民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「あくせく自適で行くんだ、オレは!」 加藤 芳郎

2016年07月15日 00時41分10秒 | 健康・老いについて
 「あくせく自適で行くんだ、オレは!」 加藤 芳郎 講談社 1995年

 まえがき

「悠々自適」は、遠くにありて思うもの。
 あんなものを手に入れた日には5年でボケるよ。
 ボケるだけならいいが、7~8年もしたらあの世逝きだ。現にぼくの知るかぎりの「悠々自適」組はたいがいそうなっちゃった。
「これからは悠々自適で行くよ」
「おかわいそうに」
 そういう感じだね。
 元気で人生80年時代をまっとうしようと思ったら、「悠々自適」なんか求めないことだよ。
 人生というのはいくつになっても荷物を持っていないとダメなんだ。若い時はたくさんの荷物を持って、で、そこそこ歳を取ったら大荷物は片づけて。でも、全部片づけてはいけない。
 小荷物を少しだけもって、それであくせくやっていくこと。
 仕事でも同窓会の幹事でも、町内の手伝いでもボランティアでもなんでもいい。なにか一つ二つ持って、それでときどき時間に追われたりして。そのあくせく感を楽しむこと。
 オッ、このあくせく感はオツだねぇ。これはいいボケ封じだ、と思うこと。それが「あくせく自適」ということなんだ。
 ぼくは元気で長生きしたかったら「あくせく自適」にやることだと常々思っている。「あくせく自適」以上の名医はないとすら思っている。「あくせく自適」は医者いらずなんだ。

 (中略)

 憎まれ口をきくには体力がいるからね、それに気力も必要だ。「悠々自適」やっていたらそんな体力も気力もしぼんじゃう。
 これはもう「あくせく自適」に生きるしかない。 
 あくせくだけでは疲れるから、自適というスパイスで整えて、そのうえで憎まれ口を叩くんだ。それは大人の義務だと思う。生きているかぎり、憎まれ口を叩く義務がある。なんたってこの国のことが好きなんだから。これ以上ヘナチョコな国にしてしまうなんてマッピラだからネ。
「あくせく自適」は気合なんだ。その気合が、体力充実、気持ちの高揚、長寿の秘密、元気な晩年の元になると思えば、ぼくはとことん「あくせく自適」で行ってやる、生きているかぎりはね。
 もう一回いうが、「あくせく自適」は医者いらず、ボケたくなかったら、これしかない。

 加藤 芳郎 1925年、東京生まれ。漫画家。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。