祭りの晩のことでした。
ふとしたことから 松代から呼ばれてきた若者と知り合って 行く末をちぎりかわしました。
しかし、祭りが終われば、松代は 山また山の向こうで、ちぎりかわしたことも 夢の中のできごとのようです。
娘は 一日の畑仕事が終わって、家のものが寝静まると、こっそり家を抜け出し、夜空に黒く連なる山なみを眺めては、たちつくすようになりました。
「ああ、わたしのからだごと、あの山の向こうへ 投げ出したい。」
娘はほてる頬を 両手にはさんで、ほうっと吐息をつきました。
その息は 冷たい夜気にふれて、しろじろと 凍りました。しろい息のあとを追って、娘がふと山を見上げたとき、はっと息をのみました。一つの火がちらちらと山を越えていくのです。
「だれか・・・山を越して、松代に行くのだ。」
じっと その火をみつめているうちに、娘のからだは 火のように 燃えてきました。
「わたしだって行けないはずはない。わたしの足は山仕事になれている。行こう、行ってみよう。」
娘は ぐいぐいと 何かに引き寄せられるように 歩き出しました。
その夜更け、松代の若者は ほとほとと 戸を叩く音に驚かされました。そこには荒々しく息をはずませ、黒い目から きらきらと 強い光をはじきだしている、真ッかな頬の 娘が 立っていたのです。
その夜から、毎夜のように、娘は松代に通うようになりました。戸を叩く音に 若者がそっとあけると、娘は両手をさしだして ぱっと開きます。そこには一握りずつ、熱いつきたてのモチが うまそうにのっているのでした。
若者がモチを取ると、娘ははじめて ほっとしたように息をついて、部屋にあがってくるのでした。
「このモチはどうして?」
若者は熱いモチをほおばりながら、たずねました。しかし、娘はもう一つのモチを食べながら 目で笑うだけで 一度も 答えたことはありませんでした。
ある嵐の晩でした。今夜はまさか来ないだろうと寝入った若者は、戸を叩く音に目を覚ましました。長い黒髪も着ているものもずっくりとぬれて 娘が立っていました。
その目からは いつもよりもっと 強い光がはじきだされ、手に握り締めたモチは いつもより もっと熱かったのです。
若者は ふと おそろしくなりました。
「お前、このごろ げっそりとやせたなあ、顔も真っ青だし、まあず 何かにとりつかれているようじゃねえか。」
仲間の若いものに そんなことを言われたことが 急に 思い出されました。
女の身で、男でさえ歩きかねる あの険しい山道を・・・太郎山、鏡台山、妻女山もある・・・これはただの女ではない。魔性のものかもしれぬ。
そう思うと 若者は、不気味になってきました。その夜、はじめて 若者は、娘のくれたモチを食べませんでした。
それから、若者は 娘が訊ねてくるのがいやでならなくなりました。娘にも 冷たくなっていく若者の様子がふしんでなりません。この山さえなかったら、山を越す間も 娘は声を上げて泣きたい思いにかられながら、ある夜、とうとう 若者にどうしてモチを食べてくれないかとたずねました。
「前にはあんなにうまいと食べてくれたのに。」
娘は涙をためて問い詰めます。若者は苦しそうに、この頃 思っていることを 話してきかせました。
「おら、お前は 魔性のものではないかと 思うようになった。」
男は 最後に ぼそりと言いました。娘は、
「お前のことを思えば 山仕事になれた足だもの、三つや四つの山を越えてくることなど苦になりません。また、毎晩あげるおモチは 家を出るとき モチ米を一握りずつ 握り締めて出ると、険しい山道を夢中で歩いてくる間に、いつのまにか モチになっているのです。どうかそんな疑いはもたないで・・・。わたしはただの人間の娘なのだから、お前を思う心だけが 山を越させてくれるのだから。」
と、泣きながら訴えました。
しかし、いったん、しのびこんだ疑いは晴れません。日に日に青ざめやせていく自分を見ると、いつかはとり殺されてしまうだろうと思いつめた若者は、とうとう 娘を殺してしまおうと決心しました。
月のよい夜でした。若者は月光をふんで、山道を登っていきました。娘が必ず通る太郎山から大峰へ行く道の、刀の刃と呼ばれる難所で待ち伏せしようと考えたのでした。あたりは深い静かさがたれこめて、時々ギャーと 気味悪い鳴き声がひびいてきます。真夜中の山道は 男でさえ不気味でした。
「こんな所を平気で来るあの女は、いよいよ魔性と決まった。」
若者は山の断崖のところまで来ると、ぴったり体を崖につけてじっとうかがっていました。しばらくすると小さな影があらわれて 風のようにぐんぐん近づいてきます。月の光に照らされた顔は まぎれもないあの娘でした。
若者は娘をやりすごすと 躍り出て 断崖絶壁の上から 深さもしれない谷底へ 突き落としました。
あわれな娘の血がしたたったのでしょうか、それから・・・この山々には 真ッかなつつじの花が一面に咲き乱れるようになったといいます。
おしまい 採集 村沢 武夫 再話 松谷みよ子
昔、小県(おがた)の山口村に、一人の働き者の 美しい娘がありました。
ある年の 祭りの晩のことでした。
ふとしたことから 松代から呼ばれてきた若者と知り合って 行く末をちぎりかわしました。
しかし、祭りが終われば、松代は 山また山の向こうで、ちぎりかわしたことも 夢の中のできごとのようです。
娘は 一日の畑仕事が終わって、家のものが寝静まると、こっそり家を抜け出し、夜空に黒く連なる山なみを眺めては、たちつくすようになりました。
「ああ、わたしのからだごと、あの山の向こうへ 投げ出したい。」
娘はほてる頬を 両手にはさんで、ほうっと吐息をつきました。
その息は 冷たい夜気にふれて、しろじろと 凍りました。しろい息のあとを追って、娘がふと山を見上げたとき、はっと息をのみました。一つの火がちらちらと山を越えていくのです。
「だれか・・・山を越して、松代に行くのだ。」
じっと その火をみつめているうちに、娘のからだは 火のように 燃えてきました。
「わたしだって行けないはずはない。わたしの足は山仕事になれている。行こう、行ってみよう。」
娘は ぐいぐいと 何かに引き寄せられるように 歩き出しました。
その夜更け、松代の若者は ほとほとと 戸を叩く音に驚かされました。そこには荒々しく息をはずませ、黒い目から きらきらと 強い光をはじきだしている、真ッかな頬の 娘が 立っていたのです。
その夜から、毎夜のように、娘は松代に通うようになりました。戸を叩く音に 若者がそっとあけると、娘は両手をさしだして ぱっと開きます。そこには一握りずつ、熱いつきたてのモチが うまそうにのっているのでした。
若者がモチを取ると、娘ははじめて ほっとしたように息をついて、部屋にあがってくるのでした。
「このモチはどうして?」
若者は熱いモチをほおばりながら、たずねました。しかし、娘はもう一つのモチを食べながら 目で笑うだけで 一度も 答えたことはありませんでした。
ある嵐の晩でした。今夜はまさか来ないだろうと寝入った若者は、戸を叩く音に目を覚ましました。長い黒髪も着ているものもずっくりとぬれて 娘が立っていました。
その目からは いつもよりもっと 強い光がはじきだされ、手に握り締めたモチは いつもより もっと熱かったのです。
若者は ふと おそろしくなりました。
「お前、このごろ げっそりとやせたなあ、顔も真っ青だし、まあず 何かにとりつかれているようじゃねえか。」
仲間の若いものに そんなことを言われたことが 急に 思い出されました。
女の身で、男でさえ歩きかねる あの険しい山道を・・・太郎山、鏡台山、妻女山もある・・・これはただの女ではない。魔性のものかもしれぬ。
そう思うと 若者は、不気味になってきました。その夜、はじめて 若者は、娘のくれたモチを食べませんでした。
それから、若者は 娘が訊ねてくるのがいやでならなくなりました。娘にも 冷たくなっていく若者の様子がふしんでなりません。この山さえなかったら、山を越す間も 娘は声を上げて泣きたい思いにかられながら、ある夜、とうとう 若者にどうしてモチを食べてくれないかとたずねました。
「前にはあんなにうまいと食べてくれたのに。」
娘は涙をためて問い詰めます。若者は苦しそうに、この頃 思っていることを 話してきかせました。
「おら、お前は 魔性のものではないかと 思うようになった。」
男は 最後に ぼそりと言いました。娘は、
「お前のことを思えば 山仕事になれた足だもの、三つや四つの山を越えてくることなど苦になりません。また、毎晩あげるおモチは 家を出るとき モチ米を一握りずつ 握り締めて出ると、険しい山道を夢中で歩いてくる間に、いつのまにか モチになっているのです。どうかそんな疑いはもたないで・・・。わたしはただの人間の娘なのだから、お前を思う心だけが 山を越させてくれるのだから。」
と、泣きながら訴えました。
しかし、いったん、しのびこんだ疑いは晴れません。日に日に青ざめやせていく自分を見ると、いつかはとり殺されてしまうだろうと思いつめた若者は、とうとう 娘を殺してしまおうと決心しました。
月のよい夜でした。若者は月光をふんで、山道を登っていきました。娘が必ず通る太郎山から大峰へ行く道の、刀の刃と呼ばれる難所で待ち伏せしようと考えたのでした。あたりは深い静かさがたれこめて、時々ギャーと 気味悪い鳴き声がひびいてきます。真夜中の山道は 男でさえ不気味でした。
「こんな所を平気で来るあの女は、いよいよ魔性と決まった。」
若者は山の断崖のところまで来ると、ぴったり体を崖につけてじっとうかがっていました。しばらくすると小さな影があらわれて 風のようにぐんぐん近づいてきます。月の光に照らされた顔は まぎれもないあの娘でした。
若者は娘をやりすごすと 躍り出て 断崖絶壁の上から 深さもしれない谷底へ 突き落としました。
あわれな娘の血がしたたったのでしょうか、それから・・・この山々には 真ッかなつつじの花が一面に咲き乱れるようになったといいます。
おしまい 採集 村沢 武夫 再話 松谷みよ子
子どものことでいろいろいあって、おはなしから遠ざかっていたのですが、
この松谷みよ子さんが再話した民話を読んだら、
やっぱりおはなしはいいなぁと思いました。
おはなしが長すぎず、複雑すぎず、ストンと心に入ってきます。
久し振りに楽しませていただきました。
松谷みよ子さん、亡くなられてしまいましたね。
寂しい限りです・・・
けれど、作品を通じてお会いできると思うようにしています。
私の中では赤ちゃん絵本のイメージが強く、
『いないいないばぁ』などの絵本を生みだしてくれたことに感謝しています。
赤ちゃん絵本は進化してきましたが、赤ちゃんにやさしく語りかけるような、
生活の延長線上にあるような絵本って、私は好きです。
読んでいるとこちらまで穏やかな気持ちになってくるので・・・
民話を再話したものとはだいぶ印象が異なりますが、
豊かな日本語を、もっと大切にしたいなと思いました。
英語も好きですが、日本語が一番好きです。
しばらくブログの更新がなかったので心配していたのですが、
ぼちぼちアップするようになったのでほっとしていました。
松谷みよ子さんの死は他の人のブログで知りました。
一度会ってみたいと思っていた人だったので残念です。
民話をやるようになって、松谷さんには多くのことを教わりました。
私の民話に対する考え方の基本は松谷さんに学んだものです。
「つつじの娘」はわたしが民話にのめりこむきっかけになった作品で、
(大人でも鑑賞に耐える民話があるんだ、と教えてくれたという意味で)
わたしの語りの数少ないレパートリーの一つです。
いろんなバージョンをこのブログにも紹介しているけれど、
わたしの語りのベースは丸木俊さんがさし絵を描いている絵本です。
まだ読んでいなかったら一読をおすすめします。